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【編集部注】当記事は2002年に当時のウラジオストク支部責任者、オソキン支部長より届いた報告書を和訳したものです。現在のロシア空道を知る資料として参考掲載します。

大道塾ウラジオストク支部の社会体育性について

ウラジオストク支部は1990年に活動を始めました。最初のころに他流派の空手をやっていたですが大道塾の存在を知ってきて、東先生と交信を始めて、だんだん大道塾に変わってきました。1991年にロシア連邦沿海州法務局から正式的な登録を受けて、同年に大道塾総本部で海外支部第1号として認可されました。それ以来に大道塾は沿海州をはじめとしてロシア各地で爆発のように発展しています。その原因は大道塾の本質であろう。一般の人は強くなれる、普通の仕事しながら空手の練習を通じて精神的に、体力的に、人間的に成長でき、プロの選手に負けないぐらいのレベルを達するという、いわゆる社会体育、東先生の思想はロシアで多くの人の心で反響を見つけました。その大道塾の思想は人個人、個人だけではなく政府機関、教育機関の注目を当然のように引けました。ロシアは今大変な時期を乗り越えつつあるが国民を幸せにするには経済を安定させる他に人を統一させて心のきれいで、総合的に強い人を育てる必要があります。大道塾はその目標には一番応じていると政府機関から好評受けて前面的な支持与えられました。

大道塾ウラジオストク支部の発展に一番大きな貢献をしたのはオソキン支部長です。彼は1994年に支部長の認定受けて、3ヶ月間東京の総本部で修行を重ねてその成果を地元の道場で十分に活かせました。1998年に参段に合格しました。 オソキンの最初の一歩は大道塾少年青年スポーツ学校の成立でした。1996年に少年青年総合学校の中で大道塾部が設けられ、そこで3人の指導員が働きはじめました。ロシアでは青年スポーツ学校はスポーツ委員会に所属してその職員や指導員などは市か州の予算から給与されています。1997年の1月から指導員の人数を10人まで増やすことができました。

1998年に少年青年大道塾部を基づいて完全に政府に融資されている大道塾少年青年スポーツ学校を独立校として設立しました。現在そこで国家スポーツ委員会に認可された25人の指導員の下で7歳〜18歳のこどもは2000人以上大道塾を学んでいます。 教育機関も大道塾に大きな興味を示してきました。1999年の5月にウラジオストク支部は極東国立大学と公的契約を結びました。この契約に基づいて公式指導員を目指す道場生から毎年3人が無料で大学に入学できます。第一期にシボプリャス(弐段)、ボロディー(弐段)、グリゴリエフ(初段)この三人が学生になりました。

1999年の6月にオソキン支部長は沿海州地方政府のスポーツ資格検定委員会の一員に選ばれました。この委員会はスポーツに関わっている行事を管理しています。その中でスポーツ種目に分かれていて、オソキンはスポーツ格闘技(レスリング、サンボ、柔道、空手、ボクシング、など)担当と任命されました。 彼は大道塾をもっと広げるため、大道塾の概念をより理解されるため初めてのロシア語大道塾教科書を作成して2000年の初めに極東国立大学の印刷所で出版しました。こういった貢献を評価され2000年5月1日にロシア連邦政府から(命令状#53PR)ロシア社会体育とスポーツの発展功労のため勲章をあたえられました。2001年の3月にオソキン支部長はロシア体育団体の会議の参加者に選ばれました。

極東国立大学は最近社会体育社会福祉をより発展させる方針を選び体育カレッジを設置してその中で2001年の9月1日からコーチ−格闘空手大道塾指導員という学科が開きました。現在3人の指導員はウラジオストクの高等教育機関で大道塾を教えています:
セミピャツノフ(初段)− ウラジオストク国立経済,サービス業大学
ボエフ(初段)− 太平洋海軍大学
シボプリャス(弐段)− 極東国立大学
2000年にウラジオストク支部理事会が成立されて、沿海州副知事、大統領沿海州代表者のクゾフさんは理事長として選ばれました。彼は昨年日本を訪れ無差別大会の時に東塾長の手から名誉段をいただきました。

ウラジオストク支部の皆さんはこうやって東塾長の社会体育の概念を守りながらそれが事実になるために努力しています。大道塾のすばらしさをできるだけ多くの人に紹介してこれからも精神的に、体力的に強い立派な社会人を育てるように頑張ります。

オソキン(ウラジオストク支部)(2002年記)

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