北京武術トーナメント観戦・観光記村上智明(中四国本部)

8月20日 | 21日(試合当日) | 22日 | 23日 | 24日 | 25日

今回、私は大道塾から笹沢一有選手が出場した北京武術トーナメントに同行しました。私の視点から、大会の様子、また、オリンピックに沸く北京の風情、北京における大道塾一行の活躍(?)を報告したいと思います。

8月20日

関西国際空港、12時に観戦ツアーメンバーが集合、武術太極拳連盟の方々と歓談、東京武術散手倶楽部の田村さんと合流。14時に空路北京へ。
集合時から、「これは話したことはないけど絶対見たことがあるなあ」という若者が一人(実は勝選手)、こちらからあいさつすべきか迷いながら搭乗、機内で無粋な本を読みながら暇つぶし。
今回、塾長と笹沢選手は、18日から北京、オリンピック選手村に滞在、試合に向け調整に余念がないとの事。事前に笹沢選手のケガについて情報を得ていたが、彼なら何とかするだろうと思いながら機内の時間をすごす。

無事北京到着、移動のバス内で気になる若者(勝選手)の近くに座り、その会話に聞き耳を立てる(いやらしい振る舞いである)。これはやはり大道塾だと了解、下車後にあいさつ。田村さんにも紹介する。
ツアーメンバーは、二つのホテルに分かれて宿泊。私たちが宿泊するのは「北京安怡之家賓館」。ホテル到着後、塾長に連絡。今回は、連絡体制に万全を期そうと携帯を国際通話モードに。
塾長と連絡がつき、奥様と92年北斗旗の優勝経験もあるA氏とが同じホテルであることを伝えられる。東京出発組は多少遅れて到着するということで、それまでホテルの室内で休息。今回は田村さんと同室。武道談義に花を咲かす。
やがて、奥様、A氏到着。夕刻にかけて塾長、笹沢選手も顔を出す。計量も余裕を持ってクリアしたということで、笹沢選手、明日の試合に向け、自信を示す。ケガについても十分なケアをしているとの事。明日は、塾長、笹沢選手は選手村から直行、ホテル組は早めに会場に向かうということに。打ち合わせを済ませ、笹沢選手とセコンド(塾長)は選手村へ。
ホテル組は遅めの夕食。近くで食べようということで、ホテルとなりの「宏状元晶粥店」へ。お粥じゃあ腹がふくれないなあ、と思ったが、中華料理のレパートリーも十分。一通り料理を食べ、試しにバリエーション豊富なお粥を頼む。印象深かったのは黒ゴマのお粥、ほのかな甘みがあり、食べやすい。とはいえ、ビールに合うかは微妙。食事を済ませ、翌日に向けて就寝。この店、店員は無愛想だが、料理はおいしい、さらに深夜営業ということで、滞在中ほとんど毎日お世話になることとになった。

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21日(試合当日)

今日が本番ということで、早めに起床、というか雨音に起こされる。カーテンを開けると一面の曇り空で激しい雨。北京は三度目だが、こんな雨は初めてではないか。
他のメンバーと会場へ向かう段取り。これまでの北京滞在の経験から、移動は早めにタクシーでというつもりだった。北京のタクシーは初乗り(3km)10元ということで、日本円に直すとバスより少し安いかなという感覚。タクシーを捕まえて会場に向かおうということになったが、これがなかなかつかまらない。まあ、道を見渡せば国籍多彩、世界中から人間が集まっている感じで、タクシーは完全な売り手(運転手?)市場、みな乗車状態。
これは仕方がないということで、近くの地下鉄駅から会場へ。大会チケットがあれば、北京市内の地下鉄、バスは無料ということで、チケットを持って窓口へ。乗車カードを渡され、入り口でチェッカーに通して入場。会場へは、2回乗換えなければならない。次の駅ですぐに乗り換え、さて会場直行の地下鉄に乗ろうと乗り換え口を探してもなかなか見当たらず、人の流れに沿って移動すると地上へ。どうも直通地下鉄は未完成の様子。オリンピックではまあよくある話。
ボランティアであろう説明員に道順を聞いて進むと、代々木体育館を思わせる建物、大会会場となる「国家奥林匹克体育中心体育館(オリンピック中心体育館 Olympic Sports Center Gymnasium)」が見えてくる。
雨の中、足場が悪いところを徒歩にて会場へ。会場に着くと、入場前に手荷物チェック、ペットボトル没収。そういえば、地下鉄入場時も手荷物のエックス線検査がなされた。チェック要員の応対はソフトであるが、テロ対策には配慮をしているということであろう。
入場後、チケットの指定席へ。会場には散打の試合場である擂台(ライタイ)と套路(トウロ)のマット場とが並んでいる。チケット席からは、套路の試合はよく見えるのだが、擂台は遠い、空席もずいぶんありそうだったので、散打の試合が始まったら、向こうに移動することで合意。 套路の試合、日本選手も健闘している様子。
套路の試合は、一種目で順位を決める場合(長拳)と二種目の総合で順位を決める場合とがある。21日午前の試合は、二種目総合の最初の種目が行われた。前回の世界選手権で、試合進行が予定通りにはいかず、かなり前倒しで進んだ記憶があるから、今回はどうなのかと思いながら観戦。ほぼ予定通り、11時過ぎに午前の套路は終了。会場ロビーにてうろうろしていると塾長、笹沢選手到着。仕上がり十分との事。

散打の試合は15時から、それまでの休憩時間、チェックは緩やか。アップ要員のA氏、勝選手は塾長らとともにトレーニング場へ。聞けば笹沢選手と勝選手は、早稲田大学同好会で、主将、副主将の間柄(笹沢選手が主将)、A氏はそのコーチ役という関係。笹沢選手にとっては頼もしい応援である。試合の合間ということで通行はかなり自由な様子。私もトレーニング場に行ってみる。昨年の世界選手権と同じ、広いスペースに、擂台と套路のマットが設置されている。
マット上で笹沢、勝ともに準備運動に余念がない様子。私のほうは、時間進行など会場の様子を把握、必要があれば相互に連絡をとるということで会場に戻る。田村さん、奥様が占拠している散打特等席へ。套路のときは席に余裕があると思ったが、開始時間が近づくにつれ、どんどん観客が入ってくる。これは、立ち見をしなければならないかなとも思ったが、大陸的おおらかさというか、みな、席番号を確認することなく空席を見つけて着席している様子。そうこうするうちに、午後二時半、セレモニーが始まる。これは、予定通りの進行になるなと思いつつ、セレモニーが始まった旨、塾長に電話するがつながらず、留守電。

定刻15時より試合開始、まずは女子の試合。興味深かったのは、イスラム圏女子のコスチューム、素肌の露出を嫌うということか、長袖、タイツの上に防具を装着している。
女子60kg級でちょっとしたハプニングがあった。
散打では、試合終了時、選手は舞台中央でそれぞれ相手方のほうへ立ち、主審が勝者の手を上げる。勝利を決めたのはイランの選手(結局彼女が最終日に優勝を決めた)。男性の主審が彼女の手を上げようとすると、宗教上の理由か、触れられることをかたくなに拒否する。ものの本では、イランでは教義を厳格に守ることで、女性が社会進出を果たしている(散打への出場もそうした社会進出の一環なのであろう)とのこと、異性との接触を拒絶するというのは、そうした教義遵守の一環として十分理解できる。 それを無理やり手を上げようとするのだから、おやおやという感じ。何とか試合は終わったが、多少後味の悪い風景。後に田村さんに聞くと、宗教上の理由で、直接の接触がはばかられる場合は、主審が挙手を促し、選手が自分で手を上げることになっているということで、これは主審がNG。

ちなみにこの田村さん、東京武術散手倶楽部所属で、散打の世界大会は2001年から観戦し続けているという散打の生き字引とでもいうべき人物。各国散打事情、有力選手情報に大変に詳しい。その田村氏の解説つきで奥様とともに試合を観戦していると塾長から電話。塾長とともにセコンドにつくはずの孫先生(套路のコーチ)がまだ会場についていないとのこと。私のほうから連絡するということで、すぐさま孫先生に電話、つながる。
あらためてセコンドをお願いすると、現在、夕方から予定されているメダルのかかった套路の試合準備のため、選手につきっきりで手が放せないとの事。何とかお願いできないかと頼むが、現在オリンピック村におり、時間的にも不可能とのこと。これは、塾長一人にがんばっていただくしかないということで、すぐに連絡。
今回、武術日本選手団で確保したセコンド枠は、套路一人、散打一人の二名、散打で認められているセコンドの人数は二名ということで、套路のセコンドである孫先生を頼りにしていたのだが、套路には套路の事情がある。結局日本散打選手団は純粋大道塾チームということになり、武運を祈る。

散打男子70kg、塾長、笹沢選手、必勝を期しての入場。ふと会場を見渡すと、もう8割がた席は埋まっているのではないか、場内の熱気も最高潮。笹沢、大舞台でのプレッシャーを感じさせないリラックスした様子で頼もしい。会場前列に陣取ったA氏、勝選手も精一杯の応援、また別の席から笹沢選手の会社仲間(聞けば遠く上海から駆けつけた方々もいらっしゃったという)からの声援。今から思えば一ヶ所にまとまって応援をすればよかったと思うが、基本はそれぞれ指定席、まあしかたがない。

第一回戦の相手はロシア選手、双方「抱拳礼」ののち試合開始。
笹沢、自分の距離を保ちながらストレート系のパンチを的確にヒットさせる。打撃はやや笹沢ペースか。双方相手を探りながら中盤、ロシア選手が豪快な後ろ回し蹴り。
今回、観戦していて思ったのが、笹沢の相手に限らず、ロシア選手が後ろ蹴り、後ろ回し蹴り、バックブローといった回転技を得意にしていること。バックブローからの回し蹴りといった複合技もこなし油断ならない。笹沢、上手に中に入るが、相手の後ろ回し蹴りに巻き込まれ、体重を預けられた形になって思わず手をつきポイントをとられる。ポイントを取った相手が勢いに乗って攻勢を仕掛ける。打撃から組み技へ。いつもの笹沢なら組んだ瞬間に足技で相手のバランスを崩しポイントを奪うのだが、ケガのためか踏ん張りが利かない。ロシア選手に組み技でもポイントを稼がれて、第一ラウンドは相手方。30秒の休憩を挟んで第二ラウンド。
笹沢、痛めているはずの右足も動員して打撃で攻勢、勢いに乗ったかと思われたが、散打では組み技でポイントを稼ぐのが常道。組み技になるとやはり踏ん張りが利かないのか、なかなかポイントを稼げず、相手にポイントを許してしまう。途中鼻からの出血でドクターチェックがはいったが、ひるまず、果敢に攻め込む。後半、投げでポイントを奪う場面も見られたが、無常のタイムアウト。ロシア選手勝利、大魚を逸した感。「抱拳礼」を済ませて塾長とともに退場、残念。奥様は笹沢のダメージを第一に心配しておられた。ともかく、笹沢に会おうと、皆ロビーへ。

会場ロビーにて笹沢を待つことしばし。塾長とともに笹沢が現れ、「すいませんでした。」そこに日本から、北京支店から、上海支店から駆けつけた笹沢の会社仲間が集まり、口々に「よくやった。」、「すごい試合だった。」、「君の奮闘から元気をもらった。」、「会社の仲間がこんな大きな大会でがんばってくれてうれしい。」と笹沢に声をかける。
思えば、武警にて選抜選手と戦い、世界選手権を戦い抜いてようやくつかんだ出場権、出場するだけでも本当に大変なこと。結果を悔やめばきりがないが、今回出場できたことについては素直に喜ぶべきなのだろう。今晩は、会社の仲間が笹沢のために慰労の宴を開いてくれるということで、笹沢は別行動、早々に会場を後にする。

ホテル組は塾長と合流、以前、北京大学で開催された大道塾セミナーに参加したという孫さんが、なにやら高級そうな店に私たちを案内。その店というのが日本人オリンピック選手御用達の超有名店、かなりアグレッシブな感じの(若そうな)日本人マダムが仕切っている。着席早々、マダムが店の料理を饒舌にアピール、定番の北京ダックをはじめに料理とビールを頼む。
ビールをついで慰労の乾杯をしているとまたまたマダム登場、今度は、塾長に会ったことがあると言い出す。「何か調子がよすぎるなあ」と思って話を聞いていたら、大道塾の選手が参加した散打の興行(※)を後援したことがあるということでマダムの話は嘘ではない。

※ 2001年 CHINESE KUNGFU KING CHALLENGE(散打遠征

当時のあれこれを思い出しながら塾長と会話、これからもよろしく、という感じで、さあ、内輪の話、試合の話に移ろうとするが、タイミングがいいのか悪いのか、新しい料理が運ばれるごとにマダム登場、北京ダックの皮は砂糖をつけて食べるとおいしいとか、食べ方のイロハ、料理の由来から説明するので、こっちは落ち着いて話ができない。
A氏などはマダムに対し露骨な敵意のオーラを向けるが、効果なし。さすがに有名店、マダムも半端ではない。
考えてみれば敗戦当日の夜、どうかすると話が湿っぽくなるところ、この店ではマダムのパフォーマンスで落ち込む余裕を与えられなかった。せっかくの北京の夜、敗戦なんて忘れて楽しみましょうよというマダムのサービスだったのか。評価はさまざまであったが、私としては(精神的、金銭的に余裕があれば)またきてみたい店。
今にして思うと、マダムの店は「ある種」いい気分転換になったのであるが、そのときは、みな会話が妨げられた感じで欲求不満状態。カラオケで仕切りなおそうということに。マダムはさすがに親切。カラオケ店を紹介してもらう。
向かったカラオケ店は何かが間違っているのか、それとも中国ではそうなのか、高層高級ホテルのつくり。案内された部屋もVIPっぽい。会話もそこそこにカラオケタイムへゴー。深夜まで大騒ぎ。ホテルへ帰って「宏状元晶粥店」で食事。明日は観光ということで塾長は選手村へ、ホテル組は就寝。

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22日

朝、ホテル集合。塾長も参加の予定であったが、アジア大会、来年の世界大会に向け、諸作業がたまっており、それを済ませたいということで、不参加。思えば今回の北京も塾長はブラジル、韓国、マレーシアとセミナーをこなしてすぐの参加。強行軍でお疲れがたまっていらっしゃらないかと心配する。しかし、カラオケ、宴会では塾長が一番エネルギッシュなのであるから杞憂か。

観光の計画、みなが「ワンフーチン」、「ワンフーチン」という。「北京ダック」みたいな名物料理なのかなと思って話を聞いていると、どうやら有名な場所らしい。「北京へは戦うために行くのであって、観光に行くのではない。ゆえに観光地についての知識は不要。」といったつまらないこだわりが私にはあり、ガイドブックの熟読、といったことはしていない。そのため、北京観光についての体系的知識はなく、観光シロート状態。奥様主導で、天壇公園から王府井(ワンフーチン)、そして天安門広場、故宮博物館へのコースが決定。
天壇公園へは、地下鉄で。旅行社が配布したパンフレットを走り読み。この公園は歴代皇帝が五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)を祈願し、天帝に報告した場所との事。最初の建物に入ると、みんな壁に向かって叫んでいる。「回音壁」といって、壁に話した声が反対側に響き、すぐそばで話しているかのようにきこえるというものらしい。とすると二人一組で背中合わせに反対の位置に立ち、互いの声が聞こえるかどうかを試して見なければいけないはずなのだが、どうもそんな様子ではなく、みんなただ壁に向かって叫んでいる様子。観光地ハイというか、名所にきたら何かをやってみたいということなのだろうか、それとも何かご利益があるのだろうか、壁に向かって叫ぶ人々をあとに祈念門から祈念殿へ。
祈念殿は大きい。円形の三重塔は青を基調に鮮やかな彩色が青空に映える。そういえば、この日は昨日の雨とはうってかわって、雲ひとつない「日本晴れ」。祈念殿をひとまわり、皇帝が天に報告を行った場所という天心石へ。みんな立ってみたい場所なのだろう、案の定、天心石のところでは行列が、行列をあとに天壇公園の外へ。

次は、バスに乗っていよいよ「ワンフーチン」へ。「ワンフーチン(王府井)」というのは結局、北京第一の繁華街ということらしい。まずは食事をということで、「全聚徳」という北京ダックが売り物の豪華そうな店に入る。
メニューを見るとさまざまな料理の中にサソリのから揚げらしきものが。にわかグルメはゲテモノに走るというか、強く食味をそそられたが、他のメンバーのことも考え断念。北京ダックを中心とした無難な注文に。北京ダックには砂糖を盛った皿がついており、昨日のマダムの説明はこれまたウソではなかった。

食後は自由行動ということで、北京大飯店ロビーを集合場所にして、それぞれ街中へ。まったく勝手知らぬ道筋、北京大飯店を見失わぬよう歩き回ると、屋台風の串焼き屋に。売り物を見ると、牛肉、豚肉に加えて、セミその他のゲテモノを扱う店。ゲテモノ食いの食指がうずく。セミは一串に四匹。これは到底食べきれないということで見回すと「タツノオトシゴ」が串に。注文すると店主が鉄板上でタツノオトシゴをこんがりと焼く。暖かいうちにポリポリ食べながら歩く。ウナギの骨の密度が高い感じ。
オリンピックTシャツを買ったり、小物店を物色しているうちに時間。北京大飯店に向かおうとすると、要所に立ち入り禁止区域が設けられて、なかなか近づけない。どうも、各国から集まったVIPさんたちの会合があるらしい。こちらとしてはロビーが集合場所なのだから、警備員に「友人と待ち合わせしている。入れてくれ。」と頼むのだが、当然受け付けられない。そうこうしているうちに、勝君から電話連絡があり、「全聚徳」前で合流。次は、天安門広場から故宮へ、その後は各自自由に帰ろうということに。
天安門広場に立ち、毛沢東像を見上げる。感慨深い。そして故宮へ。天壇公園もそうだが、故宮も皇帝のためのスペース、ここは皇帝の住居だが、それがそのまま公園になっている。とにかく広い。気功やら太極拳やら胡弓の演奏やら、さまざまなパフォーマンスが行われている。この公園全体が住居なのだから、皇帝も移動が大変だったろうなと思いつつ、太和殿、中和殿、保和殿といった建物を見学。 そろそろ帰ろうかということで、私はA氏、勝君とともに故宮の外へ。
例によってタクシーを捕まえようとするがなかなかつかまらない。地下鉄に乗ろうと思うが、自分たちがどこにいるのかがわからない。歩いていると人力三輪車(輪タク)の客引きが激しい。歩いても埒があかないので、輪タクで地下鉄まで送ってもらおうということに。こちらは3人だが大丈夫かというとOK、X元で地下鉄の駅まで送ってくれというとそれもOK。そこで、二人乗りのところぎゅうぎゅう詰めで3人が乗り、それを件の運転手がヒーコラしながら、ペダルをこいで小さな路地に入っていく。さすがに3人乗りは難しいということで、仲間の運転手に声をかけ、もう一台に分乗ということに。 どうも、道筋が怪しい。生活臭漂う狭い路地の裏通りわざわざ選んで通っている様子。運転手は観光案内的なことをしてくれるのだが、分かったような分らないような。いったいわれわれはどこへ向かうのか。一区切りついて、地下鉄はすぐ(実際はそうではなかった)というところで、降りる。どこに行くのかわからない不安から開放され、一安心。まあ、2台も使ったことだし、当初の取り決め額×2くらいは払おうかなと思っていると、「X元は地下鉄までの費用。観光コースを回ったのだから、その分の費用を別に貰いたい。」と言い出した。その額がX元の9倍。「ボッタクリかよ。」私は、ある経験から、この時、支払いには非常に渋くなっており、当初取り決め額の3倍を支払い、それ以上は出さず、不満顔の運転手を残して、大通りへ。ところが、これはやられた、地下鉄駅はどこにも見当たらず、また歩かなければならないのかと思っていると、勝君が見事タクシーを捕まえる。やっとホテルへ。

ホテルに帰り、ガイドブックを見ると輪タクが案内してくれた裏通りというのは「胡同(フートン)」と呼ばれる、昔ながらの生活空間をかいまみることができる観光コースだそうで、コース料金の相場もあるらしく、結果として(決してこちらから求めたわけではないが)、格安でフートン観光をしたこととなる(X元は、先方の言い値一台分の9分の1にあたる。2台に乗って、X元の3倍を支払ったのであるから、言い値の6分の1しか支払っていないことになる)。
今にして思えば、この日は、天壇公園からワンフーチン、天安門から故宮、おまけにフートン見学という、北京観光のゴールデンコースを堪能したことになる。その日の夜は、応援に駆けつけた笹沢選手の親類縁者を交え、恒例の日本料理店で食事。ホテルとなりの「粥店」に流れ、就寝。

充実した観光の一日、心に残ったのは天安門広場、歴史の舞台を直接見たという感慨。肖像を掲げられている毛沢東が生きていたら、オリンピックに沸く北京をどう思うのだろうか。毛沢東は人民に健康体操として太極拳を推奨したという。これは、健康増進に加え、自国の「伝統的」身体文化の保護、普及を通じて、中国「国民」としての意識の自覚を高めるといったナショナリズム的な意味もあったのであろう。今回の武術トーナメントには、中国政府として将来的にオリンピック公式種目化を図り、中国発祥の競技を世界に認知させるという、これまたナショナリズム的意味合いがあるのであろう。ホテルのベッドであれこれ考えながら、いつの間にか睡眠。以下に、トーナメント会場にて配布された「武術」パンフレットから歴史の項を翻訳、紹介したい(パンフレットは中国語・英語の二種類)。

歴史
中国発祥の「武術」は、「武芸」、「国術」、「功夫」とも呼ばれています。火器が用いられなかった時代、兵士たちがこの古い型の格闘技術を戦争で用いる一方、中国人民はそれを護身の手段として用いました。それはまた洗練された楽しみの源、また体を鍛える方法と考えられてきました。中国には7世紀から、「武術」の達人を選ぶための試験と試合が行われた記録があります。のちに、「打擂台」(高い試合台での戦い)として知られることになる試合が取り入れられました。今日行われている近代的な「武術」は、その戦争的な起源から離れ、中国伝統文化のさまざまな要素から大きな影響を受けた格闘スポーツになっています。それは套路と散手という二つの競技からなっています。いずれも、様式化された攻防所作の組み合わせです。スポーツとしての「武術」には、その他に「推手(手の押し合い)」、「短兵(短い武器)」、「長兵(長い武器)」が含まれます。  1920年代、中国で「中央国術館」が設立、1932年には第一回「全国武術運動会」が開催されました。この行事は、以降ほぼ毎年実施されることになりました。1933年、「武術」は、中国「全国運動大会」の正式種目となり、1990年には、第11回アジア大会の常設種目となりました。国際武術連盟は、1991年から9回の世界選手権を実施し、2002年から3回の散手世界選手権を開催しました。2006年にはマレーシアで、第一回少年少女世界選手権が開催されました。
2001年7月13日、2008年にオリンピックの北京開催が内定しました。その5ヵ月後、国際武術連盟は国際オリンピック委員会にオリンピック競技へ「武術」を加えてもらうよう、請願を行いました。IWUF(国際武術連盟)による多大な努力により、2006年12月7日、オリンピック委員会は、2008年のオリンピック期間中に「武術」トーナメントを開催するという希望を受け入れました。「武術」は、公式競技もしくは公開競技ではありませんが特別(ad hoc)競技であると考えられます。

国民党統治下に設立された「中央国術館」が、中国政府による「武術」の正史に記録されていることが興味深い。散打を通じて「武術」にかかわることになった私のささやかな経験からも、「武術」界では中国、台湾の交流が盛んな様子。中国、台湾の政府間対立は現にあるとしても、ナショナルな文化シンボルである「武術」スポーツの交流についてはどうこうやかましくいわないということなのか。後半の記述には、「武術」の位置づけをめぐるIOCと中国政府との綱引きが垣間見られて、面白い。
明くる23日も、観光てんこ盛りの予定である。

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23日

今日の観光は、タクシーをチャーターして万里の長城から明の十三陵というコース。
塾長は、例によってお仕事、笹沢選手は試合が終わって、疲れがどっと出たのか、いささか体調を崩し、選手村で静養ということで、奥様、A氏、勝君、私の一行ということに。特に急ぎの旅でなし、ホテルをゆっくり目に出発、北京市内から郊外へ。 1時間半ほど走ったであろうか、万里の長城到着。駐車場にタクシーが止まり、運転手さんから、ここで待っていますから、どうぞお楽しみくださいといわれて、長城へ向かう。

周辺には、ホテル、食堂、土産物屋に加え、スターバックスもある。奥様の話では、以前に万里の長城を訪れたときには、スターバックスはおろか、ホテルなどもなく、ずいぶんと開けた感じがするとの事。
各人のペースを考え、お昼にスターバックスで待ち合わせということにして自由行動。
中国観光のメッカということなのだろう、国籍多彩、やたらに人が多く、万里の長城は繁華街なみの混雑状態。A氏、勝君についていこうとするだが、人ごみの中、すぐに見失ってしまう。せっかくの万里の長城、行けるだけ行こうと時計とにらめっこしながらひたすら歩いてみる。
今日も天気に恵まれ、人ごみの中、緑いっぱいの景色を眺めながら進む。レンガ造りの城壁をみると、歴史の蓄積を感じさせる一面の落書き、昨今の落書き騒動を思い出し、古今東西人間がすることに変わりはないのかなあと思いつつ歩む。とにかく、落書きされていないレンガがほとんどないくらいにさまざまな言語でなにやら書き込まれている。しかし、世界遺産ということで、新たに落書きをしている人はさすがにいなかった。万里の長城はさらにさらに続いているのだが、時間が気になり、帰路へ。

入り口近くで先に休まれていた奥様と合流、スターバックスへ。スターバックス、コーヒーの値段は日本とあまり変わらず、中国では割高に感じられる。外人客メインということであろう、外の喧騒とは打って変わって店内はゆったりした感じ。窓際に座り、A氏、勝君を待つことしばし、二人の姿が見えてくる。
聞けば、万里の長城を私なんぞよりはるかに先まで踏破したとのこと。飲み物を頼んでくつろぐ。 A氏、「コーヒーにこれだけ払うんだったら、昨日の運転手にもうちょっと払ってもよかったですね。」とポツリ。胡同(フートン)観光の件である。私も、輪タク相場をあとで知ってから、もうちょっと払ってもよかったかなと思っていたので、何か図星を指された感じ。「当初契約はX元、こちらは観光を頼んだわけではないし、結局、当初契約額の3倍を支払ったのであるから、なんら問題はない。」と自分でも納得できていない抗弁。「そうスかねー」といわれても、いまさらの話なのだから、あまりいじめないで。

お昼はラーメン屋さん。といっても、北京にきて、日本の典型的なラーメン、かん水が入っていて黄色っぽい色がしている細麺に出会った記憶がない。この店も、麺がラーメンというより、うどんっぽい。鶏肉うどん、牛肉うどんという感じ。これがうまい。連日のご馳走攻めで疲れている胃に入るかなーと思っていたが、どんどん箸が進む。満腹したところで、タクシーに戻り、明の十三陵へ。
北京市内は、幹線道路が舗装、整備されており、本当に都会的。万里の長城にいたるルートも道路が整備されていたが、明の十三陵に向かう道筋は、途中からややひなびた田舎道、「ああ、こんな道を通って武警に向かったんだよなあ。」と思いながら窓の外を眺める。
十三陵と言うのは、明代十三人の皇帝の陵墓の意だそうで、向かったのはそのうち、唯一地下宮殿が発掘されているという「定陵」(観光の定番)。九階まである地下宮殿を、自分の足で上り下りしなければならない。とにかく行って見なければ、ということで到着後、案内図と首っ引きで地下宮殿入り口を探し、内部へ。
万里の長城ほどではなかったが、ここもずいぶんと人が多い。地下九階、皇帝の棺が安置されている部屋は、石の壁に囲まれ天井も高く、広い。作るのにずいぶん人手がかかったのだろうなあなどと思う。
地下宮殿を出て、明楼と呼ばれる建造物へ。最上階からまわりの景色を見回し、それから構内をしばし散策。一通り歩き、早めに帰ってホテルで休もうということでタクシーへ。万里の長城から明の十三陵という世界遺産ツアー、無事終了。

ホテルに戻り、小一時間ほど休息ののち、周辺をうろつく。スーパーマーケットに入ると「景徳鎮」の文字。マーケットの一角に陶器店がある。旅先で陶器を買うのが私のささやかな趣味。物色していると店番らしき女性が話しかけてくる。言葉は通じないが、同じ絵柄を大皿から小皿、茶碗と大きい順に並べてくる。どうやらセット買いを勧めているらしい。荷物になるけどまあ家においてもいいかなと思い、値段を聞くと、日本の感覚ではかなり安い額。輪タクの支払いでちょっと罪悪感めいたものを感じていたが、また「スーパーで値切るのもどうかなあ」と思いつつ、一応、値切り交渉。案の定、それほど下がらない。まあいいかと思って、輪タク基準料金の半額で購入。
夜は、本格の中華を食べようということで町に繰り出す。歩きながら店を探し、広く小ぎれいな店に入る。どうやら四川料理っぽい。「水煮」を注文するかどうかでちょっとした議論に。「水煮」は唐辛子、山椒メインの香辛料を利かしたスープでナマズなど川魚を煮た四川の名物料理。ではあるが、味付けははなはだ辛く、好き嫌いは分かれる。前回北京遠征では、笹沢選手にとってはショックな味だったらしい。しかし、今晩は静養のため笹沢選手は欠席。まずかったら、若手が食べればよかろうということで注文。
餃子その他の料理、ビールを頼んで乾杯。なにやら店員がビニール袋を持ってくる。中を見ると黒っぽい魚がばたばた動いている。ナマズだ。調理する前に客に生きた魚を披露し、新鮮さをアピールするということか。一応検分して、調理を頼む。しばらくして本日のメインディッシュ、「水煮」が登場。前回北京で食した際には、唐辛子、山椒に埋もれたスープの中でナマズの切り身が煮込まれていたのだが、今回は、湯通しされたナマズの切り身がスープとは別の皿に盛られている。ナマズの身は純白で、ハモを連想させるような、元の姿からは想像できない上品な感じ。各自、お好みでスープに泳がせて食べる。スープは確かに辛かったが、おおむね好評。その後もいろいろ追加注文をして満腹、ホテルへ帰る。明日はオリンピック最終日である。

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24日

今日はオリンピック最終日、午前中に散打の決勝が行われるということで、田村氏とともに会場へ。私が観光で楽しんでいる間、田村氏はなんと散打の試合をすべて観戦、主要試合をビデオに収めているとの事。心がけが違うなあと思う。
今回、決勝戦に進出した中国選手は、男女それぞれ一名ずつの計二名。「武術」の母国としてなんとしても金メダルがほしいところ、選手にかかるプレッシャーはいかばかりか。試合前、擂台上で黙々とシャドーをこなしていた中国選手の姿が印象的だった。決勝戦は、まず女子52キロ級、中国対フィリピン。金メダルがかかった戦い、どちらも負けられない。が、フィリピン選手の動きがさえない。田村さんの解説によると、前の試合でフィリピン選手は足を負傷していたらしい。中国選手、攻撃の手を緩めず勝利。まずは金メダル確保。女子60キロ級は、ベトナム対イラン、イラン選手はズボンに長袖の選手だ。接戦の末、イラン選手勝利。レフェリーは女性、一回戦のような混乱はなかった。いよいよ、男子決勝戦が始まる。
男子決勝戦、3階級すべてにロシア選手が進出、散打でもロシア旋風。男子56キロ級は、中国対ロシア。パワーで勝るロシア選手に対し、着実にポイントを稼ごうという中国選手。決勝戦全体を見ていて、組み合いになると、双方腰を引いた守りの姿勢でタイムアウトになる場面が目立った。「負けられない」思いが伝わってくる。倒しての明確なポイントが双方なかなか奪えない。接戦の末、これは中国選手勝利。
男子70キロ級はマカオ対ロシア。笹沢選手が惜しくも敗れたロシア選手が決勝進出。これはロシア選手が優勝かと思ったが、マカオでは中国人コーチによる指導がなされているとのことで、これまた巧みにポイントをとる戦い方。勢いに任せたロシア選手の打撃をかわし、ぐらつかせる。聞けばマカオの選手は套路からの転向組で選手歴も長い。接戦で、マカオが勝つ。
85キロ級はイラン対ロシア。イラン選手は、これまた散打常連のサリコフ選手。重量級の迫力ある戦いが期待されたが、ファーストコンタクトの後、なにやらサリコフ選手の様子がおかしい、対するロシア選手は戸惑っている様子。早々にレフェリーが試合中止を命じる。聞けば、前の試合でサリコフ選手、胸にヒザの直撃を受けて相当なダメージをこうむっていたとのこと。決勝戦ということで負傷に耐えて試合場には立ったが、さすがに無理があった。85キロ級はロシア選手優勝、これで散打の試合はみな終了、決勝戦すべてを田村さんの解説つきで観戦させてもらった。会場はほぼ満員、スピーディでわかりやすい試合ということもあるのだろう、盛り上がりもすごかった。表彰式ではIOC関係者もあいさつ。果たして、「武術」は、オリンピック正式種目となるのであろうか。

決勝戦を見終えて、ひとまずホテルに戻る。午後は何も予定が入っていない。せっかく北京へきたのだから、ひとりさすらってみようかとガイドブックをみる。よくわからないが「鼓楼大街グーロウダージエ」というところが古くからの町並みが残っているとかでよさそう。オリンピック最終日、すでに帰国した人々も多いのであろう、タクシーは比較的捕まえやすくなっている。ホテル前で一台止め、ガイドブックを指差して「鼓楼大街」を行き先に指定。何かわかったようなわからないような感じであったが、運転手に任せる。途中途中で地図を見直すしぐさがこちらを不安にさせるのだが、何やらそれっぽい町並みが見えてくる。タクシーを降りて歩く。焼き物屋さん、骨董屋さんはないかなあと歩いてみるが、それらしき店はみあたらない。

と、また輪タク屋が声をかけてくる。ここらあたりも「フートン(胡同)」で有名な地域らしい。相手にせず、すたすた歩いていくがどこまでもついてくる。向こうが見せるパンフレットには、先日輪タク運転手が提示したのと同じ金額が書いてある。輪タク基準料金はどうも北京共通らしい。 ダメもとで「陶器を扱っている店はないか。」と聞く(筆談)と、「知っている。案内するから料金半額で乗らないか。」とくる。「まあいいか。」と思い、輪タクに乗る。
お決まりの「フートン」コースを通って公園らしきところへ。ずいぶん奥まったところにきたなあと思ったが、公園には、オリンピック期間中の事件発生を未然に防ぐということであろう、数名の警官の姿。本当、今回の北京では警官の姿が目立った。運転手(zhangさん)が目当ての店というのは、どうやら「景徳鎮」の展示館らしい。ところが本日は休館日。チャンさん、「明日こられないか。電話番号を教えるので、明日であれば無料で案内する。」。そういわれても、明日は帰国、「それはできない。」というと、なにやら展示館の警備員と相談。「ちょっと待ってくれ。」というので、公園で待つ。その間、チャンさんと筆談のやり取り。31歳、生粋の北京っ子で、両親と妻、3歳半の子どもさんがいるとのこと。そうこうするうちに警備員が来て、「あなたのために特別開館するのでどうぞ。」。
話がうますぎるなあとは思いながら、せっかくの機会、展示館の中に。生産工程を紹介する展示コース(粘土から陶器ができるまで)を通って、第一の部屋へ。素人が見ても、すごいと思わせる陶器が壁一面に展示されている。目の保養と思いながら見学。
次の部屋は売り物コーナー。焼き物が趣味といっても体系的な知識はなく、目利きなわけでもない。要は「好み」、第一印象がすべて。女性の担当者(展示館では偉い人だそうである)がいろいろと勧める器を見ながら、周りを見回していると、あった、酒器に転用できそうな「渋い」(と思わせる)茶器が。さりげなく値段を見ると、輪タク基準料金の7倍近い(輪タクを基準に考える癖がついていた。)。これは高いなと思いながら、「どうしても欲しい」モードに。値引き交渉開始、まずは、3分の1の額を提示するが、女性担当者は、「とんでもない。値下げはできない」。しかたない、ほかの器を一通り見て、もう一度、値下げ交渉。すると、「カードはないのか、お金はいくらあるのか、ホテルにお金があるのなら車を出すからとってきて。」とくる。「カードはない。所持金は値段の半分、ホテルに多少お金はあるがこれは出せない。」というと「それじゃだめだ。」。こういうときは二枚腰、三枚腰が必要と思いながら別な器を見ていると、今度は展示館の責任者(男性)登場。休館日なのに役者がそろっているなあと思っていると、女性担当者となにやら相談の後、こちらへ。「わかりました。○○元(こちらの申告所持金額+50元)でどうですか。」とくる。足元を見られているのかなあと思いながらも、ここらが頃合いということで商談成立。まあ、高いか安いかわからないが、やり取りは面白かったし、よい買い物をしたと思って展示館を去る。
チャンさんに地下鉄の駅で降ろしてくれと依頼、これはちゃんと送ってもらった。お別れ、当初契約料金を渡すと、にっこり笑って「チップもいただけますか。」とくる。筋書きがあったのか、それともたまたま入館できたのか、いずれにせよ飽きない時間を楽しませてもらったということで、心ばかりの額を渡す。地下鉄で帰ってホテルで一休み。

北京最後の夜、一行はまず日本料理店へ。注文してみないと当たり外れはわからない。まずはビールで乾杯。北京の日々、ほぼ毎日味わったのが「燕京ビール」。水の質、製法が違うのか、わが国のビールのようにクリーミィな泡は立たず、サイダーっぽい。まあ、軽い感じで飲みやすい。魚の煮付けなどを注文するが、味付けが(当たり前といえば当たり前だが)日本風でよくできている。この店は当たり。歓談で時を過ごす。私が「鼓楼大街」をほっつき歩いている間、A氏は「王府井(ワンフーチン)」にある書店に向かい、中国の格闘技関係の書物をチェックしていたという。心がけが違うなあと思いつつ話を聞くと、「シュワイジャオ(組技を中心とした中国の格闘技)」の解説書が多かったことが印象的だったという。思ったより、中国では「シュワイジャオ」が盛んらしい。競技としての散打ルールを整備するにあたって中心的役割を果たした杜振高老師も、代々「シュワイジャオ」の名家。散打攻略を考えた場合、現代中国における「シュワイジャオ」事情を把握する必要があるのかもしれない。
この日は、格闘技関係に詳しい中国人雑誌編集者が塾長に会うために来訪。日本料理店を切り上げ、「粥店」へ。中国の格闘技事情を聞いたり、空道を紹介したり。聞けば、現在、少年向けの雑誌の編集に携わっているとのこと。そうした雑誌が「人格形成期」(?)の青少年へ与える影響は大きい。私なども「空手バカ一代」・「四角いジャングル」の圧倒的な影響の下で始めたクチ。「青少年向け雑誌の編集は、お国の未来にとっても大切な仕事です。がんばってください。」と怪しい英語で言ったのだが、正しく伝わったかどうか。
編集者も帰り、日本人水入らず、最後の夜だからもう少し飲もうということで、近くの洋風居酒屋へ。ワインでも頼もうということで、「長城葡萄酒」という銘柄を頼む。皆様お味にうるさいようで、「中国のワインはどうなの?」などと好き勝手をいう。実際に飲んでみると、なかなかいける。「長城葡萄酒」が中国では高級銘柄の部類に属するワインらしいというのは後で知ったこと。大学で中国語を履修したというA氏、なにやら中国語をノートに書く。店員(女性)にこれを聞いてみてという。まあ、そんなにひどいことはかかれていないだろうと思って、ノートを店員に見せると、無愛想に首を横に振る。聞けば意味が「カラオケ一緒に行きませんか。」。酔っ払いがすみませんでした。歓談の時をすごし、明日は帰国の途へ。

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25日

今日は帰国の日。朝早く、まずは塾長、奥様、A氏の東京組、笹沢選手の名古屋組がホテルを出立、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。次に、大阪組の田村さんと私が空港行きのバスに乗りホテルをでる(勝君は、前日に帰国)。
日本の武術応援団、套路選手団と合流。套路競技では、出場した5人の選手が銀1、銅2、4位2名という成績を収めたとのこと。社会人は仕事をしながら、学生は勉学にいそしみながらの大変な好成績である。

今回、東京武術散手倶楽部から、木本先生の名代としてFさんという方が笹沢選手の応援のため来てくださっていたが、ホテルが別ということもあり、なかなかコミュニケーションを取れなかった。北京空港でお会いすることができ、連れの套路の方とともにしばし武道談義。中国武術の話をしていると、連れの方は以前、太極拳の源流、陳式太極拳の故郷である陳家溝(陳一族の村落)にいったことがあるとのこと。うらやましい。本格の人はやはり違うなと思いながら話を聞く。やがて出発の時間に。北京再見。

日本武術太極拳連盟、北京武術トーナメントツアーの皆さんには、お世話になりました。東京武術散手倶楽部の皆さん、これからもよろしくお願いします。塾長、奥様をはじめとする大道塾一行には大変楽しいときを過ごさせていただきました。ありがとうございます。笹沢選手、今回はお疲れ様でした。 大道塾空道、武道に携わることの幸福を実感しております。今回もまた、貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

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