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| 北京武術トーナメント観戦・観光記 | ||||||||||||||||||
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今回、私は大道塾から笹沢一有選手が出場した北京武術トーナメントに同行しました。私の視点から、大会の様子、また、オリンピックに沸く北京の風情、北京における大道塾一行の活躍(?)を報告したいと思います。 関西国際空港、12時に観戦ツアーメンバーが集合、武術太極拳連盟の方々と歓談、東京武術散手倶楽部の田村さんと合流。14時に空路北京へ。 無事北京到着、移動のバス内で気になる若者(勝選手)の近くに座り、その会話に聞き耳を立てる(いやらしい振る舞いである)。これはやはり大道塾だと了解、下車後にあいさつ。田村さんにも紹介する。 やがて、奥様、A氏到着。夕刻にかけて塾長、笹沢選手も顔を出す。計量も余裕を持ってクリアしたということで、笹沢選手、明日の試合に向け、自信を示す。ケガについても十分なケアをしているとの事。明日は、塾長、笹沢選手は選手村から直行、ホテル組は早めに会場に向かうということに。打ち合わせを済ませ、笹沢選手とセコンド(塾長)は選手村へ。 ホテル組は遅めの夕食。近くで食べようということで、ホテルとなりの「宏状元晶粥店」へ。お粥じゃあ腹がふくれないなあ、と思ったが、中華料理のレパートリーも十分。一通り料理を食べ、試しにバリエーション豊富なお粥を頼む。印象深かったのは黒ゴマのお粥、ほのかな甘みがあり、食べやすい。とはいえ、ビールに合うかは微妙。食事を済ませ、翌日に向けて就寝。この店、店員は無愛想だが、料理はおいしい、さらに深夜営業ということで、滞在中ほとんど毎日お世話になることとになった。 |
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今日が本番ということで、早めに起床、というか雨音に起こされる。カーテンを開けると一面の曇り空で激しい雨。北京は三度目だが、こんな雨は初めてではないか。 他のメンバーと会場へ向かう段取り。これまでの北京滞在の経験から、移動は早めにタクシーでというつもりだった。北京のタクシーは初乗り(3km)10元ということで、日本円に直すとバスより少し安いかなという感覚。タクシーを捕まえて会場に向かおうということになったが、これがなかなかつかまらない。まあ、道を見渡せば国籍多彩、世界中から人間が集まっている感じで、タクシーは完全な売り手(運転手?)市場、みな乗車状態。 これは仕方がないということで、近くの地下鉄駅から会場へ。大会チケットがあれば、北京市内の地下鉄、バスは無料ということで、チケットを持って窓口へ。乗車カードを渡され、入り口でチェッカーに通して入場。会場へは、2回乗換えなければならない。次の駅ですぐに乗り換え、さて会場直行の地下鉄に乗ろうと乗り換え口を探してもなかなか見当たらず、人の流れに沿って移動すると地上へ。どうも直通地下鉄は未完成の様子。オリンピックではまあよくある話。
ボランティアであろう説明員に道順を聞いて進むと、代々木体育館を思わせる建物、大会会場となる「国家奥林匹克体育中心体育館(オリンピック中心体育館 Olympic Sports Center Gymnasium)」が見えてくる。
入場後、チケットの指定席へ。会場には散打の試合場である擂台(ライタイ)と套路(トウロ)のマット場とが並んでいる。チケット席からは、套路の試合はよく見えるのだが、擂台は遠い、空席もずいぶんありそうだったので、散打の試合が始まったら、向こうに移動することで合意。 散打の試合は15時から、それまでの休憩時間、チェックは緩やか。アップ要員のA氏、勝選手は塾長らとともにトレーニング場へ。聞けば笹沢選手と勝選手は、早稲田大学同好会で、主将、副主将の間柄(笹沢選手が主将)、A氏はそのコーチ役という関係。笹沢選手にとっては頼もしい応援である。試合の合間ということで通行はかなり自由な様子。私もトレーニング場に行ってみる。昨年の世界選手権と同じ、広いスペースに、擂台と套路のマットが設置されている。
定刻15時より試合開始、まずは女子の試合。興味深かったのは、イスラム圏女子のコスチューム、素肌の露出を嫌うということか、長袖、タイツの上に防具を装着している。
ちなみにこの田村さん、東京武術散手倶楽部所属で、散打の世界大会は2001年から観戦し続けているという散打の生き字引とでもいうべき人物。各国散打事情、有力選手情報に大変に詳しい。その田村氏の解説つきで奥様とともに試合を観戦していると塾長から電話。塾長とともにセコンドにつくはずの孫先生(套路のコーチ)がまだ会場についていないとのこと。私のほうから連絡するということで、すぐさま孫先生に電話、つながる。 散打男子70kg、塾長、笹沢選手、必勝を期しての入場。ふと会場を見渡すと、もう8割がた席は埋まっているのではないか、場内の熱気も最高潮。笹沢、大舞台でのプレッシャーを感じさせないリラックスした様子で頼もしい。会場前列に陣取ったA氏、勝選手も精一杯の応援、また別の席から笹沢選手の会社仲間(聞けば遠く上海から駆けつけた方々もいらっしゃったという)からの声援。今から思えば一ヶ所にまとまって応援をすればよかったと思うが、基本はそれぞれ指定席、まあしかたがない。 |
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第一回戦の相手はロシア選手、双方「抱拳礼」ののち試合開始。 笹沢、痛めているはずの右足も動員して打撃で攻勢、勢いに乗ったかと思われたが、散打では組み技でポイントを稼ぐのが常道。組み技になるとやはり踏ん張りが利かないのか、なかなかポイントを稼げず、相手にポイントを許してしまう。途中鼻からの出血でドクターチェックがはいったが、ひるまず、果敢に攻め込む。後半、投げでポイントを奪う場面も見られたが、無常のタイムアウト。ロシア選手勝利、大魚を逸した感。「抱拳礼」を済ませて塾長とともに退場、残念。奥様は笹沢のダメージを第一に心配しておられた。ともかく、笹沢に会おうと、皆ロビーへ。 |
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会場ロビーにて笹沢を待つことしばし。塾長とともに笹沢が現れ、「すいませんでした。」そこに日本から、北京支店から、上海支店から駆けつけた笹沢の会社仲間が集まり、口々に「よくやった。」、「すごい試合だった。」、「君の奮闘から元気をもらった。」、「会社の仲間がこんな大きな大会でがんばってくれてうれしい。」と笹沢に声をかける。 思えば、武警にて選抜選手と戦い、世界選手権を戦い抜いてようやくつかんだ出場権、出場するだけでも本当に大変なこと。結果を悔やめばきりがないが、今回出場できたことについては素直に喜ぶべきなのだろう。今晩は、会社の仲間が笹沢のために慰労の宴を開いてくれるということで、笹沢は別行動、早々に会場を後にする。 ホテル組は塾長と合流、以前、北京大学で開催された大道塾セミナーに参加したという孫さんが、なにやら高級そうな店に私たちを案内。その店というのが日本人オリンピック選手御用達の超有名店、かなりアグレッシブな感じの(若そうな)日本人マダムが仕切っている。着席早々、マダムが店の料理を饒舌にアピール、定番の北京ダックをはじめに料理とビールを頼む。 ビールをついで慰労の乾杯をしているとまたまたマダム登場、今度は、塾長に会ったことがあると言い出す。「何か調子がよすぎるなあ」と思って話を聞いていたら、大道塾の選手が参加した散打の興行(※)を後援したことがあるということでマダムの話は嘘ではない。 ※ 2001年 CHINESE KUNGFU KING CHALLENGE 当時のあれこれを思い出しながら塾長と会話、これからもよろしく、という感じで、さあ、内輪の話、試合の話に移ろうとするが、タイミングがいいのか悪いのか、新しい料理が運ばれるごとにマダム登場、北京ダックの皮は砂糖をつけて食べるとおいしいとか、食べ方のイロハ、料理の由来から説明するので、こっちは落ち着いて話ができない。
A氏などはマダムに対し露骨な敵意のオーラを向けるが、効果なし。さすがに有名店、マダムも半端ではない。 |
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朝、ホテル集合。塾長も参加の予定であったが、アジア大会、来年の世界大会に向け、諸作業がたまっており、それを済ませたいということで、不参加。思えば今回の北京も塾長はブラジル、韓国、マレーシアとセミナーをこなしてすぐの参加。強行軍でお疲れがたまっていらっしゃらないかと心配する。しかし、カラオケ、宴会では塾長が一番エネルギッシュなのであるから杞憂か。 観光の計画、みなが「ワンフーチン」、「ワンフーチン」という。「北京ダック」みたいな名物料理なのかなと思って話を聞いていると、どうやら有名な場所らしい。「北京へは戦うために行くのであって、観光に行くのではない。ゆえに観光地についての知識は不要。」といったつまらないこだわりが私にはあり、ガイドブックの熟読、といったことはしていない。そのため、北京観光についての体系的知識はなく、観光シロート状態。奥様主導で、天壇公園から王府井(ワンフーチン)、そして天安門広場、故宮博物館へのコースが決定。 天壇公園へは、地下鉄で。旅行社が配布したパンフレットを走り読み。この公園は歴代皇帝が五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)を祈願し、天帝に報告した場所との事。最初の建物に入ると、みんな壁に向かって叫んでいる。「回音壁」といって、壁に話した声が反対側に響き、すぐそばで話しているかのようにきこえるというものらしい。とすると二人一組で背中合わせに反対の位置に立ち、互いの声が聞こえるかどうかを試して見なければいけないはずなのだが、どうもそんな様子ではなく、みんなただ壁に向かって叫んでいる様子。観光地ハイというか、名所にきたら何かをやってみたいということなのだろうか、それとも何かご利益があるのだろうか、壁に向かって叫ぶ人々をあとに祈念門から祈念殿へ。
次は、バスに乗っていよいよ「ワンフーチン」へ。「ワンフーチン(王府井)」というのは結局、北京第一の繁華街ということらしい。まずは食事をということで、「全聚徳」という北京ダックが売り物の豪華そうな店に入る。 食後は自由行動ということで、北京大飯店ロビーを集合場所にして、それぞれ街中へ。まったく勝手知らぬ道筋、北京大飯店を見失わぬよう歩き回ると、屋台風の串焼き屋に。売り物を見ると、牛肉、豚肉に加えて、セミその他のゲテモノを扱う店。ゲテモノ食いの食指がうずく。セミは一串に四匹。これは到底食べきれないということで見回すと「タツノオトシゴ」が串に。注文すると店主が鉄板上でタツノオトシゴをこんがりと焼く。暖かいうちにポリポリ食べながら歩く。ウナギの骨の密度が高い感じ。 オリンピックTシャツを買ったり、小物店を物色しているうちに時間。北京大飯店に向かおうとすると、要所に立ち入り禁止区域が設けられて、なかなか近づけない。どうも、各国から集まったVIPさんたちの会合があるらしい。こちらとしてはロビーが集合場所なのだから、警備員に「友人と待ち合わせしている。入れてくれ。」と頼むのだが、当然受け付けられない。そうこうしているうちに、勝君から電話連絡があり、「全聚徳」前で合流。次は、天安門広場から故宮へ、その後は各自自由に帰ろうということに。 天安門広場に立ち、毛沢東像を見上げる。感慨深い。そして故宮へ。天壇公園もそうだが、故宮も皇帝のためのスペース、ここは皇帝の住居だが、それがそのまま公園になっている。とにかく広い。気功やら太極拳やら胡弓の演奏やら、さまざまなパフォーマンスが行われている。この公園全体が住居なのだから、皇帝も移動が大変だったろうなと思いつつ、太和殿、中和殿、保和殿といった建物を見学。
例によってタクシーを捕まえようとするがなかなかつかまらない。地下鉄に乗ろうと思うが、自分たちがどこにいるのかがわからない。歩いていると人力三輪車(輪タク)の客引きが激しい。歩いても埒があかないので、輪タクで地下鉄まで送ってもらおうということに。こちらは3人だが大丈夫かというとOK、X元で地下鉄の駅まで送ってくれというとそれもOK。そこで、二人乗りのところぎゅうぎゅう詰めで3人が乗り、それを件の運転手がヒーコラしながら、ペダルをこいで小さな路地に入っていく。さすがに3人乗りは難しいということで、仲間の運転手に声をかけ、もう一台に分乗ということに。 ホテルに帰り、ガイドブックを見ると輪タクが案内してくれた裏通りというのは「胡同(フートン)」と呼ばれる、昔ながらの生活空間をかいまみることができる観光コースだそうで、コース料金の相場もあるらしく、結果として(決してこちらから求めたわけではないが)、格安でフートン観光をしたこととなる(X元は、先方の言い値一台分の9分の1にあたる。2台に乗って、X元の3倍を支払ったのであるから、言い値の6分の1しか支払っていないことになる)。 充実した観光の一日、心に残ったのは天安門広場、歴史の舞台を直接見たという感慨。肖像を掲げられている毛沢東が生きていたら、オリンピックに沸く北京をどう思うのだろうか。毛沢東は人民に健康体操として太極拳を推奨したという。これは、健康増進に加え、自国の「伝統的」身体文化の保護、普及を通じて、中国「国民」としての意識の自覚を高めるといったナショナリズム的な意味もあったのであろう。今回の武術トーナメントには、中国政府として将来的にオリンピック公式種目化を図り、中国発祥の競技を世界に認知させるという、これまたナショナリズム的意味合いがあるのであろう。ホテルのベッドであれこれ考えながら、いつの間にか睡眠。以下に、トーナメント会場にて配布された「武術」パンフレットから歴史の項を翻訳、紹介したい(パンフレットは中国語・英語の二種類)。 |
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歴史 2001年7月13日、2008年にオリンピックの北京開催が内定しました。その5ヵ月後、国際武術連盟は国際オリンピック委員会にオリンピック競技へ「武術」を加えてもらうよう、請願を行いました。IWUF(国際武術連盟)による多大な努力により、2006年12月7日、オリンピック委員会は、2008年のオリンピック期間中に「武術」トーナメントを開催するという希望を受け入れました。「武術」は、公式競技もしくは公開競技ではありませんが特別(ad hoc)競技であると考えられます。 |
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国民党統治下に設立された「中央国術館」が、中国政府による「武術」の正史に記録されていることが興味深い。散打を通じて「武術」にかかわることになった私のささやかな経験からも、「武術」界では中国、台湾の交流が盛んな様子。中国、台湾の政府間対立は現にあるとしても、ナショナルな文化シンボルである「武術」スポーツの交流についてはどうこうやかましくいわないということなのか。後半の記述には、「武術」の位置づけをめぐるIOCと中国政府との綱引きが垣間見られて、面白い。 |
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今日の観光は、タクシーをチャーターして万里の長城から明の十三陵というコース。 周辺には、ホテル、食堂、土産物屋に加え、スターバックスもある。奥様の話では、以前に万里の長城を訪れたときには、スターバックスはおろか、ホテルなどもなく、ずいぶんと開けた感じがするとの事。 中国観光のメッカということなのだろう、国籍多彩、やたらに人が多く、万里の長城は繁華街なみの混雑状態。A氏、勝君についていこうとするだが、人ごみの中、すぐに見失ってしまう。せっかくの万里の長城、行けるだけ行こうと時計とにらめっこしながらひたすら歩いてみる。 入り口近くで先に休まれていた奥様と合流、スターバックスへ。スターバックス、コーヒーの値段は日本とあまり変わらず、中国では割高に感じられる。外人客メインということであろう、外の喧騒とは打って変わって店内はゆったりした感じ。窓際に座り、A氏、勝君を待つことしばし、二人の姿が見えてくる。 お昼はラーメン屋さん。といっても、北京にきて、日本の典型的なラーメン、かん水が入っていて黄色っぽい色がしている細麺に出会った記憶がない。この店も、麺がラーメンというより、うどんっぽい。鶏肉うどん、牛肉うどんという感じ。これがうまい。連日のご馳走攻めで疲れている胃に入るかなーと思っていたが、どんどん箸が進む。満腹したところで、タクシーに戻り、明の十三陵へ。 北京市内は、幹線道路が舗装、整備されており、本当に都会的。万里の長城にいたるルートも道路が整備されていたが、明の十三陵に向かう道筋は、途中からややひなびた田舎道、「ああ、こんな道を通って武警に向かったんだよなあ。」と思いながら窓の外を眺める。 万里の長城ほどではなかったが、ここもずいぶんと人が多い。地下九階、皇帝の棺が安置されている部屋は、石の壁に囲まれ天井も高く、広い。作るのにずいぶん人手がかかったのだろうなあなどと思う。 ホテルに戻り、小一時間ほど休息ののち、周辺をうろつく。スーパーマーケットに入ると「景徳鎮」の文字。マーケットの一角に陶器店がある。旅先で陶器を買うのが私のささやかな趣味。物色していると店番らしき女性が話しかけてくる。言葉は通じないが、同じ絵柄を大皿から小皿、茶碗と大きい順に並べてくる。どうやらセット買いを勧めているらしい。荷物になるけどまあ家においてもいいかなと思い、値段を聞くと、日本の感覚ではかなり安い額。輪タクの支払いでちょっと罪悪感めいたものを感じていたが、また「スーパーで値切るのもどうかなあ」と思いつつ、一応、値切り交渉。案の定、それほど下がらない。まあいいかと思って、輪タク基準料金の半額で購入。 夜は、本格の中華を食べようということで町に繰り出す。歩きながら店を探し、広く小ぎれいな店に入る。どうやら四川料理っぽい。「水煮」を注文するかどうかでちょっとした議論に。「水煮」は唐辛子、山椒メインの香辛料を利かしたスープでナマズなど川魚を煮た四川の名物料理。ではあるが、味付けははなはだ辛く、好き嫌いは分かれる。前回北京遠征では、笹沢選手にとってはショックな味だったらしい。しかし、今晩は静養のため笹沢選手は欠席。まずかったら、若手が食べればよかろうということで注文。 餃子その他の料理、ビールを頼んで乾杯。なにやら店員がビニール袋を持ってくる。中を見ると黒っぽい魚がばたばた動いている。ナマズだ。調理する前に客に生きた魚を披露し、新鮮さをアピールするということか。一応検分して、調理を頼む。しばらくして本日のメインディッシュ、「水煮」が登場。前回北京で食した際には、唐辛子、山椒に埋もれたスープの中でナマズの切り身が煮込まれていたのだが、今回は、湯通しされたナマズの切り身がスープとは別の皿に盛られている。ナマズの身は純白で、ハモを連想させるような、元の姿からは想像できない上品な感じ。各自、お好みでスープに泳がせて食べる。スープは確かに辛かったが、おおむね好評。その後もいろいろ追加注文をして満腹、ホテルへ帰る。明日はオリンピック最終日である。 |
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今日はオリンピック最終日、午前中に散打の決勝が行われるということで、田村氏とともに会場へ。私が観光で楽しんでいる間、田村氏はなんと散打の試合をすべて観戦、主要試合をビデオに収めているとの事。心がけが違うなあと思う。 男子決勝戦、3階級すべてにロシア選手が進出、散打でもロシア旋風。男子56キロ級は、中国対ロシア。パワーで勝るロシア選手に対し、着実にポイントを稼ごうという中国選手。決勝戦全体を見ていて、組み合いになると、双方腰を引いた守りの姿勢でタイムアウトになる場面が目立った。「負けられない」思いが伝わってくる。倒しての明確なポイントが双方なかなか奪えない。接戦の末、これは中国選手勝利。 決勝戦を見終えて、ひとまずホテルに戻る。午後は何も予定が入っていない。せっかく北京へきたのだから、ひとりさすらってみようかとガイドブックをみる。よくわからないが「鼓楼大街グーロウダージエ」というところが古くからの町並みが残っているとかでよさそう。オリンピック最終日、すでに帰国した人々も多いのであろう、タクシーは比較的捕まえやすくなっている。ホテル前で一台止め、ガイドブックを指差して「鼓楼大街」を行き先に指定。何かわかったようなわからないような感じであったが、運転手に任せる。途中途中で地図を見直すしぐさがこちらを不安にさせるのだが、何やらそれっぽい町並みが見えてくる。タクシーを降りて歩く。焼き物屋さん、骨董屋さんはないかなあと歩いてみるが、それらしき店はみあたらない。 と、また輪タク屋が声をかけてくる。ここらあたりも「フートン(胡同)」で有名な地域らしい。相手にせず、すたすた歩いていくがどこまでもついてくる。向こうが見せるパンフレットには、先日輪タク運転手が提示したのと同じ金額が書いてある。輪タク基準料金はどうも北京共通らしい。 北京最後の夜、一行はまず日本料理店へ。注文してみないと当たり外れはわからない。まずはビールで乾杯。北京の日々、ほぼ毎日味わったのが「燕京ビール」。水の質、製法が違うのか、わが国のビールのようにクリーミィな泡は立たず、サイダーっぽい。まあ、軽い感じで飲みやすい。魚の煮付けなどを注文するが、味付けが(当たり前といえば当たり前だが)日本風でよくできている。この店は当たり。歓談で時を過ごす。私が「鼓楼大街」をほっつき歩いている間、A氏は「王府井(ワンフーチン)」にある書店に向かい、中国の格闘技関係の書物をチェックしていたという。心がけが違うなあと思いつつ話を聞くと、「シュワイジャオ(組技を中心とした中国の格闘技)」の解説書が多かったことが印象的だったという。思ったより、中国では「シュワイジャオ」が盛んらしい。競技としての散打ルールを整備するにあたって中心的役割を果たした杜振高老師も、代々「シュワイジャオ」の名家。散打攻略を考えた場合、現代中国における「シュワイジャオ」事情を把握する必要があるのかもしれない。 この日は、格闘技関係に詳しい中国人雑誌編集者が塾長に会うために来訪。日本料理店を切り上げ、「粥店」へ。中国の格闘技事情を聞いたり、空道を紹介したり。聞けば、現在、少年向けの雑誌の編集に携わっているとのこと。そうした雑誌が「人格形成期」(?)の青少年へ与える影響は大きい。私なども「空手バカ一代」・「四角いジャングル」の圧倒的な影響の下で始めたクチ。「青少年向け雑誌の編集は、お国の未来にとっても大切な仕事です。がんばってください。」と怪しい英語で言ったのだが、正しく伝わったかどうか。 編集者も帰り、日本人水入らず、最後の夜だからもう少し飲もうということで、近くの洋風居酒屋へ。ワインでも頼もうということで、「長城葡萄酒」という銘柄を頼む。皆様お味にうるさいようで、「中国のワインはどうなの?」などと好き勝手をいう。実際に飲んでみると、なかなかいける。「長城葡萄酒」が中国では高級銘柄の部類に属するワインらしいというのは後で知ったこと。大学で中国語を履修したというA氏、なにやら中国語をノートに書く。店員(女性)にこれを聞いてみてという。まあ、そんなにひどいことはかかれていないだろうと思って、ノートを店員に見せると、無愛想に首を横に振る。聞けば意味が「カラオケ一緒に行きませんか。」。酔っ払いがすみませんでした。歓談の時をすごし、明日は帰国の途へ。 |
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今日は帰国の日。朝早く、まずは塾長、奥様、A氏の東京組、笹沢選手の名古屋組がホテルを出立、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。次に、大阪組の田村さんと私が空港行きのバスに乗りホテルをでる(勝君は、前日に帰国)。 日本武術太極拳連盟、北京武術トーナメントツアーの皆さんには、お世話になりました。東京武術散手倶楽部の皆さん、これからもよろしくお願いします。塾長、奥様をはじめとする大道塾一行には大変楽しいときを過ごさせていただきました。ありがとうございます。笹沢選手、今回はお疲れ様でした。 |
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| 村上智明(中四国本部責任者) | ||||||||||||||||||
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