2008年北京武術トーナメント田村卓也(東京武術散手倶楽部)

初めまして。東京武術散手倶楽部の田村卓也と申します。 東塾長には、2004年の散打アジア選手権でご一緒して以来、何かとよくしていただいております。
今回東塾長は、オリンピックの選手村に宿泊されていたためにいろいろと面倒も多く、目前に迫った空道のアジア大会の準備にも走り回っていらしたので、じっくりと試合を観戦できませんでした。そこでお気楽な立場の私に「レポート書いてくれ」と依頼が来た次第です。正直言って大変な任ですが、精一杯努めてまいりますので、どうかよろしくお願いいたします。

八月二十一日【雨のち曇り】
この日は朝から強い雨が降っていました。塾長の奥様、村上先生、Aさん、勝選手、そして私のメンバーのうち、一人も雨の用意をしていませんでした。急いでAさんと勝選手が、近くのスーパーで傘を買ってきてくれました。
天気も悪いことだし、タクシーで会場に行こうとしたのですが、タクシーが全然つかまりません。十五分ぐらいがんばった後、とうとうあきらめて地下鉄で会場へ。ところが地下鉄のメインスタジアム行きの路線が未完成のままだったので、一駅ぐらいを結局歩くことに。やっつけ仕事の舗装がされた道路は、あちらこちらにプールのような水たまりができていて、水をバシャバシャはねさせながらようやく会場に到着。ホテルからの所要時間は約一時間半。やれやれです。
午前中は型競技の試合を見てすごし、そのまま会場内に居残ることにしました。日本の映画館のように厳密なチェックもなく、難なく居残ることが出来ました。スタンドのホットドッグで軽く腹ごしらえをして、ベンチに座ってうたた寝していましたら、午後一時半に笹沢選手と東塾長が会場に到着しました。
Aさん、勝選手、村上先生は笹沢選手のアップを手伝うために、アップ用の控え室に向かいました。警備係に静止されないか心配でしたが、別に問題もなく控え室に入れたようです。
そして奥様と私は観客席の一番前の席に陣取りました。はっきりいって不法占拠です。というのも、前もって用意されていた席が、あまりにも散打の試合場に遠かったのです。わざわざ日本から応援に来て、これではあんまりだということで、悪いと思いつつも席取りをしていました。
そうこうしているうちに午後二時過ぎになり、村上先生が私たちの席取りしている場所に戻ってきました。村上先生だけでなく、他のお客さんたちも続々と会場に入ってきました。
傘をもっている人がほとんどいないところを見ると、朝からの雨はあがったようです。雨があがって出かけやすくなったこともあって、観客席は次々に人で埋まっていきます。散打開始二十分前のセレモニーが始まる頃には、七千人収容のこの会場に五千人ぐらいの観客が入っていました。
図々しい私はセレモニーを面白がっていたのですが、気配りが細やかな奥様は他の観客が席の近くを通る毎に、本来の席の所有者ではないかとそわそわしていらっしゃいました。幸い席の所有者は現れず、私達は最後まで一番前の席で試合を見ることができました。
華やかなセレモニーも終わり、最後にカウントダウンが始まります。中国語でカウントダウンするので今ひとつリズムが合いませんでしたが、周囲の人が一つずつ指を折って数えていきます。最後の指が折られます。カウントゼロ。午後三時、オリンピック中央体育館で散打が開催されました。

【散打について】

散打は「投げのあるキックボクシング」と紹介されることがありますが、「パンチとキックのある相撲」と考えたほうが実態に近いです。
試合は擂台(らいたい)と呼ばれる、ロープを張っていないリングのような舞台で行われます。擂台の広さは。縦横ともに八メートルの正方形。高さは八十センチ。中国人は本当に「八」が好きです。
この擂台に足の裏以外の部位、つまりヒザや手が着いてしまうと相手方のポイントになります。このあたりは相撲とまったく同じです。ただし相撲とちがうのは、一度ヒザや手を着いただけでは勝負はきまらないところです。そのラウンドを闘いつづけて、ポイントの合計を競うのが散打のルールです。
一ラウンドの長さは二分間。三ラウンド制でそのうちの二ラウンドを取ると勝ちです。ラウンドの総ポイントは勝敗には影響しません。
例えば、仮にA、Bという二人の選手が試合をしたとしましょう。スロースターターのA選手は一ラウンドの動きが悪く、七対十の三ポイント差で一ラウンドをB選手に取られます。二ラウンドにようやく調子がでてきたA選手、十対九の一ポイント差でこのラウンドを取ります。最終の三ラウンド、互いに力を尽くしましたがA選手が十対九でこのラウンドも取りました。ボクシングならばA選手の総ポイントが二十七、B選手は二十八となり、B選手の勝ちになります。ところが散打の場合はラウンド別に考えるので、三ラウンドのうち二ラウンドを制したA選手の勝ちになるのです。
打撃面では、ヒジとヒザによる打撃は禁止されていますが、全てのパンチと腰から下の部位へのキックは一ポイント。腰から上の部位へのキックが二ポイントです。ただしポイントが高いからといって、むやみに腰から上へのキックを使うと、蹴り足を捕まえられてバランスを崩したところを、擂台の外へ投げ出される危険があります。
擂台の外へ相手を転落させると、それだけで二ポイント獲得です。さらに同じラウンド内に二度相手を転落させると、それまでに相当なポイント差があったとしても、そのラウンドの勝利が確定します。そのため土俵際ならぬ擂台際では、すべての選手が懸命です。

以上のようなルールに基づき、各国の代表選手が擂台で熱戦を展開していきました。
この日の散打は十試合が行われました。笹沢選手の試合は九番めです。その直前の八番目の試合が始まったときに、私達からは右側になる観客席の一番前の席に、Aさんと勝選手が座っているのを見つけました。お二人ともぎりぎりまで笹沢選手のアップに協力していたので、私たちがいる席の周りは、他の観客で埋まってしまっていたのです。それでもその時点で一番擂台に近い席を確保して、笹沢選手の出番を待っていたのでした。そして第八試合が終了しました。いよいよ笹沢選手の試合です。
赤い防具に身を包み、はじめに入場してきたのは対戦相手のロシアのアバトフ・ムラッド選手でした。五年前の世界大会では準優勝、昨年の世界大会では三位に入賞している強豪選手です。
そして黒い防具に身を包み、笹沢選手の登場です。大舞台の雰囲気を楽しむように、スロージョッグでリズムを刻みながら入場してきました。勤務している会社の方たちの声援に右手を挙げて応えているあたり、プレッシャーで固くなっている様子は全く感じられませんでした。

【試合内容】

第一ラウンド。お互いに距離を保ち、時計回りに動きながらの探り合いから始まりました。
ジャブと戻りの速いローキックとが交錯します。軽く仕掛けてきたのはアバトフ選手。前進しながら右ストレートを放ち、距離をつめてきました。
笹沢選手がこれを迎え撃ち、軽いもみあいになります。このときに笹沢選手の右足が不意に力が抜けたかのように、カクッと崩れました。幸いにヒザを着くことはなくポイントは取られませんでしたが、右の足首は相当に悪いのだな、と実感しました。
その直後、今度は笹沢選手が距離をつめようとします。ここでアバトフ選手が、首から上を薙ぎはらうかのような後ろ回し蹴りを繰り出しました。笹沢選手がとっさに前に出たので直撃は免れました。しかし後頭部をヒザ裏に巻き込まれてしまい、つんのめるようにして手を着いてしまいました。ダメージはなかったのですが、二ポイントを相手に取られます。
この攻防の後から、二人のパンチとキックに力が乗ってきました。はっきりと相手を倒す意思と力を込めての打撃戦です。
一進一退の攻防でしたが、ここで笹沢選手が見事な技の組み立てを見せてくれました。まず左ジャブから左のインローをアバトフ選手の左足に放ちます。アバトフ選手は左足を後ろに引いて笹沢選手のインローをかわしながら、着地するはずの笹沢選手の蹴り足に、強烈なローキックを見舞いました。ところが笹沢選手は蹴り足をすぐには着地させず、腰のあたりの高さでいったん停止させていました。ローキックをかわされて、体が空転してしまったアバトフ選手は、このチャンスに組み付いてくるはずの笹沢選手に対してバックハンドを繰り出します。ここでも時間差攻撃をしかけていた笹沢選手は、バックハンドをやり過ごし、がら空きになったアバトフ選手の胴体に鮮やかにタックルを決めました。
そこは擂台の際からは一メートルもない地点でした。バランスを立て直せないアバトフ選手は、なすすべもなく押し出されていきます。「よし、突き落としだ。」試合を見ていた誰もがそう思いました。ところがアバトフ選手が擂台の外に突き落とされる直前、それこそコンマ何秒かの直前に笹沢選手が転倒してしまいました。足首を痛めている右足が、またもやカクンと崩れてしまったのです。審判の判定はノーポイントでした。
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
結果を惜しむため息が、大きなどよめきとなって会場に満ちました。アバトフ選手はなんらの抵抗も出来ずに突き落されていましたので、いつもの笹沢選手ならば間違いなく二ポイントを取れる場面でした。
擂台の中央に戻って試合再開してまもなく、ラウンド終了十秒前のカウントダウンが始まりました。残り六秒,ローキックを放ったアバトフ選手の左足に、笹沢選手が右の足払いをきめます。アバトフ選手をキレイに横転させて一ポイント獲得ですが、まだポイントリードされています。終了直前、アバトフ選手の左足に全力のローキック。引き戻すことを考えていない蹴りでしたので、この足をアバトフ選手に捕まえられて笹沢選手が転倒したところで第一ラウンドが終了しました。

私の採点では、第一ラウンドはアバトフ選手の四ポイントリードでした。しかし前述のように、散打では総ポイントではなく、三ラウンド中の二ラウンドを制した側が勝利します。まだまだ勝負の大勢は決まっていません。笹沢選手にも、あきらめた様子は全くありませんでした。私には笹沢選手の最後のローキックは、「捕まえられてもいいから、少しでも痛めつけてやる」という、第二と第三ラウンドの勝利への意欲の表れだと思えました。

第二ラウンド。両選手ともに気負いを感じさせず、ジャブとローを駆使しての探り合いから入ります。突然アバトフ選手が後ろ蹴りを繰り出しましたが、落ち着いている笹沢選手は、余裕をもってこの蹴りをかわします。それならパンチでと、アバトフ選手が放つ左フックに、笹沢選手も応戦。間合いがつまり、お互いに投げにかかります。投げ勝ったのは、なんとアバトフ選手でした。
アバトフ選手は打撃技主体の選手です。組み合っての投げ合いなら、笹沢選手のほうに分があると私は考えていましたし、アバトフ選手本人も同じ考えだったはずです。第一ラウンドでの組み合う場面が少ないのも、アバトフ選手が組むことを嫌がったからです。
立ち上がった笹沢選手、ジャブから大きく踏み込んで、右ストレートをアバトフ選手の顔面にヒットさせます。勢いを活かして組み付き、そのままアバトフ選手を投げにいきます。アバトフ選手が腰を引いて投げをこらえると、内掛けからの崩しでアバトフ選手を後ろに倒そうとしましたが、所定時間の三秒が経過して審判にブレイクされてしまいます。
もう一度笹沢選手が、今度はいきなりの右ストレートで踏み込みます。アバトフ選手も右ストレートで応戦。黒と赤のグローブが交差しました。両選手ともに首を左に倒してパンチをかわすと、お互いの体がぶつかりあい、そのまま組み合いに移行します。すかさずアバトフ選手が左足で、笹沢選手の左足を内側から払いました。痛めた右足だけではバランスを保てず、笹沢選手がヒザを着いてしまいました。
ここまでの攻防はアバトフ選手に自信を与えてしまったようです。「今日の笹沢選手になら、組まれても大丈夫」と思ったからでしょうか、動きが良くなってきました。追いかける立場の笹沢選手が積極的にパンチで攻めかかるのに対し、交わしながらのバックハンドや左ジャブでのカウンターを合わせてきます。
このラウンドを落とせない笹沢選手はパンチをかわして大外刈りを繰り出しました。昨年の大会でイタリアのジャコモ選手を脳震盪させた、笹沢選手の得意技です。しかしアバトフ選手はこの技に対しても対策を立てていました。左腕で笹沢選手の腰を抱え込みながら右の掌底で笹沢選手のアゴを押し上げて、上体をのけ反らせてしまいました。そしてバランスを崩した笹沢選手を転倒させてしまいました。
笹沢選手の得意技をつぶしたことで、さらに自信を深めたアバトフ選手は左右のフックに時おりアッパーもおりまぜて、攻勢をかけてきました。繰り出されるスイングパンチに、笹沢選手は正確なジャブとストレートで対処していましたが、何発かが鼻をかすめたらしく、ドクターチェックがかかって、鼻血の止血をされました。
幸いたいした負傷ではなく、すぐに試合は再開されました。ただ、アバトフ選手は笹沢選手を負傷させたことで、自身の勝利を確信したかのようでした。いきなり後ろ回し蹴りやバックハンドを繰り出し、大胆なほどに振り回すパンチを連発します。
「調子に乗るな!」笹沢選手はダッキングでパンチをくぐり、今度はつぶす瞬間も与えずに、大内刈りでアバトフ選手を叩き伏せました。まだまだ笹沢選手の闘志は旺盛でしたが、ここでカウントダウンが始まってしまいました。もう一度擂台にたたき伏せようと、今度は大外刈りを仕掛けましたが、アバトフ選手にこらえられていったんブレイク。再度笹沢選手が組もうとしたときに無情のタイムアップ。
笹沢選手にとっての「北京オリンピック」はここで終了しました。

残念ながら勝利には結びつきませんでしたが、北京オリンピックの中央体育館で笹沢一有選手は堂々と戦いました。これは誰にも否定できない事実です。

最後にお世話になったかたがたへ。
東塾長、そして奥様、毎晩の宴会と楽しいお話をいただき、ありがとうございました。
村上先生、あやしい中国語会話で爆笑させていただき、ありがとうございました。

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