第4回世界大会出場選手 USA 選考会東孝(塾長)

今、アメリカのOhioにいる。「一粒の種が根付けばこのアメリカという国に空道は確実に伝播するはずだ」と思って、8年前の2006年にニューヨークでセミナをした(※1,2)。しかし、ウチはプロ養成機関じゃないから、日本から裸一貫で支部展開をしようという人間も出ないし、特別な支援団体がある訳じゃないので、初期投資をして支部展開をするという事はできない。まず、地元の人間が手を挙げてくれなければ“支部”は実現しない。結局、一過性のセミナで終わってしまった。

次に6年前の2008年、たまたま仕事でニューヨークに在住していた塾生の尽力で第2回目を開催し、この時は参加者が支部開設に前向きで隣のニュージャージの道場にも行ってセミナをした(※3)。しかし、アメリカという国は生き馬の目を抜くというほどに、正に「弱肉強食」の国で、青少年教育等という“理想論” (実はこれが今のアメリカだけじゃなく日本にも必要なんだが)や、単なる護身などでは(「だったなら銃を持っていた方が確実だ」か?)支部運営者は出てこない。まずビジネスとして成り立つか?が前提になり、収支計算が始めにありきだから、少しでも“出る”を減らそうと、物事を習うというのに、セミナー代どころか、渡米する費用まで出し渋る!! *1  結局このときにも支部までは実現しなかった。

*1 2013年の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング世界第9位だが、比喩として「世界一豊かな国なのに!!」

その後、2年たった2012年にようやくポーランド系アメリカ人が名乗りを上げてミシガン州デトロイトでの3回目のセミナ(※4)をした後に、やっと支部開設に至った!!「これで全米から色んな空道希望者が集まって、体験し全米に広がるな」と喜んでいて、事実、彼は結構本格的に活動してくれ、さまざまな州で支部設立の話があったのだが、残念なことに、彼が昔起こしたバイク事故の後遺症やPTSDとやらで今年始めに支部長を降りて、半年ほど空白があった。

しかし、上記の一過性のセミナだけではなく、約1年ほどとは言え常設の道場での活動の力は大きい。案の定、彼の辞意表明後、そこで練習していた他の州のの数人の弟子から「空道を続けて行きたい」という連絡が即刻、飛び込んできて「やっぱりな」とほくそ笑むものの、かと言って今年は世界大会の年だから、今からセミナーの準備するのでは秋頃になるし、度々催促されてる南米大会もどうしようかと思っているくらいだから・・・・と決めかねていた。

その後に中米のプエルトリコからもセミナの申し込みがあり「三つも要望があるのに忙しいからできないというのも贅沢な話だ。では南米大会の前にアメリカ⇒プエルトリコいう事でやってみようか」と一大決心をし、その数人とメールの遣り取りする。が、経費の話になると同音異曲、前述のようにすんなりとは決まらない。結局100回以上のやり取りの中で最後まで粘りを見せた(笑)、James Alexander の熱意に負けて遂に決行することになった!!

しかしながら、いざスケジュールを組んで見ると、南米行きと同時では最短2週間前後が必要になる(皆、土日にしたがる)し、その週末には、スポーツ学会での慣れない講演会(対談形式)やモンゴル支部長の審判審査も組み込んだ関東大会もあるので、南米大会まではどうしても無理だからと諦めて、先任支部長として周辺の国をシッカリ指導してくれているチリのRafael支部長に任せることにした。

そこまでドタバタして決め(てやっ)た!!日程だったが、今度はそのプエルトリコが例によってのラテン堅気であっさりと「スポンサーが・・・」と始まってドタキャンとなり、延期になった!!そうなればコッチも、それに負けてはいられない笑、後は例によっての大道無門的な成り行き(笑)で「どうせわざわざ1ヶ国の為に行くなら、既に土台はできているし、そっちこっちの州から世界大会に出場したがってるのでアメリカ予選もしよう」となった次第(「転んでもただでは起きない」のも大道無門か 爆)

とは言っても、「行きつ戻りつして急ごしらえで決まった“予選”だから、一体どんなレベルの連中が集まるんだ??」とか「予選というには大げさだろうと“選考会”」と表現したのだが、「細工は流々仕上げを御覧(ごろう)じろ *2」、じゃないが笑、これまでの仕込みが長かっただけあって、形式や規模以上に、嬉しい話が多くて(恐らくこの遠征は空道、大道塾史に残るものとなる)1カ月ほど前に急拠同行を求められた神山信彦、小松洋之、中西明彦ら各支部長も「来た甲斐がありました」言ってくれたのはあながちお追従だけではないと思う。

*2 (さいくはりゅうりゅうしあげをごろうじろ)十分工夫をこらしてあるから,心配せずに仕上がりを待って,それから批判してくれ。[大辞林 第三版の解説]

さて選考会当日の9月28日。ホテルから1時間ほど離れた「選手のみんなが集まりやすい位置にある街だから」というColombus市 ウィキペディア  の会場(合気道やフルコンを教えている道場)の前には前回のセミナに参加してた人間が皆笑顔で待ってくれていた。

なんと!!「セミナー+選考会」を決定してからの期間が1ヶ月半しかなかったにも拘らず、地元のオハイオを初め、ミシガン州、テキサス州、ニューヨーク州、テネシー州、ケンタッキー州、フロリダ州、インディアナ州、バージニア(ワシントンDC)州、カルフォルニア州の10の州!!!何と全米の約5分1の州から腕自慢の選手が集まったのだ!!アメリカは一つの州が他の地域なら一つの国に匹敵するほどの国である!!これには仕掛けた本人が魂消た(爆)。

中でも、第3回世界大会でウクライナ代表で出て-260で3位に入ったウクライナ支部長(イーゴリ・サモヒン)の息子のサモヒン・マキシムは「塾長、自分は戻ってきました」と言いたいのだろう、会うなり満面の笑みで「Jukucho, I’m back!!」とこれ以上はない喜びを全身で表現していた。聞けば、「渡米しロスアンゼルスでの新生活の構築に手いっぱいで、朝から夜中まで働き通しです。たまに近くの公園での一人練習しかできず、この1年2カ月全然空道着を着てませんでした」と言つつも何度も何度も「Kudo is my life」を繰り返し、聞くこっちも「こういう連中がいる以上、毎回、渋い顔でセミナの収支をみる“大蔵大臣” *3 にも我慢して貰って、暫くは種蒔きを続けるしかないよな」と自嘲しつつ納得するしかなかった(笑&泣)。

*3 今は“財務大臣”というべきか

結果は「自信はなかったですけど、空道の経験は大きいですね。途中からは勝つのはもちろんですが空道らしい勝ち方をしていと思って、いろんな勝ちパターンをやってみました。私に空道を教えてくれた塾長と父に感謝したいです。」と、並みいる色んな格闘技や武道経験者(フルコン、柔術、キック、MMA等)を寄せ付けず、パンチ、キック、投げ、グランドの技で決めその道の経験者を圧倒して優勝した。(残念ながらビザの関係で今大会には出場できない 泣)

一方、参加した9人の選手は上述したように皆その道の熟練者で、中には、デビューしたてだが3戦3勝しているMMAの選手もいてみんな驚いていたようだ。一回戦、殆どの選手が初めは自信満々で余裕で向かって行くのだが、すぐにこれはまずい!という感じで本気になる。そこは突き、蹴り投げ、絞め、関節のハイブリット武道である空道の多彩なコンビネーションに翻弄され「なす術がない」という感じで敗退し、徐々に会場はシーンと静まり返っていった。

「良い空道を見せてくれているが、薬が効きすぎて『これでは俺たちにはやれない』となるのでは・・・と焦ったが、試合後、選手が異口同音に「素晴らしい。またも出たいし、近くにあるならすぐに空道を始めるのだが・・・」、「どうすれば支部になれるのか??」と手放しで絶賛され *4 、逆にこっちが慣れ過ぎてるのか、普通のこととして受け取っている空道の素晴らしいを再確認させられたような気がした。

*4 一気に4つの州で支部設立の動きが出て来た。尤も、実現までがまた“何百回!!”のメールの遣り取りが必要か知れないが(泣)。

前述以上の試合内容はまたの機会に譲るが、一番うれしかったのはBeautiful !!という言葉だった。「試合が美しい」という意味に解釈したが、選手は異口同音に「確かにMMA技術的に最先端を走っているかもしれないが、人を制する、中には傷付けてしまうということへの感覚、神経がマヒするし、戦いがダーティなイメージで、闘っていても観ていてもBeautifulじゃない!!」と言っていた。

今回テネシーから参加したは広野達志君 *5 は「遅まきながらようやくアメリカ人も、選手の怪我の多さや、青少年に与える影響などにも、気付き始めMMAの人気に陰りが見えてきたので、ルールを緩くしたりしてますが、基本的に社会に根を張ってる訳じゃないし、ましてや道を求めてる訳じゃないから、社会のある程度の層は子供たちを武道系の所にやるようになっています」とも言っていた。この事は、初めにMMA(この頃は金網マッチと言っていた!!まさに闘犬や闘鶏の世界である!!)を見た時から、色んな雑誌やHPで言ったことだが。
(迎えが来たので、今日はここまで。後は例によって「気が向いたなら続けます」爆)

*5 2008年の第2回セミナの時にはニューヨークにいたのだが、「男子三日会わざれば刮目して見よ」で今はテネシー州オースティン・ピー州立大学Austin Peay State University 公式サイト  の准教授になっていた。彼もまた、大道無門、はみ出し系譜の人間で(笑)、改めて一稿を設けるに足る人物である。同系の小松支部長との掛け合いは、忙しいこの旅を終始“抱腹絶倒”の時間にしてくれた爆。専攻がまた時代を切り取るような分野で「空道はこの分野への対応に最も適しています」というが(謎かけ?)、元より全面的に賛成する。「世界大会にも応援で駆けつけます」と言ってくれてるので、詳しい紹介は後日のお楽しみにして貰いたい。

【関連記事】
※1(2006年の遠征レポート)ニューヨーク・コロンビア遠征
※2(2006年の塾長コラム) 「コラム09  15年振り3度目のニューヨークは・・・・」
※3(2008年の遠征レポート)今年の総決算、アメリカ遠征(11月19日-24日)
※4(2012年の遠征レポート)デトロイト遠征

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2014.10.1更新 10.2一部改稿 10.3再改稿

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