今年の総決算、アメリカ遠征(11月19日-24日)東孝旅日記

19日 | 20日 | 21日 | 22日 |  23日 |  24日 

19日

17:45離陸(JPとNY 時差14時間 従ってNYT 03:45)。この所、若手に下戸(?)が多くなった為に、少なくなった「出発前の儀式」。(か、どこの企業でも嘆く、下戸を装って“飲みニケーション”を避けているのか 泣)。力強く「自分は飲みます!」と答える今回の(08秋期体力別)重量級準優勝者(03も同じ)仙台北支部の木村猛選手と言わずもがなの大道塾きってのエンテーテェイナー、秋田同好会責任者、小松洋之三段の三人で、厳かに二度ほど大ジョッキで乾杯!これでエンジン全開!Bon Voyage! である。

搭乗後、小一時間で運ばれてくる機内食と一緒にビール、ウイスキーと手当たり次第に飲みまくって、早々と眠ってしまった木村を横に、前列の真ん中の席の間から振り返り、はたまた、通路に身を乗り出し話しかける小松。段々ボリュームが高くなって中国人化(笑)してきたので、俺が前の席に行くしかないと気を利かせたのが間違いの始まり。それからニューヨーク市 New York City(これ以降は主に、“NYC”と略語)ニューアーク空港へ着く2時間前までの約8時間!!途中スッチーの「シー!」も何かは、彼の空道と大道塾への熱い思いを拝聴する羽目に(笑)。こんな熱血が少なくなった昨今、嬉しくなる“空道バカ”だが、それにしてもミニチュアボトルとはいえ、免税店で買ったツマミも終えて10本も飲めば・・。10時間の飛行でニューアーク空港へ予定通り16:25到着。第一声が「NYCの第一歩は・・・・オス!二日酔いです」(爆) 

ビールは来ないのかなー(怒)
ビールは来ないのかなー(怒)

今回のセミナーをコーディネイトした広野達志君は、早稲田大道塾出身で現ニューヨーク州立大大学院生で福祉(主に自殺について、だと!)の研究をしている人間だが、一方で日本語講師も務めている。今年の「早稲田大道塾設立20周年の記念稽古&懇親会」にわざわざNYCから参加した縁で私と遭遇し(後日談あり)その際、「塾長、他の大きなフルコンはすべてNYCに支部があるのに、なぜ大道塾はないのか?と武道愛好者はみな思っています。是非何とかお考え願い致します!」と来たので「実は・・・」となって今回の遠征となった訳である。その彼が「その時間は授業ですが空港まで迎えに行きます」というが、こっちもいい加減何度も来ているから、「自分で行くからいい。ホテルで会おう」となりタクシーでホテルへ。

15:00ホテル着。部屋でインターネット接続を試みる。しかしブロードバンドがフリーじゃないのでワイアレスで数件試すが不可能。16:00諦めてニューヨークで初入浴(オヤジギャグ。今回は「全日本ダジャレ選手権」か?と錯覚するほどに、某小松のお陰でこっちの方面ではかなり鍛えられた)!

NYC一風堂で17:00ふて仮眠を試みるもベッドが柔過ぎ、腰に来るのではという不安で却って緊張して、いつもの爆睡入寂(笑)できず、17:30に諦めてこの所モンゴル、中東、イギリスと何度も試みるが時間不足で、みな途中で止まっている「塾長旅日記」に再度挑戦!
20:00広野君が来て超小型のUSBモデム(PHSモデム)で接続して貰い安心して、今回の主要な目的の一つである一風堂NY店視察に向かう(笑)

裏話:総本部の近くの某サンキュー(バレバレの仮名)の店長は去年から「来年はNYC でセミナーをするぞ!」とくだを巻いていた私の口車に乗りかけて(笑)かなりNYC 進出の野望、妄想が膨らんだのだが、諸般の事情で延期、延期を繰り返すうちに、「これはあんまり乗らない方が良いかな?」と理性を働かせたか(笑)熱が冷めたか「さぁー愈々(いよいよ)11月にNYC行くぞ!」の鬨(とき)の声にも反応しなくなった。その代理視察でもある。あとで飲み食い代を負けて貰おう。

ホテルのEntrnceは立派だった!!
ホテルのEntrnceは立派だった!!

22:00帰宿 (こんな言葉はないのかな、辞書で引いても出てこないので造語)。やはりこのベッドでは柔過ぎで眠れない。このホテル値段は一人一泊$160といつも5,6000円のホテル(?)に泊まる俺にしては破格の、結構いい値段を取るのに(それでもNYCでは安い方だとか!)カーペットは茶色が殆ど黒色と化しており、充分に年季が入っているから、さすがの俺もここに毛布を敷く気にはなれない。1時間掛けてベッドのマットレスを剥がして、毛布を三枚取り寄せて土台の金網に敷きベッドメイキング。その後00:30までメールチェックし、第二回目のNY(上記参照:ニューヨーク)。01:20就寝。

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20日

2:30、04:30と細切れだが固いベッド!のおかげで熟睡した(?) 起床洗面後寒いので、乾燥を避けるために寝る時は切った暖房のコンセントを入れるが冷風が出てくる!!ギョ!まさかと思いそっちこっちのスイッチを捻るが延々とぐるぐると回る!!!笑(これが悲劇の始まりだった!)まさかこの時間にフロントを呼ぶのも可哀そうなので「その内暖かいのが出るのだろう」と“常識的に”考えて温風が出るのを待つことにした。(これも間違いの元だった!)エジプトでの15人組手以来痛い、肩の付け根にトクホン、腰にパテックスを、長年かけて覚えた素人診断に則り、それぞれの症状に応じて貼り、メールチェック。

07:00朝食 「又も2,3日で飽きるアメリカンブレックファストか・・・」と期待もしないでレストランらしきところに行ったが、予想に反してあるのはコーヒーとパン、オレンジジュースのみ!(濃縮果汁や粉を水で溶かしたりする“エード”でないだけましだったが・・・)という、究極の健康メニュー???!!!まさかハムとかチーズ、果物などはこれから出てくるんだろうとか、どっか見えないコーナーなどにあるのでは目をキョロキョロするがパソコン疲れで見えない訳じゃない。初めからそれ以外“ない”のだ。

MSGの前で08:00早々に引き揚げてメール返信。小松と木村の部屋に行ってみたが明らかに温度が違う。私の部屋の体感温度は恐らく22,3度だろう。寒くてしょうがないから09:30-10:00入浴。仮眠。体を温めたのが良かったか、疲れが相当たまっていたからだろう12:15まで寝込んだ!が、初めは湯上りで熱いので布団をかけないで熱を冷ましているうちに転寝してしまったので、結局これで風邪をひいたようだ。13:00昼飯 近くのChina Express 東(トン)(各$11)で昼飯を食ったのち周辺散策Madison Square の前で写真。

14:30今日、本当は予定に入っていなかったのだが、急遽[State University of New York at Stony Brook(NY州立大学Stony Brook校)] に向け出発。当初予定していたブラジル遠征の日程が、来春の南米(全米)大会でコロンビアに行く時に回ればいいということで延期になったので、せっかくの日を無駄にしたくないし、今世話役をした広野君が柔道を教えている何人かは空道にも興味もあるということなので、いわばサービス残業みたいなものだ。18:00着。19:00から21:30終了。彼らのうち二人はジェットプログラム(外国語青年招致事業)で来年は日本に来るのでその時は本部に顔を出しますとのこと。

22:30出発、帰りは渋滞なしで24:00着。それから近くのコリヤンタウンで焼肉屋へ入り遅い晩飯。02:00帰宿。早速フロントに行き事情を説明したなら愛嬌の良い女の係が木村を見て「貴方Fighterでしょう。すぐに分ったわ!何をしているの?オー、MMA(Mixed Martial Arts)ね!私大好き、どこでやるの?必ず見に行くわ」と機関銃のように喋り、明日の部屋替えも簡単にYESを言う。初めての海外で見るもの聞くもの珍しい、木村はこれに気をよくして一緒に写真を撮って良いですかね?というから聞いてやると、「オッケー!チョット上司に聞いてみるわ」というから当然仕事中だから駄目だ!といわれるんだろうと思ったなら、その上司も一緒になってニコニコしている。結局ロビーで小松と3人でパチリ。

こっちはそれより部屋替えが頭にあるから「寒いから代えてくれ」というと、これ又気軽に「いいわよ。とキーボードを叩き始めた!!「いや今からでは遅いから明日だが、何時に来ればいい?」と聞いたなら、今度は「私は夕方の8時からいるから・・・・」って。チョット待てよそれじゃぁー、明日も夜に部屋替えさせる気かよ!第一夜はセミナーでいない。「昼でなきゃー」というと「じゃぁー朝7時に来て」だと!そんなに力仕事(特別なベッドメイキングをするようだから 笑!!)を朝からしたくないから「もっと後は?」聞いたなら、さっきの上司とやらが「08:00までなら私がいるよ」という。気軽に応じてくれるのは良いが、口約束は何の意味もないのがこの国だから名刺に何前を書かせて受け取った。

それでも「私は空手の黒帯だ」などと吹いていたが「どこの団体だ?」と突っ込むとこれはまずいと思ったものらしく、アッサリと「ウソウソ」などと逃げた奴だから一抹の心配はあったが・・・・。 03:00までメールチェック、03:00入浴で就寝。

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21日

05:00夢うつつに携帯の音を聞く。某国からの電話「過日の審査の証状が届かないんです」。これは何度も事務局に確認したが「既にかなり前に送った」との返事をしているのに・・・・どうなっているんだ。ペレストロイカ後しばらくはロシアに送った帯や賞状が盗まれたりしたことが度々あったが、今時(いまどき)何でこんなことが起きるんだ・・・。

06:00今度は事務局長から!!!部屋をネットで選んだから「ひでぇー部屋だ」とメールしたなら気にして何度か電話したらしいが、上記のようなスケジュールだから出られなかった。それを私が怒って出ないと思ったらしい。そんな事を言ってもネットでの検索には限界がある。文句を言う先はこんなホテルを推薦する業者だということは分かっているから、そんな八つ当たりはする気はない。が、「鬼の居ぬ間の(心の)洗濯」を決め込んでいる身には、少々の心配をしてもらっても罰は当たるまい。そんな風な思惑でいたのに、こんな時間にメールをして逆襲に会うとは!!俺を寝せない気か!!!

目が覚めてしまったから06:20起床、PCチェック。返信数通。07:45昨夜伝えていた部屋替えの件でフロントに行くが危惧して通り担当がいない。別のフロントに部屋替えの件を話すが、面倒臭そうに「担当は12時まで戻らないので分からない」との事。ま、今でなくてもいいと一旦朝食場へ。

08:30戻りキーを差し込むが開かない。フロントへ。また同じ人間だ。話すとこれ又面倒くさそうにチャージし直して渡す。「この野郎!済みません、と言う所だろう」、と思ったが朝から騒ぎを起こしたくないのでそのまま部屋へ戻り差し込むが開かない。二度目も同じような対応でまた開かない。三度目にフロントに言ったならその人間が「俺はもう終わったから他の者に聞いてくれ!」とサッサと自分の仕事のレジを抱えて裏に行こうとする!!ここで怒り爆発」この野郎!良い加減にしろ。サッサとセキュリティを呼べ!」と怒鳴って睨みを利かすとやっと、面倒くさそうに電話で指示し始まった。挙句は「Go to your room. I told security to check your key」(部屋に行け。セキュリティが見に行くから)だと!!「この野郎済みませんはないのか、済みませんは!!」と怒鳴る気も失せて部屋の前で待つこと10分。

やっと太ったオヤジ(でも俺より年下だろう)がヨッコラヨッコラ来た。今度は情報が入っていたものか(笑)丁寧な言い方で、「あなたを証明するパスポートとか何かありますか」というから「Safety Boxだ」とぶっきらぼうに言うと「では部屋の中にあなたしか知らない事や物はありますか?」ときた。「ベッドが柔過ぎるからマットレスを起こしてその下に毛布を敷いて使っている」と部屋に入れると、変な顔をしながらも納得した(笑)。この間30分!!

つくづくアメリカという国の駄目さを感じた。個人の体だけじゃない国自体が肥満して動きが遅い。俺の挑戦心を刺激したあの生き馬の目を抜くほどにVividなアメリカはどこへ行ったんだ!!年頃(笑)の22,3で刷り込まれた70年、80年代の「輝けるアメリカ」、「アメリカの世紀」は終わり、巷間言われるように、やっぱり「斜陽のアメリカ」、「二度と来ないアメリカの世紀」なのかなー。

China ExpressのTake Out11:00からメール整理&返信をして12:00.昨日の睡眠不足を補おうと横になるが寝付けず小1時間横になっただけで起き、13:00小松、木村の両人にテイクアウトして貰った、「アメリカに替わる21世紀の覇権国家」と言われる中国の「China Express 東(トン)」の出前を食べる(話の持って行き方が強引だねー 笑)
しかし実際、今に始まった訳じゃないが、中国人はどこに行っても逞しく、その土地に根をおろして成功している。人が多いから潰れている人間も大勢いるんだが、なんせ“13億人”(あくまで公称だ!)がその屍を乗り越えて次から次へとチャレンジするから、結果として色んな分野に彼らの甲高い声が響き渡る。「成功して故郷に錦を飾る」というのは漠然と「元は中国から出た言葉だ」と思っていたが、日本人の言葉だったことに改めて納得する。人間到る所青山あり(じんかんいたるところせいざんあり)。ま、それだけ日本という国は明治大正の一時期を省いては海外に雄飛(?)する必要もないほどに住み良い国だった為だろうが・・・・。
かと言って、こんな地球が狭くなった時代に日本にだけ自国に閉じ籠っていては世界に遅れるだろうし、第一、世界がそんな怠慢を許さないだろう。立ち向かわなければ押し流されるか飲み込まれるしかないのではないか???やはりもう一度世界に打って出る気概が必要な秋(闘いの“とき”)だ!とは言っても頭で考えたからと、そんな億劫で面倒なことが簡単に実行できるわけじゃない。
ましてや、「和をもって尊し(貴し)となす」という平和な時代には国の安定を保証する、まことに最高の美徳だが、体制の変化や、パラダイム(時代の支配的「物の見方」)の変革に対応しなければならない時代には、誠に足枷手枷となって対応を遅らせる習性が骨の髄位までしみ込んでいる日本である。常に外圧がなければ何にも変わらない。(その典型が「明治維新」と「敗戦」だとはよく言われることだ)
ここは人いない山にでもテポドンでも打ちこんで貰って目を覚ますしかないか(嘘々、これは悪い冗談だ)誰かじゃないが、「堕ちよ、堕ちよ」と、行く所まで行くしかないのだろうか?
しかし、これだけ堅牢に組み立てられた体制、緻密に張り巡らされた情報網が支配する国際政治の中で、従順で融通無碍(ゆうずうむげ)な考え方をする、「ま、大義(たいぎ)親を滅すだ。取り敢えず俺は安穏に生きて行けるから、これでも良いじゃないか」という志向になりがちな日本のような国は、踏み付けられた足の裏から這い出て再び同じ高みに登る(再起の)道はあるのだろうか?やはりここは何としても今の日本の立場を守らなければならないのではないか・・・・。
そんな妄想(笑)に浸っている内に14:30ニュージャージィーのセミナー会場に向かい出発。昨日のマンハッタン島を出て東に向かったのと違い、西日に向かって進むから逆光で眩しく遠景は薄暗い。しかしこっちのNJは泊っているマンハッタンや昨日のクイーンズとは違い、島ではなくアメリカ大陸の端だし、意外に思うかもしれないがNY州の大半は湖沼地帯だと昔何かの英語教材で習ったことが実感として分かる。見渡す限りの平原と遠くに地平線が見え、やはりアメリカは大きいなー!を実感できる。

16:00現地着。少し畳が柔いのが気になる。17:00そろそろ支度をトイレに入り出るころに、タイミングよくゴメスが来る。一応右手を出して握手したが、屈託のない顔をしている(笑)。そのうちカルフォルニアカらの二人組も着いた。18:20-20:40セミナー。

19:00頃、いつかは?と恐れていた左膝が「バチッ!」と、隣で基本をしていた木村にも聞こえるほどの音を出して壊れた!畳が柔すぎたためとこの所の強行スケジュールで、右膝の弱体化のツケを獅子奮迅の頑張りで一手に引き受けてきた歴戦の左膝も遂に音をあげたか!!いつか来るだろうと覚悟はしていた、薄皮一枚でショックアブソーバの役を務めていた左の半月盤が貫通したのだろうか?はたまた、右のローが蹴れなくなって思い切り蹴れるのは左のみという現状に文句も言わないで、内(股)ローを支えてきた靭帯が、勤続疲労で断裂したか?左足に体重を掛けると痛い。明日カイロに行ってみるがこの痛みはカイロ云々ではなく外科的処置が必要なはずだ。恐らく日本に帰ったなら手術になるだろう。ま、考えようでは来年の世界大会の準備中でなくてよかったとも言えるが・・・・。

取り敢えず明日まで何とか誤魔化さないと・・・いろんな国に行く度に確かな結果が付いてくるので、精神的にはキツイどころか面白くて休めなかったという方が適切なんだが、体力的にはきつかったのだろうか・・・。指導の方は口頭でもできるが、コマイ所はやはり自分でも動かなければ形を示せないし、自分自身常に教えるだけでは消耗するだけなので、教えつつ自分の練習にもなるような方法をとってきた。勿論それ以上に(?)体を実際に動かした練習の後のビールも大きな楽しみだが。

今日会っただけなのに旧知のようだ22:00近くのチャイニーズで会食。殆どが参加して空手、武道、MMAの話で盛り上がる。全く生まれも育ちも言葉も宗教も違う人間が武道を通じての裸の付き合いにより、こんなに短時間で旧知の間のように喧々囂囂(けんけんごうごう)侃々諤々(かんかんがくがく)に盛り上がる、これは本当にマジックと言って良い!!
別に宗教や思想による見かけの、または思い込みの共感、一体感と言った綺麗事を言っている訳じゃない。どころか、もっと具体的な、生々しい男にとっての大きな価値、“強さ”という共通言語による互い見切り、立ち位置の確認が済んだから、互いの立ち位置からの「安心した会話」が成り立つのだ。ここでは身の丈以上のケレン(下連)味(ハッタリ=虚勢=ツッパリや、ゴマカシ=見せかけ)は、表情に出さないにしても最も軽蔑される行為で、次からはその人間の周りは空席になる。
武道万歳!!という所だ。店は終業時間をとっくに過ぎているが、地元の常連(で道場主!ここが大きいか?笑)であるゴメスの顔だろうか(それとも別な意味でのみんなの“顔”だろうか?どういう意味だ?笑)
それにしても膝がだんだんブツブツ言い始めた(泣)のでさすがに潮時だ。23:50それでも花の金曜日だ、こんな深夜でも多くの車が走る高速路を一路NYCへ!とひた走る、なんて見てきたようなウソを言っているが実際はグーグー寝ていた。運転する広野君には悪いが膝と今後のスケジュールの調整を考えると、ここは不貞寝が一番気分に合っている(笑)。00:50ホテル着。早速、汗だけ流して冷湿布するがあまり熱がないから内側や外側の“靭帯”ではなさそうだ。それにしても半月板にしろ、切れたなら熱が出るはずなのに・・・・。いろいろ考えながら01:30就寝。

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22日

05:20起床、メールチェク以降日誌08:30まで。案の定ずうっと膝が痛い。これは恐らく冷やす必要がないのに冷やしたからだ。ということは怪我の内容はなんだ?帰ってからMRIなりCT SCANで撮ってからの治療だと思っていたが、ちょっと心配になって来たので、幸いというか(使わない方が幸いなんだが)必ず海外に行く時は旅行障害保険をかけるから、その指定医の一覧を見るがNYCでは一か所しかなく、しかも土曜日は休診だと!!そんなアホナ!!高い金を取っておいてそれはないぜと、新聞で別に日本語の通じる医者を探す。あった!

広野君に10:30に予約して貰って医者へ。歩いても10分位だが歩く度に膝に激痛が走るので、迷惑をかけると思ったが、ここは広野君の車で送ってもらう。十分に10分以内で(洒落ている場合じゃない、小松病か?)間に合うと思ったが、東京を凌ぐ交通渋滞のNYC 30分も掛ってやっと到着。今日診てくれるのは中国人のDoctor Chin。少し日本語が喋れるが分かりやすい英語で、しかもモニターを使い患部を拡大、反転、着色、矢印付と色々微に入り細を窺いつつ説明をしてくれる。
診断では、半月板や靭帯はレントゲンでは見られないがこの白い影を見る限り、要は膝の内部の靭帯(前十字靱帯)が骨から剥がれその際に剥げた骨が膝の内部に骨片として、いわゆるネズミ状態になっていてそれが神経に触る為に痛いのだとの事。治療は剥げた骨片をいずれ吸収される人造ピンで下の骨に打ちつける手術をするようだが、内視鏡でするので切開はしなくていい。ただ、骨が小さい場合は割れてしまうので難しい、とも言われた。
MRIを撮ればなお詳しく分かる。今日は土曜日だが幸い近くですぐにでも撮影できるから、と日本では考えられないほどに親切だ。しかし、明後日帰るのだからこれ以上は日本で治療しますということで、取り敢えず痛み止めの注射と飲み薬と塗り薬の両方を貰って帰ろうとしたなら、松葉杖まで出してきた。そんなに大げさにする程じゃないのにと思ったが医者の言うことだからと、有り難く“傷病兵”になった。
怪我をして「良かった」というのも変だが、こんな仕事をしていると怪我をするにも仕方がある。これは基本中に起きた怪我で、いわゆる疲労骨折だからいつ起きてもおかしくないのだが、それでももし組手中などに起きたなら「先生が誰それとスパーをして怪我させられた」という話になってしまうから迂闊に怪我もできない(笑&泣)

それにしても親切な医者だなーと感心した。だが広野君に治療費を聞いて仰天!!広野君の話では「これだけ手間暇掛けていると、アメリカでは3-4000ドルは掛りますね」との事!!!いつも掛ける度に「また無駄金を・・・」と思ってきたが今回はその何割かを取り戻した気がした。
勿論何もない方が良いに決まっているが、海外遠征に頻繁に行くようになったこの25年位でいくら掛け捨てたかを考えると、そういう気にもなる。万が一の時に「立つ鳥跡を濁さず(?)」状態にするため、と一番配当の良いのに入り(笑&泣)、年に5、6回平均行くとなれば、それを貯めておいた方が良かったのでは?と思ってもおかしくないだろう。更に連れて行く人間の分も考えたなら何百万だろう。

12:30近くのラーメン屋へ、これも歩いて10分ほどの距離だがタクシーでも10数分掛った。東京の渋滞も一部はこうだがNYCは街中が渋滞だ。一番は郊外からの物凄い量の車の流入だろう。
毎日こんなすごい渋滞に巻き込まれるのなら郊外へ電車を走らせたり、地下鉄を掘ればいいのにと単純に思う。しかし、電車はあるそうだがあまり利用されないそうだ。道が空いてる時は車で1時間半くらいの隣のニュージャージィまでの電車は1時間に1本位で、しかも鈍行で3時間前後掛かるとか!!信じられない!!本当だろうか???しかしアメリカの現状(惨状?)を良くよく見て考えると、レールを敷いても、地下を掘ってもあまり効果はないのかも?とも思う。
当て推量だが、公共心、公徳心などは死語になっていて、地下鉄の汚いこと危ないことは世界に周知のことだし、我儘の極限とでもいうほどに自己が肥大し、他人無視で自己中(権利意識が爆発)になっている多くの人々は、譲り合わざるを得ない他人との共存を避けるようになっているんじゃないか???例え電車でも。
従って渋滞を解消するほどには車を捨てて電車に乗る人間は増えないのではないのかも?いくら通勤に2,3時間掛かってても、渋滞でイライラしながらも、個(プライバシー)が守られる密閉した空間が心安らぐのかもしれない。ヒスパニックや黒人層の流入を避けるため、金持はどんどん郊外へ移住しどんどん通勤距離は遠くなってゆく。どうしても仕事だけはNYCでしなければならない層は効率を考えてヘリで通うそうだ!!

14:00帰宿。今日会いに来るはずのかつて東京にいて、今はマサチューセッツの大学院でスポーツビジネスを研究している、当時留学生だった中国人の“国費”留学生D君。彼は2001年、散打との対抗試合に出るはずだった日本の某団体が試合直前に急遽キャンセルしてきたので、何とか代わって出てもらえませんか」と言ってきたのだが、当時全く散打には興味がなかったから何度も断った。しかし、「中国全土に流れるテレビで放映が決まっており、大々的に宣伝してきたのでこれが中止になると大変なことになるので、何とかお願いします」と言ってきた。
日本の団体が中国の武道団体(いわば仲間だ)に迷惑をかけることになるということ、空道のルールでも何試合か組むということ(結局この時は実現しなかったが、これらを通じてできたコネクション等が、笹沢選手の北京(オリンピック)世界散打選手権への参加に繋がる。選手の海外試合慣れ等々を考えて、「それでは…」となった試合の橋渡しをした人間で、彼の誠実な言動に感心して今日まで親交を続けてきた。(※2001散打遠征記事
ただ「この状態では会ってもあまり気乗りした話にはならない」と断りのメールを打った。所がそのすぐ後すぐに電話があり、もうNYCに着いているとの事。しかも、わざわざ3時間半も掛けて車を運転してきたそうだ!!そこまで聞けばそれでも会えないとは言えない。16:00からのセミナー会場、Fight houseに来るということになった。
15:30タクシーでFight houseへ。ここは1昨年初めてセミナーをした会場だが、NYCの中心だしホテルからも近く、色んな団体が練習していつも盛況な貸しスタジオだ。会場下のエレベータで何人かの受講者に声を掛けられる。既にカポエラ、ムエタイ、護身術、チャンバラ、寝技系(柔術?)と6つの団体が練習していた。我々のセミナーへの参加者はNYCだけあって正に様々な武道、格闘技の流派団体から弐段参段が中心でレベルが高い。隣では、数年前にある総合の団体と交流練習をした時の参加者が一面を借りて指導しており、「東先生ですね・・・」と話が弾む。ここでも武道・格闘技のコミュニケーション力を感じた。

セミナー今日は痛み止めを飲でも痛いのでさすがに実技はできないが道着だけは着て講釈(泣)幸い小松、木村の両指導陣が今日は自分たちが頑張らなければと自覚し、昼からこれまでのビデオを見ながら反復練習をしていたため、すべて滞りなく指導出来た。

私が机の仕事に追い捲くられ、練習といっても週3回2時間の自分の練習が中心になるので、生徒への“現場”での指導に度々出られなくなった。その為、私が教える技も彼らにとっても初めてだったり、多くの指導員を介して覚えているうちに、変形し肝心なポイントがずれていたり、不十分な説明になっていたりするから、彼らもビデオで確認する必要があるのだ。(ただし、準備体操がチグハグなのは“泣き”だが 笑)

しかし今回は大会優勝者への海外遠征航空券ではないし、三か所中、二か所のセミナー開催場所もこっちで確保してのセミナー(※)だから予算的に厳しいため、彼らにも一部の費用を負担して貰ったり、それでも厳しいから一人だけにしようかと思った随行指導員。無理して二人にして良かった。

※これをオープンセミナーという。反対に確実に支部を開始することが決まってするセミナーを支部開設セミナーという。

18:30セミナー終了。その後19:30から今回の一連のセミナーの打ち上げということで“酒蔵”という日本人以外にも大人気で2,3週間前でないと予約が取れないという店で懇親会。ここでやっと落ち着いてD君と話ができた。
聞けば学校のほうは順調で来年卒業の後はNYCで仕事をしたいとの事。「その時はうちの事頼むなというと「勿論!」と力強く答えてくれた。ただプライベートなことで残念なことがあったようでいつもは明るく力強い前向きな会話をする彼が偶に見せる陰りが気になった。22:00散会し彼にホテルまで送ってもらい「今日はどこに泊まるんだい?」と聞いたところ「明日も授業がるからこれから帰ります」との事。態々3時間も掛けて会いに来てくれた彼に(私の子供のことも知っているからと、つい)「人生いろいろあるさ」と言ったが、彼は今、遠く郷(くに)を離れて孤独に耐えながら一人で闘っている。自分のことを聞いてくれる人間が欲しかったに違いない。「大丈夫私は負けないから」と例によっての笑顔だが、寂しそうに答えてThanks Giving Day(11月の第4木曜日の祝日。神に収穫を感謝する祭り。)を控えながらも寒々しい歳末商戦の夜の街に車で消えて行った。
それを見ながら「しまった!俺は自分の悲しさにかまけて、他人の悲しさを相対化してしまったんだ、なんていう無神経な男だ、俺は!」と後悔。俺はガサツだなー、と体調もあるから余計落ち込んだ。メールチェック、入浴として01:30就寝。

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23日

04:30起床。今日は広野君の家族(奥さんと息子さん)の気晴らしを兼ねて、二人を観光に連れて行ってもらい、自分はこれまで書けなかった日誌の続きを完成させるつもりで机に向かった。幸い一昨日NJでのセミナーの時に立ち寄ったスーパーで買ったカップ麺とハムがあるから12:30頃まで集中して打込んで昼食。
この所、次から次と遠征が続くので遠征中も過密スケジュールで動くし、帰国後もそれを振り替える暇がなく、次々と旅の空だから、これまでもモンゴル、中東、イギリスと遠征記に取り掛かりはするのだが、みんな中途半端に終わってしまっていた。ま、「不幸中の幸い」、「怪我の功名」じゃないが、今回はこの時間を利用してなとか最後まで漕ぎ着けようと決意(笑)!13:15仮眠-15:00まで熟睡。寝起きの眠気頭で部屋中に展開しているものの撤収開始16:30まで掛った!これ以降みんなが帰ってくる、20:00まで作文。

20:30 W56丁目の「めんくい亭」でラーメン。NYCに着いてから高級ラーメン「一風堂」や、焼き肉、高級日本料理店「酒蔵」と続いていたから、残るは寿司かとも思ったが、この寿司屋、確かにブームでどこにでもあるが・・・・。
一昔前までなら「アメリカで寿司を握らないか?」など言われたなら殆どの板前さんが二つ返事で渡米したと思うが、ここも他の分野に違わず応募者不足。かくて、寿司屋の殆どの経営者や板さんは韓国人、中国人だったりするので、中々寿司らしい寿司は食えない。その上、この数日だがアメリカの変わりようを見ているから、万が一のことを考え“生もの”は避けた方が良いとラーメンに決定した。
ここは初日のレストラン風になっている高級ラーメン「一風堂」と違って、日本のどこにでもある素朴なラーメン屋の佇まいガあり、何かホッとする。ラーメンの前に色んなツマミを摂りながら二人に「今日は自由の女神やブルックリンブリッジ、グランドゼロなど一通りの定番観光が出来て良かったなー。広野君、奥さん有難うございました」などと話し、「今日以外、何の観光なかったからなー、ご苦労さん」などと話していたなら、初日の夜にラーメンの後、小松と木村両君が、社会勉強を兼ねてホテルの近くの飲み屋をうろついた話になった。

男が誘う怪しげな店に呼びこまれそうにもなったりしたらしくて(一般に日本ではマッチョで通っても、体毛が少ない東洋系は連中の好みだ 爆)、ほうほうの体(てい)でその隣のパブレストランに入ったところ、なんと!あからさまな人種差別を受けたそうだ。店の奥には白人だけが多くいて、入口近くのカウンターを顎で示され、ビールと注文すれば、プリーズと言え!とコブシを振り挙げられたらしい。後から入ってきたアジア系は注文すら聞かれなくて早々に出て行ったとのこと。
小松は「自分は空道の技術は試合以外では使わないことにしていますが、可哀そうな奴らですよね。人は笑顔で接すれば笑顔が帰ってくるのに。」と言うがもっともだ、と俺も思った(のだが・・・笑)。
アメリカでは人種差別はご法度だとか、人種差別に厳しいなどと言われるが、何度もエッセイなどで言っている通り、アメリカに関わらず、海外、特に米欧(この場合ロシアも含めたいから語順を逆にした)にセミナーに行く度に人種差別は厳然と残っていることを体感する。とくに地方都市に行けば行くほど、また官公庁や大企業レベル以下の多くの会社や、一般人レベルではあからさまに存在する。その度に「武道をやっていてよかった!!を実感する」というのはみなさん“ミミタコ”なはずである。
それにしてもYCのど真ん中でそんなことが!!とは・・・。チョット“カチン”という音が頭の中でしたが、小松の大人の言葉も尤もだ。しかも両者共支部に帰れば立派な指導者だとしても、私から見れば塾生だ。塾生を伴ってセミナーに来て下手な騒ぎを起して大事になっても大人気ないし・・・と腹に収めた。(積りだった!!再(度)笑(う)―これも造語)

22:30 広野家と解散。明日は早いので本当はここで今回の旅のお別れ。明日は来た時と同じようにタクシーで空港へ、と考えていた。しかし、「部屋が寒い」と言っても「こんなものだ」と強弁する、「鍵が開かない」と言っても「そんな事はない」と11階の部屋からフロントまでを二度三度往復させても「済みません」の一言もない!!!などなど、サービスも、接客態度も腹に据えかねる上に、あろうことか、部屋代を予約以上に請求されている!!!こっちが文句言うと、どうせ聞き取れないだろうとばかりにベラベラ捲し立てられるので、ここは地元の広野君に掛けあって貰うため明日も来て貰うことにして解散。

23:00 運転手が意図した訳じゃんないだろうが、タクシーに揺られてホテル近くまで来たなら件の店の前で渋滞停止した。そこでタクシーを降りホテルへ、の積りだったのだが、体がホテルの反対方向にドンドン進む!一旦は治まった腹だったが収まってなかった!!おそらくバーテンダーは酔っていたんだろうが、どう考えても“フザケ”が過ぎる。ここはチョット“指導する”必要がある!とその時は「不良飲食店追放の委員会」の会員かなんかに完全になった気でいる!!笑。
両君が「先生!そっちの方向では・・・」とかなんとか言ってるような気がしたが、怪しい男が立っている店の隣の、件の店にサッサと入った。月曜の夜だというのに凄い人数だ。禁煙大国アメリカなのにタバコの煙がモウモウ・・・ということは高級レストランではないということだ 。ということは何があってもおかしくないということでもある 笑。店の扉をぶち開けるジョン・ウェインの感覚だ!!腰に携えているのは右には携帯、左には小型カメラ、とまさに二丁拳銃状態!
入口の近くが空いているので、ここで飲めと言うのか、この!とレジに三本指を示しながら眼に力を入れると、すんなり人混みの中をぬって奥の方のテーブル席に案内される。しかしそれでは“会話”ができないので奥の方のカウンターを示して「あっちだ!」と今度は言葉に力を込めると、一瞬迷ったようだが、バーテンダ−に目配せして確かめて「オーケー」となった。塾長は酔っているとでも思ったか、両君が背後で焦っている。しかし俺は酔ってなどいない。ただ昨日の件を質し(正し?)たいだけだ 笑。
二人に「あいつがそいつか?」とカウンター内を忙しげに動いている大柄の男を見て禅問答(笑)のようなことを言うと、「いや彼ではありません」と来て、チョット拍子抜けしたが、それにしても仲間かもしれない、ここは一つ態度を見て今後の“言動”を決めようと、ぶっきら棒に「ビール!」と注文をすると「Yes sir !」とやたらと態度が良い。アララ!と拍子抜けしてしまった。試合場に闘志満々で上がったところ、急に「○○選手棄権です」と言われたようなものだ 笑。
恐らく私の紳士的な態度に、小松じゃないが向こうも応じたのだろう 笑。それなら私も敢えて「治にいて乱を好む者」ではないから、些か気を取り直して、(今回の遠征台所事情に沿って 笑)余り大盤振る舞いではないが18ドルの所を20ドルカウンターに置くと、なんとウインクまでしてきた 爆。
00:00 張り合いがないから(?)早々に出て四方を見渡すが道案内がいない身ではどこも探せない。仕方がないからホテルのレストランへ行き、1杯2杯と重ねて今回のセミナーのあれこれを歓談。01:00部屋へ戻りニューヨーク最後の入浴(しつこい!)01:30おかげで今回は汚い床に寝ないですんだが、流石に骨組みだけでは重さに耐えられなくなってきたか、腰の辺りが凹んで来たベッドの台にさらにタオルを敷いて爆睡。

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24日

04:00起床、殆ど整理しているので、上下とも防寒用のパッチの上にスウェット2枚、上は更にカーディガンと、荷物になるから持たない羽毛ジャンパーの代わりのウンドブレーカーと、着包(ぐる)みみたいに厚着した恰好で最後のパチパチ。やはり始まるとあれもこれもとエピソードが絶えないので、最後までは打ち込めなかった。

06:00広野とカウンターにて宿代の交渉。案の定向こうは何だかんだと屁理屈をこねて少しでも高く取ろうとする、それに対し我が広野君、一歩も引かずに捲し立てる!!普通の会話などは何とか出来ても、「あなたは間違っています」じゃァー喧嘩にならない 笑。喧嘩には喧嘩言葉というものがある 笑。曰く、「そんな事はそっちの手違いだ!」、「これを見ろ!チャンと契約書にはこの金額で載っているではないか!」、「あんた!この方は(自分、東のこと)物凄く大きな団体(それほどでは笑)のプレジデントで、この度の対応に物凄く怒っている。しかるべきところに出て決着をつけても良いんだよ!」等など・・・・初めは「この東洋人が」という態度だったマネージャーも、とうとう認めざるを得なくなり、ついにさいごはこれまで絶対に非を認めず謝らなかった彼らに「apologize」という言葉を吐かせることに成功し、初めの予算通りで決着が付いた。なんと70,000円からの違いがあった。これを見ていた両指導員、「今まではただ変なダジャレばっかり言う人だ、としか見えなかったけど凄いですね!やはりアメリカで生き抜くにはこれくらいのファイトがないとダメなんでしょうね」と感心していた。

その後空港に向かい最後のコーヒー(通関前のロビーにはビールがなかっただけだが)とパン、野菜サラダを摂りながら「この物凄く楽しかった数日間」(広野君)を振り返った。これで来年の世界大会にはアメリカからも十分な力を持った選手が参加するだろう!大道塾、空道連盟の力の全てを傾注してこの激戦に備えなければならない。あと355日、もう一年もないのだ!

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