この連載は『月刊空手道』(福昌堂発行)1985年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです
よく読者から大道塾の組手や試合などにおける個々の技について質問を受けることがある。大道塾のパンチはボクシングであるとか、動きはキックボクシングではないか、などの意見も多い。そこで今回は大道塾が提唱する格闘空手の稽古体系について述べてみたい。
まず第一に、何度も機会があるごとに言っていることだが、大道塾では五級まではいわゆる顔面突き無しの直接打撃制を取っている。この、つかみ投げ禁止、金的攻撃禁止のルールによって、格闘の攻撃の手段として、蹴り技を伸ばすことができる。これは、ボクシングの練習法の条件スパーリング、つまり使用する技を、左ジャブとか右ストレートのみに限定して闘う方法と同じで、このような限られたルールによって一定の技を伸ばすことができるのである。また、このルールによる組手によって、組手における蹴られたり打たれたりする恐怖に慣れることができ、また打たれ強さも養うことができる。大道塾ではこのルールによる組手重要な組手法としてとらえている。
格闘技として見た場合、私はパンチだけなら、当然ボクシングが最高のテクニックを持っていると思うし、蹴りなら極真会館、組み技なら柔道が最もすぐれていると思う。しかし考えてみるならば、ボクシングにしても蹴りを認めないルールだからこそそこまでパンチが発達したわけだし、極真も顔面攻撃を制限し、柔道も当て身を禁じたからこそ、それぞれ特有の技が驚異的に発達したといえるだろう。(だから、実戦として考えられるすべての技を、白帯、つまり初心者の段階から認めて稽古したのでは、アブハチとらずのたとえ通りになってしまう。そういった意味から、限定されない総合格闘技、つまり実戦的な技の完成を目ざすなら逆にステップをふんだ、個々の技の十分な発達を考慮した練習法をとらなければならない)そういったことで、大道塾では五級までは顔面突き無しの直接打撃制を取っている。またそれと平行して、週一回の割合で、当て身をまったく使わない組み技のみの稽古の時間も設けている。(相撲の場合もある)
さて、四級になって初めて格闘ルールの組手に入るわけだが、ただここで一つ注意しなくてはならないことは、たとえパンチならボクシング、蹴りは極真、投げは柔道が一番だとしても、それが実戦においてそのまま使えるわけではないことである。たとえば先に述べた通り、ボクシングは蹴りを否定したところで、スタンスの取り方、フットワーク、そしてパンチの技術が発達したわけであり、そこに蹴りが入ってきたなら局面はまったく変ってしまうからである。極真の蹴り、柔道の組み技についても総合的な実戦の場ではそのままの技では使用することが困難になってしまう。ましてや大道塾のように、組手に金的攻撃が認められればなおさら様相が変ってくるのは当然である。少々脇道にそれるが、ひとくちに金的攻撃といっても、その技術は多彩であり、受け、ブロックも独得の技術が必要となる。この金的攻撃のように、現在では他の格闘技では行なわれていない技術が技に入ってくるなら、なおさら組手が大きく変化してくる。
大道塾の組手を見て、ボクシングの観点からパンチが不完全だ、極真、柔道の観点から見て、蹴り、組み技が不完全だというのは、実戦の見地からいって、まったくナンセンスな見方なのである。
一例をだすと、かつてキックボクシングのパンチを見て、ボクシング関係者が不完全だといったが、それは今私が述べたように、キックには蹴りがあるからパンチが変化するのは当然であるように、また、大道塾では投げ、金的攻撃があるために、またグローブを使用しないため、組手はキックとはまた別に変化するのである。さて、現在の格闘ルールについて、さらにこのような意見がある。格闘〟を唱うならば、なぜルールに関節、締め技を認めないのかということである。当然、実戦を考えればテクニックとして関節、締め技は重要である。だから大道塾では上級者に対しては関節、締め技の稽古をしている。だが、これらの技は、主に寝技(グラウンド)において有効になる技であり、果たしてそのような技を使う局面空手と呼べるか、といえば私自身、非常に疑問を覚える。
一つ、〝程度”の問題として、現在において、空手”を名乗る試合で、関節、締め技を認めるにはまだ、時期尚早だと思うのである。ただ、あと何年かして、今の格闘ルールが広く世に認められるようになったとしたら、当然選手達の技術もさらに伸びるだろうし、また、空手〟に対する世の意識も変化するだろうから、その時には関節、締め技を試合で認めることも当然ということになるかもしれないが……。