リトアニア遠征
リトアニア遠征記清水和磨

押忍、総本部清水です。26日より6日間リトアニアでのセミナーと審査会に同行させていただきました。以下レポートです。

4月26日(木)AM11:00成田空港発、今回は塾長、事務局長、狐崎一彦盛岡支部長、神山信彦日進支部長、土田真也フランス支部長(現地で合流)、清水の6名。
狐崎支部長に託された「太麺堂々」(編集部注1 日清食品のカップラーメン)を携えいざ出発!! ヘルシンキまで9時間のフライトでしたが、殆ど寝ていなかった為あっと言う間に到着していました。

ヘルシンキ経由でPM5:30ヴィルニウス着(現地時間、日本との時差6時間)イルガラス支部長と指導員の方々に出迎えていただき車でホテルに移動後、PM8:27「ボートの小屋」という日本料理の店に行きました。(これから毎日ここに来る事になるのですが、この時は知る由もありません)

SVYTURYSというご当地ビールで乾杯(500mlで5リタス、1リタス=約32円)、こちらは日没は9時過ぎぐらいなのでまだ明るかったです。
10年前のラトビア遠征(編集部注2)の時も感じましたが、物価が日本感覚では非常に安いのとアジア人がほとんど居ないので今後遠征のチャンスがある人達にはバルト方面はお薦めです。

(編集部注2) 東孝旅日記2002年9月「Baltik Warsバルト海遠征記」参照

4月27日(金)

ナショナルオリンピック委員会事務局長と面会、空道について理解を深めていただく事が出来て有意義だったのですが、英語力が中学生レベルの自分は会話の内容が殆ど理解できませんでした。

昼食後、杉原千畝(すぎはらちうね・第二次世界大戦中リトアニアのカウナス領事館に赴任、ナチスの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れて来た避難民に対し外務省からの命に反してビザを発給し6000人を助けた人物)の記念碑を見に行きました。同じ様な記念碑はエルサレムの丘にもあるそうで、異国の地で認められている事を同じ日本人として誇らしく感じました。
それから城見物(ラトビアと同じく定番)、すると入口の橋で少女二人が笛を吹いて街頭パフォーマンスの様な事をしていました。本人達が自分で小使い稼ぎでやっているのか分かりませんが「親は何やらせてんだよ」と思いました。

リトアニア支部道場へ、とても広く新宿スポセンぐらいの広さ(編集部注3 新宿区スポーツセンター第一武道場は196畳 15m×30m)で、サンドバッグにミット、ダミー人形までありました。ここから次々と刺客が現われるのでしょう・・・恐ろしい。
夕食は聖地「ボートの小屋」本日は外にあるボート形のデッキにて寿司中心にいただきました。

その後、狐崎支部長・神山支部長・土田先輩と飲みに行きました。週末なので賑わっていましたが、日本の繁華街の様に大騒ぎしている馬鹿な酔っ払いが皆無で紳士的に酒を嗜んでいる感じで平和で好感が持てました。

4月28日(土)

セミナー当日、会場に着くと200人近い道場生と参加者が集まっていました。 基本移動後、新体系の組技の説明、セミナーでの遠征い参加が初めてだったのもあってどんな感じでやったら良いものか分からなかったのですが、先輩方の指導方法が非常に参考になりました。
後、毎度ですが「英語喋れればなあ」と強く感ーじました。ペラペラでなくとも技のポイント等は英語解説出来る様にしなければ・・・と、土田先輩の指導を拝見していて改めて思った次第です。

セミナーは技自体は誰でも知っている内容になってしまいますが、ほとんどの道場生が真剣にやっていて感動しました。しかし日本と同じく「あぁ、知ってる知ってる」みたいなのも何人か居て、日本なら蹴り飛ばす所ですがそういう訳にもいかず、温かく見守りました。
「努力すれば必ず強くなれる」は自分の持論ですが、指導していてこういった人達はそれ以前なんですね。
自分は先月、突き方が少し分かりまして(稽古不足も相まって途端に拳が折れましたが)、25年とかやってても一つの発見からパーッと視界が広がる事もあるから、その辺の面白さに気付いて欲しいし、指導方法と共に今後の課題です。遠征中に神山支部長と立禅の話題になった時「手が無くなった様な感覚」と仰っていて共感したのですが、体力を失って初めて気が付く事もあり、武道は深いです。
しかし相変わらず身体能力の違いは少し組んだりしても感じました。選手の皆さんは体力の強化もさる事ながら、その範囲を超えた俺流の何かを掴めていないと絶対に勝てないので頑張って精進して下さい。

セミナー後、中華料理の店へ。やはり体を動かした後の一杯は最高で、酢豚等と共に美味しくいただきました。
その後街中を散策してから「杉原記念館」(旧日本公使館)へ到着。我々の為にわざわざ開けてくれたそうで、中で日本語サークル? みたいな方々と漢字について語ったりしました。

その後「お城・其の二」へ移動、ここは市民の憩いの場のような広大な所で、ちょうど日没になり夕日が最高に綺麗でした。日本だと山か建物に沈んでいく感じですが、こちらは地平線に消えていくので迫力がありました。

狐崎支部長は終始リュックの様な撮影機材を担いで写真を撮っておられました。(写真送って頂き、ありがとうございました)
そして「ボートの小屋」すっかり常連客です。ラトビア支部のオスカル支部長が来ていて第二回世界大会以来久しぶりに会いましたが、2002年初めて会った時の真面目な感じとはキャラがすっかり変わって完全に「イジられキャラのおっさん」になっていて笑えました。10年前のワンマッチ大会(編集部注4)の放送された映像を送ってくれるとの事で楽しみです。

(編集部注4)2002年ラトビア遠征での地元の総合格闘技団体所属Maris Corjanis選手とのワンマッチ

4月29日(日)

本日はいよいよ昇段審査の日、指導員のトーマスも黒帯に挑みます。
日本人なら連続組手の場合、見え見えの省エネ動作になる人が多いのですが、トーマスからはそういう雰囲気が全く感じらない全力の動きでした。その上進行に気を使ったりしていたので「大丈夫かよ?」と心配になったのですが、終わってみれば10人全勝で一本勝ち3と圧倒的内容で昇段して拍子抜けしました。彼は約束の時間はきっちり守るしイケメンだし真面目で強いしで、どんだけなんだよ!!と強く思いましたので、自分の中で「天は二物を与えず」が「天は大多数の人間には二物を与えず」に変換されました。 ヴィルスが通訳で動きまくってくれてとても助かりました ありがとう!

終わってお別れの会まで時間があったので、土田先輩(写真)とコーヒーを飲みに行きました。外人部隊に入るのが叶わずパリで日本語を教えながら空道を教えている熱意には頭が下がる思いです。パリではモテモテらしいですが、羨ましい限りです。

その後スーパーで買い物していると日本酒の「白鶴」を発見、こちらの物価で5000円程で高級酒のコーナーにあり嬉しかったのですが、初めて飲んだ人に白鶴が日本酒の代表と見られるのも複雑な気がしました。

そしてお別れパーティーへ、会場はもちろん「ボートの小屋」今までの総集編という感じで酒と料理が用意されていました。 関東地区以外の先輩方とは、公式行事の武道家的部分の時しか接する機会が無いので狐崎支部長、神山支部長の歌われるている姿を拝見したり貴重な体験が出来ました。

終わってみればあっと言う間に過ぎた6日間でしたが、日本で指導していると感じられなくなっている「強くなりたい」という根本的気持ちと真剣さを改めて思い出させてもらいました。
指導内容も今の道場生に合わせて軽くしていたのですが、少しだけ無理してもらう事も必要なんじゃないかと・・・出稽古で来た他支部の人に「もっとキツイと思ってました」などと二度と言わせないぐらいにはしていこうと強く感じました。

最後に、この遠征に声をかけていただいた先生、事務局長、ありがとうございました。 そして狐崎支部長、神山支部長、土田先輩、リトアニアの道場生の皆さん大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。押忍

清水和磨(総本部)

更新日2012.5.30

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