インド遠征の報告鈴木清治

押忍。石巻支部・鈴木清治です。この度のインド遠征の報告を致します。

10月19日(水)

前日、空港近くのホテルに泊まり、朝8:00成田空港へ。久しぶりの海外遠征という事で気分はそわそわ上の空です。そこへまずは日進支部の神山歩未・喜未先輩がやってきました。その後関西本部の山田さん、続けて東塾長と由美子さんがやってきて、いざ、インドへ向け出発。手続きを済ませラウンジで軽く1杯飲んだ後(昼間から飲めるのは遠征ならではですね)、インドへ向けて11:30フライト。機内ではheinekenビールとワインを飲みながらボリウッド(※)を鑑賞し長時間のフライトもあっという間でした。

※ボリウッド:インド映画はムンバイ(旧ボンベイ)が中心の為、ハリウッドに倣ってこう呼ばれます。華やかな歌と踊りの恋愛ものが主流。「ムトゥ 踊るマハラジャ」や「♪GOLAGOLA(映画「ASHOK」)」のキレのあるダンスが日本でも話題となりました。

インドのデリーにて乗継、目的地ムンバイへ現地時間21:30頃到着(時差3.5h遅れなので日本時間では20日の午前1:00頃)。
空港の外では代表・今回の遠征の仕掛け人となるメハルとサンディープ、他一人(名前忘れた)の歓迎を受けました。この3人の方々に今回の旅のサポートをしていただきました。
ホテルに到着後軽い食事とking fisherビールでまずは乾杯。

今回の遠征は、Akshay  Kumarさんというインドの人気アクションスターがスポンサーとなった少年部の空手大会(4日間で出場者7000人!!メハルは空手の師範であり、この大会のチーフ・テクニカルディレクター)のイベントの中で、大会最終日に「空道」が紹介され、我々は彼らの前で演武を行い、空道の技術セミナーをする事が目的です。※後に空道連盟へ彼らの団体が加入するという前提です。

20日(木)

朝食前にホテルの屋上のレクリエーションルームで打ち合わせを行いました。まずは先生の英語による号令で基本の指導のチェック。その後は演武の内容のチェックです。
出発前から相方の山田クンと相談していましたが、自分達は神山先輩の様に綿密で細かい技の攻防はまず無理だから(笑)ガチで打ち合おうと決めていました。ただその中でも極め技は決めておけ、と先生に言われましたのでお互いの攻撃パターンをまずは模索。午前中に近所をブラリ散歩した後、車で日本総領事館へと向かいました。
まずはレストランで昼食とビール。サンディープがインド式の食べ方を教えてくれました。マネして自分もアイスを右手で食べたら「素手で食べるのはインド料理だけだよ」と突っ込まれる。
その後総領事館へ。自分はビールがちょっと残った赤ら顔でヤバイなと思いつつも話し合いは和やかに終わりました。この時お話をした持田さんは後日演武会を見に来て下さいました。
それからムンバイ市内を観光。1911年にイギリス国王と王妃が訪問したのを記念して造られたインド門、そのすぐ近くに建つインドを代表する高級ホテル「タージ・ マハルホテル」(2008年11月26日のムンバイ同時多発テロによりテロリストに占拠されたくさんの犠牲者が出たそうです)等を見学しました。
観光客と見るやすぐに物乞いの子供が寄ってきます。子供の訴えかける様な視線には弱い自分なので強く追い払う事が出来ないんですね〜(汗)。インドが抱える問題を垣間見た気がしました(とりあえずキャンディだけはあげました)。
いろいろあちこち見学した後、教会へと行きました。自分の欲しい物の形をしたロウソク(ロウ細工)をお供え(後で燃やすのかな?)すると願いが叶うのだそうです(?)。とりあえず自分は、震災でまだ壊れたまんまの実家が早く修理(どうせなら建て直し)出来ますように、の願いを込めて家の形のロウソクをお供えしてきました。
山田クンは黄金の左ミドル会得の為に左足のロウソクを、先生は飛行機(自家用ジェット機!)をそれぞれお供えしてきました。
この後も彼らはいろいろ私たちに観光させたかったみたいですが、もう体力の限界がきていたので丁重にお断りしてこの日はここで終了となりました。断った後のサンディープの本当にションボリした顔が印象的でした。
夜も遅い時間でしたが、まだ大会の方は行われているので空手会場の方を下見に行きました。自分は昔伝統空手をしていたので懐かしい光景でしたね。
この夜はレストランにて夕食。帰って就寝。

21日(金)

朝食の後、この日も屋上にて演武の練習。攻撃パターンをお互い決めたので、それを反復練習しました。最後のキメはインド人受けしそうな大技を取り入れてみました(後ろ廻し2連発空振り→掴んでカカト落とし→三角絞め)。
この日のランチはオート(三輪タクシー、昔のミゼットに屋根を付けた感じ)に乗ってシーフードレストランへと行きました。
そろそろ日本食が恋しくなってきた頃だったので、夜はみんなで街で買い物した後に日本料理(風?)のレストランでディナーとなりました。

22日(土)

この日はセミナーと演武があり、今回の遠征で一番重要な日です。
14時からセミナー開始。生徒は300人といった所でしょうか。我々は東先生の号令の下、舞台の上から基本の動作を行って見せました。
生徒たちの動きを見ると、やはり伝統空手特有の引手を腰や水月の位置に持ってくる構えの人が多く見られました。フック・アッパーや膝蹴り等はポイント制の空手には無い技なので、非常に興味深深な様子です。
一通り基本をやって見せた後、この後の演武会で披露する技の攻防をやって見せたら驚きの歓声が上がり好感触でした。

一旦ホテルへ戻った後、夕方からまた同じ会場で今度は演武会です。
まず初めにインドのスター、クマル氏が来場し、途端に会場は割れんばかりの大歓声に包まれます。完全に我々はアウェーな状況です。
大会で入賞した子供たちの表彰式の後、演武会の始まりです。空道の紹介・演武は一番最初です。
神山姉妹の“高度な”技の攻防の演武の後、次はソー・セージ(壮+清治 笑)組による“ほぼガチ”スパーの演武です。
少々アドリブも入りましたが、打ち合わせ通りに出来たと思います。ただ、本気で殴り合う自分達の組手は、型しか知らない人の眼にはどう映ったのか(歓声と微妙な空気が入り混じり)少し不安でした。

自分達の後は伝統空手、アクロバティックな棒・剣術、上地流みたいな人たちの演武がありました。
ベント終了後は子供たちから写真をせがまれ暫く身動きが取れませんでしたが、何とか脱出して会場を後にしました。
ホテルで着替えてから今度は打ち上げ会場へ。 会場は音楽が流れ、ディスコと化していました。ここでダンサー喜未さんの登場!彼女のダンスで会場は大いに盛り上がりました。
自分はビールを飲みながらギャラリーを決め込んでいたら、インドの青年団に誘われ、自分もダンスの輪の中に・・・。“デスコ”なんて暫く行って無かったからちょっと戸惑いましたが、即興で適当な振り付けで踊ってみせたら何かウケたみたいです。「ボリウッド」でもそうですが、インド人ってホントにダンスが好きなんですね〜。
最後の締めはメハルが東先生に向かい右手を挙げ、選手宣誓の様にスピーチしていました(決意表明でしょうか。先生に宣誓〜!)

23日(日)

この日は朝食の後、オートに乗ってムンバイの街中へ買い物に行きました。山田クンは民族衣装を買いましたが、これが物凄く似合っていました(笑)さすが東南アジア育ち。
夜はメハルの友人のホテルを貸し切って、カラオケパーティをしました。

※ムンバイ市内ではカラオケ付のお店はある事はあるが、隔日営業でこの日は営業日では無かった為、カラオケ付マイク(英語曲が約500曲)をTVに繋いでのカラオケとなりました。

サンディープの奥さんがノリノリで、ほぼ彼女の一人舞台となりました。ご機嫌を損ねない様に注意しながら、合間合間にしっかりと自分も歌でアピールしました。 東先生の「マイ・ウェイ」も久しぶりに聞く事が出来ました。 歌にあるように、先生にはこれからもずっと、信じた道を突き進んで行ってほしいと思います。

24日(月)

明け方、猛烈な腹痛と下痢に襲われる。 前日飲んだウィスキー水割りの水か氷にあたったのか、ここまで注意してきただけに不覚でした。身体の節々(ふすぶす:東北弁)も痛くてどうやら風邪もひいてしまったようです。
朝食は軽く食べて、出かけるまではTVでドラえもんやキテレツ大百科を見ながら大人しく過ごしました。
試合を控えた山田クンはジムへトレーニングしに行きました。体調さえ良ければ自分も付き合いたかったのですが、ゴメン。
この日の午前中はムンバイを北上し、郊外にある「Sanjay Gandhi国立公園」内にある「Kanheri caves(石窟)」へ観光に行きました。インドにはこういった石窟寺院群(ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教など)が数多くあり、ここはその数ある中の一つです。
♪インドの山奥で、修行をして〜♪
・・・と、レインボーマン(1970年代頃の特撮ヒーロー)の歌に出てきそうな山の中にあり、入り口ではたくさんの猿に出迎えられます。油断すると荷物を盗られます。
山の頂上近くまで汗だくになりながら登り、その後売店の「ミリンダ(懐かしい〜)」を飲みながら休憩。

遠征最後の夜は、前日と同じホテルでサヨナラパーティをしました。 メハルの友人のギタリスト(流しのおっさん)も来て、インド最後の夜は楽しく過ぎていきました。
ホテルへ帰る途中に病院に寄っていただき薬を貰いました。日本から持っていった薬はあまり効果が無かったのですが、やはりインドの風邪と下痢にはインドの薬が一番効いた気がします。(・・・たぶん)

25日(火)

時間まで街で最後の買い物をした後、荷物をまとめ空港へ。
お世話になった方々にお別れを言ってムンバイを発つ。
皆さん、本当にありがとう。また会いましょう!

デリーに到着し、乗り換え。
荷物を預ける時にさんざんたらい回しにされて出発時間も押し迫り、おまけに自分が出国審査されている最中に担当のターバン親父が何を言ってるか解らないまま目の前からいなくなり(汗!)キョドっていたら歩未先輩が助けに来てくれました(スイマセン)。何でも時間になったので帰ったそうです(ふざけんなバカヤロー!)
そんなこんなでなんとかギリギリセーフで無事インドを発ち、26日朝8:00に日本へと帰ってきました。
最後に自分にとって6年ぶりの海外遠征となりましたが、今回も貴重な経験をさせていただきました。東先生を始め、関係者の方々に深く感謝致します。
共に過ごした壮くん、歩未先輩、喜未先輩、由美子さん、いろいろとお世話になりました。本当にありがとうございました。後半になって自分が体調崩してしまったり、何かと気を使わせてしまってスイマセンでした。
今回の遠征を終えて感じた事は、国や文化の違いはあっても同じ価値観を持った人はいっぱいいるんだ、という事です。そしてやはり言葉の壁を痛感しました。皆さん話せる方ばかりだったので頼り切りでしたが、それと同時に自分の無力さを感じました。まずは出来る事から始めていきたいと思います。
今年は3.11からいろいろありましたが、狭くなっていた自分の視野を広げられるきっかけになったと思います。
今回の経験を基に、これから自分が本当の意味で力となれるよう、また日々努力していきます。オワリ。押忍

鈴木清治(石巻支部)

更新日2011.11.4

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