6泊7日事務方インド遠征記東由美子

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遠征不安ピーク<インド遠征出発まで>

出発前から不安が募る。‘アジア’ ‘インド’ということからそれなりの曖昧さは覚悟していたものの、既に出発前から山あり谷ありで、日本にいながらインド流に振り回されている内に、6泊7日のロングジャーニーの決行に。

まず、セミナーの期間・日程は度々変わり、そして、今回の、4日間の会期中3〜4000人の選手が出場し、7000人もの観客動員見込み、というほどの大規模な大会や、300人も参加のセミナー、6名分の全渡航費を先方が負担、塾長はビジネスクラスにするということ、等々、塾長の感触としても、「どこまで信頼できるか」と少々不安でした。というのも、現在、インドにはタミルナードゥ州というところに支部がありますが、「いまいち活動が見えてこない」ということもあり・・・。

そしてもう一点。ただ漠然と、‘何か’が起こりそうな予感・・・。と、いうのも、インドビザの取得時に早速のことでしたが、取得予定日に申請センターに向かうと、壮さんのビザだけ理由もなしに躊躇されてしまい・・・。「はて、なぜ壮さんだけが・・・」となってしまうところですが、ここで、遠征準備を助けてもらっていた事務局長の一喝(於:ビザ申請センター)によって無事取得成功、ということもありました。申請センターの窓口を見渡すと、どこも口論をしてわめいている様子。そこからして当局の対応もさながらですが、それよりも何より、事務局長の国際性に驚愕と感謝でした(笑)

数々の不安を胸に (19日)

そうこうして、ようやく、出発日を迎えます。

AKSHAY KUMAR(アクシャイ クマール)様

そもそも今大会は、インドのメハル支部長(仮;支部認可手続き中)から一通の招待メールが届き実現されました。「・・・・・・・・日本でいうならSonny  Chiba(※後述)のような、インドのビッグなボリウッドスター(‘ハリウッド’にちなんで、世界一の映画製作数を誇る‘ンベイ’とかけてこう呼ばれる)の‘Akshay  Kumar’が長を務める(のちに、スポンサーと判明)本団体のビッグな大会にぜひ来ていただけませんか!参加選手の宿泊費食費はすべて当方で負担しており、全3000人参加予定で、観客は・・・・・・」というメールからでした。

年代柄、かつ無知な私はピンと来ず、「SONY?千葉県?」などと誤った憶測をしながら、‘Akshay Kumar’氏を検索し、驚き、続いて‘SONNY  CHIBA’氏にたどり着き、まったく何も知らなかった私もようやくそこで学び、「すごーい!かなり大きな大会なのでは!?」と、ここで気が付いた次第でした。

※俳優千葉真一さんのハリウッドでの英名。空手を使ったハリウッド映画にアクションスターとして多く出演。

その後、メハル支部長と交信を続けていると、「今回の大道塾との絡みから、今後のアクシャイの映画でも使えたらと思っている」と来た。実際に、インドの映画誌や新聞の記事を追ってみると、「今は空道に興味を持っている。」等の本人の発言などがちらちら。飛行機に乗って機内誌のボリウッド映画欄を見てみると、掲載されている1/3ほどの映画にアクシャイ氏が主演。思わず見てみると、これが、結末が予想できてしまう簡単なストーリーなのにも関わらず面白いので、飛行機を降りてから歩未さん喜未さんと、「どの映画見ましたー?」と、キャピキャピと感動を分かち合いました。ガールズがいると遠征も一味変わりますね。

インド支部長と初対面、ドキドキ(20日)

塾長も私も多少不信感を抱きながらの初対面。話してみるととても話のうまい方で、ホテルに着き、簡単に翌日の打ち合わせも含め夕食を済ませると、到着後の一杯と、たくさんの美辞麗句が相まって塾長もだいぶ喜び顔。なんだか単純・・・(笑)

詰め込みインド初日 (21日)

7:00AM、ホテル屋上で朝練。翌日のセミナーに備えて基本稽古のポイントをおさらい。ここで、「英語でやってみるか」との塾長の新しい試みで、且つ、ムンバイ市街を見下ろせる屋上でハトに囲まれながらの基本。なんだかとても壮大な朝練に思えました。

そのあと観光へ。何箇所か断らせていただきながらも数々のハードスケジュール(笑)をこなし、夕方になる頃には、皆さんぐったりで無口に。メハル支部長のサポートをしていたサンディープさん(実質の事務局長。通称サンディー)のご厚意とは十分に理解していたので、感謝しつつも、それを上回る過密さでした。

終了後、予てからアポイントを取っていた領事館に表敬訪問。総領事を始め、他2名の領事の方と接見し、1時間ほど空道を紹介。DVDなどをお土産に、翌々日の演武にもご招待。個人的な感触としては、来ていただけたら大変光栄だけれども、難しいかなぁ・・・。

分岐点

20:00、大会会場へ移動。大道塾一行は正面の来賓席へ案内され、紹介のスピーチの後、見学。21:30夕食。このころ、大会会場を出た後からメハル支部長、サンディーさんの様子がなんだかワタワタと急変。メハル支部長は運転中にもあちこちへ電話をし、あまり良さそうではない空気に。事情は複雑ですが、現在の団体から空道連盟に加盟・転向するにあたり、役員かつ重役の二人が抜けることのダメージは大きい様子。当局としてはなんとか引き止めたい一心の一方、本人達は空道に心酔し、「今が革命の時!」「空道が光を!」と、決意を新たにしていた瞬間です。
その表情や目の輝きを見ながら、空道に関わろうとする一人の個人史の大きな分岐点に立ち会っていることに心が熱くなりました。

「翌日の演武に備えて・・・」

屋上練習2日目。歩未さんと喜未さんの翌日の演武に、私のアナウンスも付けてリハーサル。演武がかっこいーのでワクワクが募ります。壮さんと清治さんも塾長の解説に合わせてリハーサルです。

  

この日も観光が予定されていましたが、「翌日に備えて・・・」という理由から、サンディーさんの悲しそうな目を敢えてかわし、半日フリータイムとしました。昼食も日本からの6名のみで取り、特徴的なインド訛りの英語からも、インドテイストの辛い食べ物からもしばし解放され、皆さん、ようやく肩の力を抜いてのリラックスムードとなりました。今回の遠征は人数が6名と多いことからも、各人各様、多種多様な話題が飛び交い、皆さんの豊かなキャラクターがぶつかり合います。まったくもって本当に、です(笑)

その後サンディーさん達と合流し、3時間ほどのショッピング。夕食後、ホテル着23:00。0:30AM、メハル支部長が部屋へ訪ねてきて、翌日の打ち合わせ、その他事務処理事項が始まる。「5分で終わります」のはずが、はや1時間経過、そして結局、1時間半かかりようやく終了、2:30AM就寝。

ようやくこの日 (22日)

この日は昼からセミナー。参加は250名程度。打ち合わせ・予定していたセミナー形式とは大分異なっていた上、少年部が多数を占めていたので、臨機応変に手法を調整し無事終了。終了するや、指導員の皆さんと写真を取ろうと、参加者の行列ができていました。

本来ならここで「お疲れ様でーす!」となるところですが、この後、ホテルに戻り約20分間の後すぐに、またこの会場(車で40分程)へ戻っての演武も控えているので、まだ皆さんには緊張感が漂います。歩未さんも、セミナー後半で体調が優れなくなり、終了後には顔が青ざめる程になってしまい、ともかく薬を渡し、塾長からも、たまたま飛行機から持ち帰っていたチョコレートをあげ、「演武は無理するな」という状況に。何よりも体調を心配し不安になるも、ホテルでの滞在時間、わずか20分間で無事回復。心からホッとした瞬間。仲良し姉妹の喜未さんの存在に感謝。歩未さんの精神力にも脱帽。

演武(1)

喜んでいる間もなくすぐ、塾長の挨拶と4名の演武を控えた表彰式へと再度会場へ向かう。表彰式のシナリオも打ち合わせとは大分異なって進む中、塾長と、英語にヒンディー語が入り混じり、さらにハウリングして聞き取れない会場のアナウンスに必死に耳を傾け、いつかいつかと出番を探り、気が付くと塾長にマイクが向けられ、また気が付いたら大道塾の演武が、とバタバタと始まりました。

女性の演武で、且つ、喜未さん曰くの、‘さすが小川英樹先生の演武指導\(^O^)/’によるキレのある演武に、大道塾を初めて生で見ているだろう会場の観衆からは大喝采となり、演武解説をしながら見ていた私は、そのかっこいい歩未さんと喜未さんに拍手を送りながら、なぜか私まで「へへ」と誇らしくなってしまうほどでした(笑)

演武(2)

続いて清治さんと壮さんの演武。関心の高まりからか、会場が静まり返った中、塾長解説の下で演武開始です。壇上の正面席にいた私は写真を撮りつつも、来場して下さった在ムンバイ日本領事館の総領事に空道のセールストークをしながらお二人の演武を見守りました。総領事は、表敬訪問の際の説明から想像していたスポーツとは大分かけ離れていたようで、かなり高揚し楽しんでおられました。

ショーケース(!?)

夜はインド式のパーティー。会場に入るやハイテンポなヒンディー音楽が耳に飛び込み、その瞬間、「おや、喜未さんの目つきが変わったかなー☆」と思っていると、予想は的中、まもなく裸足で駆けだして、喜未さんの大フィーバーナイトとなりました。

喜未さんから、初の海外と聞いていましたが、きっと、インドに移住したとしても難なく楽しく毎日を過ごせるに違いない、と確信しました。そして、ダンスバトルに参戦した清次さんも、もしかすると清治さんもインド移住できるかも?!と思うくらいフィーバーし、ダンスバトルの軍配は、紅一点だった喜未さんに上がっていたようでしたが、また皆さんの意外な一面を発見し、一つのショーケースのように心から楽しませてもらった夜でした。

  
オープントーナメント (23日)

数日前の買い物時には諸々の事情により、あまり買い物を楽しめなかったため、「仕事をしてるから行って来い」と言い張る塾長をホテルに残し、5人でローカル&チープなお買い物に出ました。一番印象的だったのはおそらく・・・、壮さんの七変化です。何を着ても似合う(?!)んですね、さすがです。

夜は持ち込みカラオケでパーティー。毎晩主役争いが過熱していきます。「ダンス、ダンスー♪」と意気込んでいる喜未さん、歌って踊れる清治さん、そして、ここに突如本領発揮し、全員驚愕の歌声の持ち主、サンディーの奥様。前半戦は清治さんVSサンディー夫妻。追っかけっこのようなマイク争いでお互い一歩も譲らず。そこに、乗れるリズムを体が感知した途端にダンスフロアーと全関心を一手にしてしまう喜未さん。そしてどこからか始まっていた、折り紙の会。

どんどんヒートアップしていく中、塾長は・・・、と言えば、歌える曲リストを一人黙々と作成し、最後に「どうだっ!」と自慢。と、なぜか拍手喝采。まさにオープントーナメントでした。
翌日はなんと‘ギターマン’まで来てしまうとか(笑)
ここでまた、エレキギター弾きの清治さんに期待が集まりますが、きっと、震災の影響(清治さんは石巻支部所属です)で、「大会後初めて着た道着」ということで疲労困憊されたこともあるのだと思いますが、パーティー終了後、清治さんは体調の不調から病院へ・・・。

最後の頑張りどころ (24日)

清治さんは、大事には至らずですが明らかに体調が悪そうで、他の皆さんも昨晩のオープントーナメントの疲れから(?)大分グッタリです。(壮さんは変わらず元気そうでしたが・・・(笑))

観光の締めは、ムンバイ中心部から車で1時間ほど離れた国立公園内の石窟群。車から降り立ち、ここで頭角を現すのが、文化人類学が専門の歩未さんです。案内板を見ている時点から目がキラキラと輝いています。石窟の前では感情のこもった説明をし、国立公園内で生活をしている先住民族についても深い理解を示し、まるで歩く知識大辞典のようでした。何も分からずに「へぇー、すごーい」と思って見ているよりも、背景や歴史を聞きながらの方が断然感動が深まります。数時間の険しい山登りのはずが楽しく進めました。感謝&尊敬です。

最後の収穫

夜のお別れパーティーは、メハル支部長の友人が保有する会員制のホテルの屋上というロケーションです。ここでは噂の‘ギターマン’がリクエストに応え次々に曲を弾き、喜未さんも、「今日は最後だぁー!」と張り切って、踊れるスペースを確保しようと・・・、が、見つからず断念、同時に私もがっかり。

ここで、使命感の強い清治さんが、きっと熱があるにも関わらず、塾長の期待(暗黙のプレッシャー)に応える為、ギターを披露。この日の清次さんには長淵剛さんが乗り移っていました。ただ、‘ギターマン’の手前、ましてやギターも使わせてもらって弾くので、やはり気を遣わざるを得ず、長淵ライブは第一幕のみで終了となりました。それでも、またも国際宴会部長の大活躍となりました。

  

宴もたけなわ、ここで突如として仕事の中核に戻ります。前日のセミナー中にメハル支部長から紹介を受けて、この時を待ち侘びていたのですが、ムンバイ市の属するマハラシュトラ州のオリンピック委員会の委員の方がようやくこのとき見えました。空道の、オリンピック及びワールドゲームスへ参加実現のためのアドバイスを踏まえたPR会議が、パーティー会場の一室(とは言えガラス張り・・・)で行われました。

委員として‘アドバイスをする’ というような、一方的な指導のような話の終りしなに、塾長が、「空道がワールドゲームスに参加できる可能性は高い」ことを示唆すると、途端、少し上からだった対応が、「なんだーっ、そんな段階まで来ているんですかー!それは凄いじゃないですか!!」と、塾長と肩を抱き合い、急に打ちとけた空気に。ワールドゲームスの知名度と威力を目の当たりにし、一瞬でこんなにも事が変わるなんて、と嬉しい驚きでした。最後の収穫に塾長も満足気でした。

飲んで歌って踊って、と絵にかいたようなお別れパーティーをもって、6泊7日のロングジャーニーはようやく幕を閉じました。

インドでの最後は・・・(25日)

と、なるはずが、翌日の帰国日。飛行機のチャックイン時に、エージェント同志の言い分の食い違い(日本では起こりがたい状況だったと思いますが・・・)で、あちこちたらい回しにされ、出発時間が刻一刻と迫り、結局、‘予想通り’、6人で全力疾走させられ、飛行機のドアが閉まる5分前に駆け込み搭乗。「もーっ!」と思いながらも、今後のインド支部の発展を期待すれば、塾長も、「兎に角、それなりの成果があったからいいか」という一言で怒りを納め、デリーで乗り継ぎ、無事成田に帰国。

終わりに

11月の北斗旗無差別およびジュニア大会を目前に控える中での、一ヶ国に一週間も滞在という遠征だったため大変もどかしく、当然塾長はなおさらのことだったと思いますが、留守中やきもきしながら大会準備を進めてくれた総本部事務局の方々、また、ご理解ご協力してくださった皆様に心より感謝いたします。

そして、私にまで常に気を遣い、空道精神を貫きつつもガールズを結成、楽しませて下さった歩未さん、喜未さん、体調を崩してまで本領を発揮して下さった清治さん、場を和ませて皆さんに気を配って下さった壮さん、どうも有難うございました。今後も皆様のご活躍をお祈りして締めの言葉とさせて頂きます。おつかれさまでした!

東由美子(総本部事務局)

更新日2011.12.4

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