topアルメニアひとり旅(仮題)

8月6日 | 8月7日-8日 | 8月9日 | 8月10日-12日 | 遠征画像

8月7日

02:30着 05:00就寝 05:30寝付けないのでメールチェック
08:10-09:00 朝食。
09:20-09:45 仮眠。10:00会場へ
支部長はパソコン関係の会社を経営しているKAREN  BAGYAN(カレン バギャン)で指導員として、TROGYAN(トロジャン)がいる。少年部が中心で、今の所大人は数人しかいないが、彼等は「ただ強い選手を育てるのが目的ではなく、日本のように小さいが世界に伍している国を作りたい。それには日本がそうであるように(私の考えでは、正確には「そうだった」のだが)武道を通じて教育をするのが一番だと思っています」という信念で指導している。
選手クラスがいないのは寂しい所だが、支部として認可されたなら、そっちにも手を伸ばすとの事。

13:00セミナー終了。
15:30−中華レストラン。 部屋に戻ってメールチェック。
18:30 典型的なアルメニアレストランで夕食。旧ロシアの国々はみんなロシア料理に似たような感じだが、ここの国の料理は全体的に、それ程脂っこくなく、シツコクないので、日本人の口に合うかも。
20:00 部屋に戻り24:00まで数ヶ国からセミナーの問い合わせに返事を打つ。

左がカレンバギャン支部長、右がトロジャン指導員
>左がカレンバギャン支部長、右がトロジャン指導員

8月8日

04:00-07:00 メールチェック 昨日の返事メールへの更なる質問への返事。
11:00セミナー 13:00から組手審査。 13:30終了
例年この盆休み前は、「体調の良い、好きな5月」以来の練習の疲れの蓄積に加えて、合宿が毎週末にあるので、背中が岩のようになる。これ以上になると持病の“魔女の一撃(一突き)”(ドイツ語ではギックリ腰をこう呼ぶそうだ。なるほど!)が虎視眈々(洒落か?)と狙っているので要注意だ。宿に帰る途中でマッサージを受ける。

16:00 観光に向かおうとすると、イランの新しい支部長候補のMOHAMMED SHARIALI(シャリアリ)が、「24時間バスに揺られて」今着きました!!と電話が入るので、彼が泊まるイラン系のホテルに戻る。
イランの前支部長は認可当初こそ20人ほど登録したが、その後は全くしなくなった。日本の塾生でも「イランが支部だというが、世界大会には来ないし本当なのかな?」位に思っているものも結構いたと思う。
数年前にコノネンコがテレビのシリーズ番組、“GREAT JOURNEY(グレートジャーニー)”の通訳兼ガードでテヘランを訪れた際には「いま1万5千人いる」と誓約書に肘を付きながら豪語したそうだ。支部認可した10年前から何度も「弟子が世界大会に出られなかったり、昇級、昇段できなくて、可愛そうだから、キチンと登録しろ」とか、果ては「黒帯を勝手に発行するな」等と、小学校の校長という立場にいる人間だからと考えられないくらいに温厚な警告をしたにも関らず、逆にそれで舐めたのか、全く返答しないでいてこの有様だ。
私は自分が大して立派なん人間だとは決して思えないので(読む方がそう変に納得されても困るが・・笑) 「破門」等という事は余りに酷いケースでしかしたことはないが、これはその少ない例だ。
その「立派に破門された(!)」稀な例である、MAJID BAGAHDANIAからはこのところ、毎日のように、執拗に嫌がらせのメールが来ているし、いまだに国内では自分が支部長だなどと、私との昔のツーショットの写真をデカデカと格闘技雑誌や新聞に載せている。
そんな訳で、既に1月のUAEのセミナーで新しい支部長候補になっているMOHAMMED SHARIALI(シャリアリ)がいまだにイラン国内で支部長を僭称しているMAJID対策を相談するために来たのだ。法的にも決着が付いていることなのだが(「馬鹿に付ける薬はない」とも思うが・・・・)、メールや郵便ですら中々届かない国なので、明日改めて会って、通訳を交えて書類を手渡しすることにして一旦別れる。

18:00観光 その後、紀元1世紀に建てられたというパンテノンや(彼等は「こっちの方がギリシャより古い」と胸を張る)、トルコの影響で周りが殆どイスラムの中にあって、奇跡的にキリスト教(国教にしたのはこの国が初めてらしい)のこの国は信仰が厚い。5、6世紀に栄えた文字通り“一枚岩”を刳り貫いた教会!等、「どうしてこんなことが出来たんだ?」というような名所史跡がある。
その後、口癖のように言う「今はトルコに取られて小さな国になったが、昔はカスピ海から黒海までが我々の国だった」頃から、「この国の誇り」だったアララト山(ノアの箱根伝説)と並んで、これまた国の誇りであるセデック湖を見せたいと言う。すぐ近いのだろうと、気軽に返事をしたなら何とそれから約1時間半掛かって、いくら夜が遅い(昼が長い)ヨーロッパとはいえ、さすがに10時過ぎれば真っ暗になった湖畔に着いた。しかも世界で二番目に高地にある(標高1600Mとか)湖とあって、照り付けるような日中と打って変って肌寒い。早々に帰った方が良いとなって一路YEREBAN(エレバン)に。
23:00  時間が時間だしと心配したが、寿司バーが開いていたのでお礼の意味で招待となった。おかしなもので、肉料理では「良くこんなに食べられるものだ!」と感心する彼等だが、寿司は苦手と見えて(箸を使うストレスがそうさせるのだろうが)一人前5,6カンの寿司も、「お腹が一杯」と残す。せっかく高い料理なのに・・・。
01:00就寝

折角奮発して寿司を振舞ったのに・・・・。
折角奮発して寿司を振舞ったのに・・・・。

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