エストニア遠征
エストニア遠征記高橋英明(新宿支部)※本文内画像含む

3月30日(土)に、エストニアの首都タリン市で空道専用体育館(他の格闘技団体やスポーツにも開放はするとのことですが)のオープンセレモニーがあること、それと併せて、前日に東西ヨーロッパの支部の懇談会とセミナーおよび昇段審査を実施するということで、招待を受け、タリンに行ってきました。日本からの参加メンバーは、事前に公式サイト上で報告されている通りです。
往きはフィンランド経由でしたが、タリンはフィンランドのヘルシンキから飛行機(プロペラ機:写真)でわずか30分の、バルト海に面した町です。

編集部注:参考 エストニア地図(外務省HP)

日本を28日の昼に発ち、予定通りに3月28日の17:30に到着して、ゴルベフ支部長らの出迎えを受けました。写真は、宿泊したホテルのエレベータホールです。

軽く夕食をとったあと、約2時間、エストニアのオリンピック委員会コンサルタント、および今回の空道専用体育館の建設に関わった投資家から、ヨーロッパ連盟の設立に関する、それぞれの立場からの意見を聞きました。

翌29日の午前は、参加国(ロシア、ウクライナ、イギリス、モンゴル、日本、エストニア、ベラルーシ。オブザーバーとしてポーランド、スロバキア。)の代表者による懇談会が行われ、東塾長からいくつかの本部提案に対しての説明と質疑応答が行われました。フランスの土田や、イタリアのレッチ、スペインのデイビッド等と再会することを楽しみにしていましたが、旧(西)ヨーロッパからの参加はまったくと言ってよいほどありませんでした。バルカン半島各国からの参加もありませんでした。まだヨーロッパ連盟というものはないので、ヨーロッパ連盟の“総会”というものは開催できないわけですが、それに向けた“懇談会”という意図もあったはずなので、拍子抜けでした。エストニアはEU(欧州連合)に所属する国であり、他のEU諸国からの出入国は容易なのですが、地理的にはロシアの隣、空道の活動面でもロシアとの関係が深い国であり、西ヨーロッパ各国支部との垣根の大きさを改めて強く感じました。

昼食後早々に、翌日にオープニングセレモニーを控えている体育館に向かいましたが、体育館入口のポールには、EU旗、エストニア国旗、タリン市旗、および空道旗が掲揚され、青空の下できれいにはためいていました。

体育館は3階建てで、1階にはサウナを併設した更衣室や数十名程度でパーティーを開催できるホールの他、ヘビーサンドバックが20本近く並んだ練習場、ウェイトトレーニングルーム、その他にも複数の(たくさんあって数え切れなかった)練習場や各種トレーニングルームがあり、赤を基調とした配色の練習場にはいたるところに空道の写真が飾られ、想像をはるかに超えた施設でした。






2階と3階は吹き抜けで試合場2面をとれる試合場となっており、ここを見下ろす位置の3階にも、いくつかの部屋が設けられていました。まだできあがってはいない所でしたが、マッサージルームを備えたVIPルームになるのかと思って見ていました。

その後は、一般部約30名、少年部約20名が参加したセミナーと組手審査を行いました。「1ヶ月ほど前の怪我であまり激しく動けないので、俺は少年部を見るから」と言う塾長に代わり、基本稽古と移動稽古は長田支部長の指導のもと、投げ・グランド・約手は山田支部長の指導のもとで、通訳はコノネンコ支部長が行いました。

組手審査ではフィリポフなどのロシア勢3名が六段に合格しましたが、彼らはまだ35才ですので、このあと規定年数の中で順調に昇段すれば、42才で七段、50才で八段、59才で九段ということになります。そういう塾生が、ロシアには何人もいるということです。15年後には、高段者は日本よりもロシアの方が多いということになる可能性が十分にあります。15年後といっても、1年1年の積み重ねの結果ですので、先の問題ではありません。もっと直近には、7年後に彼らが七段となったとき日本には彼らよりも高段者がはたして何人いるのか、帯順に並んだときに上位をロシアが占めることになってしまわないのか、こういうことも日本の支部長はよく理解しておく必要があります。昇段審査は9名が受けましたが、ロシアの5名は全員合格、ロシア以外では1名が合格しました。ロシアの受験者はよく練習をしているようであり、他の国との差は、ここでも見られました。

写真は、審査結果の発表をしているところです。

翌日の体育館のオープニングレセプションとセレモニーには来賓を含めると500名が参加し、タリン市の副市長なども参加して、時間的にも正確に、滞りなく行われました。
写真は、レセプション前のもので、左端がゴルベフ支部長、右端はこの体育館を建設した投資家の奥様です。

私はセレモニーの終了後、一足先に体育館から空港に直行し、タリンからオランダのアムステルダムに、そこから北京を経由して、31日深夜に帰国しました。翌日には新入社員が入ってきますので、社長としてはなんとしてもこの日の内に帰国しなければなりませんでした。

万が一のことも考えておきましたが、幸い3本のフライト全てがスケジュール通りに飛びました。ただ、そうしたくなかったのですが、北京では乗り継ぎのために一旦入国しなければなりませんでした。アムステルダムからの到着便を下りた後、Transitのための案内カウンターがあって係員が2名いたので、いちおう聞いておくかと思ってどう行ったらよいか聞きましたが、単に矢印で示されていることが答えられただけで、それなら2人もここに置く必要はないだろうと思いながらTransitの矢印を目当てに歩き、All Transitと示されたところまで行ったら、係員からTransit は上の階だと指さされ、上の階への行き方がよくわからなかったので別の空港職員に聞いたら、今度は1回外に出ないといけないと言われ、念のために外に出る前に荷物検査をしている職員にもう一度聞いたら外に出てターミナル3に行けと言われ、そのターミナル3までは外に出てからバスで30分もかかったので、この30分間、PM2.5を吸ってしまいました。空港付近は、500m先は何とか見えても、その先は霧に煙っていました。着陸する際も、高度が200mを切ってやっと地表が見えた程度で、飛行機は有視界飛行ができない状態でした。

またターミナル3は広く、どこがチェックインカウンターか探すのが面倒だったので、これもすぐに空港職員に聞きましたが、北京空港はとにかく広い空港でした。到着ターミナルから出発ターミナルまで1時間近くかかったあと、チェックインカウンターからゲートまでも1時間近くかかり、ここで乗り継ぐ場合は2時間半の余裕時間がないと焦ることになりそうです。幸い今回は2時間半の乗り継ぎ時間がありましたので、途中何度も確認をしながら、慌てずに動くことができました。

さて、このあとのIWGA(国際ワールドゲームズ協会)への加盟、それに先だって必要なスポーツアコード(ウィキペディア記事)への加盟にあたり、ヨーロッパ連盟の設立を進める必要があるかもしれませんが、現状、ロシアを含めたヨーロッパ連盟の設立には、多くの国からの抵抗が予想されます。 武道の団体としてとして、強さだけではなく、他の国からの信頼を得られるような国・組織の品格が重要と感じました。

せっかくですので、タリン市の風景写真をいくつか。朝歩いたホテルの近くの要塞と教会、丘から見下ろしたタリンの旧市街です。遠くには流氷の浮かんだバルト海が見えます。

(編集部注)海岸線の後退で現在は町の中にある要塞



高橋英明(新宿支部)

更新日2013.4.2

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