イラン遠征レポート
イラン遠征五十嵐祐司

今回、イラン武道委員会のモハメド会長と東塾長との間で交わされた直接会談でNOC公認(イランオリンピック委員会)をいただくという空道界にとって、また新たな嬉しい出来事に立ち会うことができた。 まだまだ整備せねばならぬ国内(イラン)事情も多々あったが、こうして一つ一つ受ける国際評価の積み上げが“空道”という武道スポーツを“真の近代スポーツ”として仲間入りさせることに近づき繋がっていくのではないだろうか。

“産みの苦しみ”の裏に“開拓のやりがい”あり。
それには精神、時間、経済的といったあらゆるものを相当数費やす覚悟と信念が必要であり、今回の同行でも未だ未だ変わらず衰えぬ塾長の情熱とブレることのない武道観、世界観、人生観に触れることができたことは個人的なことになるが2012年の地方活動に少なからずとも勇気と希望を頂いた。

東塾長とイラン武道委員会のモハメド会長との公式会談

向かって左よりマハメド事務局長、東塾長、モハメド会長、シャリアリ・イラン支部長

5月にイラン武道委員会が政府支援を受け主催する国際事業「マーシァルアーツ・フェスティバル」への公式参加依頼も受け、過密ともいえる連盟内部の予定(5月度の)を調整した上での最終判断(東塾長の)になるかと察するが、斟酌に値する話ではあると思った。

イスラム圏、しかもその中でも非常に厳格で男尊女卑の強い異質な社会における現地での生活は二年前のエジプト遠征※で味わった教訓とトラウマもあったので、相当、覚悟はしていたが、端的に言うと離国後、数週間で革命が起きた「あのエジプト生活」よりはマシであった。

※参考 2010年エジプト遠征レポート 五十嵐祐司 「出エジプト記 (泣&笑)」

どの国を訪れても入国時というのは常に緊張と高揚が重なる。イラン空港で温かいお出迎えを受け、2日目にイラン革命の最高指導者ホメイニー師が眠るホメイニー廟(墓)へ車で案内され、そこで待ち受けていた大型バス4台から現れたイラン支部塾生の警護を受けながら行った共同参拝までは順風かと思ったが、その後のセミナーや3日目のイラン大会視察、審判指導、4日目の昇段審査では約束時間や行事に対しての遅延、車の接触事故などなどは筆舌に尽くし難く私の中ではお約束ともとれる“後進国シンドローム”も多々あったものの一定の責務は果たせたと思う。

空港で敬意のお花を頂く

イラン支部・塾生たちがタペストリーと共に東塾長を迎える

しかしながら自身の稽古や指導(仕事)を終え、「今日も一日お疲れ」と食事の時間こそ唯一の至福の時であり海外遠征の楽しみであるのに対し、ケバブに代表される肉料理中心且つ油っこい内容に、ビールというものを食文化から抹殺しノンアルやコーラを“のど越し代替え飲料”とし食するしかない日々の環境は半ば拷問に近かった。 国法上、公の場で飲酒が発覚されようものなら、宗教裁判所に連行された後、ムチ打ちの刑に処せられるというため私自身、そしてまた塾長自身もお初となった滞在先における禁酒生活の日々。

地元の気候よりかなり暖かい中、ホテル内のスポーツジムや雑務から解放され異国の地で毎日、気持ち良い稽古ができるせいなのか肉体も張ってくるため「一層、ムチ打ちくらいなら我慢するからビールを飲ませろ!」という思考が吹き零れそうになってきたのは滞在4日目の話。

最後に常々思うことだが“開拓の成功は新たな苦難の始まり”である。復興元年の今年。
日本再生、空道発展の一助となれるように今年も現場第一に気を引き締めて頑張っていきたいと遠征を通して改めて思った。

イラン革命の最高指導者が眠るホメイニー廟に塾生の警護を受け向かう東塾長

セミナー会場前に張られたポスターの前で

ホテルの部屋から望むテヘラン市内は春の訪れが

街中、至る所に掲示されるは、やはりホメイニー師関係のものが多かった

2日目のイランセミナーを終えて

ケバブ専門料理店で

酒はご法度。この日もイランコーラ。

(編集部注 ↓ 「天からビールが降って来た(笑)」の後)

ルームサービスをとって気分は最高!これが近代的で自由な社会の証。 気分がよくなってカラオケ探しをさせたが、この国には一軒もないと聞き凹む。

五十嵐祐司(青森市・三沢・弘前支部)

更新日2012.2.20

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