エジプト・イギリス遠征  >   速報第3弾

速報第3弾

「この続きは試合結果を含めてロンドンで送るつもりだが、さて。」で切ったが、案の定事件は現場で(じゃなく会場で笑)起きた!!!
10:00に迎えに来るというアナスが来ない。ま、この辺は織り込み済みだが組合せもまだしてないからそっちが気になる。30分後にやっと「渋滞が云々」と例によっての言い訳と共に現れて会場へ。後30分後に開会式だと思って会場に入ると、何とマット敷きをしてる!!しかも赤のジョイントマットに青の体操マット怪しげな畳と言う混合でどれでも一種類では試合場は作れない。その組み合わせはパズルをしてるようなものだ泣。その上、昨夜心配した通り選手の計量をまだしてない!!から当然組合せもまだだ!! (先日のメキシコ大会でもその場で作ったが少なくともデータはあった)

マット敷きを手伝っている間にようやく選手の申込用紙が揃った。主催者のアナスにどうするんだと聞くと「塾長私は開会式でデモンストレーションをするから」と全く人任せだ。急遽、一般と18歳以下(五十嵐支部長担当)に分けて身体指数のリストを作る。軽い方から並べて244未満、以上252まで、それ以上と3ブロックに分けて組合せ表を作る、試合番号を振る、少年部と交互にすることにする等々をしていたなら忽ち12:00を過ぎた。その内市長さんがくるとなったならアナスは「後30分後で始めます」何おーこの!!と言いながらこっちも遅くなると夕方ロンドンに戻り文明社会に復帰しよう笑という作戦ができなくなるので、とにかく何とかしなければと事務局長、五十嵐支部長の3人で手分けして時間に何とか間に合わせた。

しかし今度は開会式の式次第がない。しょうがないから事務局長が「All competitors! please line up on the Tatami area 」と即興で選手入場させる。次にアナスが「塾長挨拶」と来たから簡単に済ませたところに市長さんが来た。名刺交換して「空道とは?」とお決まりの説明をして正面に並んで座った。そこでわがアナス先生登場!!!
バラバラ入場して下手くそな笑デモンストレーションをしてバラバラに退場。入場の曲に合わせて一列に並んで入場し「正面と後方に十字礼を切って押忍!の挨拶」。「四方組手」をするなら何とか解説を入れビシっと極めて、「又、整列して同じく整列、挨拶、退場」なら同じ事をしても全くアピールが違うのに・・・・・。1か月ほど前に「初めての大会だから塾長もぜひ演武お願いします」等と言われて少しその気になったが断っておいて良かった笑。(尤もそんな事をしていたなら試合はいつまでも始まらなかったろうが・・・・爆。

さて、試合開始。2,3試合した後で市長さんが色々聞いてきてそれをメモしている。ここで市長にまだ挨拶をして貰ってない事に気付き「アナス、次の試合の後に市長の挨拶だ」と言ってもキョトンとしてる泣 面倒だから司会で来ている人間に直接指示をした。何でも市長さんのお孫さんが柔道をしているらしく、「武道は子供の教育に良いですね。空道の発展に協力します」と挨拶を頂いてアナス先生大満足。

試合そのものは初めての大会だから、推して知るべしで、選手を呼び出しても来ない(組み合わせ表が即席で本部席にしかないから仕方ないが)。どうしたかと思って何度も呼ぶと「シー!今お祈り中です」だと!! 見ると試合会場の端で正座して、例のムスリム(イスラム教の「帰依した者」の意)の礼拝中で試合のことなど眼中にない。やっと終わって試合場に登壇するが今度は来ても青白コーナーが分からず右往左往。次に青帯がない。慌てて正面のバナーの裏に回って濃紺の布を鋏で切って(審判長の私が!!泣)間に合わせた。少年部等は同プロテクターもなしで戦わせる等々ドタバタの連続。通常の2倍は時間がかかった。

試合内容も似たようなものだが、それでも昨年の世界大会を経験しているスペインのDavid と7月のドイツ大会で良い試合をしたその弟子のカミロ(共に1位2位)、イギリス代表で世界大会前に3ヶ月ほど本部で練習し空道の試合を知っているマーク(地元の幹部弟子のアディル・ダッドに決勝で惜敗)や、キックの試合を何度も経験しているネイリの 弟子等々が参加してそこそこの試合をしてくれたから何とか格好がついた(ホッ)。

閉会式の講評で「みんな良く頑張ってくれた。第1回大会は小さな第1歩だがこれからどんどん発展して行くと思う。但し、次の試合に出る選手は待機しておくのが武道をする人間の礼儀だ」と軽く指摘し、アナスにガッチリ説教しようと思っていると、近づいて来たアナスが「jukucho! You happy ?? exciting ya (でしょう)」??」
と来た。「コノー全部人任せにしたくせにぃ!!」と思ったが、完全無垢風の満面の笑みで言われると「まァ、異国の地で空道の種をまいて、ここまで持って来たんだから、後で指摘するにしろ今は何も言わないでおこう」と仏心が出てしまう。アナス先生は無手勝流の達人かもしれない。

また、移住一世であるアナスにとって市長まで来てくれた大会を成功させたという事は、この地で大きな足場を固めたことを意味する。アナスは益々地元で発展するだろう。空道をする人間にはみんな幸せになって欲しいから心から「良かったな、おめでとう」と言いたい。但しこれを書いていた2日の読売新聞にドイツの話だが「移住するムスリムが子供をたくさん産んで子供手当をたくさん受けながらも、ドイツ社会に融合せず自分達のコミュニティを作ってドイツの発展の足かせとなっている」という国民分断の元になっているという記事が出ていた。架空の姻戚関係を作ったり、出稼ぎ外国人が母国に50人子供がいても支給だとかの問題が指摘されている日本でも他人事ではない難しい問題も含んでいる。

閑話休題。11時から2時頃に終わる予定が、そういう事情で終わったのが4時。記念写真などを撮って急いでタクシーに飛び乗ったのが4時半。いざ、ロンドンへ!!
1時間チョイあれば着くはずだが、折しも日曜、ホリディからロンドン市内へ戻る車列に巻き込まれて2時間半掛って6時半にロンドン着。ホテルはビッグベンやウエストミンスター寺院の向かいテムズ川沿いの文字通りの“本物のホテル”(一人で頑張った五十嵐支部長指導員の為にチョッと気を張った五つ星!!) やっと今回の遠征の全部の予定を終了!!!!さぁ〜飲むぞぉー食うぞー!!という感じで、荷物を部屋に入れるとすぐに発進!!エンジン全開!!

近くのVauxhall(ボークスホール)駅まで10分ほど歩いて“オイスターOyster(原義は牡蠣)”という美味しそうな響きの回数券を買って地下鉄のヴィクトリアラインに飛び乗る。実際にこれがあれば地下鉄やバス等々の交通機関は乗り放題だから“美味しい”はあながち嘘じゃない笑(この辺、タクシーでなく回数券という“通”振りたい暗喩をご理解頂きたい笑) 

所が降りる一駅前で少し酔い気味の乗客が立派なギターケース(中身入り)を忘れて行った。急いで出たのではなくホームで他の仲間を探している感じだったから、又車内に戻るんだろうと半ば考えてたのだが・・・・。どうすりゃいいんだ?どこに届けりゃいいんだ?等々と考えながらも、目的駅に着いたので周りの人に説明し取り敢えず降車。その後、爆発したというニュースも聞かないから本当に忘れたんだろうが、高そうなケースだったから忘れた人には人生を変えるほどの大事件になってたのかもしれない。誰かが届けてくれただろうと祈るばかりだ。しかしチラッとロンドンの地下鉄爆破テロの可能性も考え気味が悪かったのは事実で、何かこの所「人を見たなら○○と思え」式な考えになりがちな大都市での思考風潮に染まっているようで何とも複雑な心境だ。

7番目の駅、降りたのはKingsCross(キングスクロス)駅。深いエレベーターの途中の踊り場に、名物の「地下鉄の演奏者(「戦場のバイオリ二スト」じゃないが)がカントリーロードを(ここではギターで)弾き語りして沢山の人から投げ銭されていた。こんな喧噪の代表のような地下鉄の中でも人は郷愁を求めるんだな、と変に納得。地上に上りまずはハリーポッターで有名な「9番と10番の間の9と3/4プラットホーム(http://passatempo.fc2web.com/travels/kings.html)」の撮影ポイントへ直行。所が数年前にはあったはずのそのポイントが見つからない。二人は実際の9番と10番のプラットホームを結構満足して撮りまくっているが、なんか物足りない。近くにいた、駅員なのか一般の親父さんなのか知らないが、に聞いたなら、何ごとか早口でまくし立てる。聞きとれないでいると先に立ってどんどん進むから、着いて行ったなら、有った!!!例の買い物カートが壁に半分消えているシーンの再現だ。2年前来た時はもっと大々的だったのに映画もピークを過ぎたからなのか・・・・・。それでも五十嵐支部長は「これで娘に自慢できます」とニコニコ顔。良かった良かった。

そんなこんなでそろそろ腹が減って来たので(同じキングスクロス駅で)今度はピカデリーラインに乗り3つ目のピカデリーサーカスへ。地上に出てオペラ座をバックに写真。大体行く所は決めていたが一応、前にも行ったジャパンセンターを覗いたなら改修工事かビルの全面にカバーが。それではと近くのロンドン中華街へ向かい目的の日本食レストラン「TOKYO」に辿り着いて、「ま、日本食だろう」を堪能。満足、満足と腹を叩いてとなりの通りを歩いたなら何と"KU"というレストランとバーを発見。いつもならそのまま突入となるのだが、さすがに腹一杯ではそういう気にもならず前進、また前進。

と、今度はその反対側の中華の店で何やら怪しげな動きが!!!出入り口のガラスドアの中で一人の大男が数人のレストラン関係の人間に取り押さえられて顔をボコられてる。羽交い締めにして横から殴っているから結構効くはずだが、いつも言うように酔っているから中々効かない。その上(これもどっかで触れていると思うが)外国人は皮膚が強く脂肪が厚い(肌理が荒い)からか、日本人(恐らく東洋人と言っても良いだろう)等があんな殴り合いをしたならすぐに内出血して顔が腫れるのに、全然そういうようにはならない。よく洋画で男同士が壮絶な殴り合いをして、その後で仲良くなって呑み直し等のシ-ンがあるが、あんな事は顔がすぐに腫れ上がる日本人(東洋人)には中々できない。その為に日本人(東洋人?)は相撲や柔道と言った組む競技が“特に”発達したんじゃないのか? 勿論、西洋にもレスリングがあり東洋にも空手等があるが・・・・。(だから“特に”と留保を入れている)

お陰さまで(何の?)シッカリ動画を撮らせて貰ったから“お宝”になるかも笑。YouTube等に載せたならすぐに数万件のヒット間違いなしだな 爆。それにしてもこういうことを(どういう?)している、関係している人間は、こういうの(喧嘩)が好きなようで、五十嵐支部長はすぐ入り口付近まで近寄って出番を待つようにウロウロいしてるし、事務局長だって「五十嵐さん近寄っちゃだめよ」と言いながらガラス窓に“肉薄”して目を凝らしてる笑。よくこういう場合部外者だからと安心して(面白がって)見ていると「何を見てぁがんだ、このヤロ―。見世物ンじゃねーんだ、この!!」等と(特に劣勢の側から笑)腹立ちまぎれの“とばっちり”を食うから要注意だ。私などはこんな大人しい顔をしているから(ま、賛否両論はさておき)何度もそういう展開になった経験があるから、和戦両様に対応できるように(“戦”にも?)距離を取るようにしていた(天国の母さん心配しないでね)。

というような非常に充実した“ロンドン視察小旅行”を終えて、帰りはこれ又名物の向かい合って乗るロンドンタクシーに乗って12時頃に無事帰還。タクシーに揺られて丁度良い具合に小腹が減ったので、通常はここで“ラーメン”となるのだが、当然ここは池袋じゃないから、そっちこっちにラーメン屋はない。かと言ってバーに行くにも+(プラス)カラオケの店は簡単にないとなればチョッと物足りない(30周年パーティでは“サワリ”しか披露できなかった「My way」をリッチやネイリ、ロバートらにしっかり聞かせようと思ってたのに、ムスリムの宴会にソンな邪道はないからついに唄えずじまいで、来年のモスクワ公演までのお預けとなった。そのうち三人とも仕事を終えた安心からか、好い加減眠くなって来たので健康的に「お休み」となった。

この後の帰国便は、経費節減の為にエジプト経由だからまたあの“恐怖の(ミイラじゃない)”エジプト(※)で一泊してついでに定番のピラミッドと、カイロ市内でナイル川と、エジプト国立博物館の“外観”を背に写真を撮って飛行場へ。エジプトでもだが、この飛行機に乗るまで、乗ってからとこの後も様々なハプニングが続き、始めから終りまで退屈しない今回の遠征だった。書きたいのは山々だが、ついに師走に突入し年末12月のこの忙しい時間を使ってしまうので、五十嵐支部長に「今回のレポートは書き手が少ないんだから、必ず20ページは掛け」と無理難題を与えてここで終わりにしましょう。

※ 本文と全く関係ないが、偶々親父ギャグで使った「恐怖のミイラ」、Googleで引いて見たなら、何と動画が出たー!!!これまで何度引いても出なかったのに!!!!!改めてインターネットは凄いと思った。軽々と数十年の時空を超えて子供時代に運んでくれる(尤も、「未だに子供でしょ」とは隣の人の言葉だが)調子に乗って「高丸菊丸」も引いたが動画は出なかった、残念。

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