ブルガリア遠征(バルカン大会)東由美子(総本部事務局)

16_1この度、ブルガリア遠征に、通訳補助、遠征中のイベント進行やその他諸々のヘルプとして同行させていただきました。どこで必要とされるかは行ってみてから見えてくることが多いので終始気が抜けませんが、その場その場でできる限りのお手伝いを、と思い同行致しました。少しでもお役に立てていたらと思います。

実は、と言わずともですが、遠征中の補助で一番大変なのは、塾長のお世話だったりもします(笑)

10月16日 | 17日 | 18日(大会当日) | 19日 | 20日

10月16日

成田〜パリ、シャルル・ド・ゴール空港

海外遠征で恒例となりつつある、遠征国からの発注物品の携帯ですが、今回はマスクが十数点となりました。塾長と二人、各自のスーツケースや荷物、マスクを詰めた大量の紙袋を抱え、上野発のスカイライナーに乗り込み成田空港へ向かいます。まるで行商のようです。空港で岡さんと合流し荷物をチェックインし、ちょっとした達成感とともに出発です。

22:00と、最終のフライトだったので、空港内でスタンドのコーヒーショップが一軒だけ営業していました。出発前に一息つこうということで、ここで塾長のブルガリア遠征の一杯目(ビール)です。前述の達成感からか、右手にビールを持ち、左手でメロンパンを頬張り、満面の笑みでした。

パリ経由で向かうので、成田〜パリの13時間と長時間の飛行ですが、遠征中起きるであろう不測の事態や、私がどれだけ手伝えるのかなど考えると、ハラハラドキドキしてしまいます。もともとあまりよく眠るほうではないので2〜3時間の仮眠となりました。塾長は、機内後部のドリンクスペースでウイスキーを嗜んでおり、そのうち、そこで出会った合気道を習いに日本に住んでいるというフランス人の青年に、空道を説きながら2時間も立ち飲みをしていました。

このページのトップへ

17日

パリ、シャルル・ド・ゴール空港〜ブルガリア、ソフィア空港

17_1 4:10 a.m.
パリに到着。第一声は、「寒いーっ!」です。
次の乗り継ぎ便まで6時間待ちだったので、朝一番のカフェ(6:30)が開くやいなや入りました。風邪から病み上がりで体調が冴えなかったこともあったので、お腹を温めようとホットミルクを飲みながら体を気遣いました。寒くてブルブル震えていましたが、かたや塾長は、ビールを飲みながらりんごのタルトをおいしそうに食べていたので、食べ合わせがいい訳がないと思いながらも、さすが・・・、です。

機内から見たアルプス山脈

残りの数時間を搭乗口で待っている間、岡さんは翌日の試合に備え、体力を蓄えるため仮眠をとったり集中力を高めたりしています。その静の姿は「かっこいい」という言葉がぴったりでした。選手の方と、遠征に際してこれだけ長い時間を身近にお供することもないので、私も選手の視点からの緊張感を感じ、背筋がピンとなります。がんばってください!と心の中で思い、何か私にもできることを探しました。
“コミュニケーションの第一歩は挨拶から?”と思い、母にメールをしました。
「調べてほしいことがあるんだけど・・・、『こんにちは』『初めまして』『ありがとう』『はい』『いいえ』『おいしい』、それから・・・、あっ!『乾杯』も!ブルガリア語で教えて☆」といった感じで、岡さんと一緒に練習しました。

14:10
ソフィア空港着。ブルガリアのディンコ支部長、ロシア、セルビア、リトアニアの支部長の方々、審判審査を受験する方々が20名程皆さんで迎えてくださっています。到着口で少し出遅れた私が、キョロキョロ辺りを見回して探すと、塾長と岡さんはすでにすっかり取り囲まれていました。ですが、大きな方々の集団だったのですぐに一目で分かりました。その存在感に圧倒され、急にハッと目が覚めました。

4.5時間の車移動でホテルへ

塾長を乗せた車と離れ、大きな15名の方々+ロシアの女子選手ダリヤ・ティモシーナ選手(岡さんに「肩と背中が半端じゃないのよ。」と言われ、見るとほんとにその通りでした)とひしめき合って満杯のマイクロバスに乗り、高速道路上で“標準速度”の時速200キロでホテルへとひた走ります。200キロで飛ばしていたにも関わらず(?)、超大型トラックがゴロンと横転していた衝突事故のための渋滞に巻き込まれたこともあって、4.5時間の恐怖体験となりました。渋滞以外のノンストップ200キロ走行中、寝ようと目をつぶっても、体に伝わる振動から終始胃が浮いているような感じで怖くて眠れませんでした。
19:30、ホテルに着いた時は安心感と疲れでヘナヘナと力が抜けました。

一足早く着いた塾長はというと、心配の種のインターネットは無事に繋がっていてデスクワークもはかどっているようだったので、一安心しました。さらにいつものように、ベッドだと腰がもたないということからベッドに寝ずにタオルやベッドカバーなどで床に寝床をつくる、“塾長オリジナルのベッドメイキング”もベストにできたということで、とても機嫌がよく、ここでやっとホッとすることができました。

ルールミーティング(1hour前後)

20:30
選手の方々が夕食をとっている間、審判の方々を集め、各国でのルールの質問・相談事項を協議し、何点か今後の課題を確認しました。世界大会に向けて、世界全体的に審判員のレベルの向上と基準の統一、それに基づいて十分な人数の育成(日本・ロシア以外の各国で)が主要テーマでした。

岡さんと一緒に聞きながら、塾長へのまとめ事項として議論内容をメモします。人数が多いせいか、ロシア勢の意欲ばかりが目立ち、勢いも圧倒されて、“ロシア支部長会議”のようになっている印象を受けました。
事実、審判の方々の声として、英語での情報が不足しているため、ロシア周辺国は“ロシアの空道Webサイト”を頼らざるを得ない状況、その情報提供をしているロシアも日本からの情報が届かないという状況、があるようでした。提案として、ルールなどをまとめたものに英語を付けて動画で欲しいという要望がありました。その他には、ルールに関しての細かい質問が大半だったので、日本でのルールの厳正さに対応できるように、世界水準の統一と海外勢のルール理解などが重要に思われました。

ウェルカムディナー

21:30
ホテルに併設されているレストランで夕食です。ブルガリアの歌謡歌手の方が席を回って生ライブのようなものをする日のようで、塾長が会話をすることができず、塾長はもとより、ディンコ支部長も、同席している方々も皆さん困り顔でした。そのため、各々が、耳元で大声でどなりあって会話をするような形での食事会となりました。

食事は、一品目のサラダが、フェタチーズ、オリーブ、トマト、きゅうりが大きなボール皿にごろごろと入っていて、チーズもオリーブも野菜も新鮮でおいしく、お腹いっぱいになってしまうぐらいの量です。その場の雰囲気に加えて、次の料理がスローペースでなかなか来ないことから、皆さん徐々にソワソワしてきているようにみえます。次の日試合を控えている岡さんには、食べて少しでも早くゆっくり休んでほしいです・・・、と私もソワソワしていると、そこにすごい量の、大きなカットの牛肉と野菜の鉄板焼きのようなものに、どっさりのフライドポテト、大きな豚肉と野菜の串のフライ、たくさんの牛肉と野菜のトマト煮込みのようなもの、のようにとにかくお肉!が一遍にでてきました。その場に立ち込めていたソワソワ感が一瞬にしてなくなったのでホッとしましたが、同時に、そのすごい量のお肉に圧倒されました。塾長の隣に座っていたロシアのフィリポフさんの食欲にまた驚きました。次から次に鉄板をたいらげていて、ロシアのパワーを見た気がしました。

結局、塾長もその場で指揮をとろうにも、塾長の声でも隣の一人までが限界でどうすることもできなかったので、乾杯数杯を強行して、強引に会の解散となりました。23:30です。

ロシア個別商談(1hour)

ようやく、行きの行程が終わったー!!と思ってエレベーターに向かうと、先生を乗せたエレベーターを追ってロシア幹部の4方もパパーっとエレベーターに乗り込まれたので、「??」と思い、出遅れながらも上に上がると、塾長が私の名を呼んでいます。「えっ、何か事態が!?」と思って塾長の部屋に入ると、部屋の小さなテーブルを先ほどのロシアの4方が囲んで待ち構えています。アナシュキン支部長はようやく得た機会とばかりに目をギラギラとさせ、手帳にびっしり準備してある20項目程もあるチェック事項を確認しています。

塾長と私がテーブルの回りに着くやいなやスタートです。ロシアの支部で起きている現状や課題や要望を聞き、塾長が一つ一つ検討し回答していきます。新しいマスクの機能面での改善提案、衛生面の徹底、経済状況の悪化から、ロシア生徒への金銭的負担の増大という現状を危惧して価格設定の改善提案、今後のロシア支部の予定、ロシアの参加可能大会の確認(念押しのような・・・)、等でした。
アナシュキン支部長はまるで水を得た魚のようにチェック項目を消化していく一方、それを見守るベゼルチャコフさんは眠気から体が右に左に揺れています。アナシュキン支部長のロシア語を英語に訳していくフィリポフさんも、身体に鞭打ってなんとか起きている状態で、鬼の形相です。その表情で迫られると、塾長も私も笑いを堪えきれず噴きだしてしまいました。ゾーリン支部長は半分眠りに入ってしまっています。塾長の目も半分閉じかけながら話に取り組んでいたので、1時間程経過したところでキリがないと見切り、「あと10分で終了だ」と言い切ると、アナシュキン支部長がさらに追い込みをかける、といった状況でした。
2:00 a.m.
部屋に戻るやいなや、ばたんきゅーで眠りにつきました。

このページのトップへ

18日(大会当日)

バルカン大会

6:00 起床。
7:30 朝食。ヨーグルトが絶対に食べたいと思って楽しみにしていたのですが、朝食はハムとチーズとプチパンでした。どれをとっても(バターも)おいしかったのですが、ヨーグルトが食べられずガッカリしました。

8:30 会場へ出発。
前回のブルガリア遠征のときには、時間通りに進まず待ちぼうけが多くあったので、塾長が時間の徹底を念押しした甲斐あってか、予定通りに出発し、感動です。
10:00 大会開始。
私は撮影と岡さんのサポートを務めることにしました。会場の空気に包まれると、アウェーで海外試合に出場することの大変さに気が付き、相当な精神力が必要なことは容易に想像がつきました。そんな試合に挑む岡さんは、と姿を探すと、会場隅でストレッチやシャドーをやってらっしゃいました。集中しているところを邪魔してはいけないし、かといって一人では心細いかもしれないと思って、適度に距離感を保ちながら、何かできることを聞きに行きました。「撮影と時間と、マスクだけお願いしたいです」と頼まれ、マスクを結んだり、選手のセコンドなんて初めてなのでなんだかドキドキしてきます。試合が始まり、塾長のデジカメの撮影をしながら、時間の練習もしてみます。試合は、全般的に決勝になっても、一本勝ちが多くて、時間の練習をするのに苦労しました。片や、何かの参考になればと、岡さんの対戦するロシアのダリヤ選手とブルガリアのニーナ・ジュロバ選手の動きを撮りたいと思って、二人の姿を目で見張っていますが、道着は着ていますが会場内ではまったく練習を見せてくれません。守備が堅くてこちらも一層闘志が湧きました。

試合は、ロシアの選手には延長戦で負けてしまいましたが、ブルガリアの選手には延長で判定勝ちでした。私はただただ「やったー!」とうれしかったのですが、岡さんは、「相手の勢いが止まらず攻めてくるので考える余裕がない」、スラっとしていたブルガリアのニーナ選手でも、「見た目と違いパワーが2階級も上」ということなど、すでに反省材料や次への課題を考えていらっしゃっていて、わたし自身がもっと力になれる応援や感想を言えることができたらな・・・、と申し訳なく感じました。

その他、大会塾長挨拶の訳などもしましたが、公式な場での即時通訳は、一方的であること、公式の言葉を選びながら正確に伝えること、塾長のニュアンスも反映させること(これが難度を高めます)、打ち合わせをしていてもその通りにいかないこと、などから、その心構えと瞬発力が求められました。瞬発力の類は特に自信がないので、練習や経験の積み重ねの重要性を感じました。

一方、テレビ局からのインタビューでの通訳は、レポーターの方と塾長の会話部のみを撮るものだったので、公式度は少し下がって、考えたり、意味を確認したりしながらできます。こういったケースでの課題は、語彙数の増強、特にテクニックやルール、専門知識に関わる単語の理解でした。仏教に関する質問が投げかけられ、専門用語が次々に並び、「その思想と空道のつながりは?」など言われたときは、「そう来るの・・・!?」と、驚きと焦りで手の打ち様がありませんでした。

ブルガリアヨーグルト

試合会場でのお昼休憩中に、サンドイッチの脇になんとなく並んでいたヨーグルトドリンクがありました。あまりおいしそうに見えなかったので特に気にとめていませんでしたが、塾長が「なんか食え」といって、サンドイッチと飲みかけのヨーグルトを持ってきてくれました。ヨーグルトの味を聞くと、「うん・・・(笑)」の一言でしたが、一口飲んでみると、「うん・・・」だったのですが、塩味が後をひいて、気がつくとおいしいヨーグルトでした。

打ち上げ

ホテルへ戻り2、3時間の小休止です。塾長に翌日のスケジュールや帰国便のことなどを話していると、「岡はせっかく仕事の合間縫ってブルガリアに来たのにどこも観光の時間作れなかったから、もし岡の気が乗るようなら、パリで乗り継ぎ待ちの6時間で市内でも一緒に観光して来い」ということになり、塾長のパソコンを借りてパリのいろはをリサーチをします。

18_520:00
地元のクラブのようなところで打ち上げでした。空気がくだけてきて、岡さんから「数カ国回ってみますか?」と言われたので、エストニア、ブルガリア、ハンガリーの方々に挨拶に回ります。その中で、翌日の昇段審査を予定していたブルガリアの選手がいました。右ひじを負傷して包帯で固定していましたが翌日の審査を受けるといって言い張るので、「相談してみたらどうですか?」と、塾長へのコンタクトのタイミングを計っていると、「自分がした怪我のことで、自分が出る審査のことなんて恥ずかしくて相談できないです。大丈夫です、絶対でたいですし。」というので、「いやぁ・・・恐縮ですがあんまり賛同できないです・・・。塾長に相談したら、なにか他の対処策考えてくださると思いますよ?」と返すと、「サムライの精神に反するのでそんなことできないです。」と、日本のサムライ文化に憧憬を抱いていました。来年世界大会にも出場を希望する選手でした。

ケーキ入刀にシャッターの嵐

会場全体が盛り上がってお酒もかなりまわっているようだったので、あまり塾長が暴走しないようにと姿を探してみると、事務局長がいないことをいいことに、かなり自由に騒いでいました。
その後、塾長が、ディンコ支部長からプレゼントのブルガリア支部名物の“KUDOケーキ”に、皆さんに掛け声を煽り、「えいやーっ」と氷柱割を演じて入刀します。前回も同様だった気がします(笑)前回の第一回ブルガリア遠征でのケーキは真ピンクでしたが、今回は真っ青でした。さらに前回の“Jyukuchoワイン”(塾長の姿とKUDOの文字がラベルになってます)に続き、今回も“KUDOワイン”をたくさん用意してくださいました。

次に、「カラオケー!」となりますが、国境辺りまで車でかなり走らないとないと言われ、ゴッドファーザーをアカペラで歌い、万歳をして会を閉め、満足げに見えていると、気がつくともうどこかに消えてしまっています。

通りを占拠

急いで姿を探し、後を追って地上に出てみると、そこを動かずに、「誰も来ないから」と誰かが追ってくるのを待っていました。(私たちを待っていてくれたのだと思います。)いつもなら、すたすたとどこかに消えてしまっているはずので、逆に「どうしたの!?」と、海外や事務局長がいないところだと、意外にしっかりとしていることに驚きます。

するとあとから、黒い革ジャケットに身を包んだ7〜8名の支部長の方々がゾロゾロと追って来てくださいました。そこからホテルまでの帰り路、塾長を中心に皆さん横一列に並んで、広い街路樹を占拠して歩いていた光景は圧巻でした。塾長が「酒を買っていくぞ!」ということで、帰りに一軒だけ空いていたキオスクに立ち止まりました。誰もブルガリアの通貨を持っていないことにそこで気が付きましたが、ベゼルチャコフさんがロシアのルーブルで、「これで買えるだけのビールを」と言ってみると、10本ほどビールを買うことができました。キオスクの小さな窓口を皆さんで取り囲んでいたので、年配の店員の女性は怖くないのかな・・・!?と思いました。

キオスクを占拠

23:30−00:30
ホテルに戻り塾長の部屋で、塾長、岡さん、私で、“反省会”です。岡さんは、塾長の“床にベッドメイキング”を噂で知っていたようで、部屋に入るやいなや一番に驚かれていました。
1:30 a.m.
部屋に戻り、ばたんきゅーです。

このページのトップへ

19日

審査会

6:30 起床。
8:00 朝食。ハムとチーズとパン、ミントティーです。ヨーグルトは出ず、塾長の、「ブルガリアなのにヨーグルト出ないんだな」という声に、昨日のヨーグルトドリンクの希少価値が高まります。ミントティーが疲れた胃に染みわたります。

朝食の間、塾長の放つ空気が勢いづいているように感じたので、「??」と思っていると、それは、朝から部屋でアップと基本をやっていたためでした。朝から体を動かしておくと、生徒を前にする柔軟や基本の際に違いを見せつけられるからだそうです・・・。さらに、「今日はようやく体が動かせて練習後においしく飲める」と張り切っていたためでした。

9:30
昇段審査開始ですが、こちらの道場はとても空道色が強く、塾長の等身大写真も飾られていました。そちらにばかり気を取られていて、「さあ、」と道着を着ている方の数を見てみると、審査受験者は、わずか3名(1名見学)のみだったので驚きました・・・。

ブルガリアのディンコ支部長と塾長

「審査会で人数がだいぶいるから、その手続きやあれこれを手伝え」ということだったので、「きっと一人で大変だろうな」と気合いを入れ思い巡らせていたところで、急に気が抜けてしまいました。「こんな贅沢な審査会が・・・」といった気持ちでした。原因は、当支部での連絡の手違いなどで、黒帯のみの審査として連絡が回っていたためということでした。後日談ですが、その他何点かの状況に関しても、塾長はかなり頭にきている様子(塾長日記におそらく触れてあるのではと思います・・・)で、本当に爆発しそうな口調でそのことを聞いたので、「だ、大丈夫かなぁ」とドキドキしました。

空港までの道のり

19_6空港まで、ブルガリアソフィア支部のカリン支部長が車で送ってくださいました。帰路も時速200キロのドライブを覚悟していましたが、「のんびり安全に走りますね。無事に送り返さないと先生にもディンコ支部長にも怒られるから(笑)」と言って、それでも150キロ走行を保っていました。気さくにいろいろと話をして下さるのですが、横を振り向いて話されるので、岡さんと私は終始ヒヤヒヤしていました。記念にと思ってスピードメーターを写真で撮ろうとすると、「ダメダメ!」と言って120キロぐらいに減速します。大変ユーモアのある優しい方でした。

そのうち昨夜の話になり、私たちがホテルへとパーティー会場を後にした後、ロシアチームとウォッカの飲み比べ大会をやっていたそうで、どれくらい飲んだか恐る恐る聞いてみると、カリン支部長はウォッカ1本、ロシアチームは4本飲まれたそうで、「普段はまったく飲まないようにしてるんですけど年に1、2回はガツンと飲んで楽しむようにしてるんです」と、いい時間を過ごされたようでした・・・。

ヨーグルト探し

19_7ブルガリアを発つ前にどうしても、“ブルガリアとヨーグルト”が気がかりでした。もしかしてこれ知っているかも?と思って、車中、ブルガリアヨーグルトの歌を歌ってみると、その歌にびっくりしてよろこんでくださって、「そんなことなら、次回ブルガリアに来たらレストランでおいしいホームメイドヨーグルトを振舞うので、ぜひまた来てくださいね」と言ってくださり、ブルガリアとヨーグルトのおいしい関係に安心しました。

ようやくのヨーグルトスープ空港に着いてかなり時間があったので、岡さんとヨーグルトを探しにお店を回りました。なかなか見つからずで、初めにヨーグルトケーキ、次にきゅうりの入った冷製ヨーグルトスープ、最後にダノンの飲むヨーグルトを見つけました。飲むヨーグルトと一緒に並んで、プレーンヨーグルトと書かれたラベルもあったので店員さんに聞いてみると、残念ながら売り切れでした。

ダノンも「ちゃんとブルガリアで作ってるしおいしいよ」と言われ、食べてみました。おいしいですが目が覚める味でした。すっかりヨーグルトの虜になっていたので、どれもおいしかったですが、「大会会場にたくさんあった塩味のヨーグルト、貴重でしたネ」と、ブルガリアを発ちました。ソフィア発15:00です。

パリでの6.5時間(乗り継ぎ便待ち)

17:00 パリ、シャルル・ド・ゴール空港着。
シャルル・ド・ゴール空港で、成田行きの便まで6.5時間もあったので、「今回はフリータイムもなく試合だけでしたし観光もできなかったので、慌ただしくなりそうですが市内に出てパリ観光なんていかがですか?」と、パリ観光に出ました。ストライキなどうまくいかない状況があったために、市内にいられたのは1.5時間程となってしまいました。ほんとに弾丸ツアーでしたが、なんとか数個のパリ観光を済まし時間内に空港へ戻りました。機内でいろいろな出来事を思い返してみると、ヨーグルトもパリ観光もロシア支部の熱意も、“執念あってこそ”と思われました(笑)

このページのトップへ

20日

成田空港

今回の遠征日程はほんとに短いものでしたが、行程中の補助を通して様々な課題意識を持たせていただきました。言葉に関しては、上を目指せば課題は山積みで、それ対しての自身の非力さも感じました。頂いた貴重な機会での経験を通して感じた悔しさや気持ちを大切に精進して参りたいと思いますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。また、ブルガリア支部発足から数年目の試合で、選手の数も試合のレベルも、支部の皆さんの結束意識も確実に向上しているように感じられ、皆さんの世界大会への意気込みの大きさを感じました。

お忙しい中、日程を調整して遠征に参加した岡さん、試合の際やその他、様々な点で至らなかった点お詫び申し上げます。また、大学の先輩で同窓ということからも大変気さくに接して下さったので、気負わずに遠征のお供をさせていただくことができましたこと感謝いたします。お疲れ様でした!

このページのトップへ

本サイトに掲載の記事・写真等の無断転載を禁止します。
Copyright(C)KUDO/DAIDOJUKU all right reserved.

このページを閉じる