「第9回世界武術選手権大会」随行記

村上智章(中四国本部)

 10-12日 | 13-15日 | 16-18日 

11月16日

昨日、ありがたい配慮をしていただき、お世話になったということで、木本先生、笹沢、私が受付責任者、主審にあいさつ回りをしていると、套路の及川先生が私たちを見つけて、駆け寄り、「ベスト8聞きましたよ。おめでとう。」と声をかけてくださる。やがて石原理事も来られて、笹沢、「正式決定はこれからだが、来年に向けてがんばってください。」と激励の言葉をいただく。今回の遠征で私が一番「ホッ」とした瞬間。歓談の後ホテルに帰り、出立前の塾長に経過報告。あらためて笹沢のベスト8進出を喜ぶ。ここらで気持ちに本当に余裕がでてきて、みやげをいつ買おうかなどの話に。

塾長を見送り(ありがとうございました)、しばし休憩の後、北京に来てから本格的な中華料理にまだチャレンジしていないということで、町に繰り出す。とはいっても右も左もわからない。この店がいいか、あの店がいいか、何件かまわるが結局決め手がなく、「ここならよかろう」と平安、笹沢、私の三人で入店。

一段落したところで、こちらも気分が大きくなっている。どんどん頼めということで、北京ダックやらオススメ料理の「ナマズの辛煮」?やらをオーダー。中華料理は一品の量が多い。卓上せましと料理がならび、さらに次から次へと料理がくる事態に。ナマズの辛煮はたっぷりのラー油に山椒の実が丸ごとたくさんはいったスープでナマズを煮たもの、食感がウナギに似て美味しいのだが、いかんせん四川料理、辛い(室内のところどころに「蜀」の字が刻まれており、三国志通の平安が喜んでいた。)。私がいい気になって追加した水餃子が皆の胃袋にトドメを刺したよう。店員さんも気を使ってくれ、「まだ注文の品はありますが、どうしましょうか。」といってくれたのをさいわい、オーダーストップ。残った料理をゆっくり味わい、詰め込んだ。

食事が済むと、お腹いっぱいのはずなのに、デザートが欲しくなる。お目当てのデザート(杏仁豆腐)がないため、別の店に行こうということで、お勘定。まわりを歩いてみるが、どうも食べられそうな店はなし。ホテルに戻り、近くのスターバックスでコーヒー、隣接のアイスクリーム店でデザートということに。

北京を歩いていると、場所にもよるのだろうが、5車線、6車線の広い道路を、横断歩道がないところでも歩行者が平気で横切る。自動車も心得たもので、上手に歩行者をよけて進む。日本人の感覚では命がけの行為、が、横断歩道がないところでは日本人も中国人にならって横切らなければならない。まあ大丈夫なのだが、ヒヤヒヤ。この「歩行者主権」ともいうべき道路文化、変わらぬままに続くのであろうか。

11月17日

日は皆自由行動ということで、選手は早くに観戦に向かった様子。私の方は午前中ホテルでゆっくり過ごし、午後から観戦に。今回の大会は、一階級ごとに決勝が終わると表彰式。各決勝もスピーディな展開で面白い。

ここで散打の試合について私見。試合は先に述べたとおり、1分間の休憩をはさんだ2分3ラウンド、打撃の攻防から組み技へというのが一般の流れであるが、組み技になっても互いが積極的に技を仕掛けない膠着状態になるとすぐさま(2秒)でブレイク、技を仕掛けても決まらなければブレイク(4秒)、そして打撃の間合いから試合再開ということになる。打撃でも、互いが相手のスキをうかがう「お見合い」状態になるとすぐさま審判が選手に攻撃を促す。選手が攻撃しないと、はなはだしい場合、消極的ということで反則をとられる。常に審判から攻撃をせっつかれている感じ。勢い、攻撃も積極的となり、休む間がない。2分間打撃から投げの動きを休まず強いられている感じ。見ている方はスピーディで面白いが選手にとっては過酷な展開。1、2回戦では2ラウンド目になると、明らかにスタミナ切れの選手が多く見受けられたが、これは単に選手のスタミナ不足というより、競技の過酷さを示すものといえるのではないか。

決勝もおおかた終わり、ホテルへ。今日が北京最後の夜。なぜか近くの(中華風)日本料理店へ。アメリカン・スタイルの(?)寿司がなかなか美味しい。本当にゆったりしたとき。明日は早い出発ということで早々にホテルへ。ホテルでは木本先生がお帰りになられていた。今回の遠征でも中国語がペラペラの木本先生には本当にお世話になりっぱなし。こちらも北京最後の夜。小腹がすいたということで、水餃子を食べに。諸々の話に花を咲かせつつ、遅くなる前に帰ろうということで店から出ると、タイミングがいいのか悪いのか、日本選手団と韓国選手団の、なぜか意気投合した混成部隊に遭遇。流れのままに先日の韓国風プールバーへ。試合が終わり、皆テンションが高い。さすが儒教の国、長上に対する礼儀はしっかりしたもの。それによく飲む。自家製ビールやらユッケやらで時を過ごし、予定の時刻を大幅に超過してホテルへ、就寝。

11月18日

北京空港、朝は込み合うということで早めにホテルを出る(5時過ぎ)。帰りは名古屋(笹沢)、東京(木本先生ご一行)、大阪(田村先生、秦選手、平安、私)に分かれる。出発時刻まで空港でおみやげを吟味。そうこうするうちに笹沢選手の出発時刻、すでにバスに向かったらしいとのことで、バス乗り場に行くと、笹沢選手、バスの前列で疲れたような、しかし、ほっとしたようなおだやかな表情で座っている。こちらに気づくとわざわざバスから降りてくる。「お疲れさま、おめでとう。」少し話した後、バスに戻ってもらって、やがて発進、戦士の帰還。次に木本先生ご一行を送り、私たちの番、今回平安にとっては残念な結果であったが、たくさんの経験で、人間的にも成長した様子。帰国後の彼の報告は次の通り。

「11月12日から北京で行われた散打世界大会に自分が56s、笹沢が70sで出場しました。自分は負けてしまいましたが、笹沢はケガをしながらもベスト8に残り来年のオリンピック出場を決めました。今回いろいろなよい経験を積むことができ、東先生、木本先生、村上先輩や田村さんに本当に感謝しています。来年は笹沢がオリンピックに出場します。笹沢の練習環境をよくするのに協力どうかよろしくお願いします。」

あっという間に関西国際空港。出発と同じく、江本さんが出迎えてくれる。田村先生が慰労のためにあらかじめ予約してくださった天王寺近くの「はな」にて鍋を囲む。一見して大変な量の具が大皿に。「こんなに食べられるのかな」と思ったが不思議にするする入る。日本の味に飢えていたということか。うどんに加えぞうすいを頼みさすがに満腹。ここで田村先生、秦選手と別れ、平安と私は帰途に。無事帰宅。

今回、初めて塾長と海外遠征をともにする機会をいただき本当にありがとうございました。9日間におよぶ長期の遠征は、私としても初めての経験、いたらぬ点ばかりが思い起こされ、汗顔することしきりです。大変に勉強になりました。本当にありがとうございました。また、東京武術散手倶楽部の木本先生にはお世話になりっぱなしで、感謝の言葉もありません。世界各国の散打事情に通じていらっしゃる田村先生の存在は心強かったです。秦選手、将来が楽しみです。平安に対しては、今回の経験を何よりも北斗旗で生かしてほしい。そして笹沢選手、来年に向けてこれから大変だと思いますが、getできるものは着実にgetするということでがんばってほしい。君ならできます。

今回の機会を与えてくださった大道塾、そして日本武術太極拳連盟に感謝の意を表して、つたない文を結びたいと思います。

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