ベトナムレポート(ホーチミン編)

三輪薫子(広報・新宿支部)

ハノイ編からのつづき)
選手団といったん別れ、先生、事務局長と私の3人は国内便で南部のホーチミン(気温28度)へ向かいました。
第二回世界大会が終わったばかりですが、すでに先生の頭の中は次回世界大会にむけての構想が始まっており今回のベトナム遠征も「アジア圏の参加国を増やしたい」という思いで、ハノイでは試合の合間に情報収集に奔走されていました。しかし捗々しい結果が得られなかったので、ハノイで出会った方々からの情報を総合して「ホーチミンで総合系の武道団体探してみよう」ということになったわけです。

ベトナムという国

さて、ところ変わってホーチミンでの出来事を書く前に、ここでベトナムの歴史をご紹介します。

出来事
紀元前3世紀頃 北ベトナム地域に南越国が成立
紀元前111年〜 中国の支配下に(約1000年)
938年〜 呉朝(938年〜966年),丁朝(966年〜980年),黎朝(980年〜1009年)
1009年〜1225年 李朝
16世紀 北朝と南朝に分裂(以後270年間対立)
1802年 グエンフックアインが国土統一
1884年 フランスがベトナム全土を植民地化
1940年 日本軍によるベトナム侵攻開始
1945年 日本軍降伏によりベトナム独立運動ベトミンが一斉蜂起、ベトナムの独立宣言をフランスは認めずインドシナ戦争へ突入
1956年 フランスが撤退し米国が介入
1960年 ベトナム戦争勃発
1975年 ベトナム戦争終結、翌年南北統一

参考:「いい旅・街歩きIベトナム」成美堂出版、「ホーチミン」昭文社

ベトナム北部にある現在の首都ハノイは11世紀の李朝時代から政治の中心となった街で、湖が点在し廟(びょう)や寺など歴史的建造物が多く残っています。それに対して南部のホーチミン(旧名サイゴン)はベトナム戦争中南ベトナム共和国の首都として栄え、現在ベトナム経済の中心を担う商都としてにぎわっています。
実際、街を歩いてもハノイに比べホーチミンは外国人(および外国人観光客)の数も多く資本主義的な雰囲気が残っています。

事務局長&三輪の街比較【交通事情編】
ハノイ 項目 ホーチミン
バイクが多い(※1) 車種 車が多い
ただの模様!? 車線 意味をもつ
ぴっちりつめる(※2) 車間 交通規則通り
「どけどけー」と聞こえる クラクションの音 「どいてねー」と聞こえる

※1 ハノイでは移動はバイクか自転車でするのが普通で道を歩いている人が非常に少なく、「どうして私たちには車輪がついていないんだろう・・・」(「ベトナムぐるぐる」k.m.p)という気持ちになります。
※2 ベトナム人は人同士も寄り添っているが好きなようです。(小柄な人が多いせいか暑苦しく見えません。)

(ハノイ)この車間! ホーチミンのバイク

ホーチミンにて

さて、同じ国なのにこの違いは何?と軽いカルチャーショックを受けながら、雨上がりでようやく涼しくなった道をサイゴン川を見ながら歩いて今夜アポ無し訪問(笑)する武道団体の稽古場所へと向かいました。

訪問先の「日本空手道○○」さんは日本にも道場があるフルコンタクト空手の団体です。すでに稽古は終盤に差し掛かっていましたが、子供から壮年の男性までが日本人の指導員の号令にあわせて移動稽古を行っていました。
指導員の方はひと目で「東孝だ!」と気づいたそうです。稽古が終わった後、先生が気さくに話しかけると非常に感激した表情をされていました。その方はホーチミンに14年も住んでおられるそうです。先生が手短かに訪問の目的を説明すると、フランス人のトレーナーがやっているという総合系のジムのことを教えてくれました。その場で詳しいことはわからないということだったので、事務長のKさんが翌日こちらに連絡をくれるかたちになりました。いきなりの急展開(しかもいい方向に)です。
先生も事務局長も私も、内心「ホーチミンまで来て空振りだったらどうしよう」という気持ちでいたので、その夜のビールは暑さもあいまってそれはそれは美味しく感じられました。(笑)

街歩きと大惨事

翌朝、Kさんと連絡をとり、そのジムまで同行していただけることになりました。又してもいい展開です。(後から聞いた話ですが、Kさんは東先生に会える喜びで興奮のあまり昨夜眠れなかったそうです。)待ち合わせをした夕方まで時間ができたので、チェックアウトまで先生はホテルのトレーニングルームに、事務局長と私は買い物に行って、その後市内観光をすることになりました。
ホテルを一歩出ると夏の太陽が待っていました。ハノイはずっと曇り空だったので青空もひさしぶりで気持ちも明るくなりました。
目的のドンコイ通りはサイゴン川から市内の中心に向かって市民劇場までのびる500mほどの通りで、シルクを扱うブティックやお洒落なベトナム雑貨のショップが立ち並び、ちょっと銀座のような雰囲気でした。シルク製品が驚くほど安く、センスもよく、しかも既製品のブラウスも体にあうようにすばやく直し(無料)をしてくれたり、と喜びポイントが多く必要以上にはしゃいで(深夜便で日本に帰るというのに)お昼前から体力を消耗してしまいました。ここは女性同士で来れてよかったです。

お昼にホテルをチェックアウトした後、炎天下、人民委員会庁舎や市民劇場を見ながら南ベトナム政権時代の大統領官邸であった統一会堂まで歩きました。統一会堂の敷地内には役目を終えた戦車が並べられていました。ここでは建物を見るというよりも、歴史的な事件のあった場所に立ったということの方が大事なことでした。

建物内の展示スペースで、歴史好きな先生は、ベトナム戦争で仏教徒の大弾圧に抗議し焼身自殺した僧侶や、南ベトナム(旧サイゴン)が陥落(かんらく)した象徴とでも言うべき、大統領官邸に戦車が突入した瞬間などの有名な写真に見入っていらっしゃいました。


展示スペースで"

先生の提案でサイゴン川クルーズに参加しようと船着場を目指して歩いている間に、空模様がどんどんあやしくなってきました。「多少雨が降っても何とかなるだろう」とおっしゃる先生について行った先にあったものは・・・
モーターボートでした。


ボートに乗船

案内に「クルーズ」と書かれていたので、てっきり大きな船で遊覧するものと思っていたのです。(一瞬、事務局長が不安気な表情をされました。)乗り込むやいなや、ボートは勢いよく出発しました。すごいスピードに顔がゆがみます。屋根しかないため縁からドブの匂いがする水がしぶきとなって私達に襲い掛かってきます。それでも3人とも笑顔でした・・・ここまでは。
出発して5分も立たないうちにスコールが降ってきました。
脇からは川の水、正面からはスコールのW攻撃に私達が「ぎゃーっ!」と大騒ぎしていても運転手はお構いなしです。前の席にいた先生が、足元にあったライフジャケットを投げてよこしてくださったので、事務局長とふたりでそれを盾にして身をかがめて雨をよけました。「どうしてこんなことに〜っっ!」と叫ぶ声も川の彼方に飛んでいくスピードでボートは走り続けました。

ライフジャケットの間から決死の撮影

「陸だーっ!」

「三輪さん大丈夫ーっ?」「はいーっ!」隣にいるのに声をかけあって安全を確認しなければならない状況に、しまいには笑いが止まらなくなりました。灰色の雲の下、スコールの中を疾走するボート、けたけたと笑い続ける日本人観光客・・川べりから私達を見ている人がいたら一体何事かと思ったことでしょう。
スコールが小止みになってきたころ、運転手がやっとボートのスピードを緩めてくれて、「ここで休むか」とボートを小さな船着場につけてくれました。放心状態のままカフェで苦いベトナムコーヒーを飲みました。
この事件で私は、人間は極限状態におかれると笑ってしまうものだということを学びました。

ディビットさんのジム

夕方、Kさんと、これから伺うジムで練習をされているNさんと合流しました。ハノイで出会った野田さんもそうですが、お二人とも武道スポーツを通じて外国の地で自分を保つための心のより処(芯となるもの)をもっている方という印象を受けました。
ちょうど夕方のラッシュ時(道路がバイクで埋め尽くされる)少し時間がかかりましたが、フランス人のディビットさんのご自宅を兼ねているというそのジムに何とか練習の始まる前に到着しました。
先生が流暢な英語でディビットさんと話すうち、フランスの土田支部長と以前総合の試合で対戦されていたことがわかったうえ、練習生の香港人の方(日本語ペラペラ)も極真出身とのことで思いがけず人のつながりがあることもわかり、終始和やかなムードでした。

「お互い頑張りましょうね」と握手でお別れしました。先生が「これでこの旅も収穫があったな」とホッとした表情をされたこと、細い糸のようなつてを大切に辿って何もないところから道を拓いていく場面を目の当たりにできたことは貴重な体験となりました。今回出会った方々と今後も交流を重ねていけば、次回かその次の空道世界大会にはベトナムから選手が出ることもあるかもしれません。(そうなったら同行させていただいた私も本当にうれしいです。)今日も今このときも世界のどこかで頑張っている人に心からエールを送りたい気持ちです。
最後に、この旅の機会を与えてくださった先生、事務局長をはじめ東京散手会の皆様、佐々木先輩、植田さん、笹沢君、また留守中総本部女子部クラスの指導を代わってくださった岡先輩、お疲れ様でした&ありがとうございました。押忍

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