ベトナムレポート(ハノイ編)![]() 三輪薫子(広報) |
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押忍。新宿支部の三輪です。 |
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武術世界選手権大会について |
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武術(ウーシュウ)の大きな大会は「世界選手権大会」と「アジア選手権大会」または「アジア大会」があるそうで、今年は世界選手権の年でした。なお各大会はそれぞれ主管が異なります。世界選手権大会は世界武術連盟、アジア選手権はアジア武術連盟主催、そして来年開催されるアジア大会はアジア・オリンピック評議会(Olympic
Council of Asia,略称OCA)主催でこれはオリンピックに次ぐ規模の大会です。 |
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散打のルールについて |
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ウォーミングアップルームは広く、サンドバックとリングがありウレタンマットが敷かれていました。出番が近づくと事前に連盟事務局に提出した写真を頼りに選手係が呼びにきてくれます。選手はここで大会のIDカードと、さらにパスポートを提示してチェックを受け連盟指定の防具を借ります。 |
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試合場は、「押出し」ルールにあわせ20センチ程度の厚さの硬いスポンジマットの上にさらに40センチ程度の高さで作られています。セコンドは1コーナー2名まで。セコンドの声がうるさいと減点の対象となります。(しかし選手への指示と大声で騒ぐ行為の境界線は分からずじまいでした。) |
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判定について |
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試合は2分3R。ポイント制で1Rごとに裁定が行われ、片方が2R先取したらそこで試合終了となります。打撃や投げ(相手の膝を床につけると有効)によりポイントが加算されますが、場外への押出しに対し最も高い3ポントがつきます。試合の展開を見ていて、散打のルールは大道塾緑帯の「格闘空手」ルールに近いものがあると思いました。 |
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1つの試合に審判は10名つきます。内訳は、レフェリー1名、本部席に4名、さらに試合場の4隅+本部席と向かい合って1席が設けられ5名が座ります。便宜上ここではその5名を副審と呼びますが、副審の机にはポイントを本部席に送るための装置と判定の表示ランプ、そしておそらくはランプが故障した場合に備えての赤・黒・引き分けの3種類の表示板(目玉焼き用フライパンほどの大きさ)が備え付けてありました。本部席は、レフェリーの示したポイントと副審から送られてきたポイントを即座に集計するコンピュータがあります。 |
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余談ですが、審判団の入場が面白かったので書いておきます。 |
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階級について |
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今大会、散打の部は体重別に男子11階級、女子6階級のクラスで争われました。計量は非常に厳しかったそうです。 |
| 男子 | 階級クラス | 女子 |
|---|---|---|
| ○ | 48kg級 | ○ |
| ○ | 52kg級 | ○ |
| ○ | 56kg級 | ○ |
| ○ | 60kg級 | ○ |
| ○ | 65kg級 | ○ |
| ○ | 70kg級 | ○ |
| ○ | 75kg級 | |
| ○ | 80kg級 | |
| ○ | 85kg級 | |
| ○ | 90kg級 | |
| ○ | 90kg級+ |
日本選手団について |
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今大会の参加は、先にふれた『東京散手クラブ』の招請によるものです。同クラブの代表である木本氏は日本に最初に散打を紹介した方です。 |
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日本において散打の知名度は低く選手の経験も浅い為、これまで公式大会において勝ち上がることは無かったそうです。そこへ我が大道塾の笹沢選手が彗星のごとく表れ強豪と優勝候補を退け2勝したことは大会関係者を大いに驚かせるとともに、2006年のアジア大会に向け日本散打界の希望の光となりました。(選手団監督の木本氏は感激のあまり目に涙を浮かべ、コーチの田村さんはずっと泣いていました。) |
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気になったことなど |
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非常に大規模な大会に関わらず試合の進行などはスムーズだったのですが、運営が「套路(型部門)」をベースにしているためか、「?」と思うことが幾つかありました。 |
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人と結びて |
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さて、話はかわって今回ハノイで出会った人たちのことを書きます。 |
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ロディオノバ選手 |
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![]() 第2回空道世界大会女子の部で準優勝したロディオノバ・リュドゥミラ選手(モスクワ支部)が48kg級にエントリーしていました。早朝の第1部第2試合に組まれた彼女の試合を応援するため皆で会場に集まりましたが、遠目にも筋肉ムキムキとわかる体躯のトラポスト・クリスティーナ選手(ルーマニア)にパワー負けしてしまいました。同じ空道仲間の敗退は、非常に悔しかったです。 |
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東塾長の極真時代の後輩の方 |
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日本食レストランで「東先輩?!」と大声を出されたその方は、塾長の極真時代の後輩の方でした。ベトナムは商用で180回ほど訪れているとのことで、土地の情報などを教えていただきました。その日にハノイを離れるということを非常に残念がっていらっしゃいました。 |
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ファン・ホン・アン嬢 |
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当初の予定では9日から12日までハノイ、13日に選手団と別れ3人でホーチミンに移動して14日の深夜に成田行きの便に乗るはずでした。が、諸事情でハノイ滞在が延びでも最終的にはやっぱりホーチミンに行くことになり、と何度もチケット変更がありました。事務局長はその度大変な思いをされたのですが、ハノイホテルのビジネスセンターのファン・ホン・アン嬢がいろいろ機転をきかせてくれなかったら今回の波乱の旅はあやうく流浪の旅になるところでした。 |
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野田さん |
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レストランで食事をしているとき塾長にサインを求めてこられた駐在員の方です。日本では総合格闘技の大会に出たことがあるそうです。「塾長が言われるように、海外にいると日本にとっての武道の大切さが余計にわかります。日本にいた時から大道塾の社会体育という考えに共感していたので入門を考えましたが近くになかったもので・・・。こっち(ハノイ)に道場があるなら是非やりたいのですが」とおっしゃっていました。翌朝偶然ハノイホテルのロビーで再会し、名刺交換をしました。そして、ちょうどこの日の夜体調を崩した笹沢選手のために日本語の通じる最新設備の整った病院を紹介してくださったのがこの野田さんでした。ありがたかったです。 |
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| (ホーチミン編に続きます) | |||||||||||||||||||||||||||
| 三輪薫子(新宿支部) | |||||||||||||||||||||||||||
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