ベトナムレポート(ハノイ編)

三輪薫子(広報・新宿支部)

押忍。新宿支部の三輪です。
このたび、参加国数が100ケ国(実際は65ケ国)となる大会の運営の仕方を見て第三回空道世界大会の運営の参考にしようと、事務局長とともに、ベトナムで開催された「第8回武術(ウーシュウ)世界大会」の選手団に同行して参りましたのでご報告します。
さて「散打(サンダ)」という競技を、塾生の皆様は知っていましたか?
私は毎週日曜に総本部道場2階で稽古されている『東京散手(サンシュ:散打の中国語名)クラブ』の存在は知っていたのですが、現在「散打」がどのくらい世界的に普及しているのかということはもとより、試合を観たこともなければルールの知識も無いという状態でした。(第二回空道世界大会に散打をベースとした中国の選手が参戦することになっていたにも関わらず!)
でも「知識が無い」ということはある意味「無敵」です。新鮮な気持ちで試合を観ながら、選手団の方々に沢山質問していろいろ親切に教えていただきました。ここでは、そうやって得た知識をご紹介していきたいと思います。

武術世界選手権大会について

体育館全景
来場者はまず入場門脇でセキュリティチェック(X線検査)を受けます。

万国旗

武術(ウーシュウ)の大きな大会は「世界選手権大会」と「アジア選手権大会」または「アジア大会」があるそうで、今年は世界選手権の年でした。なお各大会はそれぞれ主管が異なります。世界選手権大会は世界武術連盟、アジア選手権はアジア武術連盟主催、そして来年開催されるアジア大会はアジア・オリンピック評議会(Olympic Council of Asia,略称OCA)主催でこれはオリンピックに次ぐ規模の大会です。

今回の大会は12月9日から14日までベトナムのハノイ市北西部にある「群馬体育館」で開催されました。(建物の規模としては国立代々木第一体育館くらい?)
競技は大きく分けて2つあります。
套路(タオ・ルー)・・・型の部門です。新体操のように技の美しさ、力強さをポイント制で競います。
散手(サン・ソー)・・・今回選手達が参戦した打撃系競技です。以下、日本語表記で「散打」と表記します。
「套路」は歴史が古く競技人口が非常に多いのに比べ、「散打」は2008年の北京オリンピックに向け中国が世界的規模で競技の普及とルールの整備を進めている途上にあります。しかしながら、大会を運営する連盟の上層部の方々は「套路」の出身者です。この事を最初に塾長から伺っていたので、大会の運営上「打撃系競技との判断の差」を様々な点で見ても「ああそうか。」という気持ちになりました。このことはまた後でふれます。

開会式は9日の夜20時から始まりました。会場内に収まらないため体育館の外で国ごとにプラカードをもった赤いアオザイ姿の女性がアルファベット順に立ち、選手達は自分の国のプラカードを探して整列します。入場は先導する女性を後をずっとついていくだけです。特に通訳やリハーサルを必要としない、非常に合理的なシステムだと思いました。場内アナウンスはベトナム語、中国語、英語で行われていました。
翌日10日より試合です。1日のプログラムは3部に分かれています。第1部は朝8時半〜、第2部は14時〜、そして第3部は19時半〜。第3部が終了するのはだいたい23時頃です。体育館と選手の宿舎であるホテルはシャトルバスが行き来していました。

散打のルールについて

ウォーミングアップルームは広く、サンドバックとリングがありウレタンマットが敷かれていました。出番が近づくと事前に連盟事務局に提出した写真を頼りに選手係が呼びにきてくれます。選手はここで大会のIDカードと、さらにパスポートを提示してチェックを受け連盟指定の防具を借ります。

選手はコーナーごとに赤あるいは黒のTシャツ(無くても可)およびキック用パンツを着て防具をつけます。足は裸足です。ヘッドギア、胴サポータ、ファウルカップそして10オンスのグローブ一式は全て貸出制(共有)です。前回の大会では脛サポータもあったそうです。胴プロテクタは空道ボディプロテクタの半分程度の薄さで、ヘッドギアも同じ質感です。試しにヘッドギアをかぶらせてもらいましたが何とも心もとなく、頭部保護というより「見た目」の問題で選手につけさせているという印象でした。グローブの固定は透明テープ以外は不可で選手係に厳しくチェックされます。(しかし、バンテージチェックはありませんでした。)


胴プロテクタをつける笹沢選手
右が田村コーチ 中央が木本監督

ウォーミングアップルーム
天井が高く、空道の試合場が2面とれるほどの広さです。
4基のサンドバックのほかに、左右2本の柱にそれぞれ3基のミットが固定されていました。

試合場は、「押出し」ルールにあわせ20センチ程度の厚さの硬いスポンジマットの上にさらに40センチ程度の高さで作られています。セコンドは1コーナー2名まで。セコンドの声がうるさいと減点の対象となります。(しかし選手への指示と大声で騒ぐ行為の境界線は分からずじまいでした。)

試合は2分3R。ポイント制で1Rごとに裁定が行われ、片方が2R先取したらそこで試合終了となります。打撃や投げ(相手の膝を床につけると有効)によりポイントが加算されますが、場外への押出しに対し最も高い3ポントがつきます。試合の展開を見ていて、散打のルールは大道塾緑帯の「格闘空手」ルールに近いものがあると思いました。

打撃 投げからのテイクダウン

押し出し

判定について

1つの試合に審判は10名つきます。内訳は、レフェリー1名、本部席に4名、さらに試合場の4隅+本部席と向かい合って1席が設けられ5名が座ります。便宜上ここではその5名を副審と呼びますが、副審の机にはポイントを本部席に送るための装置と判定の表示ランプ、そしておそらくはランプが故障した場合に備えての赤・黒・引き分けの3種類の表示板(目玉焼き用フライパンほどの大きさ)が備え付けてありました。本部席は、レフェリーの示したポイントと副審から送られてきたポイントを即座に集計するコンピュータがあります。
1Rが終了する毎に副審5名が判定のランプをつけます。そしておもむろに本部席にいる審判長が赤か黒の表示板を掲げます。これが最終判定となります。

余談ですが、審判団の入場が面白かったので書いておきます。
レフェリーを除く審判員が1列になり、本部席横から出発して試合場を時計回りに行進します。最初の角、副審席1のところで最後尾の1人がぬけます、それから次に副審席2でもう1人がぬけ、1周すると本部席につく4人が残る仕組みです。この4人は脇に抱えていたブリーフケースを本部席に置きに行きます。その後審判一人ずつの紹介です。終始軍隊のようにきびきびした動きでした。

階級について

今大会、散打の部は体重別に男子11階級、女子6階級のクラスで争われました。計量は非常に厳しかったそうです。

男子 階級クラス 女子
48kg級
52kg級
56kg級
60kg級
65kg級
70kg級
75kg級
80kg級
85kg級
90kg級
90kg級+

日本選手団について

今大会の参加は、先にふれた『東京散手クラブ』の招請によるものです。同クラブの代表である木本氏は日本に最初に散打を紹介した方です。

散打日本選手団メンバー構成
(氏名) (所属)  
木本氏 東京散手 (監督)
東塾長 大道塾
青木氏 東京散手 (ドクター)
田村氏 東京散手 (コーチ)
佐々木選手 大道塾 80kg級
笹沢選手 大道塾 75kg級
高橋選手 東京散手 70kg級
柏木選手 東京散手 65kg級
植田選手 大道塾 56kg級

日本において散打の知名度は低く選手の経験も浅い為、これまで公式大会において勝ち上がることは無かったそうです。そこへ我が大道塾の笹沢選手が彗星のごとく表れ強豪と優勝候補を退け2勝したことは大会関係者を大いに驚かせるとともに、2006年のアジア大会に向け日本散打界の希望の光となりました。(選手団監督の木本氏は感激のあまり目に涙を浮かべ、コーチの田村さんはずっと泣いていました。)

気になったことなど

非常に大規模な大会に関わらず試合の進行などはスムーズだったのですが、運営が「套路(型部門)」をベースにしているためか、「?」と思うことが幾つかありました。
@試合が何日間にも渡ること
A一日3部構成のプログラムのなか最終の部が終了する頃でないと翌日の対戦カードが公式発表されないこと
B「勝ち上がり」が掲示されないこと
Cトーナメント表、対戦カードが一般客に配布(販売)されないこと(選手団・関係者しか資料を持たない)
また、ハノイの街は飲食店が閉まるのがとても早く、第3部まで試合を観た後で食事しようと思ってもどこも開いていません。さらに体育館が市のはずれにあるので選手宿舎へはシャトルバスで片道30分以上かかります。これが連日続くわけです。こういった不自由は海外にいる上で仕方のないことかもしれませんが、体調管理の面で選手に大きな負担になったかと思います。選手の皆さんは本当にお疲れ様でした。

人と結びて

さて、話はかわって今回ハノイで出会った人たちのことを書きます。
エアポートタクシーのくせに間違えたホテルに連れて行った挙句規定の5倍!の料金をふっかけてくる運転手、街中のカフェのやる気のない店員、メーターに細工をして不正に料金をとろうとするタクシー運伝手ズ(複数形)、毎朝5時半から大音響で音楽を流しながら体操?をする謎の集団、道を聞いたら笑顔で反対方向を指差したフォー屋のおじさん・・・などなど、ハノイでは塾長の血圧(と怒声)をあげるような出来事は沢山ありました。けれどそれらを「今日の事件〜」と笑い飛ばせるほどいい出会いにも又恵まれました。「人と結びて有情(ゆうじょう)を体し」という道場訓の一節を改めてしみじみとかみしめる旅でした。

ロディオノバ選手
第二回空道世界大会女子の部で準優勝したロディオノバ・リュドゥミラ選手(モスクワ支部)が48kg級にエントリーしていました。早朝の第1部第2試合に組まれた彼女の試合を応援するため皆で会場に集まりましたが、遠目にも筋肉ムキムキとわかる体躯のトラポスト・クリスティーナ選手(ルーマニア)にパワー負けしてしまいました。同じ空道仲間の敗退は、非常に悔しかったです。

東塾長の極真時代の後輩の方
日本食レストランで「東先輩?!」と大声を出されたその方は、塾長の極真時代の後輩の方でした。ベトナムは商用で180回ほど訪れているとのことで、土地の情報などを教えていただきました。その日にハノイを離れるということを非常に残念がっていらっしゃいました。

ファン・ホン・アン嬢
当初の予定では9日から12日までハノイ、13日に選手団と別れ3人でホーチミンに移動して14日の深夜に成田行きの便に乗るはずでした。が、諸事情でハノイ滞在が延びでも最終的にはやっぱりホーチミンに行くことになり、と何度もチケット変更がありました。事務局長はその度大変な思いをされたのですが、ハノイホテルのビジネスセンターのファン・ホン・アン嬢がいろいろ機転をきかせてくれなかったら今回の波乱の旅はあやうく流浪の旅になるところでした。

野田さん
レストランで食事をしているとき塾長にサインを求めてこられた駐在員の方です。日本では総合格闘技の大会に出たことがあるそうです。「塾長が言われるように、海外にいると日本にとっての武道の大切さが余計にわかります。日本にいた時から大道塾の社会体育という考えに共感していたので入門を考えましたが近くになかったもので・・・。こっち(ハノイ)に道場があるなら是非やりたいのですが」とおっしゃっていました。翌朝偶然ハノイホテルのロビーで再会し、名刺交換をしました。そして、ちょうどこの日の夜体調を崩した笹沢選手のために日本語の通じる最新設備の整った病院を紹介してくださったのがこの野田さんでした。ありがたかったです。

ホーチミン編に続きます

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