大道塾|遠征レポート2002ヴェネチア・パリ二都物語2

ヴェネチア・パリ二都物語2

5月15日(水)7日目
4:45起床、やはり少し疲れが溜まって来たか、5時間半も寝た。それでも多少眠いので15分位、寝ようと頑張ったが、一旦目が開いてしまうと、考える事は一杯あるし、する事も多いのでどうせ寝れないから起きた。つくづく貧乏性だな−と自分でも思う。膝が疼く事もあって風呂にとも思ったが、昨日みたいになっても時間がもったいないし、また眠ってしまうから取り敢えずパソに向かう。08:00朝食。09:00から少し部屋の片付け。10:00土田、クリストフ、ウィルフェルの三人が来て一緒にエッフェル塔を見に行く事にした。

2年前に来た時は、ノートルダム寺院の後、コンコルド広場を抜けてルーヴル美術館からシャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩いて雨に止められたから、25、6歳の時にヨーロッパでの合同合宿の指導に来て以来ほぼ25年ぶりのエッフェル塔だ。シャンゼリゼ・クレマンソー駅で降りてシャンゼリゼ通りを横切り、フランスの英雄、シャルル・ドゴール元大統領の像があるグラン・パレの前を通り、ナポレオンが安置されているアン・ヴァリッドの方に向かい歩き、セーヌ側に架かるアレキサンダー三世橋(1893の露仏同盟の証)を渡り川沿いに北上した。天気は良いし風も心地良いしで、正に“サ・セ・パリ(これがパリだ)”を地で行くシチュエーションだ。

最近、土田は今までの貧民窟のような所を脱出してなんとこの14区に越した。最も彼に言わせると「屋根裏部屋」らしいが、なんにせよシャン・ド・マルスという、士官学校の方から芝生が真っ直ぐにエッフェル塔に伸びている公園(士官学校の錬兵場だった)でトレーニングしたり、エッフェル塔を真下から毎日見られるのだから、以前とは天と地の違いがあるだろう。途中、子供が車のパーキングロットから金を盗もうとしているのを発見したクリスは、職業柄すぐに近くの署に通報していた。それにしても日本の東京タワーはビルを跨いで立っており、周りは車の通りが激しいのに比べて、エッフェルタワーは周りが芝生で、その上に寝そべってタワーをほぼ真下から見られるので、余計その高さが際立ち凄い迫力だ。なんか自分までもが大きくなったような錯覚を起こさせ気宇壮大になる。

その後“カフェー”のテラスで昼飯、これ又“サ・セ・パリ”だが、これは、余りにそれらしくて“スノッブ(俗物主義)”とも言うのだそうだ。前回、飯村とコノネンコとで来たときのレポートにも書いたが、従業員の東洋人に対する横柄さには相変わらずで“ムカッ腹”が立つ。演武でもしてやると態度がガラっと変わるのだが、まさか昼からそうも行かない。土田が「東洋人だと見るとスパーのレジなんかでも平気で人を待たせて無駄話をしますからね。でもそれを気にしてたならパリでは生活できないですよ」と言っていたが、正に連中の優越意識は骨絡(がら)みだ。

その後、地下鉄でオペラ座まで行って二手に分かれて土産買いをして15:30部屋に戻りシャワーをして仮眠。16:30に今日は生徒が車で迎えに来てくれたので会場へ。パリ市内は地下鉄が便利だから多くはそうするが、地上を歩くと、ビルの高さが制限されているため、こんなに大きな街なのに、どこからでも広い空が見られるから、開放感があり、世界のどんな大都市でもが持つ圧迫感がない。18:20より昨日のお浚(さら)いで一時間、後半は打撃、蹴撃に対しての投げや、倒してからの締め、関節、打撃などを一時間。皆、素晴らしい、素晴らしいと、汗だくで息を弾ませながら付いて来る。20:40まで。それから記念写真会。小川も藤松も引っ張りダコで30分もやってしまった。

最後、マルセイユから参加した大柄な(重量級)黒人が、スーパーセーフを着けて、試しに軽く当てて欲しいというので、小川が軽い気持ちでマスクを着けた。何も自分も被る必要はないのにと思ったが、軽くという感じで動き始めた。ところが相手は始めてのマスクという事もあるのか結構粘る。フルコン系らしく顔面への打撃は余り得意ではないが、蹴りや投げは一応のレベルだ。小川は始めから遊びの積もりでやってるから、中途半端な投げを掛けたりする。と、必ず同体までは持っていくし、たまには上になったりする。小川もどこまでやったら良いのか多少戸惑ってるから、「良いから一発ガツンと当ててやれ」と言ったところ顎に右アッパーが入ったのでそこで止めにした。あのまま連打すればKOとなったのだが、それも大人気ないとここで止めた。こんな時、大低の団体は指示しないでも思いっきりやっちゃうんだろうが、うちは皆人が良いし顔を狙う為、本気になると悲惨な事になるからから、そこまでしないことが多い。が、これはあとで大きな話になって「おれは大道塾の誰々とやったが大した事はなかった」などという話になる事がある。難しいところだ。

私も選手の頃、同じような経験がある。試合前に相手が「自分は東さんには絶対勝てないし、壊されるのいやだから軽くお願いします」と言う。体が“うなってる”のが自分でも解るくらいに絶好調の頃だから、そんな油断もしたのだが、その前の試合もそんな感じで怪我しないような足払いで決めてやったから、そういう積もりでいたなら、とんでもない、相手は必死の形相でガンガン来る、上にも書いた様に急にエンジンは掛らないから本気になるまでの間に顔まで蹴られて、効きはしないにしろ顎が上がってみっともない写真を雑誌に掲載される事になった試合だった(尤もこれは試合での話だから、その後はしっかり返させてもらったが・・・) この経験から、試合で一旦向かい合ったなら、私はどんな弱そうな相手でも、なにを言われても絶対に気を抜かない様にし、ある程度の形勢がつくまでは手加減しなくなった。だから相手を舐めた試合をして、付け込まれ私に怒られた生徒は結構いるはずだ。

こんな武道、格闘技をする人間はどんなに大人しそうに見えても、それなりに自分を恃むところがあるし、しかも、打撃系の場合、組み技系と違ってダメージの量で優劣が決まるから、試合でもない時に軽い気持ちで当てると「大した事なかった」などと言い始めるし、かといってムキになって当ててダメージを与えたりでもすれば「軽くとお願いしたのに」となる。どっちに転んでもろくな事にはならない。だから、始めての人間のこういう申し入れは、受けない方が良い。どうしてもやらざるを得ない時には、私は始めにガツンとやってからか、大抵は「足払いでの転倒」をさせてから、後を流すようにする。この技は後の残る怪我もしないし、相手もコカされたという事で差をハッキリ感じるし、周りも納得するから、足払いは試合でだけでなく、使い勝手の良い(?)技である。

後で聞いてみたなら、この人間は某フルコンタクトの優勝者で、総合の試合にも良く出ている人間だそうだ。それにしては、打撃も寝技も見た目は下手糞だったと、私もそう見たからチョット油断してやらせたのだが・・・。ワザとそうしたのだろうか・・・。ま、この人間は大道塾を始めたいと言っているからそれはないとは思うが、こんな事で大道塾も大したことないと、失望させてその気が失せては相手にも悪いし、こっちもアホな役回りになる、心すべき事である。

22:00、会食。「これでセミナーの全日程が終った!」と思ったなら急に疲れが出てきてアルコールの回りが早い。この席で、セミナーに参加した他団体に結構強い女子の生徒がいるという話になった。今回の“WARS6”には女子部の八島や岡も参加を希望しているので、出来れば実現させてやりたい。が、明日会う予定の主な相手団体となる“リュットコンタクト”には女子はいないという事で困っていたので、渡りに船とばかりに早速ビデオを送ってくれと話した。00:30就寝。

5月14日(火)6日目
3:00に目が覚めたが、疲れて体が硬くなっている時の癖で大きく左に回転していた。こんな時に湯船があると体を温められるので助かる。一時間ほど湯船に浸かった積もりだったが、軽い洗濯をしたり頭を洗ったりで気付いたら05:00だった。気持ちよく疲れが出て来たのでベッドに横になったがウトウトしか出来ず、結局、6:00に起きて日誌。8:00に二人に声をかけて朝食。9:30からもう6日もメールチェックをしてないので、何とかしてパソを繋いでと思ったがどうやっても繋がらない。一時間ほど悪戦苦闘したが到々諦めた。しょうがないから本部に電話して今月末から来月一杯の審査や出張の日程調整をして、さて日誌の続きと思ったが、電話番号を教えたものだから、あれやこれやで忽ち5、6本の電話攻勢。昨日のとは違う意味で仕事上では時間の遣り繰りが出来るメールの有り難さを実感した。13:00日本でも寮に住み込み修行し、世界大会の中量級にフランス代表で参加したクリストフが始めて見る、二年前のセミナーの直後に入門したらしい、ウィルフェドと一緒に迎えに来てたので、地下鉄で土田支部長のバイト先の日本レストランに行き食事。これまた5日振りの日本食が、中でも味噌汁が五臓六腑に沁みわたる。「日本人だな−」を実感!

なんとはなしの話の中で、誰かが日本人についての軽い卑下をしたなら、すかさず土田支部長が「いや、そうじゃなくてそれが日本人の長所だと考えないと」と言った。さすが海外で暮らそうと言うだけあって考え方がポジティブ(肯定的)だ。よく海外に住む日本人が殊更に日本的であろうとするのを見て、へそ曲りの私などは、なにもそこまで、などと多少の違和感を持つ事がなきにしもあらずだが、雑多な民族が入り混じって、しかも皆、強烈に自己主張をする生存競争の激しい社会では、それくらいしない自己のアイデンティティを守り(自分が何であるか、自分は他人とどう違うのか、自分の生存の意味は何だという、自己の価値の確認、主張)他人に置いて行かれない為にも自然にそうなるのだろう。

かといってそれが行き過ぎると、長期に亘る不景気から今年の春のフランス大統領選挙での“ルペン現象”(他民族に対して排他的な政治家、ジャンマリ・ルペン氏が、戦前シラクを破って新大統領誕生かとさえ思われていた、リオネル・ジョスパン前首相を破り一躍二位に進出した。結果は「フランスの自由主義を守れ!」の大きな声で“賞味期限の切れたシラク”を再登板させることになり“痛し痒し”になったが・・・)のような、超保守主義、国粋主義の風潮を一層過熱させる怖さもある。事実、フランスだけではなく、オーストリアの極右、自由党(党首、イェルク・ハイダー氏)に端を発した移民問題がドイツ、オランダ、スイスなどEU八カ国、更にイギリス、ロシア等、多くのヨーロッパ各国で極端な外国人排撃の民族主義に繋がっている。豊かさゆえに皆が共存共栄でき、他人に対して寛容になれた良い時代の「“自己主張”は何の疑いもなく正しい」という、一本調子で楽天的な考えを教条的に信じていると、余計な摩擦も生むから、ここは多少の匙(さじ)加減が必要だとは思うが・・・。

14:30一旦ホテルに戻り仮眠して15:30より午前中邪魔された日誌にまた取り掛かる。16:30ホテル発の予定が誕生日と、母の日と、海外出張のお土産の三ッつを兼ねて、しかも三年は持たせようとの魂胆でヴェネツィアで得意の“叩き買い(?)”をし大奮発したネックレスが、鞄に無造作に入れておいた為にゴチャゴチャと見るも無残に縺(もつ)れているのを発見!これは“お家の一大事”とばかりに大慌てカード会社の現地事務所に問い合わせをして、直してもらう店を紹介してもらった。明日の昼に行こう。18:00過ぎよりセミナー開始。場所は近衛兵(大統領などVIPの警護にあたる、軍と警察の中間的存在のエリート集団)の隊舎となっているという場所。前回のような全くの郊外と違ってやや南東寄りだがほぼパリの中心地。は良いのだが、ここの道場は主に柔道で使われているらしく、床が軟(やわ)過ぎて膝には最悪のマット。今日まで4日間、パンチだけではなく左足を軸足にしての右足での蹴りまでは何とか指導して来たのだが、基本の最中に膝が重くなってきたので、これはヤバイと、後は口頭で説明し演武は二人に任せた。

参加者は殆どが他団体の黒帯クラスで、イタリアなどでもそうだったがそれぞれの型に嵌まっているはずなのだが、この参加者は皆、飲み込みが早くて基本も移動も概ねすぐに修正出来る。伝統派、フルコン派にかぎらず得意の“自由主義”で結構いろんな武道、格闘技を勉強している感じだ。20:30迄やって終ろうと思ったなら明日来れない人もいるからスパーを見せて欲しいというのでマスクを着けさせ、大道塾、空道は殆どの技が使え、現実的で、安全しかも見て面白いといつもの講釈をして簡単にルールの説明とデモ用のスパー。皆一様に驚嘆、目の輝きが違う。

ウィルはお決まりの様にいくつかの団体を経験してから大道塾に入門したので「絶対この大道塾はこれから伸びる団体です、フランスの人間は保守的で駄目だ!今回は私達の宣伝が足りなくて人の集まりが少なくて申し訳有りません」と頻(しき)りと怒りながら恐縮がる。「ウィル、お前以上に俺は、この大道塾と空道には絶対に自信を持っている。この中の何人かは必ず大道塾、空道の素晴らしさに気付くはずだと確信しているから、焦らなくて良い、それまでは良い汗を流して、その後の上手いビールを飲んでいれば良いんだ」と逆に慰めていた舌の根も乾かないうちに、「今日参加していた300人弱の生徒がいる人間が『早速、大道塾を始めたい』との申し入れがありました」と土田支部長から聞いたのは皆で中華を食べていた夕食時。「これで今回のセミナーも立派な“仕事”になったな」と一息した。

折角、費用と時間と労力と多少の危険を掛けての海外指導に出、蒔いた種は確実に芽を吹くという確信はあるものの、其の時に成果が見えない時は、本当に心身共にグッタリする。しかも、よく人に「考えてみれば、“危ない人達”も多いこういう世界で、余り海外経験の少ない若い指導員を、しかも大抵は二人だけを伴って海外に出るということは、飛行機に乗るという事も含めて常に“危険”と隣り合わせでしょう、恐くないのですか?」等とも聞かれる。確かに冷静に考えてみればそうなのだろう。だが私は元々その辺が鈍い上に、昔からの、“書生っぽ”だから「天が俺になにかを成さしめようとしているなら、それまでは大丈夫だろう」というアホな、ある意味、生意気な想いが身に染み付いているから、アッケラカンとしているのだが、労に見合うだけの成果は欲しいのは当然だ。

「20年掛けて追って来た『格闘空手』も世界大会まで漕ぎ着けたんだ、確かに塾の後進の事や日本武道、ひいては日本の事を考えると、今のままでは良くはないのは分るが、年も50歳にもなったんだし、今更、先の事を考えたとしても、また新しい事を始めれば、20年前と同じように『先生は変な事始めた』くらいにして何だかんだと言われるのも億劫だしなー。かといって、最後には一人ででもやるにしろ、まさかここでみんなを放ッポリ出すような無責任な事も出来ないし、みんなで協力した方が物事は早く実現するのは当然だからと、面倒な説得もしなくてはならない。考えただけであの悪夢のような日々が甦る。疲れる。もー良いよ、あんな思いは。このままで良いさ」と思いつつあった99年。

そう思うと、今だに思い出す度、総毛立ち、全身から力が抜け、人生を呪う“あの事件”で俺のケツを叩くのが、正哲の役目だったのかなー。馬鹿な奴だ。誰がお前にそんな事を頼んだ!命を粗末にしぁがって!だがしかし、“あの事件”が、迷っていた俺の背中を最後にドンと押したのは間違いないんだよなー、悔しいけれども・・・。だったら、やるしかないんだろうな・・・。よし、やれるだけやってみるよ。「お父さん、いつまでも腹が出るようになっちゃ駄目だよ」と良くケツを引っぱたかれたが、お前と今度会う時にも、胸を張ってお前の顔を見れる親父でいたいからな、しっかり見てろよ。23:00“消灯”

5月16日(木)8日目
5:45起床。書き始めると、日誌の方が普段考えている事や、正に「由無し事」(よしなしごと−取り止めのない事)で、思い付くままに書けるので面白く、逆に「はみだしから空道ヘ」の方は日付や、それなりの偉そうなウンチクをする為には、調べながら書くようなので、つい億劫になってしまって、今日迄大分滞ってしまった。その際、重い資料を持ち歩く必要がなく、しかも一応の知識が簡単に調べられるから、最近では常用(?)しているインターネットが使えないのは、手足をもがれた、もしくは馬脚を出した様で情けない。何とか覚えている範囲で書き始めるが、記憶が定かではないから中々進まない。8:00朝食。10:00藤松が体力別の後直ぐに来たから左脇腹が痛いというので土田に連絡を取って、ウイルと三人で掛けて来た保険の指定医へ行かせた。保険は掛ける時は高いなー(二週間で11,000以上も取る!)と思うが、知らない土地でこんな時には日本語の通じる医者に掛れるから助かる。

10:30よりチェックアウトの為、夕方までの時間借りにした部屋に移りパソに向かう。15:00今回の渡仏の目的の一つ、6月17日の“WARS6”の相手となるフランスで最も人気のある総合武道の大会を開催している“リュット・コンタクト”という競技団体の担当者と会う。この団体は、創始者がクリスチャン・リバートと言う日本の大学で“武道”を学んで行った人間だからだろう、海外の団体にありがちな単なる強さだけを求めているのではなく、大道塾と非常に似た理念―(“武道”とまでは言わないが)社会へ貢献のできる格闘技者を育てる事を目標にしている。二年前の渡仏時に会って以来、好ましく思っているから、選手を“Grand Torophe”という彼等の大会に出したりして交流が続いている。ところが去年あたりから、このノンプロの団体に人気が出た為、プロの団体からの様々な風当たりが強くなり、一寸苦戦していると聞いていたので、今回、連帯を一層強めて、社会体育としての格闘技や武道の奨励をしようとなったものである。

母体は柔道と“サバット、もしくはサファーデ”として有名なフランス特有の打撃格闘技の合体。選手には柔道のフランス代表チームの選手(82kg級で今回、山崎 進選手と当たる、フォートゥリ・パトリック)や、藤松と当るサバットの全フランス優勝者デニス・フランソワ、小川と当るサニー・スキアヴォ等がいる実力団体である(選手は後日、正式発表)。

「北斗旗」、「空道」はあくまでも「“路上の現実”を前提にした武道」として、頭突きや、肘打ち、限定ではあるがグランドでの打撃等の“激しい”技を認める一方、最低限の安全性を確保する為マスク着用となっている。その結果、顔が見えず経験者以外には中々ストレートに感動が伝わりにくいという欠点がある。そこでこれらを折衷させ、マスクを外して選手の表情を見えやすくし、しかし反対に頭突きやグランドでの打撃をなくして、安全性を確保して一層観客に理解されやすい、武道”の激しさと道義性、スポーツとしての安全性や見て判り易い、理解されやすい“大衆性”を兼ねた“着衣の総合武道スポーツ”の確立、普及の為に今回行われるものだ。

16:30に良い話し合いで終わった。まだ出発まで時間があったのでホテル前の映画館でジュディ・フォースター主演の密室スリラー“PanicRoom”を見たが余りぱっとしなかった。18:30よりカフェの前のテラスでの最後の“スノッブ”を決め込んでビールで乾杯!今回はセミナーが平日の上に、いつも大道塾の事を大きく取上げてくれている“KarateBushido”誌に告知が間に合わなかった事もあり、参加者がイマイチだった。しかし、14日の日誌にも書いたように、300人弱の生徒がいる団体が『早速、大道塾を始めたい』との申し入れがあったりと十分な反応はあった。ヨーロッパではやはりフランスの影響というものは大きいから、キチンとした練習スケジュールを立てて、受け皿を作ってやればフランスのみならずヨーロッパ全土に大きな可能性があるぞ、と土田を鼓舞した。19:30空港へ向け出発。20:30チェックイン。一時間の遅れで24:30、シャルル・ド・ゴール空港発。

5月17日(金)9日目
00:30から11時間後のフライトだから、本当なら朝の11:30なはずなのに7時間の時差の為、成田に着いた時は既に夕方の18:30。仕事をしようと思えば損したような気になるし、長旅の疲れを癒すという意味では得したような気になる、複雑な気持ちだ。いつもならスンナリ通関する所を、髭茫々の二人を連れた、最も警戒される“アブナイ雰囲気の男三人組”という訳で、どうでも良い事を結構シツコク聞かれた為、5分違いでサンシャインまで一本で繋がるリムジンバスに乗れなかった。しょうがないので最近ご無沙汰しているスカイライナーに。以前は成田へはいつもこれで往復したので、行きに帰りに、週刊誌を買い込んで情報を仕入れながらビールでの“結団式と帰国祝い”の乾杯をしたものだったが、本部が池袋に移ってからは、リムジンバスでサンシャインまで行くようになったので、本当に暫く振りの“儀式”だった。

行きは「良い結果が出るように!」という気負いと「とにかくこの連中を無事連れて帰って来なくてはな」という緊張感を高めてくれるし、帰りは帰りで「よーし、今回も良い“仕事”をして来たぞ!」という充実感と「何にせよ、連れて行った人間を、無事連れて帰って来れて良かった」という安堵感で、心地よい酔いが体に沁み込み、体を包んでくれるので、これはこれで、中々いいもんだ。体の部品のそっちこっちに故障が出始め、年々億劫にはなって来て「あと何回こんな事をしなければならんのかなー?」等と考える事もあるが、兎に角この「空道」が世界に定着するまで、走り続けるしかないだろう。それが“こっち側”で俺に与えられた“役目”なんだろうから。平成14年5月17日 成田に全員無事帰国。押忍。

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