ヴェネチア・パリ二都物語1

5月9日(木) 初日
膝の為にいろいろ紆余曲折があったが、今日から以前より要望のあったイタリア、フランスでのセミナー。先月のモスクワでの審査会の時に突然襲われた膝の激痛。日本に帰ってから“MRI”を撮り、一時は半月盤損傷という事で入院手術という事になった。が、病院が混んでいて手術が5月末で入院が二週間という話だった。すぐに手術してもらえるのなら、昨年の世界大会の(一応の)成功で目白押しで予定されている海外セミナーも、なんとか遣り繰り出来るが、それではリハビリにも二ヶ月ほど掛るしで、各地区の合宿の方も消化できない事になる。そこで様々な伝を頼って、今流行りの“セカンドオピニオン(複数の病院での診断)”を求めて二、三人の先生に見てもらった中で運動選手の膝を多く手掛けていて、その道の権威という先生は、確かに半月盤の損傷はあるがもう少し太腿の筋肉を再鍛錬すればまだ手術はしなくてもいいという診断を頂いた。

「太腿の筋肉の鍛錬を」等と私には考えられない事だが、実は、種子島から帰って一月ほどトレーニングをしてかなり筋肉の張りも戻ってきた二月下旬に膝の中が重い感じになったので、いつもの仙腸関節診断をしてもらったら腰から来てるので暫く練習を休めということだった。そこで、我慢してウェイトトレーニングを一ヶ月半も休んだ所、すっかり太腿の筋肉が落ちてしまって今度は半月盤に負荷がもろに掛ったようだ。同じような症状でも同じ療法が良いとは限らない。本当に何が良くて何が悪いのかわからない。要は永年の勤続疲労が出てきたという事なんだろうが…。そんなこんなで膝に負担の掛らないニーエクステンションやカールを中心に太腿の筋肉を再構築したが、今の所半分くらいしか戻らずまだ右膝は真っ直ぐにはならないが、一応それなりに歩けるようになり、この後の海外セミナーのスケジュールもあるので予定通りに出発。

サンシャイン前を8:15に出発するバス。30分前に、藤松がパスポートを忘れたという、絵に描いたようなハプニングがあったが、本部が近い事もあり運転手さんに渋い顔をされながらも滑り込みセーフ。9:45成田着でチェックアウトをし12:15定刻出発。今回はウチのような貧乏団体には中々ない、AirFrance での旅行とあって機内サービスも行き届いており、飛行機旅行での楽しみの“電話を気にしないで、ビールをのみながらの雑誌読み”が出来る事と、飽きた頃の最新の映画鑑賞と快適快適。

映画は“GosfordPark”という1930年代のイギリスのパーティーでの、型通りに嫌われ者のある金持ちの殺人事件を下敷きにし、しかし、出演者の30人(!)の階級の特徴を、結構面倒な展開にも関わらずそれぞれにストーリーを持たせながら巧みに描き、飽きさせない中々の優れもの。この映画が日本で公開されるのは来年だろうだから、俗物の先行意識もくすぐり、狭苦しい飛行機に押しこまれる苦痛も少しは和らげてくれる。しかも上得意の日本人の多い路線だから、日本語の吹き替えもある。吹き替えでは外国映画の楽しみの半分以上を削ぎ、それだけだとだけだと安っぽくなる所だが、 英語の字幕が出るので英語的に聞こえ、へーこんな表現が出来るんだと少しは勉強にもなるので、高い運賃の元を取ったような “セコク”得したような気にもなれたから尚更、気分良し。つくづく小市民的だ。

同行者は昨年の世界大会での重量級優勝者、藤松泰通(やすみち)と、本来は今年の体力別最優秀勝利者、清水和磨の二人の予定だったのだが、あまりに急で行けないという事で、清水は次回のドイツとスペインの方に回し、同じく世界大会軽量級の優勝者で、しかも一昨年フランスでの「GrandTorophy」という大道塾と似たような“着衣の総合(但しマスクは着用しない)”の大会で開始草々、相手のタックルに合わせ倒れながら送り襟締めで見事に勝利している業師、小川英樹を、「TheWars6(6月17日、後楽園ホール)」の敵状視察の意味もあり選んだ。

始めの目的地、Poludenoneは、ヴェネツィアから100km北の人口10万人の小さな街だ。実はローマでのセミナー希望者やミラノの“Samurai、サムライ”誌のインタビューの要望に応えるべく’99の夏にイタリアに来た時にも、ヴェネツィアまで足を伸ばしたのだが、その頃はまだ準備が整わずに表敬訪問にとどまっていた。夏休み中の要望だったので、誰にも声を掛けれず私だけでの来訪の予定だった。が、丁度、妻恐師範の仕事の市場調査にもなるということだったし、正哲が悩み、騒ぎながらもなんとか中学浪人をやり通して志望の高校に進め、何とか目標の大学にも入学できたので、それらの褒美も兼ねる上に、セミナーで何かの役には立つだろう、だったらと由美子も1人残す訳にはいかないし等と結局、家族4人で来た。いくら仕事がらみとは言え、そんなある意味で分不相応な旅をした罰だったのか、結果としてあれが家族4人での最後の家族旅行になってしまった。あの一週間後だった。今でも“後ろめたさ”と後悔の念がある。

やっとセミナーまで漕ぎ着けたという一種の到達感と、しかし仕事とは言え、あいつのいない今、急仕立ての演武などをする為に打ち合わせを兼ね一緒に朝錬などをした土地でのセミナー。しかも巡り合わせとはいえ、空手の世界では先輩だが、同い年で気が合い、良い空手の話し相手であり、追い付く目標であり、刺激し合う相手となっていた、昨年見事に世界大会で重量級を、余勢を駆って今年は超級までを制した藤松を伴ってきた今回。あいつはどんな思いでこのセミナーを見てるかなと、ややもすると人生の残酷さ、人世の巡り合わせを感じて正直、気持ちが重くなりかちだ。しかし、そんな経緯があるからこそ、感傷に浸ってる暇はない。第二回世界大会までの目標を達成する為にも、なんとしてもこのセミナーは成功させなければならない。それがあの事件への、潰されてたまるか、倍にして返してやる!という俺なりの“復讐”だ。

時差7時間で12時間のフライト後、経由地のパリ、シャルル・ドゴール空港に17:15着。3時間ほどの待ち時間で、20:50出発、1時間40分後の22:30にVenice、ヴェニス(Venezia、ヴェネツィアの英語名)のマルコポーロ空港に到着。Andorea・Stoppa(アンドレア・ストッパ)が待っていてくれた。彼は昨年の世界大会にも参加し、第3位に入賞したから多くの人は覚えているだろうと思うが、優勝候補の一人、山崎進を破るという見事な大番狂わせを演じながらも、兼ねてから痛めていた膝靭帯損傷の為、次の準決勝を棄権し、結果としてのロシアのグレゴリ−・デニスを一回休ませる事になり、地力から行って優勝確実だった、これまた優勝候補の稲垣拓一の疲労困憊を招き日本側に地団太を踏ませた人物である。

余談だが上の件は今回の「02年春季全国会議会議」の議題にもなり、そういう場合の次の選手の“棄権得(相手選手が試合をして上がるのに、自分は試合をしないで臨める)”をなくす意味で、棄権者との判定に大きな差がない場合に限り、負けた方に敗者復活を認める事になった。但し、次の相手に「効果」2を与えるハンディ戦になるが。

彼はイタリアーノらしく、根は非常に陽気な人物で、世界大会前の一昨年、ひょんな事から、総本部で稽古した時、同じく山崎とのスパーリング中に投げられ縺(もつ)れ、その靭帯を痛めて立ち上がれなくなった時も、「これは自分の原因でなったのだから」と終始笑みを失わなかった男である。世界大会の打ち上げでも“活躍”し良いムードメーカーになっていた。陽気なだけではなく彼は‘99、00と今年の三回に亘り、フルコン空手のチャンピオンで、柔道でも’96イタリア学生チャンピオン‘93、‘96全イタリアチャンピオン等など、華々しい実績をも持っていて、ナショナルチームの一員でもあってイタリアでは有名な武道家である。総本部の稽古に参加し、是非この「空道」を勉強したいとの強い意志を以前から表明しており、今回クロアチア、スイスなどの武道愛好家も参加する国際セミナーを主催した人物だ。

だが、それとは別に、どの国に行っても大道塾の支部長には多いのだが、これの運転は正に“神風”だ!マルコポーロ空港から彼の街、Poledenone、ポルデノンに行くまでのハイウェイ、私も久し振りの“生の英語”を聞き取る為に、また確かにメルセデスの安定感だろうが、120〜130kmぐらいにしか感じていなかったのだが、小川の「先生、メーターを見てください」と言われるまで気が付かなかったのだがなんと160km!しかも横に座る私を時折見て話しながら!である。「オイ!」言うと「以前は180kmでここを走ったなら、その時乗ってた人も驚いていました」と平気なものだ。これからは彼の車で高速を走る時は運転席の真後に座ろう。00:30に宿に到着。朝の9:00にフロントに集まる事を二人に伝えて部屋に。中々繋がらなかったが、なんとか日本にTELし、正に“無事”を伝えて1:30就寝。

5月10日(金)2日目
寝たのが日本時間で8:30だから、時差の為かウトウトして5:00に起床してしまった。しかたないから、近日発売予定の「“はみだし”から『空道』ヘ」の中に、もう少し書き足したい“武道論”や、“憲法9条小論”を捏ね繰り回していたなら、気付かない内に9:00になっていたらしく、小川が部屋に来た。聞くともう走ったそうだ、結構口はウルサイが、やる事はやる男だ、良し。レストランに行ったならこっちの人間は朝食はジュースとパンとコーヒーしか摂らないらしい。それでは伸び盛りの藤松もひもじいだろうと、ホテルの前のレストランに行って、ハムとチーズをたらふく食った。(卵焼きも頼みたかったが、英語は通じないし、イタリア語での卵はガイドブックに載ってなかったので通じなかった)11:00よりストッパが講師をしている大学の体育関係の授業(しかし運動だけではなく、東洋思想なども紹介するらしい)の一環だろう、7、80人の生徒(半分以上が女子学生なので小川などは大張り切りだった)に基本を一通り教えてから、「大道無門」、「大道塾」、「北斗旗」と、等の意味を講義(?)してくださいとなったので、乏しい借り物の“蘊蓄(うんちく)” をヒトクサリ。

午後は18:00から19:30迄少年部、続いての20:00から21:30までは一般部。ストッパは指圧や灸という東洋療法を生業(なりわい)にしているが、実績からも柔術のクラスも持っていて、その連中も加わった。基本が出来ないのにその上に立ち上がる応用をしても物にならないので、日本では絶対に認めないが、すぐに役に立つ事をしたがるこっちの連中は基本だけでは飽きるし、ま、3、4回のセミナーでは仕方ないかと、途中までやって後半は対人練習。ストッパの彼女は、柔道の元イタリアチャンピオンなのだが、その後の食事の時に、「今の柔道はただ力の強い選手の力比べになってるので、つまらなくなって止めた」というから「それは単調な、しかし、最も大事な打ち込み(空手の“基本”)”をいい加減にして、すぐにその応用であるべき“乱捕り(空手の組み手)”をするから、技が切れず最後は力技に頼る為だ」と言ったなら、我が意を得たりとばかりに同意していた。食事の後、何か食べますかと言うからアイスクリームと言ったなら、美味しい所があると別な店に行ってくれたは良いが、出て来たのがなんと、日本で言えば茶碗二杯分はあろうかというアイスクリームの山!ヒザの為に少しは減量しようという気もあったのだが、折角出してくれたものをと、げんなりしながらも何とか平らげて、24:00就寝。

5月11日(土)3日目
4:00起床。以前は手帳に毎日を朝4時から夜中の2時までを区切って事細かに行動を記録していたものだが(寮生の何人かは区切らされたのに覚えがあるだろう) 99年の8月からは、特に何かない限りは記録する気もなくなった。しかし実際のところ、なんだかんだとある日々を生きていろ仕事である。その度に、いろいろ思う事もあるし、また、どっかに行って部屋で一人なる事も多い。そんな時は、何か気慰みになる作業を伴わないと、ややもすると沈み込んでどうしようもなくなる。そんな事を思って始めた“日誌”だが、これが結構大変なもので、昨日の記憶がすぐに曖昧になるのに、チョット二、三日でも溜めると思い出すのが大変だ。書き始めるといろいろな考えを巡らせるにも、曖昧な言葉選びでは性分が許さないので(これで結構几帳面?とまでは言えないか)ついつい長くなってしまう。しかしこれは良い時間潰しだし“ボケ”予防にもなるだろう。暇な人は付き合ってください、と言うところか。

今日はセミナーは午後14:00からと言うので、少し緩くなり始めた太腿の強化の為に、7:00から小川とストッパの知ってるジムに行きウェイトトレーニングを90分ほど。以前、大学のウェイトトレーニングルームでインストラクターをしていた小川の「先生は大きな外の筋肉ばかり鍛え過ぎで、中のインナーマッスルを鍛えないから半月盤を痛めるんですよ」等との“エラそうなご指導”を受けながらウォームアップして、いつものメニューをこなした。マシーンが30台くらいある立派なジムで、中でも、ニーエクステンションやカールは出来てもスクワットが出来ないから大殿筋が鍛えられないなと不満だったのだが、立ったままで膝に引っ掛けて後ろに引くマシーンは大腿二頭筋(太腿の裏)と同時に大殿筋にも効くので気に入った。やっぱ男はケツがでかくなくちゃな。朝食後、ストッパの診療所に行きマッサージと灸をしてもらってかなり良い感じだが、部屋にバスタブがないので、徐々に筋肉が硬くなって苦しい感じが強くなって来てるのが分かる。(風呂好きの日本人と良く言われるがそれは海外に出ると痛感する。こっちの連中は大抵はシャワーで済ませるから香水を多用するのだ、とはどっかで仕入れた“蘊蓄(うんちく)”だがこれが一定程度を越すと今度は“ぎっくり腰”の危険性がある。要注意だ。

14:00から少年部。こっちではセミナーというと流派団体を問わずに参加する。日頃腰から出す事を教わっている子供が、急に顎に構えて“突き”を出したり、前屈が身についているのに、流派内では中途半端な立ち方だと怒られるはずの“組み手立ち”で動くというのも、かなり無理があると思うのだが、兎に角いろんなものを経験させて後は自分の判断に任せるという、いわば個人主義というやつなんだろう。聞こえは良いがかなり、いい加減で無責任な感じがして、その上、帰属意識の強いウェットな感受性を持つ日本人には、とまでは言わないでも、俺は余り好きではない方法だ。確かに多くの国が国境を接しているヨーロッパでは、当然様々な文化が入り混じっており、単一の文化を押し付けるのも無理があるのだろう。“文化”はそれぞれの風土、環境、歴史から生まれるものである以上、それぞれに長短併せ持っており、これが最良とは一概に言えないだろうから、中々対応が難しいところだ。しかし、武道のような一つの体系を持ってるものは、極端に縛るの確かに間違いだとは思うが、違う土台の上に違う技術を構築して行く事は、それこそ木に竹を継ぐようなもので、“接着力”が違い、従って“強度(完成度)”が減少するから、まず土台を確立してから他に手を伸ばさないと、虻蜂取らずになる。

15:30から一般部。これまた伝統派からフルコン派、柔術、おまけにスーパー柔術やら、“KAJUKENPO(カジューケンポーと読む!空手と柔術と拳法のイニシャルをくっ付けたもの)”等と言う訳の解らないのまで、しかし皆一様に良い体をしているから馬鹿には出来ない、7、80人集まるから迫力はある。昨日基本を覚えている組みと全くの初心者とを分けてしなければならない所だが、上で述べた様な考えだし、全く組み手立ちも知らない黒帯が混じっていても、連中は各流派の先生や幹部所が主だから、体力はありそれなりに応用は効くから、小川と藤松に経験者グループと一緒にして、一通り基本と、移動を、形だけを取り敢えず真似させる積もりで流してやれと指示し、私は説明して欲しいというグループに基本、移動を丁寧に指導した。二人とも慣れないからしかたがないのだが、かなり早く対人稽古に入って、様々なパターンをテンポ早く教えすぎてた(知らんぞ皆に恨まれても)、しかも案の定、こまい所は別にして、それなりに結構こなすグループもいて「先生、次はどうしたら良いでしょう」と言って来た。そこで大分飽きも来てる様なので一旦休憩。その後全員集め、始めは模範演武だけ見せて、次に各自で勝手に試行錯誤させておいてから、徐(おもむろに)に勿体をつけて解説した。17:30に終了。

18:00に宿舎に戻る。19:00から郊外に出て懇親会だと言うので、それまで「“はみだし”から『空道』ヘ」に加筆。30分ほど車で移動して19:30より懇親会。とは言っても日本みたいに注ぎ合ったりはせず、自分の分だけ注いで飲むのが普通だが、ストッパや武道経験の長い黒帯連は、さすが隣くらいには勧める。隣に座ったスイスのフルコンの黒帯は注ぎながら「是非、次はスイスでもセミナーをして欲しいのでメールを打ちます」と言っていた。その内主催者であるストッパが場を盛り上げようと、世界大会の時にも使っていた牛の手袋を持って腹話術らしい声(?)で席を回り始めるが、中々皆が乗ってくれない。分る、分るストッパは技術だけでなく「和を重んじる日本文化」そのものに価値を見ているから主催者として、そういう役回りをしようとしているのだ。

しかし日本でさえその傾向が強くなっているのに、ましてや個人主義の本場では何人が分ってくれるか。皆が上手く乗ってくれればなんか良いコミュニケーションをお膳立てした嬉しさはあるが、そうでないと自分一人が馬鹿をやっているようでなんか浮いてしまう。案の定ストッパの彼女が、なにバカな事をやってるのよという感じで渋い顔をしていた。いつもならここで、すぐ“でしゃばる”所だが、私もまともに稽古着を着たのは暫くぶりだし、膝にも余り良くないと思うので、ストッパに悪いなと思いながらも、いまいち乗れない。それでも23:00頃までは付き合って後は送ってもらった。24:00就寝。

5月12日(日)4日目
体が硬くて寝苦しく2:30に目が醒めた。いくらなんでもと思ったが目が冴えてしょうがないから3:00にベッドを降りて日誌や原稿の続き。05:00に少し眠くなったのでベットに入ったが寝れない、結局また起きて続きをしていたなら7:00に、小川がこれから走ってきますが何時に朝食でしょうかと聞きに来たので8:30まで。9:30にストッパの迎えでセミナー会場に。今日はまた新たにボクシングの元イタリアチャンピオンも参加。勿論、時間的に無理な為だが、一応、ストッパの求めるように、“組み手立ち”での基本、移動が出来ると仮定して、流してみるが案の定ばらばらだ。フルコン、伝統派を問わず2/3以上が三戦(チン)立ちや前屈で教わっているのだからしょうがない、それを我慢してるのに「今日はグランドテクニックを」と張り切ってる。立ち技とグランドは別物と割り切って2つ3つ程の入り方と逃げ方をやったら大喜びだ。とにかく単調を嫌い新しい事を喜ぶ。

今日もストッパの柔道の先生(60歳でイタリア一寝技が強いとストッパが言っていた)や、天理大で二年間柔道をしたという190cmくらいある東洋療法の先生が見学に来ている。こういう人は様々なセミナーを覗くが普通一回しか見ないらしい。が今回は「これは本物だから参加しろ」と自分が柔道の寝技をおしえている空手の団体の人も伴って今日も来ている。「打撃から組み技の移行」や、逆に、「組み技への打撃での対応」に興味を持つようだ。何にせよそういう本格的な武道をしている人にも認められるというのは嬉しい事だ。

昼食を挟んで16:30からストッパの家へ。街の真中の立派なマンションの広々とした一フロア−全部。ここで7、8年前か20歳の頃の、‘93国際フランス柔道大会で日本の須永選手に準決勝で負けるまでのビデオを見せられた。なぜ柔道を止めて「フルコン空手」を選択したか聞いた所、「柔道は最近スポーツになってしまって、選手はウェイトトレーニングばっかりして筋肉お化けになり武道性が薄れてしまった。また選手を続けるのなら警察か軍隊になるか、はたまたプロの柔道家として生活の全てを掛けなくてはならないから、他の事が出来なくなる。しかし、やるにしてもフルコンでなくては、柔道をしてきた人間としてやる気にはなれなかった」などと、始めから空手を選んで選手生活と人生設計の両立に悩んだ我々にとっては目を見張るがような“贅沢”をいう。ま、確かに、いつも言うように“競技性”にばかりとらわれルーツである“武道性”を失っては、そういう問題も出てくるのだろうが、それは肝に銘じるとしても、どこの国でも柔道は羨ましいほどの社会的立場をもっている。

そのあと、彼の診療所でまた、マッサージを受けたあと、ここPoludenoneの街を案内される。13世紀に作られたこの街のメインストリート、コルソ・ガルバルディは日本での一方通行程度の広さで住人以外は車が入れないそうだが、1473年設立などという石造りの建物などが通りに面して残っている。木ではなく石だからこんなに古い街が遺るのだろうが、それだけではなくて、戦火に明け暮れたヨーロッパだからこそ歴史を越えて来たものに対する尊敬の念が深いのだろう。(また横道にそれるが、「だから“武道”は海外の人々を引き付ける、日本の大事な“文化遺産”なのだ」こんな歴史ある古い町並みの中にいると、なんか中世のヨーロッパにタイムスリップしたような錯覚を感じる。その後、車で3、40分掛かるストッパの彼女が住んでいるPre Alps(アルプス山脈に繋がる前の山、という意味)の麓(ふもと)で、有名なファッションメーカー“ベネトン”の発祥の地の近く、ヴィクトーリオ・ヴェネット(Victorio Veneto) という村にディナーに招待されて行った時も、道々鄙びた街や村を通って行くから、生のヨーロッパに直に触れた感じがして、凄く特な気がした。

こんな時は完全に嵌まっているから、往時の人々がこの場所に立ち生活した姿や、幾多の英雄豪傑が人馬一体となってこの地を通りアルプスを越えて戦地に向かい、また敵が越えて侵入して来て、ある時は勝利の凱旋をし、ある時は落ちて滅んで行った姿が眼前に広がって、その馬の嘶きや戦車のキャタピラーの音、戦士の息吹まで聞こえているから、圧倒的な感激に身を包んでくれて最高だ。元々が歴史好きと言うこともあるんだろうが、堅気(?)の生活をしていて、外国に旅行するにしても、かなり観光地化された大都会には行くだろうが、こんな10万人程の小さな、古い街には来ないだろう。こんな時は、何万倍の後悔の合間にだが「武道のお陰でこんな体験が出来るのだなー」と確かに“一瞬”は思う。宿に戻り00:30就寝。

5月13日(月)5日目
3:30起床。今日はベニスに移動して観光し、そのままパリに飛ぶのでその前に、5:00まで掛かって荷物整理してから日誌。7:00にもう一度足を固めておくためジムに行き07:15から90分ほどトレ。今日は大好きなサウナがあったのでその後20分ほど入り駄目押しの汗を流した。10:00よりまた高速を使って(今度は余り刺激しないようにしたが最高175km!)一駅前まで行き、そこからは道が混むので電車でヴェネチアに11:30着。どうしても二年前を思い出してしまうので、いまいち気は進まなかったが、頑張った二人に折角近くまで来てヴェネチアを見せない訳には行かないので、同じような経路でサン・マルコ広場まで歩く。ストッパは育ちが良い上に、ただ何がなんでも勝てば良いと勘違いした良くある“ブドー精神”の海外選手とは違い、“強きをくじき、弱きを助けるといった、正しい武道文化”に憧れているから、正義感が強くて優しい人間だ。道々階段などで女の人が重い荷物や乳母車と一緒だと、さっと階段の上まで持ち上げてやったりする。私もそうしようかなと思ったりする場合もあるが、なんか気恥ずかしいし、また“変なオジさん”に見られたりしても癪(しゃく)だから出来ないが、それが嫌味に見えない程の好青年だから、こっちの気持ちも忖度してくれていたのだろう、互いに自然と口数が少なくなり黙々と歩く。

それでも30分ほど歩き、13世紀から16世紀にかけて水の都として繁栄を極めたヴェネツィア共和国の中心だったサン・マルコ寺院(町の守護聖人、聖マルコを祀ってある)や、ドゥカーレ宮殿(共和国のドージェ、総督の住居、政治、司法の中枢だった建物)のあるサン・マルコ広場に着くと、二度目なのにその壮麗さに思わず息を呑んでしまう。昼食を前回と同じストッパの好きな店で摂ったら店長が覚えていてくれて特性のウォッカに似たグラッパベースだと思うがレモンとのカクテルをサービスしてくれた。食べながら今回のセミナーの大成功を互いに喜び乾杯。そのうちストッパが思い詰めたように、人との繋がりもありこの4、5年迷ってきたがどうしても大道塾をしたいという決心を吐露した。その辺は今までの人達にも失礼のないように、しかし決心したのなら認めるのに吝(やぶさ)かではないと返事した。

最近の若者は何人のメル友がいるかが結構な関心事だそうだが、しかし煩わしい関係は嫌で、簡単に人との繋がりを断ち切れるように、人情を絡ませない“携帯での友人−メル友”が流行ってると聞く。今時の“友情”は良い時だけの、又、自分にとって得になる人間とだけのそれなんだな、と感じた経験からも、彼らの考え方は分るような気がする。そんな自分に都合のいいような“友情”しか築かない事を棚に上げて、そのくせ、俺は孤独だ、誰も自分を分ってくれない、などと虫の良い事を言っている。真の友人などというのは、人生で一人か二人いたなら御の字で、しかもそれはいつも良い事ばかりではなく、互いに意見が違って喧嘩になったり、しかし認めざるを得なくて仲直りしたりの繰り返しの中から生まれてくるものだろう。良くその人間の真の姿を見たいならその友人を見ろといわれるが、様々な事情で中断せざるを得ない時もあるだろうが、そういう友情は中々簡単には切れるものではない。そんな意味で彼のこういう悩みも分るし、考え方も気に入っている。

帰路、前回ストッパに会う前に、家族4人で昼飯を食べた場所で、どうしても写真を撮りたかったので行ったのだが、同じ店はなかった。却って良かったかもしれない、前回もあった隣の店でビールだけ飲んだ。

18:00にマルコポーロ空港着。ここでストッパと分れてチェックイン。多少遅れて21:20に搭乗、朝のトレと歩きで疲れてたのだろう、皆すぐに寝てしまったので、機内食で起こされるまで何時に出発したか知らないが23:45シャルル・ド・ゴール空港着。土田支部長が迎えに来ていた。迎えのタクシーの運転手との話し振りに一段と磨きが掛かったフランス語に感心。24:30パリ12区のガイドブックにも載っていない三つ星の Carail Hotel到着。モスクワの五つ星とはエライ違いだが、ま、まだパリは固定した道場もないくらいだから仕方ない。それでも必ずバスタブのあるホテルをと、くどいくらい言っていたので5日振りでやっと湯船に浸かれた。極楽極楽1:30就寝。

ヴェネチア・パリ二都物語2へつづく

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