大道塾は1981年に創立された、日本有数の規模を持つ(現在国内支部約100ヶ所、海外支部30ヶ所以上)、打撃系総合武道の団体です。
発祥の地、沖縄で「唐手」(後に空手)は、刀や槍といった武器を取り上げた島津藩との“現実の戦い”に素手に近い状態(ヌンチャク、トンファーなども)で立ち向かわざるを得ず、“当然”、投げ、締め、関節技をも含んだ総合的なものでした。大道塾もその原点(現実の戦い)を強調する意味で、創立当初から締め技、関節技をも含む、「現実的な(格)闘技としての空手」という意味で『格闘空手』として二十数年間活動してきました。しかし日本に輸入された「唐手」(後に空手)は現実面もさることながら、当時、新興武道として隆盛しつつあった、柔道との差別化を図るため、突き、蹴り、(一部の流派では、投げ)までとし、しかも、学校体育に参入する上で(現代のような軽量の防具がなかった当時としては止むを得なかったものでしたが)安全性を強調する為に、相手に攻撃を実際には当てない、相手の寸前で止める「空手道」(寸止めルール)として普及しました。大道塾が設立された1981年当時は、当てる「空手道」(直接打撃制—極真会、等)も登場しておりました。しかしながら、当てる、当てないに関わらず、やはり締め技、関節技はなく、「突き、蹴りまでが空手」という概念は、既に数十年の歴史を持っており、残念ながらその後の大道塾の強い主張でも、その固定観念を変える事はできませんでした。
また、設立後20年が過ぎ、大道塾が「格闘空手」を世界に広げ、いざ「世界選手権大会」となった時、「寸止め」、「直接打撃制」のどちらもが「突き、蹴りが空手」との主張で、世界に大きく普及しており、第三の、突き、蹴り、投げ、締め技、間接技の「格闘空手・世界大会」を立ち上げる事は、「空手道」の混乱、混迷を印象付ける恐れもありました。それは「日本武道」の地盤沈下を招く事にもなり、「日本武道は世界に誇れる大きな文化遺産である」との認識を持つ大道塾として、最も避けなければならない事でした。
そこで、2001年、「第一回世界大会」を機に、突き、蹴り、投げまでの「格闘空手」を原点(ルーツ)とし、今後も突き、蹴りをその核として追及はするが、それ以上の締め技、関節技を含んだものを、「空手」から生まれた新しい総合武道という意味で、「空道」(くうどう)と命名し、改めて世界に宣言し、普及、追求する事にしたのです。
また「空道」の「空」は上述したような原点(「●空手」から生まれた新しい[武●道])という技術的意味と、仏法における「色即是空 空即是色」をその典拠としております。即ち、「この世に不変の物体はなく、観念もまた固定的なものではない。全ては時空を超えて生々流転する。これを『空』と呼ぶ。故に『空』こそが、この世の実態であり、全てを表象する」という意味が、大道塾の設立理念に合致するという点からも、意義深いものがあります。ちなみに「大道塾」の“大道”は「大道無門」、大道に至るに門なし。即ち、人の世の全てが修行の糧、至高に辿り着く道程となりうる、という言葉から借りており、先入観や、固定観念を避け、全てを抱含し、しかし一つには偏らない自由、開放を塾是としています。
又、現代的に無色透明な「会=集まる」とせず、敢えて、古色蒼然(?)たる「塾=学び舎」としたのは、肉体的な強さのみを追求する「集まり」ではなく、肉体的、精神的な強さに至ろうと切磋琢磨する中で、有情(心の豊かさ)を高め合い、人格的な豊かさを磨き、学び合う“(道場)”でありたい。人間として太く逞しく成長し、又、後進を成長させうるような、団体でありたいという願いからです。 |