「空道」とは何か

大道塾代表師範・塾長  東 孝

大道塾は今年2月4日の「大道塾定例全国運営会議」において、来る11月17日の「北斗旗世界選手権大会」を 「第1回北斗旗 空道世界選手権大会」として行うと決定した事を、ここに発表させて頂きます。

 理由は様々にありますが大きなその一つは、今回の世界大会には空手を始め、柔道や柔術、レスリング、サンボ、散打、パンクレーション、ムエタイ、ボクシン等、様々な武道、格闘技の経験者や現選手からの参加が予定されており、又、実際「投げ」や「関節技」、「締め技」等の比重も大きくなっており単に、従来の「突き・蹴り」のイメージが強い「空手」のみの大会ではないからです。
 又、現在「空手」という言葉で表現される、競技、試合は世界に何種類もありますが、好むと好まない(認める認めない?)とに関わらず、公式的には国内では、文部科学省所管の法人、日本体育協会(日体協)傘下の「全日本空手道連盟」、通称「全空連(ゼンクーレン)、世界ではWorld Union of Karate Organization 「世界空手道連合」 通称WUKO(ウーコー)を意味します。
(「最近WUKOともう一方の“寸止め空手”の雄、 ITKF 『国際伝統空手道連盟』International Traditional Karate Federation が合併し WKF World Karate Federation 『世界空手連盟』-となった」と言われていますが「ITKFは認めてないとも言われ確実な情報ではない――空手雑誌編集者談)」)
 いずれにしろ「空手」と言った時は、公式的には「寸止め空手」を意味します。そしてその日本発の「空手道」がお隣韓国の「テコン道」の後塵を拝したとは言え、オリンピック参加の前提条件であるIOC ( International Olympic Committee)の承認団体として認められ(異論もあるが)、懸命にオリンピック参加運動をしています。

 さて少し話はそれますが、「武道」の目的は、
自分自身の心身を鍛え「強く」なり、その強さを社会に生かすことは当然ですが、それと同時に明日の日本を背負う青少年を育成する事も大きな目的の一つでしょう。そう考えた時、昨今「混乱」から「崩壊」とまで言われている日本の教育を立ち直らせ、明日の日本を担って行く青少年を育成する最後の砦とでも言うべき「武道」として、「当てる(直接打撃)空手」、「当てない(寸止め)空手」のどちらにしろ、一団体の有利不利を言う前に、大所高所に立って考え、「武道」としての価値を下げるような事は絶対に避けなければなりません。片方がオリンピックに認められたなら自分達の立場が等と言っている場合ではないでしょう。少しでも「空手」のオリンピック参加の可能性があるのなら、「社会体育」を標榜する我々、大道塾としては「武道」では世界から注目の集まる日本において、既に歴史を重ねている大会は別としても、様々な『○○空手道世界選手権大会』」を新たに立ち上げる事で、その妨げとなるような事は避けたいと結論したのです。

 又、「空手」の「空」は、「唐」より伝わった「唐手(とうで)」の訓読み「からて」の「から」に「空」を充てたものですが、本当に素晴らしい字を充てたものと思います。「空」という言葉の定義には様々あり一つは“無常観” すなわち形「あるものは必ず滅す」(だから物にとらわれてはいけない)というものです。二つ目は“相互依存”「全てのものは互いの存在により成り立っている」(だから唯我独尊的な考えはいけない)という考え方です。そして三つ目は「何ものにもとらわれない」とうことです。三つとも言葉を変えて「総てが関連し(包含し)」しかし「何物にもとらわれない」という概念を意味しているとおもいます。その全てが「大道無門」(“至高”にいたるには門を構えず、“人世”全てを修行の糧として積極的に生きる)を塾是としてきた我々とっては深く、重い意味を持っています。

 そういう意味で、単なる強さのみを追求するのではなく、社会性を認識している、あらゆる武道、格闘技の交流、切磋琢磨の場である「北斗旗」の更なる世界的展開と、「社会体育」(強さの追求のみではなく、社会に寄与貢献する為の心身の鍛練という意義を持った体育)の団体としてのより一層の社会的認知とを志し、来る
11月17日「第一回北斗旗 空道世界選手権大会」を開催する事をここに宣言します。趣旨をご理解頂き、皆様の、ご支援とご協力をお願い申し上げます。