気まぐれに東塾長か答えるコーナー

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連載漫画の感想に対する回答

はみだし実話7の感想コメント

発信人つまるところ、貴団体が素晴らしいのは、やはり空手などの格闘技団体は、ほとんどが裏の社会とのつながりがある中で、それが無いということです。そういう団体だからこそ、安心して通うことができると思います。後は、もう少し関西の本部の場所を通い易い所にして頂けたら最高です。

RE:

塾長表現しにくい所をご理解頂け有難うございます。個人的な経緯(いきさつ 笑)から、そっち方面には神経質な位に距離を取って(為に、四苦八苦しながら 爆)団体を運営して来ました。

青少年教育にもっとも効果的な武道とか格闘技を、国(政治)も一般社会も、一部の武道を除いては戦前の軍国主義との関連で捉えて漠然と(意図的に?)忌避し、サブカルチャー≒娯楽(「ドッチが強いでショー」)として存在することしか認めない所に(※)、その根本原因があるので、好んでその方面に向かう人間以外は、団体の運営、組織の伸長という面から考えると、根は深いのです。

※そう見られても仕方がない“ブドー”もある事は事実ですが、「ニワトリと卵」論争に似て「衣食立って礼節を知る」ではないですが、「教育」という元々が商売になりにくい(「費用対効果」の少ない 笑)分野に、公的支援がないから・・という面もある事は確かでしょう。

そういう意味で、運営面から考えるとこの世界の建前であり良く言われる「武士は食わねど高楊枝」とは真逆の、「白(い猫)だろうが黒(い猫)だろうが、ネズミ(食料≒兵糧≒運転資金)を捕(持)って来る猫(人)は良い猫(人)だ」という、非常に分かりやすい(泣)方向に引っ張られそうになります。

また更に困った事に「小よく大を制する」という武道を代表する言葉は、もう少し掘り下げると「先天的に大きいとか、強い、優れている者は負けたくない」という反骨精神にも繋がります。(そういう意味では武道、格闘技を好むものは“運命論者”ではないので、良い方向に向かえば、社会を前進させる“エンジン”になれる者たちなのです。(「黒船(夷狄)何するものぞ!」と圧倒的な国力の差を跳ね返し、明治という国家を打ち立てた維新の群像達が良い例ではないでしょうか)。

しかしそれは逆に言えば、基本的に武道・格闘技を好む者は優等生的ではなく、かなりの割合で権威や体制、運命への反骨的精神の持ち主であったり、潜在的な共感者である可能性があり、一歩間違えば、反社会的言動をする者や言論への忌避感が、一般的、優等生的な生き方をする人間ほど強くはないという事にもなります。

私は幼稚園時代からの“ヤンチャ”があり母親の正に“全身全霊”での説教があったので、好きな高倉健の「網走番外地」ブームが最高潮の頃でも、●●会のリクルート(笑)や、70年前後に一世を風靡した○○連合=○○教会からの甘ぁ〜い誘惑にも引っ掛からないで、こっち側を歩いてこれましたが笑&怖!それでも一時の“夢?”は坂本竜馬や西郷隆盛=革命家でした笑。幸か不幸が自衛隊に所属しながら早稲田の二部に進んだ時には“革命”(ゴッコ?)は終息していたので、その“夢”は萎んでしまいましたが(ホッ)。

そこまで暴走しないでも(笑)、「(月謝を払い)武道を習いに来れる」というだけでも本当は”恵まれて”いるので“悲惨さ”という意味では本当の“地獄”(経済的だったり、家庭的だったりする)、を見て育ってきた”その世界” の人達とは根本的に違うのですが、上述したような権威や体制、運命への反骨精神から生まれる“強者志向”という意味では、彼らの心境と“心情的”には近いので、頭では「“反社”は良くない」とは分かっていても、相当“自覚的”、“意図的に”距離を取るとかしないと、初めは「そうなんだ〜、大変だったんだね〜」とかの同情から始まり「俺もその感じは分るよー」という共感に到り、遂には“意気投合”してしまいがちなので、この問題は一概に「故なし」とは論じられないのです。

補遺:昨今の政治の貧困さ、政治家のリーダーシップのなさは、明治の政治家と昭和の政治家、昭和の政治家と平成の政治家の“迫力”の違いを見ても分かるでしょう。そしてその“迫力”の差はいかに彼らが時代的、対人的“修羅場”をくぐり抜けてきたかの違いからくるのです。だから「偉大な政治家は時代(混乱)が生み出す」と言われるのでしょう。 “人間的修羅場”はどの時代でもあるものでしょうから 、「よくこんなに世間から悪しざまに言われても平気な顔で人様の前に出ていられるものだ」と感心するしかない“政治家”の何人かが直ぐに思い浮かぶのを鑑みても、現代社会でも鍛えられ(?)るのでしょうが“現実的、時代的修羅場”は人為的には作れません。

では平和な時代には偉大な政治家は生まれないのか?一般的にはそうでしょう。それでも次善の人物を生み出す望みはあると思います。それが“武道”ではないでしょうか?“護身”が目的ではあっても、この平和な時代には、そうそう技術的な意味で鍛えた技を発揮する事態はないと思います。しかし試合≒死合い≒疑似的殺し合い≒武道を続けて来た人間と、「公正と信義を旨とする国際社会を信頼し」という、建前の平和日本(現実的には米軍の“庇護≒束縛”) の中で“生息”させられ来て、疑似的ですら肉体的競争を経験したことすらない人間との違いは、イザという時の肝の座り方、対応の仕方は違うはずです。それがこの平和な時代での武道の存在理由だと思います。

(掲載日2013.7.22 一部加筆修正2013.8.5)

塾長のコメントに対するRE:

発信人3塾長、失礼いたします。
塾長の「政治家育成のための武道教育」という発想は素晴らしいと思いつつ、浅学菲才ゆえの質問をすることをお許しください。
体を鍛えることは人間の根幹としての迫力と魅力をもたらしますが、政治家としての「覚悟」「信念」は「殺し合いの修羅場を駆け抜けてきた自信」からくるのではなく、自己の政策・ビジョンが国を良くしていくという揺るぎなき自信からくるものではないでしょうか?
私は空道は素晴らしい武道だと思います。「最先端の実戦テクニック100」を拝見しますと、その鍛え抜かれた体力以上に「知的な部分」に魅かれるものを感じます。相手を崩し、投げるための道着の使い方。それがまた、攻撃のための効果的な角度や距離をつくりだしていることや、頭突きや肘打ちなどの様々な距離の活用、・・・etc.そこには「考え抜かれた戦いの方法」が示されており、「道を追求していく」というのは斯様なことかと心動かされます。従来の「脇腹への下突きとローキック」では想像することすら出来なかった「戦略、戦術」というものがあるのだと。
そうした「格闘方法」にイノベーションをもたらした大道塾の塾生が、政策面においてイノベーションをもたらし得ることこそが、「政治家育成のための武道」ではなかろうか?と夢想いたすところです。「殺し合いを経験した迫力」というのは、政治家自身よりもボディガードがもつべきものであり、変な話、それこそ「ヤ○ザの強面」に通じ「総会屋」「政策論なき政界再編論」に逆戻りするのではないか?と思案するところです。(掲載日2013.8.22)

上記のコメントに対するRE:

塾長誤解があるようなので説明したいのですが、いま多忙を極めている時なので取り急ぎ簡単に。
私は武道家が政治家に向いてるなどとは全く思ってません。方向が逆です。それ所か逆に武道を志す人間や、そこまで大袈裟でなくても、勝負事を好む人間が安易に、半端に、政治を目指すことは危険だとさえ思ってます。(先の戦争では当時の“力の体現者”である軍人が政治力を持ってしまったことが、国を誤らせた一因だと思っているからです)そうではなく、逆に、政治家を志す者が武道(修羅場)を経験した方が、政治家としての迫力や胆力が生まれるというのは、明治維新の坂本竜馬、西郷隆盛、勝海舟などを挙げるまでもなく、枚挙に遑(暇 いとま)がない位ではないでしょうか? (もっと面白いエピソードを交えながら以降は後日)(掲載日2013.8.22)

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