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改めて、基本に付いて

ここ10数年の、武道が単なる「どっちが強いでしょー」的なものになっていた社会風潮の中にあり「現実的な護身」とか「社会体育」と言った原点に固執し(?)、派手なパフォーマンスができずに、ご後援者やファンの方々に(中には支部長にも?)、「大道塾、空道はどうなってるんだ?」とか「これからどうなるんだ?」などと大変心配をして頂いておりましたが、既にHPでご存じのように、「大道塾」発足32年目、「空道」提唱12年目にして、これまでの地道、堅実な活動が認められ、[2013 World Games Cali]への参加(demonstration)、JWGAへの加盟などなど、様々な明るい話題が重なっております。その上に、参加が黒帯昇段の条件になったという“遅すぎた対策”も理由の一つである訳ですが(笑)、SC(合宿と言うには短すぎるのでSummer Camp 泣)が例年以上の盛り上がりを見せているのはご存じの通りです。

そんなSCで行われる定番の審査(※1)で気になったことが何点かあり、その都度注意しましたが、改めて注意を喚起しておきたいと思います。それは基本と移動の習熟度に支部間で大きな差があるという事です。恐らくある一定の割合の支部では基本を軽視したり(まさかとは思いますが)殆どしてない支部があるように見えました。これは空道が飛躍的に世界へ広がる予感のある今、絶対に見逃してはならない問題です。

(※1) 7,8,9月はSC以外では審査は認められません。賛否両論はあるでしょうが、いわばSCに参加したものの特典として審査が行われるのです。運営的にはこうしない方が受験者も多く本部や支部にとっては助かるのですが、単なる技術競争者集団ではなく、SCを通じて普段顔を合わせない支部生同士が、より親しくなれる、同じ場所で練習をし、同じ屋根の下で入浴し、食事をし、語り合という、より人間的な交流も何度かは経験して欲しいからです。でないと技術競争者集団の常で、会うのは大会とか審査会だけというライバル関係しか築けず、一旦亀裂が入ると修復することはなく縮小再生産の繰り返しになるからです。人間の幅を広げるのも一つの目的で武道修行をしたのに、心身の個性(強気、弱気、センスの有無、身長、体重など)で差が出やすい技術中心の付き合いは、チョッとした考えの相違がもとで普通の人以上に、疑心暗鬼になったり相互不信に陥ってしまいがちで、実際にそういう虚しい例を多く見ているからです。そういう時に歯止めになるのが、人間的な触れ合いの記憶なのです。

基本と移動は、現在いわゆる“伝統的な型”をしない空道、大道塾(理由参照 当コラム「型には二つの意味がある。一つは“技術の伝承”もう一つは“体育教育”」)にとっての数少ない共通項目で、芸事の奥義と言われる、守破離の“守”にあたる部分です。個人的な解釈をしたり、大会での実績を元に安易に変えて良い物ではありません(優勝者は10年で階級含めれば何十人生まれるわけで、その個性に合わせていては大変なことになります)。勿論、当職にも現実の攻防、護身から生み出しという自負はあるものの、競技としては未知の部分のある「空道という新しい武道」を始めた創立者としての限界はあり、当職が定めたことの全てが完全だとは全く思っていません。実際に、基本や移動なども発足当時から変わってる部分はあります。しかし、それは運営会議での協議と創立者である当職の合意があって初めて変わったものです。

(※2) 守破離(すはり、しゅはり) 意味

以下は守破離の元の意味に、武道生活50年になろうという私なりの、守破離という観点からの、基本に対する考え方です(破と離に付いては機会があれば書きますが、時間が・・・)。さて、“守”は字義通り、先達から受け継ぐ、その団体や流派の伝統、形式といった共通項を、無条件で伝え(教え)、伝えられる(教えられる)ことで、(ここからは私見の色合いが強くなるでしょうが)とかく技術習得が早い者が陥りがちな“独善的、唯我独尊的な性向”を抑止し、相互理解や切磋琢磨で成り立つ一般社会でも通用する人格を維持(担保?)するためにも、重要な導入過程(通過儀礼)というべきものです。これは“肉体的強さ”という、「他の芸事以上に周りに大きな影響を与える武道や武術」では、最も留意しなければならない点だと思ってます。強くて人の言葉を聞かない人間を育ててしまったなら社会に害毒をまき散らすようなものです。

だからその排他的な心情の萌芽を摘み取るために武道や武術界では“押忍”という、忍耐の上に更に、押し付ける、押えるといった語を加えて、上位者へ従う事が「一方的な受身(押し付ける)だけではなく、自分の意志(押える)でもある」という形式美に高めたのだと思います。(だから空道、大道塾では、今どき時代錯誤な響きのある“押忍”という言葉の(重い、暗い?)イメージを了解しながらも、敢えて今でも残しているのです。(そんなことをしても駄目な場合は駄目ですが 笑)

そういう意味でも、もう一度支部長、塾生は上述したように、空道がこれ以上世界的競技になる前に、同じ道着を着てるが、音だけが同じ「クードー」にしないように、改めて空道の基本や移動稽古の意味を振り返って貰いたいものです。

文書日付2012.8.30

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