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コラム14  怪力乱神を語らず

この文章は「コラム13 矢のごとし光陰に、爪痕なりを」の補足として「マススパー動画集2009」に寄せて書き下ろしたものです。

東塾長マススパー動画2009

体を使う競技、運動で「走らなくても、ウエイトトレーニングをしなくても強くなれる」とか「年を取るほど強くなる」などと公言するのは“武道(ブドー?)”の世界だけである。(「年を取るほどに強くなる」なら理の当然として師は永遠に強くなるだろうし、その下にいる弟子は代々それより弱いはずである。人間は何千年何万年と人類の歴史が始まって以来闘争を繰り返している。もしそんなのがあるなら現代社会に生きている我々の強さは、ないも同じではないのか?こんな子供騙しはさておいて、なぜ前者(ウエイトやランニング不要論)のような説が出てくるのだろう?から考えてみたい)

それは数字(点数や時間、距離)で、その優劣を計れる他のスポーツと違って、人間と人間の戦いには技や体力以外に、精神的、心理的な要素(強そうに見えるとか、対峙する側の気の強弱、妄想を信じたがる性格など、刷り込まれた恐怖心)も関係するから、確かに単純に体力やスタミナだけの比較で、その強弱は決められないからである。

大晦日の総合格闘技の試合で若くて体力、気力、スタミナと全てに勝っていた話題の選手が、戦前の大方の予想をひるがえして負けたのも、パンチに対する必要以上の恐怖心があり中に入って打ちあう事が出来なかったり、打ち合っても腰を引き気味にして体重の乗らないパンチだったから、相手にはそれほどのダメージにならなかったのである。昔、週刊プロレスに大道塾(当時は「格闘空手」)の連載をした時「組み技系の選手は首が太くて、1発や2発顔にパンチを貰っても恐怖心がなければ即倒れる事はないから、まず初めにパンチへの恐怖心を克服して、前進して思いっきり打ち合えばいい。それができればパンチは覚えやすい」と書いたのだが、恐らく彼は総合を練習し始めてすぐに打撃系の選手のパンチで相当なダメージを負ったので、そのトラウマが前進や打ち合いをを躊躇(ためら)わせたのだろう。

ましてやどこにも所属しないでフリーで練習をしていたとなると(色んな練習法を学べる反面)どこに行っても“お客さん”だからそのジムなり道場としては、「柔道オリンピックチャンピオン」に敬意を示す意味でも、舐められない為にも、まず“洗礼”をしてから、と思うのは人情である。

ウチなどにも柔道等の組技系の経験者が入って来た場合、彼らは大抵、初めから打撃系で育っている人間よりは体力(首も太い)があるので普通にボディや脚を蹴られてもそう大きなダメージは受けない。中にはそれで勘違いして先輩などへの態度が大きい者などもいるから(恥ずかしながら私もその一人だった笑)そういう場合はマスクを着用させた顔面ありの組手をしておくと、大抵、次からは態度が改まる(笑)。

譬え(たとえ)が適切ではないが、犬の調教をしたことがある人は知っているはずだが、初めに犬を柱に縛っておいて咬み付けないようにしておいて、鼻っ面(つら)を殴っておくと、絶対に人間に反抗しないようになり従順になる。
所が人間の場合、これが利きすぎると道場の秩序(皆が余計な摩擦なしに練習できる上下関係)を保つのには良いが、その選手がパンチに対しての恐怖心を克服するには余計な時間が掛るようになる。一方、選手は褒めて煽てある程度“天狗”にすると自信を持って伸びが速いものだ。

しかし、どちらに偏っても、弟子を育てると言う意味では一長一短だ。「道場の秩序維持」と「選手の育成」というある意味相反する両方の要素を上手く兼ね合いながらしなければ、「武道の道場らしく上下関係や秩序は良いが強い選手が出ない」という道場と「確かに強いが礼儀も言葉づかいもなってない道場」というどちらも困った道場になってしまう。

閑話休題。また別な要素で、実戦実戦などと言っても暴力、腕力絶対反対の現代社会では実際に殴り合い(ケンカ)などは度々あるものじゃないから、摩訶不思議な体系なり、妄想なりを信じて練習していても、“その時”までは、バレないで済む。何となく強くなった気がして余裕ある態度や所作が身に付いたりすると、益々強そうに見えて周りは手を出さないからそれで十分に通用するのだ。

何年か前に、これ又一世を風靡した“ブドー”があった。当時、世の中に出始めて研究が十分ではなく、様々な武道格闘技が連敗していた“柔術”に対して、我々はあり得ないと見ていたのだが、常に話題が必要なマスコミに乗せられて「我々の体系なら勝てる」とまで言っている内に自己肥大し、日本全国の注目を集めて実際に公開で試合をして“しまい!”全くなす術(すべ)もなく負けた団体があったが、これ等は、まだ正直な方だろう。普通は「我々はどっちが強いかなどという目的のためにブドーをしているのではない」とか、「我々の“術”は危険過ぎるから、試合は出来ない」などと言って、そんな下手な真似はしないものだ。

このような“ブドー”や“術”がいつの時代も「浮かんでは消え、浮かんでは消え」する理由の一つは、人間自身の心の弱さにもよるのだろう。特に若い時の動きや、スタミナがなくなってくると、何か今までと違った別な体系なり力がその弱くなった部分を補ってくれるのではないか?と。

これは向上心ともとれるから余計始末が悪いのだが、ここで「現役(若い)時代からは衰えて当たり前だ」と現状を客観的に直視できる、現役の選手だった頃には当然備えていたはずの“誠実さ”や“勇気”。「その足りない部分を、鍛錬の過程で身に付けた精神力や間合いで補うのが“武道”なはずだ」「子供ではあるまいし、いつまでも“殴り合い”で勝ち負けが決めるのか?」という複眼的な見方ができるなら、そんな妄想に耽ることなく、「ゼロになる訳ではない」とか「しないよりは数段良い」となり、少しでも時間を見つけて「これまでの練習を効率良く」となり、それは確実な“現実的な強さ”となって維持されるはずなのだが・・・・。

もっと露骨な言い方をすれば、現代社会で最も暴力や腕力を必要としているのは誰で、どこだろう?と考えれば答えは自然に出るのではないか?それは表では警察や軍隊であり、裏では暴力団なはずだ。だからどこの国でも、軍や警察はその国において最も相手を制せるものとして、「実際に体を鍛えて初めて使える武道や格闘技」を採用しているのではないのか?(尤もヤクザやマフィアは、身に付けるのに手間暇が掛かるそんな面倒なものより、刃物や拳銃のほうに頼るのだが 怖)

何と米軍は最近MMAの採用を検討しているという噂もある。それは現代のアメリカでは一番MMAが強いと思われているからだろう。軍に応募すれが中東や、アフガニスタンに運ばれ、実際に死ぬ確率が高い昨今の米軍である。最近では手を変え品を変え(低所得者層に大学進学や奨学金を約束するなどして)徴兵しようとするが中々集まらない。そこで若者に人気のMMAを学べるというインセンティブ(?)を付けると集まるだろうということらしい。間違っても気で相手を倒すなどと言う“ブドー”や“術”を採用している軍やヤクザやマフィアはないはずである。
因みに当然の流れだと思うが、既得権益が絡む日本では難しいが、既に空道は海外の数カ国で警察や軍の指導を始めている。

最後に「現在の私の力は現役時代から見れば半分以下だろうが、それでもこれを職業としているお陰で、週2-3回の練習はできるので、この位ならまだ動ける。当然、弟子だから遠慮はしているのだろうが、それを割り引いても“そこそこ”には動いているはずだ(笑)。
皆がそういう環境ではないだろうから同じにとは言わない。しかし週1回でも(たまには2回 笑)練習を継続してれば、それなりの力は維持できるのだ。年々練習はきつくなるし泣、「何かもっといい手はないか?」と逃げ道を探しがちになるが笑、イザという時に『こんなはずでは!!??』と天を仰ぐよりは賢明な選択だと、自分に言い聞かせて自転車を漕いだり、バーベルを手にしている今日この頃である」、とこの小論を締め括りたい。

文書日付2010.1.13

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