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コラム11  チェコ ヴァーツラフ広場での妄想(笑)

注:下記文章は書きなぐり/書き下(くだ)し/推敲後日/再読修正アリ (笑)

当時最高の視聴率を誇ったNHKドラマを見、維新の志士「坂本竜馬」に憧れ「いずれ俺も革命の志士たらん!」としてはいたが、いかんせん政治運動とは遠い田舎の、しかもまだ高校生であり、大学(改革)紛争から発展した学生運動には「遅れてきた世代」である私は、実際にはこの「革命運動ゴッコ(?)」には参加しなかった(良かった!親を泣かせないで)。

しかし、年代分けでは「70年安保世代」になる私にとって、日教組教師を中心とした(洗脳?)教育「共産主義から社会主義体制への移行は歴史的な既定路線であり、理論的な事実だ」という主張には単純に「そうかもしれないなー。いやそうあるべきだよなー。そうすれば俺もこのまま大学に行けるんだろうから・・・」と漠然たる共感を持っていた。

当時学生運動に走った学生の殆どはまじめな優等生で、同じような共感(平等社会の実現)から運動に取り組んだはずだ。幸か不幸か私は、まじめでも優等生せいでもなかったし、大学に入る金がなかったから遠回りしている内に、頭デッカチの直情径行、純粋真直ぐ君から脱皮し、世の中を複眼的に見られるようになった。又、念願かなって大学に入った頃には学生運動自体が下火になっており、そんなこんなで“流行り病(はやりやまい)”には感染しないで済んだ。

革命どころか、逆に大学への入学金を稼ぐために自衛隊に入り、デモ隊鎮圧の放水車に乗り、放水射手の訓練を受けていた!!!「俺ってもしかしてあっち側にいたんじゃないか?」と思いながら・・・。(好い加減だねーーー爆笑)

しかし、「チェコ事件」は私のような半端な共感にしろ、理論的な確信者にしろ、資本主義社会の中にも多くいた共産主義シンパ(支持者)に大きな疑いを持たせた歴史的な大事件だった。それは人間/人類の向上心にも繋がる利己心を肯定する自由主義経済を否定し、「生産手段の共有による私有財産否定を通じての平等社会の実現」という、マルクス・レーニンにより唱導され試行された「ソヴィエト連邦社会主義共和国」という、人類の壮大な「理想社会実験の“崩壊」の、 いわゆる「終わりの始まり!!」であった。「その時、歴史が動いた」風にドラマ仕立てで言うならば(笑)、「今、その歴史の現場にいる!」と思うだけで、感無量なものがあった。

後日談。そのチェコが共産主義政権を打倒して本当に自由主義政権を確立するのはこの事件から実に21年後。「プラハの春」以来積極的に改革を進めてきた、劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に就任した。無血革命だった為、「ビロード革命」といわれる。

しかし、それほどまでにして手に入ようとする自由だが、自由は誰にでも輝かしい未来、人生を約束してくれる訳ではない。我々が何気なく生きる分には心地よい「自由」だが、一歩進んで人生を前向きに、向上心を持って生きようと思う者には、時にどうしようもない重荷になる。 「自己の責任で生きなければならない」という「選択肢の多さから来る不自由さ」を伴ってどう生きていいか分からなく、逆に無気力になる若者を多く生んでいる。

更には、「俺は誰の世話もしない代わりに、誰の世話にもならないから全くの自由だ。何を言ってもしても、俺の勝手だ。」という自己本位、自己中心な考えに至り、その通り出来るGift(天与の才能)に恵まれた一部の人間(エリート?)は良いにしても、中途半端な形で、自己に責任は持たないくせに完全な自由や、義務を果たさない権利のみを求める人間が増えている。

どちらにしろ、結果として多くの人間は“孤独”に至り他人と協調できない人間が増えている。人は皆、自由(本当の?)かもしれないが、孤独のうちにのたうち回っている。そんな多くの自由主義国を見るにつれ、これから人間が、人と繋がり協調してこそ成り立つ“社会”を維持して行くことはいつまで可能なのだろうか?と思ってしまう。

そんな時、外にだけ生き甲斐(目標、目的)を見出そうとすれば、(私の狭い視野かもしれないが)人類に多くのフロンティアは残ってないように見える。現代社会は早晩行き詰まりを感じざるを得なくなる、いや既にそうなっている?のではないのか?そんな中で、自己の中に生きる目標と価値を見出せる者のみが自己に自信を持て、他に働きかける力が生まれ、これからの社会を生き延びて行けるではないかと、漠然とだが思う。

そういう意味で、“消費される強さ=格闘技”ではなく、強くなりたいという人間の単純な本能/欲望の追求ではあるが、その過程で「一人では強くなれない事(教えてくれる先輩と、一緒に切磋琢磨してくれる同輩、指導力=人間性を磨いてくれる後輩とがいて始めて、本物の社会生活をする人間としての強さ/靭さが身に付く)に気付かせてくれる“武道”こそが、その答えを持っているのだと、「怖ず怖ず(おずおず)だが声を大にして(?)」言いたい。

武道は、現代のストレスの多い人間関係から生まれる、氷解不能に見えるほど巨大化/堅牢化しているその「孤独の克服」という社会現象に対し、「本能/欲望の追求を通じての協調性の涵養」という、様々な最新の医療や心理学では考えもしない角度からの解決法を持っている。

“武道”というと「フルーイ!」というのが若者の反応だが、古いどころか、現代社会を救う可能性を秘めた、不易流行で温故知新が可能な、日本が世界に誇れる文化なのだと、例に拠っての大仰な物言いを許して欲しい。


参考URL:NHKアーカイブス 激動の時代と日本人の「志」

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文書日付2007.7.24 一部改稿2007.10.12

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