散打「交流試合」レポート

村上智章(中国四国本部)

この度、大道塾所属の平安孝行選手、笹沢一有選手が、中国武装警察隊(わが国の機動隊に相当すると思われます。)に所属する「散打」選手との交流試合に出場しました。以下は、同行した村上による北京遠征のレポートです。

村上以下3名は、7月14日午後、関西国際空港に集合、午後2時の便に搭乗、現地時間の5時頃に北京空港に到着しました。入国手続きを終え、勝手が分からずうろうろしていると、声をかけてくださったのが、杜振高先生(以下、中国にならい杜老師と呼ばせていただきます。)でした。当方、中国語は全く分からず、筆談のやりとりでお互いの名前を確認、「散打」の講習を受けるため、先に北京入りしていた東京武術散手倶楽部の木本泰司会長と合流しました。出迎えてくださった杜老師は、中国の武術スポーツである「散打」競技のルールを整備するにあたって中心的役割を果たした人物で、現在、中国特警学院教授を務め、散打の国際組織である「国際武術連合会」の国際級審判でもあります。老師によると、格闘技経験のある体格をした日本人3名ということでわれわれをすぐにみてすぐにわかったとのことでした。

空港から、杜老師自ら運転する車で北京市郊外の海淀区にある「北京青竹賓館」ホテルに到着、木本会長とともに北京入りしていた(交流試合出場予定の選手2名を含む)4名の会員と合流しました。暫時の休憩の後、ホテル内のレストランで杜老師とともに会食、木本会長の通訳のもと、交流の場が持たれました。杜老師によると現在の「散打」の原型となる試合、大会は1970年代から活発に行われており、1981年、中国国家体育総局が武術スポーツとしての散打を研究対象に選択、82年より試合が実験的に開始され、幾多の試行を経て、1990年に現在の競技規則が確定、翌91年に世界大会開催、現在に至るとのことでした。本場中国の中華料理を堪能した後、明日の試合を控えた選手団は早めの休息をとり、木本会長と私(村上)は、杜老師とともに、北京中心街へ。日本人が武道家として海外を訪れると、時として思いがけない歓待を受けるというのは折に聞く話ですが、今回は私たちがその当事者となりました。何と釣魚台(編集部注:中国政府の迎賓館)に招かれたのです。杜老師運転の車が、フリーパスで入構、とある建物の一室に招かれ、陝西省における散打指導の責任者である陳主任と引き合わせていただきました。1時間ほど歓談、釣魚台を後にしましたが、本当に思いがけないVIP待遇でした。

ホテルに帰り、選手は休んでいるかなと思いきや、駐車場の一角で何やら数名の若者が体を動かしている様子。近寄ってみると案の定、日本選手団が技術交流を兼ねた合同トレーニングを行っていました。試合への意気込みを感じさせる風景でしたが、明日に向けて休息も必要と早めに切り上げさせ、就寝。

当日は、7時すぎに朝食、8時から小型バスで移動、1時間ほどで武装警察隊のトレーニングセンターに着。散打の練習場は、50メートル四方くらいの天井が高く広いスペースで、壁際にサンドバックが数多くつり下げられていました(同じ建物にテコンドーの練習場もあり)。中央奥に試合を行う擂台(1メートル弱の高さ)が設置されていました。先方のコーチにあいさつ、30分後(9時半過ぎ)に試合開始ということで、擂台の使用許可を得て日本選手団はアップを開始しました。練習場内には男女合わせて30名以上の選手がおり、先方の指導者陣とこちらは無論友好的な雰囲気なのですが、中国選手陣はさすがに事実上の日中対抗戦ということで、独特の雰囲気。日本選手団のアップを言葉少なに見つめる視線には、ありていにいって殺気が感じられました。

今回出場した日本選手は4名、そのうち2名が大道塾の平安、笹沢選手です。日本選手団一番手は東京武術散手倶楽部所属の秦選手、3ラウンドを健闘し、2番手はいよいよ平安選手、中国選手が思いきりのいいパンチを出してくるのに対し、平安はあえてガードを下げ、相手のパンチを誘い、カウンターを狙う展開。打撃では徐々にカウンターがヒットし、組んでからも互角の勝負が続く。機を見て平安、相撲でいうがぶりより、相手を押し出す。散打では、押し出しがポイント3と最も高く、2回押し出しが決まればそのラウンドをとったことになる。これはいけるかと思ったが、さすがに中国選手が意地を見せた。同ラウンド内に押し出しを取り返し、何度か平安を投げ、ポイントを稼ぐ。第2ラウンド、パンチを中心とした打撃勝負で、平安、ペースをつかんだかに見えたが、組み技になると、要所要所で相手選手が上手にポイントをとる。熱戦が続き、日中双方からの応援もヒートアップ。最終ラウンド、両選手ともさすがに疲労からか見合う場面が多くなる。平安、打撃で決定打を奪えず、投げでポイントを稼がれる(膝が床についてもポイントをとられる)。交流試合ということで、勝敗はなしということであったが、試合としては明らかにこちらの負け。

第3試合は笹沢選手。1ラウンド笹沢選手、散打ルールに適応した戦い方で、上手な試合展開。散打ルールに適応した戦い方というのは、散打スタイルで戦うということではなく、(私見では散打選手の典型的な戦い方は、横蹴り(いわゆる側踵)、ストレート、フックで相手のバランスを崩し、投げにつなげるというもの)自分のスタイルを維持しつつ、要所要所で的確にポイントをかせぐ戦い方、具体的には、自分の打撃スタイルで戦いながら組んだ瞬間にすぐさま投げをしかけるというもの。投げといっても、散打では、相手選手の手・膝がつけばポイント(自分が倒れなければ2ポイント)となるので、内股などの小技を連発し、バランスを崩した相手を突き放すといった方法が効果的。本場中国選手に劣らぬ上手な試合運びで、(ひいき目では)1ラウンドを優位に終わったかと思われた。が、この試合でも、中国選手が意地を見せた。今回、観戦して印象的だったのは、中国選手が放つ単発気味で体重を乗せた思いきりのいいパンチ。パンチで崩して投げにつなげる狙いと思われるが、あたれば怖い。2ラウンド、中盤までは互角の試合展開に見えたが、その中盤で笹沢選手の左目を相手のパンチが直撃、そこから、中国選手の攻勢を許す展開となる。笹沢選手もよくしのぎ、2ラウンドは戦い抜いたが、打撃による視界不良のため、大事をとって3ラウンドは棄権ということに。第4試合、東京武術散手倶楽部の高橋選手も戦いを終え、交流試合終了。終了後は、日中選手ともに健闘をたたえ合い、握手という光景になりました。

交流試合のため、あえて勝敗はつけずということでしたが、内容的には明らかに日本選手団が押されていました。とはいえ、この武装警察隊所属の散打選手は、事実上の中国トップクラス(15歳くらいから見込みのある選手を中国全土より集め、鍛えるそうです)、その選手達と敵地で戦い抜いたのですから、中国側指導者からの高い評価もふまえて、今回は選手の健闘をたたえたく思います。また、押されていたとはいえ、試合内容的にも将来に期待を持てるものであったと確信します。両選手の一層の精進を希望するところです。

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