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講演会の後片付けを済ませ、ホテル観洋に向かいちょっと休憩した後、待ちに待った?打ち上げパーティーです。初めは演武者だけの慰労会のつもりだったようですが、聞き付けた方々もとなって、大体50人弱くらいでしょうか。気仙沼柔道協会の皆様、先生の古くからの同級生や、お知り合いの皆様、そしてご親戚の皆様などたくさんの方々がご出席されました。
気仙沼の海の幸、山の幸をふんだんに使った美味しい料理を前に、パーティーは校長先生、東先生の挨拶、“ぎっこ”先生こと伊藤毅一(きいち)先生(東先生の柔道の恩師)の乾杯音頭と進み、歓談タイムへ。私は、ほいほいと料理を口に入れ、さっそく先生、諸先輩、日頃お世話になっている先生のご親戚の皆様や気仙沼支部を立ち上げる時にご尽力下さった伊藤毅一先生のところなどへビールを注ぎに行きました。
伊藤先生の挨拶では「とにかくユニークな生徒で、柔道部の夏合宿では、昼間散々絞ったのに、赤玉ポートワインで出来上がり、校庭の反対側の宿直室まで聞こえる大宴会を始めた。こっちは何事かとビックリし柔道場へ行ってみるとシーンとしてみんな寝てる。おかしいな空耳か、と思って帰るとまた始まる。これを2、3回繰り返されました。あったま(頭)にきて次の日みっちり絞りましたが(笑い)、とか、学園祭では突然ハリマオの格好で同級生の藤野(寿氏。先生の“ご悪友”先生言。通称「海坊主」さん)と二人で校長先生をリアカーに拉致し校庭を周回するし・・・・、でも校長先生はいつまでもあれを楽しかった思い出として覚えていたねー」等々新旧のエピソードが暴露されました(笑)幼稚園からの文字通りの幼馴染、大澤や呉服店の(熊谷)英二さんが「東君は・・・」と言うと先生は即「ハイもう終わりです」と勝手にやめさせるし、同級生だった料亭マルカワの女主人、及川千恵さんは「とにかく東君は何が始まるか知れず怖かったです・・・」というと、先生が「ある時女生徒が数人俺の家を訪ねてきた。お、俺ももてるなーと思ったなら『教会に行って懺悔しましょう』だとガッカリしたねー」等々、今まで知らてなかった、新たなエピソードも続々・・・・。
会は進み、私達演武者の紹介になります。五十嵐先輩、コノネンコ先輩、岩木先輩、繁樹先輩、藤松先輩と自己紹介が続きます。“さてさて、どうしよう?真面目な自己紹介をするか?いやいやせっかくの機会だぞこれは!東先生の先輩や後輩の方々がほとんどを占める気仙沼柔道協会のみなさんに顔を覚えて頂かなくては!よーし!あれをやるしかないっ!!ブツブツブツ…”
わたくし瀧田はそのころにはもうすっかり出来上がり、燃料満タン、暖機運転終了、気分はすっかり芸人モードです!そして周ってまいりました。私の番です。一応先生に耳打ちをすると、「おうっ!いいぞ。やれ、やれっ!」とのGOサイン!“よっしゃー!!”
オーバーに右足を振り上げてから“ダンッ”と床を踏みしめ、前傾姿勢、右手を差し出し声高々に…。
「お控えなすって!!さっそくのお控えありがとうございます。手前生国と発しますは、みちのく。奥州東北は岩手県でございます。あっ、岩手岩手と申しましても、いささか広うござんす。北に盛岡こずかた城、南に仙台青葉城、東に鹿折八幡神社、(この日は酔っ払ってこの辺のフレーズを忘れていました。)そのまんまん中にございます田村藩は一関でございますぅぅぅ。中尊寺で産湯をつかい、姓は瀧田、名は巖、気仙沼支部の支部長でございますぅぅ〜!
若ェ頃に空手に出会い、その縁あって東先生に拾われ、その男気に惚れ込んでぇぇ、、、、、あっ、チンケなこの身この体この一生をぉぉぉぉ〜、“奥様にささげようとぉぉぉぉ〜”(ここで、先生のローキックが私に飛んできます。先生、いつも“共演”を頂きまして、ありがとうございます。m(__)m) もといぃぃぃ〜、“東先生にささげようとぉぉぉぉ〜、あっ、腹ぁぁぁ〜くくったァァ〜次第でぇぇぇ〜ございますぅぅぅ〜!!まだまだ、ケツの青いサンピンではございますがぁぁ、どちらさんもそちらさんもあちらさんもこちらさんも以後何卒お見知りおきのほど、宜しくお願い申し上げまするぅぅぅぅ〜!!!」と、ぶち上げ。すかさず気仙沼支部の歌(気仙沼支部には支部の歌があります。なっ何の為に?)を歌い上げました。
みなさん、“おっ、変なやつが出てきた”と好奇の目。つかみはOKといったところでした。さらに先生の先輩にあたります小野寺さん(海苔・海産物「磯子」社長)が「あんだの仁義のきりがたはダメだっ。ヘダだな。十年はやぇ。」とヤジを飛ばし会場が盛り上ります。
私たち道場生がステージを降りたあと、この小野寺さんがステージに上がり、「本当の仁義はこういうふうにやるんだ」と、何とか組の親分直伝の仁義をきってくれました。これが上手い!実に上手かったです。流石です。丁寧、低姿勢の中にも凄みがあり、かつ笑いをとることも忘れていないという仁義でした。昔、やくざの前で本当にやったそうです。ちゃんと聞いてくるのを忘れまして、抜粋ですが。
「おひけぇなすって!あっ、おぁ兄ぃさん、おぁ姉ぇさんにおかれましては、さっそくのお控えありがとおぉぉござんす。…手前生国と発しますところ、北上川を南、南と下ったところ…(う〜ん?憶えていません。すみません。)…港町は、気仙沼でございやす。八つの時には海に出て…(?)…姓は小野寺、名は博一(ひろいち)人よんで、“女ったらしのひろいち”と申します!」ここで、ドッと笑い声が上がります。…(で、まだまだ続きますが、すみません、憶えていません。今度、教わってきます。)
まあ、こんな感じでパーティーはどんどん盛り上がっていきました。そして、一番盛り上がったのは先生の先輩、後輩の皆様のご紹介の時です。ごつい方々がずらりとステージに並びます。みなさん、コワモテで、てっきり先生の先輩方なんだろうと思っていましたら、ほとんどの方が先生の後輩の方々でした。
まずは先生の後輩でいらっしゃいますケンジュさん(阿部八百屋さん社長、阿部健樹氏。拓大柔道部卒)がステージ中央で、先生との思い出話をまじえ、ご挨拶。あの有名な赤玉ポートワイン事件のことや、東京雑司が谷の先生の下宿で、自衛隊の退職金(バイト代?)10数万円を二人で怪しげな(?押忍!失礼しましたぁー!自分のよからぬ想像ですぅぅぅぅ。でもたぶん・・・・。再び、押忍!失礼しましたぁー!)場所で一日で使ったお話等々。なにやら秘密のお話やらで、やいのやいのと場は最高潮に盛り上がります。先生ファンの私にはそういうお話がたまりません。
そしてケンジュさんが「それでは、ここにいるみんなで思い出の歌“ハリマオ”を歌います!」ときたから、先生も黙っていません。「なにぃ〜」と言いながらネクタイをほどき頭に巻きつけ、「これにサングラスが要るんだが・・・」などと言いながら、さっそうとステージへ駆け上がります。
“東先輩が来た来た”という感じでみなさん楽しそうです。先生は後輩の○○さん(←すみません「エー先輩、又やるの!俺にはもう孫もいるんだから、ブツブツ・・・]と逃げ回っておられていましたので匿名にさせていただきます)の首根っこをつかまえて、なにやら先輩命令?“またかよ〜、この人はー”という顔で、しかし楽しそうに馬になり、先生はもちろん大喜びで主役のハリマオになりきってます。
ネクタイを○○さんの口に噛ませ手綱にし、右手を振り回し、先生、みなさん大熱唱。「ハリマオ〜♪、ハリマオ〜♪」とともに先生は手綱を引き締め、○○さん“ヒヒィィ〜ン”といななくように前脚?を上げると、先生はそのお尻を引っぱたきます。これが伝説の「怪傑ハリマオ」のオリジナルステージだと思うと感激もひとしおです(爆)
もう、その様子に場内は拍手喝采、転げまわるような笑いの渦状態です。先生はじめ先輩、後輩のみなさんのイキイキとした表情!その瞬間、本当に、先生やみなさんの顔は高校生の顔で、気仙沼高校柔道部の楽しい青春時代にタイムスリップしたかのようでした。
そのあと、大道塾20数年の足跡をまとめたビデオが上映されみなさん大道塾への理解を深めて頂き、そして、最後は三本締めで一次会がお開きとなりました。
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