東先生講演会レポート

瀧田巌(気仙沼支部)

平成18年1月10日(火)東先生の母校、気仙沼市立鹿折(ししおり)中学校にて東先生の講演会および演武会がありました。東先生と奥様が一関に到着した1月9日(月)から一切が終わり、一関でお別れする1月11日(水)までをレポートさせて頂きます。

1月9日(月) (pm1:14頃)

前日までの大雪がだいぶ融け、若干暖かさを取り戻した田舎町の午後。先生と奥様が一関駅に到着しました。私がいつものように駅の改札のところで先生方をお待ちしていると、来ました、来ました。のっし、のっしと先生。その横に添われる奥様。
「オス!先生!お疲れ様です。」「おおっ!おめでとう!今年もよろしくな。」“うわっ、そうだった、新年だった。自分から新年のご挨拶を言うんだった〜!”と、あわてて新年のご挨拶。先生も奥様も笑顔で、なに言われるかとドキドキしていた私は一安心するとともに、“よーし!気合入れていっちょうやったるかぁ〜!”と心を引き締めやる気モードに突入です。

田舎道を車で一路気仙沼へ。流れるCDは、三波春夫と北島三郎!先生にウエルカムビールを飲んでもらい、心ウキウキ。愛車のハンドルも心なしか軽いのです。途中、川崎村というところで昼食をとりました。五目ラーメンとお寿司。先生は当然ビールも。ここで秋田の小松先輩に電話。「いやね、瀧田がよ、相棒がいないとダメだって言うもんだからよ〜。」「ええーっ」と私。結局、小松先輩は仕事の為来ることはできませんでした。先生の氷柱割りを見られないことをとても残念がっておりました。

(pm2:30頃)

再び車で出発。三波春夫の講談歌謡曲「安宅(あたか)の松風」の背景(※)を先生から講義して頂きながら山から山へと走ります。(※源義経が兄頼朝に追われ、京から平泉へと山伏に変装して逃げる際に、今の石川県の小松市にあった安宅の関所の役人に「判官(ほうがん-官位名)義経殿ではござらぬか!?」と疑われ、それを誤魔化すために弁慶が心で泣く泣く義経を打ちすえる話)

山から山へと言いましても、一関、気仙沼間の道路は昔にくらべだいぶ整備され、以前はぐにゃぐにゃの山道を行ったものですが、今では山を切り崩し広い道路が作られとても走り易くなっております。大体、1時間くらいで気仙沼に到着です。かって知ったる気仙沼市街を先生のナビで「ホテル観洋」に向かいます。先生はホテルに行く前に、「岡本製氷」という先生の高校時代の同級生が経営する会社に行き、明日の演武で割る氷柱のサイズなどを社員の方にお願いしました。そして、ホテルへ。

(pm3:30頃)

先生と奥様をホテルで降ろし、明日の予定や他に用意しておく物などの指示を仰ぎ、その日は一関に戻りました。“明日の講演会は大丈夫だな。問題は打ち上げで何をやるかだなぁ〜”などと思いつつ。

1月10日(火)講演会当日(am11:00)

この日、天気は上々。待ち合わせの場所に着くと、演武に出られる先輩方や道場生がすでに集まっておりました。久しぶりにお会いする猛者の面々。錚々たるメンバーにお集まり頂きました。登米支部の菅原支部長、長田先輩、五十嵐先輩、繁樹先輩、コノネンコ先輩、岩木先輩、藤松先輩、そして、一関支部から佐々木(以下旧姓舞石)、気仙沼支部から上野、また、東先生の甥にあたります伊藤満さんも駆けつけてくれました。
腹が減っては戦はできずとばかりに、まずは、すぐ傍のレストラン「シャークミュウジアム」で朝食です。気仙沼という町は海と山に囲まれ、おいしい食材が豊富なところで料理が美味いことでも有名です。朝から刺身がたくさんのった海鮮丼に舌鼓を打ち、みなさん満足気。和やかな雰囲気の中で先生が今日の段取りの説明をしました。

★演武会、講演会の流れ(司会は菅原支部長)

T部 演武会(13:00〜)
1.基本稽古(手技、前蹴り、回し蹴り、後ろ蹴り等々)
2.移動稽古(手技4連打、単発蹴り技、他下段+上段まわし蹴り、前蹴り+上段まわし蹴り等々)
3.投げ技紹介(演武者コノネンコ先輩と瀧田)
4.寝技紹介(演武者岩木先輩と繁樹先輩)
5.キックミット実演(演武者長田先輩と五十嵐先輩)
6.スパーリング(演武者藤松先輩と瀧田、岩木先輩と繁樹先輩)
7.試し割り
@ 繁樹先輩による四方割りA 岩木先輩による肩跳び越し板割りB コノネンコ先輩による板10枚割りC 瀧田によるブロック割りD 五十嵐先輩による瓦10枚割りE 長田先輩による発剄(瓦12枚割り)F 藤松先輩によるバット折り(蹴りで2本、手刀で1本)G 東先生による氷柱割り(氷柱6枚)

U部 東先生講演会(14:00〜) 表題 「自分の夢をみつけよう」

V部? 打ち上げパーティー

と、まあこのような感じです。そして、それぞれが講演会の成功を祈りつつ、鹿折中学校へ向かいました。そんな中、打ち上げパーティーで歌う三波春夫の歌の最終チェックに余念が無かったのは私です。はい。失礼致しました。

(pm12:00頃)

鹿折中学校に到着。会場は体育館。中央に畳が30畳ほど敷かれ、その周りをたくさんの椅子が取り囲む格好になっております。その数500脚以上。ステージに目をやると、「ようこそ東先輩!」の大きな垂れ幕に大きな生け花。“おおっ!気合い入ってるなあ。” いやがおうにも気持ちが引き締まってきます。
手際よく?演武の準備を済ませ、各々、道着に着替え準備運動などをして開始を待ちます。1時10分前くらいから来賓、生徒達がぞくぞくと入場。我々は体育館横の小部屋で演武の最終チェック。

会場の様子

(pm1:00頃)

準備万端整ったところでわたくし達の入場です。大きな拍手に迎えられながら、中央の畳へ。このような形での演武会というのは、初めてでしたので少々緊張もしましたが、そこは根っからの目立ちたがり屋です、すぐにこの雰囲気に一体化しました。“よし!やるぞ!”
演武はプログラムどおりに進んでいきます。当日は私の少年部の生徒も何人か見学に来ていましたので、“こりゃあ、下手なところは見せられない”と思い、一生懸命、突いて、蹴りました。実際、他のお客さんよりも少年部の子供達の目にどう映るかのほうが気がかりでした。後日談ですが、その後、彼らの私への接し方がやけに丁寧と言いますか真面目になり、大人の一生懸命な姿を子供達に見せることの教育的効果を実感した次第です。いやいや気のせいではなかとです。はい。

そして、ここでプログラムには無かったのですが、急遽、東先生の型の演武が行われました。型はニューヨーク事件で有名な(?)型「三戦(さんちん)」です。ミーハーな私は、「あの伝説の『三戦(さんちん)』だー!」と、感動してしまいました。※寮への帰宅時間違反をし、竹刀で7〜80発叩かれ、竹刀が箒のようになったという事件。(東塾長の著書「はみだし空手」参照のこと)
そして、やはり盛り上がったのは試し割りです。初めて見るという子が殆どなのでしょう、板や瓦を割るたびに驚愕の声と大きな拍手が湧き起こります。どの先輩の試し割りもとても豪快で立派なものでした。

そんな中でやはり一番の盛り上がりを見せたのは、私も楽しみにしていた先生の氷柱割りです。氷柱割りはステージの上で行いました。私は氷柱を支える役を仰せ付かり、間近で先生の氷柱割りを見ることができました。はじめ2枚しか割れないというハプニングはありましたが、先生は慌てる事無く残りの4枚を見事まっぷたつに割り、先生の凄さをみんなに見せつけました。大歓声が上がったことは言うまでもありません。

(pm2:30頃)

演武がひととおり終わり、愈々東先生の講演会のはじまり、テーマは「自分の“夢”を見つけよう」です。
先生の少年時代のエピソードから始まり、中学、高校、大学へと話は進み、空手との出会い、そして空道について。思い悩んだ事や先生の考えなど多岐に渡りお話をされ、生徒のみなさんはとても勉強になったと思います。

「人生50年と言われたが今は人生80年の時代。30歳が成人と言っても過言ではないだろう。それまでの期間、みんな、時間をかけてじっくりと物事に取り組みなさい。そして、失敗してもいいからいろんなチャレンジをしなさい。そうしていくうちに形になっていくものだ。」ご自身の実体験から出る言葉の一つ一つです。実に説得力がありました。先生のお話を聞き、みんなが勇気をもらったことと思います。

会は進行し、花束贈呈や鹿折小学校、中学校の校歌斉唱と続きます。そして、なんとびっくり!ここで校長先生の粋な計らい!先生へ歌のリクエストです。曲は東先生の十八番!「仰げば尊し!!」“おおーっと!いきなり最終兵器かー!!”などと思いつつ楽しみ楽しみ。
先生、一度は辞退するも、是非との願いに「この曲の内容も良いのだが、実はカラオケで一番良い点数が出るんだ」などと生徒さんの雰囲気を和らげながら嬉々としてステージへ。“待ってましたぁ〜!!先生〜!!”

音楽の先生の生演奏での熱唱です!「今日のために2日間も(だけ?)咽喉を温存していた」という先生。良く伸びる高音。響くような低音。さすがです!最後は可愛らしい生徒さんや会場の父兄の方々にも呼びかけみんなで大合唱となり大きな盛り上がりの中、東先生のリサイタル・・・失礼しました、先生の講演会は大団円を迎えました。
先生、生徒さん達、ご来賓、ご父兄の皆様の満足気な表情に一安心するとともに、お忙しい中ご足労頂いた、先生、奥様、諸先輩方に心から感謝致しました次第でございます。この場をかりて御礼申し上げます。オス!

公演(笑)「仰げば尊し」
公演(笑)「仰げば尊し」

(pm6:30頃)

講演会の後片付けを済ませ、ホテル観洋に向かいちょっと休憩した後、待ちに待った?打ち上げパーティーです。初めは演武者だけの慰労会のつもりだったようですが、聞き付けた方々もとなって、大体50人弱くらいでしょうか。気仙沼柔道協会の皆様、先生の古くからの同級生や、お知り合いの皆様、そしてご親戚の皆様などたくさんの方々がご出席されました。

気仙沼の海の幸、山の幸をふんだんに使った美味しい料理を前に、パーティーは校長先生、東先生の挨拶、“ぎっこ”先生こと伊藤毅一(きいち)先生(東先生の柔道の恩師)の乾杯音頭と進み、歓談タイムへ。私は、ほいほいと料理を口に入れ、さっそく先生、諸先輩、日頃お世話になっている先生のご親戚の皆様や気仙沼支部を立ち上げる時にご尽力下さった伊藤毅一先生のところなどへビールを注ぎに行きました。
伊藤先生の挨拶では「とにかくユニークな生徒で、柔道部の夏合宿では、昼間散々絞ったのに、赤玉ポートワインで出来上がり、校庭の反対側の宿直室まで聞こえる大宴会を始めた。こっちは何事かとビックリし柔道場へ行ってみるとシーンとしてみんな寝てる。おかしいな空耳か、と思って帰るとまた始まる。これを2、3回繰り返されました。あったま(頭)にきて次の日みっちり絞りましたが(笑い)、とか、学園祭では突然ハリマオの格好で同級生の藤野(寿氏。先生の“ご悪友”先生言。通称「海坊主」さん)と二人で校長先生をリアカーに拉致し校庭を周回するし・・・・、でも校長先生はいつまでもあれを楽しかった思い出として覚えていたねー」等々新旧のエピソードが暴露されました(笑)幼稚園からの文字通りの幼馴染、大澤や呉服店の(熊谷)英二さんが「東君は・・・」と言うと先生は即「ハイもう終わりです」と勝手にやめさせるし、同級生だった料亭マルカワの女主人、及川千恵さんは「とにかく東君は何が始まるか知れず怖かったです・・・」というと、先生が「ある時女生徒が数人俺の家を訪ねてきた。お、俺ももてるなーと思ったなら『教会に行って懺悔しましょう』だとガッカリしたねー」等々、今まで知らてなかった、新たなエピソードも続々・・・・。

会は進み、私達演武者の紹介になります。五十嵐先輩、コノネンコ先輩、岩木先輩、繁樹先輩、藤松先輩と自己紹介が続きます。“さてさて、どうしよう?真面目な自己紹介をするか?いやいやせっかくの機会だぞこれは!東先生の先輩や後輩の方々がほとんどを占める気仙沼柔道協会のみなさんに顔を覚えて頂かなくては!よーし!あれをやるしかないっ!!ブツブツブツ・・・”

わたくし瀧田はそのころにはもうすっかり出来上がり、燃料満タン、暖機運転終了、気分はすっかり芸人モードです!そして周ってまいりました。私の番です。一応先生に耳打ちをすると、「おうっ!いいぞ。やれ、やれっ!」とのGOサイン!“よっしゃー!!”
オーバーに右足を振り上げてから“ダンッ”と床を踏みしめ、前傾姿勢、右手を差し出し声高々に・・・。

「お控えなすって!!さっそくのお控えありがとうございます。手前生国と発しますは、みちのく。奥州東北は岩手県でございます。あっ、岩手岩手と申しましても、いささか広うござんす。北に盛岡こずかた城、南に仙台青葉城、東に鹿折八幡神社、(この日は酔っ払ってこの辺のフレーズを忘れていました。)そのまんまん中にございます田村藩は一関でございますぅぅぅ。中尊寺で産湯をつかい、姓は瀧田、名は巖、気仙沼支部の支部長でございますぅぅ〜!
若ェ頃に空手に出会い、その縁あって東先生に拾われ、その男気に惚れ込んでぇぇ、、、、、あっ、チンケなこの身この体この一生をぉぉぉぉ〜、“奥様にささげようとぉぉぉぉ〜”(ここで、先生のローキックが私に飛んできます。先生、いつも“共演”を頂きまして、ありがとうございます。m(__)m)もといぃぃぃ〜、“東先生にささげようとぉぉぉぉ〜、あっ、腹ぁぁぁ〜くくったァァ〜次第でぇぇぇ〜ございますぅぅぅ〜!!まだまだ、ケツの青いサンピンではございますがぁぁ、どちらさんもそちらさんもあちらさんもこちらさんも以後何卒お見知りおきのほど、宜しくお願い申し上げまするぅぅぅぅ〜!!!」と、ぶち上げ。すかさず気仙沼支部の歌(気仙沼支部には支部の歌があります。なっ何の為に?)を歌い上げました。
みなさん、“おっ、変なやつが出てきた”と好奇の目。つかみはOKといったところでした。さらに先生の先輩にあたります小野寺さん(海苔・海産物「磯子」社長)が「あんだの仁義のきりがたはダメだっ。ヘダだな。十年はやぇ。」とヤジを飛ばし会場が盛り上ります。

私たち道場生がステージを降りたあと、この小野寺さんがステージに上がり、「本当の仁義はこういうふうにやるんだ」と、何とか組の親分直伝の仁義をきってくれました。これが上手い!実に上手かったです。流石です。丁寧、低姿勢の中にも凄みがあり、かつ笑いをとることも忘れていないという仁義でした。昔、やくざの前で本当にやったそうです。ちゃんと聞いてくるのを忘れまして、抜粋ですが。

「おひけぇなすって!あっ、おぁ兄ぃさん、おぁ姉ぇさんにおかれましては、さっそくのお控えありがとおぉぉござんす。・・・手前生国と発しますところ、北上川を南、南と下ったところ・・・(う〜ん?憶えていません。すみません。)・・・港町は、気仙沼でございやす。八つの時には海に出て・・・(?)・・・姓は小野寺、名は博一(ひろいち)人よんで、“女ったらしのひろいち”と申します!」ここで、ドッと笑い声が上がります。・・・(で、まだまだ続きますが、すみません、憶えていません。今度、教わってきます。)

まあ、こんな感じでパーティーはどんどん盛り上がっていきました。そして、一番盛り上がったのは先生の先輩、後輩の皆様のご紹介の時です。ごつい方々がずらりとステージに並びます。みなさん、コワモテで、てっきり先生の先輩方なんだろうと思っていましたら、ほとんどの方が先生の後輩の方々でした。

まずは先生の後輩でいらっしゃいますケンジュさん(阿部八百屋さん社長、阿部健樹氏。拓大柔道部卒)がステージ中央で、先生との思い出話をまじえ、ご挨拶。あの有名な赤玉ポートワイン事件のことや、東京雑司が谷の先生の下宿で、自衛隊の退職金(バイト代?)10数万円を二人で怪しげな(?押忍!失礼しましたぁー!自分のよからぬ想像ですぅぅぅぅ。でもたぶん・・・・。再び、押忍!失礼しましたぁー!)場所で一日で使ったお話等々。なにやら秘密のお話やらで、やいのやいのと場は最高潮に盛り上がります。先生ファンの私にはそういうお話がたまりません。

そしてケンジュさんが「それでは、ここにいるみんなで思い出の歌“ハリマオ”を歌います!」ときたから、先生も黙っていません。「なにぃ〜」と言いながらネクタイをほどき頭に巻きつけ、「これにサングラスが要るんだが・・・」などと言いながら、さっそうとステージへ駆け上がります。

“東先輩が来た来た”という感じでみなさん楽しそうです。先生は後輩の○○さん(←すみません「エー先輩、又やるの!俺にはもう孫もいるんだから、ブツブツ・・・]と逃げ回っておられていましたので匿名にさせていただきます)の首根っこをつかまえて、なにやら先輩命令?“またかよ〜、この人はー”という顔で、しかし楽しそうに馬になり、先生はもちろん大喜びで主役のハリマオになりきってます。

ネクタイを○○さんの口に噛ませ手綱にし、右手を振り回し、先生、みなさん大熱唱。「ハリマオ〜♪、ハリマオ〜♪」とともに先生は手綱を引き締め、○○さん“ヒヒィィ〜ン”といななくように前脚?を上げると、先生はそのお尻を引っぱたきます。これが伝説の「怪傑ハリマオ」のオリジナルステージだと思うと感激もひとしおです(爆)

もう、その様子に場内は拍手喝采、転げまわるような笑いの渦状態です。先生はじめ先輩、後輩のみなさんのイキイキとした表情!その瞬間、本当に、先生やみなさんの顔は高校生の顔で、気仙沼高校柔道部の楽しい青春時代にタイムスリップしたかのようでした。 そのあと、大道塾20数年の足跡をまとめたビデオが上映されみなさん大道塾への理解を深めて頂き、そして、最後は三本締めで一次会がお開きとなりました。

(pm9:00頃たぶん)

二次会に行くとのことで、私は一関支部の○○をつれて一旦部屋へ戻りました。そして、急いで仕込みます。ファウルカップよしっ。ガードルよしっ。肌着よしっ。手品よしっ。次は、「○○君はこれを着てネ」「・・・。」「人生は一度きりだからネ。悔いの残らないように生きないと」「・・・。」 などと適当なことを言って○○には網のストッキングとレオタードを着させます。「いいねぇ〜○○君。その気持ち悪いとこが最高!」仕込み完了!さぁ二次会だぁ!

(pm9:30頃きっと)

先生の先輩、後輩の方々、私たち道場生の面々で二次会突入です。気仙沼でも有名な居酒屋でやはり料理は美味しかったです。二次会は歓談中心でした。みなさん昔話しに華をさかせ、近況などを報告しあい、笑い話に酒がすすみます。
そんな中、歌をうたう機会を虎視眈々と狙う若者、バカ者?一名。はい。私です。
二次会も中盤を過ぎた頃、“今だ!”とばかりにステージのテーブルにあがり歌を一曲ぶち上げます。曲は先生直伝、“元禄名槍譜 俵星玄幡!”の手品付きです!先生に「心がこもっていないっ!」とヤジられながら、それでも何とか歌い上げ気仙沼の宴会支部長の印象を焼きつけました。たぶん。

(pm11:00頃もうわかりません)

三次会はクラブ。綺麗どころが揃ってました。“チョンガー”にはたまりません。ここを待っていたという感じで、さあ、営業!営業!女の子をつかまえて、ちょいちょいと手品を見せながら滑るような営業トーク。「すごーい。おもしろーい。」名刺を渡して、後日の稽古見学の約束を取り付けます。よし!
そうしているうちに、先生はじめ柔道協会(先生の先輩、後輩のみなさん)のみなさんのカラオケが始まり一気にドンちゃん騒ぎモードへ。

先生はもちろん、先生の先輩で俳優みたいな二枚目の鶴本さん(気仙沼遠洋漁協組合長)や、がっちりした体格の曽根さん(浜見屋旅館社長)、ハリマオで馬になった○○さん(やはり匿名です)、それぞれみなさん玄人はだしの歌唱力!さすがです!奥様もケンジュさんとデュエットで美声を披露します。エンジン全開。みなさんハジケだし、ケンジュさんのベルトも、怒鳴った拍子で太鼓腹に力が入りハジケます?
“大利根無情”・・・・。「妙心殿!落ちぶれ果てても平手は武士じゃー、男の散り際だけは知っております!行かねばならん、そこをどいて下されっ!行かねばならんのだぁぁ〜!!」
“忠太郎月夜”・・・・。「あんたのせがれ忠太郎でございます。ゆっく顔見てやっておくんなさい。エ、それじゃー覚えがねーとおっしゃるんでござんすかい!、覚えがねーとぉう!おっかさぁぁぁぁ〜ん!」

と先生の十八番が続き、場は最高潮です。
「イエェェェーィ!!せんせ〜ぃ!最高ぉぉぉ〜!ふぉぉぉぉ〜っ!!」「たきたぁぁ〜!!おまえ聞いてんのかぁぁ!こらぁっ!!」「ふぉぉぉ〜っっ!!」もう、わけ分かりません。

ほとんどみなさんが歌を披露し、会も終盤に差し掛かります。“おっ、まずいっ、あと2,3曲でお開きになりそうだ。行かねばならんっっ!”ハリマオで馬になった○○さんの歌の最中、私はなんの迷いも無く文字どうり中央へ踊り出ます。そして、踊りながら服を脱ぎます。服の下には小松先輩の奥さんが作ってくれた乳首のところに毛糸の花がついているエッチな肌着?下はガードルにファウルカップ!ドッと笑い声が上がります。女の子の黄色い歓声が心地よい。“嗚呼、これぞ男の誉れなり!”

その曲を怪しい踊りで踊り上げ、次の曲。一関支部道場生の○○をこづきながら。「○○。行け!行け!」支部長命令にあきらめて○○、踊りながら上半身を脱ぐもなかなかズボンを下ろせません。「え、え、いいんでしょうかぁ・・・。(ちょっと泣)」「いいんだよっっ!○○ぃぃっ!脱げっ!脱げぇぇぇっ!」
紫のレオタードに網のストッキングで妙な踊りを踊る○○。湧き上がる歓声!普段、お堅い仕事をしている○○が一線を越え、真の大道塾生になった瞬間でした。

そんなこんなで会は大盛り上がりのうちにお開きとなりました。この夜、私は、気仙沼柔道協会(先生の先輩、後輩のみなさん)のみなさんに、気仙沼の変態支部長という印象を深く焼きつけました。

(am・・・?)

先生の先輩、後輩のみなさんは「もう付き合いきれん」という感じでご帰宅。それではと、先生、奥様を囲んで大道塾の宴会の最終コーナー定番、近くのラーメン屋さんへ。当てずっぽうに入ったのですが、当然といえば当然か、入ったなら店主の方がこれまた先生を知っていてあー、東さん」と声が掛かりました。先生、すぐには分からなかったようですが、そこは「いや、いや暫くぶりー」などと答えながらも、酔った頭で「顔は覚えてるんだがなー」と、思い出そうと必死な様子。店を出てからやはり幼馴染の塩田豆腐屋さんの関係(従兄弟の方)だと分かったそうです(笑) 
それにしても医者に絶対反対される、飲んだ後のラーメンはどうしてこれほどおいしいのでしょう!!!これも運動をしているから許される“贅沢”です(?)

・・・・・・という感じで、大成功のうちに先生の講演会、演武会、宴会の一切は“大々盛況”の内に滞りなく(?)終了しました。

1月11日(水)

朝食をすませ、全員ロビーに集合。昨日の講演会の記事が載っている新聞を見ながらコーヒーで談笑。そして、先生のお姉さまで気仙沼支部のお世話をして頂いてもらっております“ちよこお姉さん”のご家族に見送られながら、一路、源義経で有名な平泉中尊寺へ。

中尊寺では、ガイドさんについてもらって説明を聞きながらの観光。義経のロマンに思いを馳せつつ、大道塾のさらなる発展を祈念しました。途中、先生からお守りを買って頂き、みんな大喜びです。

その後、pm1:30一関に向かい、昼食を頂きました。昼食は豪華。牛肉で日本一にもなった前沢牛のスキ焼です。これはですね、本当、高いんです。値段が。みなさん、ビールで咽喉を潤しながら高級牛肉に舌鼓を打ちます。私はこの後稽古があるためコーラ。“くぅぅ〜。稽古休みにするんだったぁ〜(泣)”「スキ焼にはやっぱ、日本酒だろう」という先生の一言で一関の地酒“関山”の冷酒が運ばれ、ほころぶみなさんの顔に朱がさし、上々のほろ酔い気分です。「今回は良かったなぁ。みんなのお陰で故郷の人たちにも喜んでもらえたし、その後は本当にゆっくりできた・・・。ご苦労さん」との先生のお言葉に私も“良かったぁ”と胸をなでおろします。

(pm3:00頃)

反省会?はまだまだ続いたようですが、ここで私はタイムリミット。前沢牛のスキ焼・・・。いやいや、先生、奥様、先輩方との楽しいひととき。この後ろ髪引かれる思いを断ち切り、今回のお礼を申し上げ、先生方とお別れ致しました。ご馳走様でした。ありがとうございました。
今回の先生の講演会は気仙沼支部にとってどれだけプラスになったか知れません。総計500人を超す生徒さんや、ご父兄、関係者への認知。そして、先生のご友人、気仙沼柔道協会の皆様との交流親睦。また、東北では最大規模の河北新聞、三陸新聞の記事掲載、地元テレビK-NETでの放映等。

この最高の機会を作って下さった先生のご親族の皆様、そして何よりも、遠方よりご足労頂き采配を揮われた先生、そして奥様、諸先輩方の皆様に心から感謝申し上げる次第でございます。

この機を無駄にせず、気仙沼柔道協会の皆様や、鹿折中学校の校長、教頭両先生方との親睦をさらに深め、空道大道塾を気仙沼の地に広めるべく頑張っていきたいと思います。
先生、奥様、このたびは本当にありがとうございました。押忍!

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