気仙沼「講演&演武会」

藤松泰通(総本部)

一月十日から十一日東先生の生まれ故郷、気仙沼で塾長の「講演・演武会」に行ってまいりました。 今回の旅行は先生の生まれ育った所でありまして、武道家 東 孝のルーツが解かる!という事でいつもの海外遠征とは少し違う気分でした。

十日の朝五時に起き、前の日に新潟からきて本部道場に泊まっていた岩木先輩を起こし、池袋駅から東京駅まで行き新幹線で仙台まで向かいました。途中で岩木先輩と今回の旅行は演武を学校でやるらしいという事や誰が来るのか、あと演武の内容は・・・。など情報交換をしながら過ごしました。仙台駅からさらに電車を乗り換え二時間ほどで南気仙沼の駅に着きました。駅からタクシーで気仙沼のシャークミュージアムという所に向かいました。タクシーを降りると駐車場で東北本部師範代のコノネンコ先輩と合流し、しばらく雑談をしていると東北本部の佐藤繁樹先輩、青森の五十嵐祐司支部長、一関・気仙沼の滝田 巌支部長と道場生の方々が続々とやってきました。二階のレストランで東先生、奥さんに挨拶をしてから先ほどの先輩達と昼食を食べていると仙台西の長田賢一支部長、登米の菅原支部長もやってきました。昼食は海鮮丼のようなもので自分は魚より肉のほうが好きなのですが、とても美味しくもう一杯食べたいくらいでした。

食事をすませ演武会を行う東先生の出身校、鹿折(ししおり)中学校へ向かいました。校舎の玄関へ行くと『ようこそ!先輩!』と書かれた今日の演武会の張り紙がそこらじゅうにしてありました。そして中から校長先生、教頭先生、他の先生方が迎えて下さいました。あまりの歓迎ぶりにこちらが驚いてしまいました。校長室へ案内されそこでお茶を頂きながら少しお話をしました。お二方とも運動が好きなようで教頭先生は伝統派の空手をやっていたそうです。演武をやる体育館へ移動する時には生徒達が『こんにちはー!』と元気良く挨拶をしてくれてとても気持ち良かったです。 体育館で着替えをすませリハーサルを行い、控え室で待っていると生徒達が体育館へ入ってきました。中学生だけでなく小学生や地域の住民の方もいます。最初に校長先生のお話がありそれが終わりいよいよ演武会です。

入場していくとすごく純粋な視線をたくさん感じました。まず基本から始まり、移動稽古、ミット練習、投げ、寝技の説明、マススパーと続きました。そして試し割りです。試し割りは鍛えた結果このようなこともできるという一部のパフォーマンスなのですが見た目が派手なので一般の人にはやはり受けがいいようです。やる方も大勢の前で度胸試しになるのでいい稽古になります。

最初に繁樹先輩が四方割りを華麗に決め、板を持っていた自分もスゴイ!と思いました。滝田支部長が肘でブロック割り、コノネンコ先輩が正拳で板割り、岩木先輩が飛び蹴りで板割り、五十嵐支部長が瓦割りと行いました。割った時はその打撃音と板や瓦の崩れる音が響き、そのたびに物凄い歓声が「ワァー!」と上がりました。見ていても改めてやっぱり迫力があるなあと思いました。長田支部長の瓦割りは掌を瓦にあてた状態からだったのでその妙技にひときわ大きな歓声が上がりました。自分の番になり、まずバットを二本脛で割り、続けて手刀で一本割ろうとしたのですが振り向きざまの手刀だったので持ち手の滝田支部長とのタイミングが合わず失敗してしまいました。再度、長田支部長も持ち手に加わって下さり、なんとか成功しました。試し割りは一度で割れればいいのですが、失敗した場合は非常に痛く、下手をすると骨折したりします。自分の右手にも痛みが残りました。

最後に先生の氷割りです。長時間おいてあったので氷は溶けてその回りは水浸しになっていました。これは足場が滑ってやりにくいだろうと思い足場を皆で雑巾でふいたのですが床の板に水は染み込んでいてヌルヌルしていました。氷屋さんが積み重ねやすくと両端を切ったらしく、いつもよりかなり短く厚くなっていました。塾長は「なーに、割れるだろうと気合と共に手刀を振り下ろしたのですが、最初は上の二枚は割れたのですがまだ半分以上氷柱は残っています。二度、三度と手刀を落とすのですが足場が滑って割れません。よく氷は上を割るとその重みで下も割れるという人がいますが、こう厚く短くてはそうでないことがわかります。もう少し間をおいて床が乾いてからやったほうがいいんじゃないかな・・・、と自分が思ったときでした。ガゴッと大きな音がして氷柱が崩れ落ちました。肘の一発でした。「ワー!」と歓声と拍手が起こりました。試し割りも全部終わり、そのまま先生の講演に入りました。「先程の氷柱割も私の人生を象徴しているようで・・・」とさっそく講演の内容にしてしまう所がさすが先生だなあと思いました。

講演も終わりに近づいた頃、司会の先生が「それではみなさん、仰げば尊しを東塾長と歌いましょう。」と言われました。これは前の日に行われた東先生の同窓会で出た案らしく東先生は冗談半分でいったようで一応は遠慮しましたが、校長先生がぜひにというと即、壇上に上がり2番目は会場のみなさんにも促して歌いました。こんな感じで演武、講演と無事に終わり拍手で退場しました。

着替えて校長室へ戻る途中、生徒達が会うたびに「オース!」と挨拶してきて天真爛漫ですごく感動しました。繁樹先輩などは「片付けを手伝おうと体育館に戻ったらサインをしてくれと四回くらい言われましたよ」と嬉しそうでした。先生方に挨拶をして車に乗り込み校門を出てからも下校途中の中学生が手を振ってくれたりとすごく純粋でとてもいい気持ちになりました。今時珍しいというかほんとに古き良き時代の日本にタイムスリップしたかのような気分でした。これもやはり先生方の教育と気仙沼の豊な自然の力なんだろうなと思いました。

講演「自分の夢をみつけよう」
講演「自分の夢をみつけよう」

そのあと今度は東先生のご実家へ向かうということで川沿いの道を車で進んで行きました。先生のご実家はやはりというか大変立派な家でした。「東」の表札と玄関の前でみんな我も我もと記念写真を撮っていました。みんな興奮気味でした。中に入ると東先生のお姉さんや親族の方々が暖かく迎えてくれました。家の中もいかにも歴史がある感じでした。家の中でも写真をとる人が多数いました。親族の方に大きな人が一人混ざって甲斐甲斐しく料理を運んでいます。誰かと思ったら滝田支部長でした。「いやー、実は大会の打ち上げの後とかによく泊めて頂いているんですー。」とのことでした。完璧に東家に馴染んでいました。

あっというまに赤飯や松茸が椎茸感覚で入ったお吸い物や煮物などが並べられてみなでおいしく頂きました。これがまたおいしくて米も素材も最高でした。胃袋が底の方からジワーっと暖かくなるような料理でした。東先生はこんなに良い物を子供の時から食べているのならそりゃ強くなるよなあ。と納得してしまいました。もう少しゆっくりと味わいたかったのですがすぐに自分達の宿泊するホテルでパーティーがあるということなので車で東家をあとにしました。家の駐車場からでるときも鹿折中の生徒が通りかかり手を振ってくれました。

ホテルについた所で長田支部長が夕方から稽古始があるという事で帰られました。チェックインをすませ自分は岩木先輩と五十嵐支部長と同じ部屋でした。部屋の中もまさに温泉旅館といった感じで広くて眺めも綺麗でした。少し休憩した後、大広間に移動して、さきほどの鹿折中の関係者や東先生の高校時代の柔道部のみなさん、親族の方も含めてパーティーが始まりました。色々な方に「今日はありがとうございました。」「お疲れ様でした。」と次々とお酌されてすぐに酔ってしまいました。みなさん今日の演武を喜んでくれたそうで良かったです。途中で北斗旗のプロモーションビデオを流したら会場の人たち全員が真剣になって見てくれていました。自分の優勝した所が流れるとみな拍手してくれました。

そのあと自己紹介などをはさみながらパーティーが進んでいきました。そしていよいよ盛り上がってきました。先生の高校時代の柔道部の後輩の方からの色々なエピソードの話に始まり、最後には怪傑ハリマオの大合唱にまでなりました。

一次会は終わり、柔道部の方々と二次会に行くことになりました。そこで滝田支部長のエンジンがあったまってきました。机の上に大きい体でヒラリと飛び乗り三波春夫の『俵星玄蕃』の熱唱にみんなやんやの歓声でした。三次会でも勢いはとまらず色々な小ネタから体をはったものまで見せてもらいました。そのあとみんなでラーメンではなくうどんを食べ、ホテルへ戻りました。

ホテルに着いて解散したのですがまだ温泉に入っていません。自分と岩木先輩、コノネンコ先輩、繁樹先輩の四人で温泉に行きました。露天風呂もあり湯に海の水が混じっているのか少し塩の味がしました。寒い夜空で温泉に入るのはまた格別でした。演武で痛めた右腕の痛みも和らぐようでした。おかげでその日はぐっすりと眠れました。

次の日は十時にロビーに集合でした。昨日の演武のことがもう新聞にでていました。それから滝田支部長の運転で平泉の中尊寺に行き、皆で観光しました。車の運転中はずーっと北島三郎か三波春夫の歌が流れていました。でもなぜか東北の雪景色にはよく似合いました。中尊寺を見終わり、滝田支部長も指導があるということだったので昼食に前沢牛のすき焼きを食べ滝田支部長と別れました。自分達は一関駅から新幹線に乗り途中、仙台で繁樹先輩と別れ、大宮で岩木先輩と別れながら東京へ戻ってきました。

気仙沼は漁港のある町なのでまさに自然の恵みで生活しているといった感じでした。自然が豊な所はそこで暮す人達の心も豊です。今自分は池袋で生活していますが田舎の人々の生活の方が本当の人間の生活だと思います。都会は物質的に恵まれていても、心が豊でないから結局生活が荒んできます。演武のあとなどには色々な人に「ありがとう」「お疲れ様でした。」といわれましたがすべて心からの言葉でこちらの心にとても響きました。また、気仙沼で食べた料理はすべてとても美味しかったです。お腹だけでなく心も満たされます。それはおいしく食べてもらおうという心がそうさせているのだと思います。都会の商業主義のお店ではお金もかかりこうは行きません。かわいそうなのは生まれたときからそれで暮している都会の子供達です。コンビニ弁当とは雲泥の差です。気仙沼で自然の食べ物を子供の時から食べているから東先生は今でもエネルギーに満ち溢れているのではないのかな、と思います。事実、自分も帰ってきてニ、三日は頭も冴えスッキリしていました。そして物事がよく観えました。これは自然に触れることで心がリセットされた感じになるからだと思います。

武道の言葉にも『自然体』というものがあります。この言葉の意味が今回気仙沼に行ったことで少し解かるような気がしました。

今回、同行していただいた先輩方、ありがとうございました。もっとゆっくり色々なお話をしたかったです。お疲れ様でした。

そして気仙沼のみなさん、今回はすばらしい体験ができました。みなさんのような方がいらっしゃると思うとやる気が湧いてきます。また機会があれば気仙沼に行きたいと思うのでそのときにお会いしましょう。 貴重な体験をする機会を与えて下さった東先生、奥さん、ありがとうございました。先生の故郷は思った以上にすばらしい所でした。そして先生の地元でのエピソードは思ったとおりでした。 押忍 貴重な体験をする機会を与えて下さった東先生、奥さん、ありがとうございました。先生の故郷は思った以上にすばらしい所でした。そして先生の地元でのエピソードは思ったとおりでした。 押忍 

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