ロシア遠征レポート

清水和磨(総本部)(本文・写真解説)

押忍、総本部清水です。9月28日より5日間30日にモスクワで行われた『インターナショナル・マーシャルアーツマッチ、ロシアナショナルチームVS.ワールドチーム』に九州本部の平塚洋二郎が空道の代表選手として出場するためセコンド(最終的に副審でしたが・・・)として、平塚と共に貴重な経験をさせていただきました。
今回は試合が無かったので選手や支部長と話す機会も多くあり、普段と違う視点で見られた事聞いた事等レポートしたいと思います。

敗戦の為、平塚レポートが反省文という内容になり「詳細は先輩にお任せします」という無責任な事を言っているので、その分もまとめて今回の出来事を細かく全てに渡って書きました。
それでは、始まり、始まり〜↓

9月28日
AM6:50
先生、奥さんをお迎えするため道場を出て、7:15のバスで成田空港へ出発。
現代日本、精神性の荒廃した人間を、嫌でも日々見なくてはならない東京が大嫌いな自分は「この都会(まち)から出られる」と思うとそれだけでワクワクする気持ちでした。

空港に到着、平塚を待つ間も先生はパソコンで海外に英文のメールを送られていました。週に2、3件は海外の新しい国から問い合わせがあるとの事、海外進出がスムーズにいくのも先生が英語が出来る故です。(塾生の皆様拍手〜 ←ゴツン!塾長)40分後、平塚と合流しAM11:15モスクワに出発しました。
今回、自分は初めて“JAL”に乗りましたが、7年前に連れて行っていただいた時の“アエロフロート”とはえらい違いでした。
その時は苦行とも思えた10時間弱の飛行時間が、全然苦にならなくて、前回のニコリともしない不愉快なCAの方達とは接客にも雲泥の差を感じました。

PM4:10(これより現地時間、日本時間より5時間遅れ)
モスクワのシェレメチェボ゙空港に到着、先生と奥さんはVIPの方へ行かれたので、出国のゲートに並ぶ事約10分・・・「ここじゃないので下へ行って下さい」と最初に平塚と「日本人っぽいな」と言っていた職員の男に言われ、「だったら、最初から言えよ」と言いながら移動、そこからもすぐには進まずに結構時間がかかってしまいました。
やっと空港から出るとベゼルチャコフ先輩※1(モスクワ支部事務局長ですが、何となく平塚とベゼル先輩という呼び方で定着したので以下そちらで)が笑顔で迎えてくれました。
そこから宿泊先のホテルCOSMOSへ。部屋に荷物を置いてから1階に戻り、エレベーターから降りようとしたら思い切りつまずいたので見てみると、フロアと10センチ以上もずれていたのでびっくりしました。
日本では最近、シンドラー社のエレベーター事故が問題になって、ミリ単位の着床誤差で大騒ぎしていたけど、国が違えばこんな事もあるんだなぁと感じました。

編集部注※1 ベゼルチャコフ・アレキサンダー モスクワ支部事務局長 1996北斗旗中量級準優勝 1997北斗旗中量級優勝

ホテルCOSMOS
ホテルCOSMOS正面

海外では、日本では常識と思っている事が通じない状況が少なからずあり、改めて自分の主観のみで物事を決めるのは危険だと思いました。
決して表には出てきませんが、海外での日本人行方不明者はかなりの数にのぼるという話で、それらも安全過ぎる日本に慣れきった行動からトラブルに巻き込まれる場合が多い様です。「ゴルゴ13」のデューク東郷のように自分を第三者の目で見る≠サの上で良く考えて行動するぐらいでなければいけないのかも知れません。そして、それはそのまま平和な日本では忘れてしまいがちな常在戦場≠フ心であり、武道にもつながっていくのではないかと・・・。
最近、指導に行っている綾瀬支部や新宿文化センターでも、試合と稽古の精神的境界線を無くす為、組手の前に拳を合わせるのを禁止しました。ある程度の強さの組手になると、普段の動きが全く出来なくなってしまう人が多いのです。道場生に「何で選んだのが大道塾だったのか?」と問えばほとんどの方は「現実の護身が可能だと思ったから」という答えに帰結します。
でも、たとえ優れた技術があっても、いきなり自分に危険が迫った時に試合どころか日常の組手でさえ緊張で思うように動けない人間が果たして対応出来るのか? 答えは明白だと思われます。やっぱり最初に「心」が強くあってこその武道でしょう。
最近感じるのは、試合に出る人達にそういった姿勢が希薄な事です。
先日の関東大会でも熱い何かを感じるのはベテランの選手や他流派の人達で、最も元気に空道を体現してほしいこれからの選手達の淡々とした試合が気になりました。
また大道塾と他流派の試合などは、以前なら支部の壁も無くみんなで応援していたのですが、今は「自分の支部の結果」以外無関心らしく、大道塾生である事への矜持(きょうじ)は無いのか人数は少ない他流派のセコンドの方が元気が良くて、とてもホームの試合と思えず残念でした。

話はかなり外れましたが、それから先生と奥さんの宿泊されるマリオットホテルにベゼル先輩のBLITZ号(日本名はスカイラインと言う)で向かいました。
この車ですが、地球上で最も早く移動できる自動車で、先輩は2車線で渋滞しているとセンターライン上を走ってどんどん前にでていくし、とにかく一般道(日本より法定速度は高めらしいが)なのにほとんど100km以上、高速運転中なのに携帯で話しまくるし(携帯は3個もお持ちです)、シートベルトはしないしで、平塚と驚愕しているとメーターを指差して(当然、正面にあるやつじゃありません)「俺は最高 242kmまで出した事がある」と言うので二度びっくりです。この日は車も多く、最高は150kmぐらいで安全運転でした。

BLITZ号
ベゼル先輩の愛車BLITZ号

PM8:00
マリオットに到着し先生、奥さん、ゾーリン支部長※2、アナスキン支部長※2、ベゼル先輩通訳のエァテリーナ(大道塾的にはこの名前は全て愛称カーチャ)と平塚、自分の8人で夕食(ディナーですか?)をご馳走になりました。
メインは肉で生肉に香辛料等を入れて混ぜる料理が名物らしいので、それを頼みました。・・・が前菜の量がハンパでなく、スープにしても普通に鍋2人前という感じでしたので生肉の登場時には結構満腹でした。日本の感覚で言えば大盛りの1.5倍あると見た方が良いでしょう。
それでも一流ホテルの料理だけにとても美味しく、減量中で全部食べられない平塚の分も最初は「絶対無理!!」と思いましたが全ていただきました。
この日はホテル戻るとあっという間に爆睡、ここの所凄く疲れていたので久しぶりにぐっすり眠れました。

編集部注※2 ゾーリン支部長、アナスキン支部長 ともにモスクワ支部支部長

ベゼル先輩
カキを堪能するベゼル先輩

9月29日
AM8:45起床、ホテルの1階で朝食、バイキング゙形式でハムやチーズ、シリアル、ヨーグルト等色々あり、ライスもありましたがどうせ不味いだろうから食べませんでした。こちらでは綺麗な女性の方々も朝からガッツリ食べています。(だからみんな太るんだなぁと納得、シャラポワもおそらく・・・)自分は日本でパンはあまり食べないのですがパン中心の国ではやはり美味しく感じました。

平塚今日は計量なので少ししか食べられません「大変だな〜」と言いながらローストビーフをパクつく自分の右斜め前ぐらいに、ヒョードルに良く似た人が食事をしているのが見えました。平塚に「あの人ヒョードルに似ているなぁ」と言うと、そちらを見て「先輩!本物っすよ」と平塚が言いました。言われればそっくりさんにしてはリアル過ぎで、どうやら本人のようです。
明日の大会については、どんな選手が出場するのか、どういう規模の大会なのか全然聞いてないし、周りの大勢の人達が見向きもしないから、まさか本人とは思ってもみませんでした。
平塚が「エクスキューズミー」と声をかけると、快く写真を撮らせてくれました。身長は180cmあるかないかぐらい、テレビで見るとデカく見えるけど意外に小さく、昨今ありがちな「気」が外に出ている様なタイプではなく、とても温和な方で本物の強者であることがひしひしと伝わってきました。プライドのように莫大な金額を得る事のないアマチュア競技も大切にしている姿勢に加えて、まさに好漢という感じでした。

ヒョードル選手と
ヒョードル・エメリヤーエンコ選手とヨウジロー・ヒラツカ選手

AM10:00
ホテルの前からバスに乗り会場に出発、明日出場する選手達はほぼ全員このホテルに滞在しているらしく、その為の送迎バスの様でした。普通に走っているのですが、場所によっては特急列車より早い車に前日乗ったせいで、非常に遅く感じました。
平塚の気合や如何に・・・と思いきや、いつものように早速寝ていました。

ここで彼を知らない皆様に、誰よりも空道を愛する男、九州本部職員の平塚洋二郎を紹介しましょう。

平塚選手
ひらつか ようじろう 1982年1月8日生まれ 24才
宮城県七ヶ浜町出身(北斗旗で活躍し始めたころ大学が沖縄だった関係で那覇支部に所属、一部で沖縄出身説も囁かれた)O型
[趣味]釣り、睡眠
[好きな食べ物]チョコレートパフェ
[好きな言葉]負けじ魂
[得意技]仙台北支部キムタケ君※3のキムラロー≠ニ北斗界の双璧を成す下段蹴りヨウジロー≠ニ左右のシーサーストレート≠ェ主武器

編集部注※3 木村猛選手 仙台北支部 177cm82.5kg 2003北斗旗重量級準優勝 2005東北重量級3位

彼とは2002年のラトビア遠征に一緒に行ったのがきっかけで知り合い、現在は残り少ない本当の意味での大道塾の後輩の一人。
寮生出身ではないが、卒寮生である那覇支部長の比嘉正行先輩の指導を受けているので最近の寮生よりよっぽど寮生の空気を感じさせる、人の言う事を素直に聞き世情に流される事のない、今時では珍しいシーラカンスのような男である。

・・・と回想しているとAM11:00 会場であるルズィニキ体育館へ到着。
中に入るとスケートリンクの氷がそのままで結構寒い。
会場設営も進められていて、デカイ男達が忙しく行ったり来たりしていました。暫くしてやっと平塚の計量。
82.2キロ、相手のケリモフ・シャンハル(昨年の第2回世界大会軽重量級優勝)は80キロ ちょうどぐらい。身長も平塚が高くて、自分はこの時点では平塚は勝つだろうと楽観している部分がありました。

その後、関係者用のパスを作ったり、昼食に行ってきたりして「もう、帰っていいんじゃないか?」という感じだったのですが、スタッフのセルゲイという男が「5時から撮影があるから待っていてくれ」と言うので待機していたけど、いつまで経っても何もなく平塚共々眠りについた・・・が起きた後も結局何事もなく「帰るぞ、ホテル」と言うイワノフ支部長※4と共にPM 6:10ホテル着。
イワノフ先輩は自分が寮生だった98年頃に、2週間ぐらい総本部に住み込みで稽古に来た事があり、その時に、一緒に銭湯に行ったり飯食ったりしたので、久しぶりに会えて懐かしかったです。

編集部注※4 イワノフ支部長 ウラジオ支部支部長

打ち合わせ中
セルゲイ、ベゼル先輩打ち合せ中

計量も終わり平塚がやっとまともに食事をとれるので、先生から頂いた100$を携え彼が行きたいと言っていたホテル内の「孔府酒家」という、基本的に中華料理屋だけど寿司も食べられる店に二人で行きました。
ここはアサヒ、キリンの生ビールもあり寿司も結構ちゃんとしていました(とは言え“銀のさら”の方が遥かに美味いぐらいですが)、値段を見ると「た、高い」(寿司一人前10貫にカッパ巻6個で800ルーブル=約3200円)ホテル外でもコーラ1リットル100円、タバコが150円、こうしてみると平均月収が3万円という話も嘘だろうと思うのですが、誰に聞いてもみんな答えは同じでした。以前から自分には謎です。
とは言え、一般的な食事中心なら1日3〜4000円もあれば充分らしいので日本人の感覚なら旅行で来てもかなり楽だと思います。
結局、寿司と味噌汁 2人前と北京ダックを頼みました。それなりに美味しく日本の気分でいただきました。

しかし、いつまでたってもダックさんが来ません。するとバーテン(ロシア人)がやってきて「何かご注文は?」と聞いてくるので、さっき注文を取りに来た店員のオネーチャン(中国人)に平塚が「どうなっとんねん?」と確認するとどうやらダックは通ってなかったらしい。「半羽か1羽のどっちか?」というやりとりがあったのに・・・この国では謝罪の言葉すらありません。(やはり反日教育の為でしょうか)しばらく後やっと目の前にやってきた北京ダックはとても旨く、今回食べた食事中で一番だったかも知れません。その後、隣のBARでバーボンを一杯飲み寝ました。

北京ダック
北京ダックを食べる平塚「やっと食えますよ〜」

10月30日
ついに試合当日、AM8:00朝食を食べに行くと、またヒョードルが居ましたが平塚は「もう飽きましたね」と言っていました。(前日はえらく感動してたくせに冷めるの早っ)

AM10:00
会場着、選手や関係者も集まって来て緊張感が高まります。自分は平塚のセコンドをやりたかったのですが、審判をやらなければならなくなり打ち合わせへ、しかし通訳も居ないので、何を言っているやらさっぱり分かりませんでした。そんな事をしている内に時間が経ってしまい、平塚にはマススパーの相手を少しやるぐらいの事しか出来ませんでした。

PM 12:00
選手入場式、大音量の曲とスモークの中、各競技のロシアチャンピオンとその対戦相手の様々な国のチャンピオン(こちらは必ずしもトップ選手という訳ではないようです)が一人ずつ紹介されていきます。観客数も演出もプライドの会場さながらでした(現場で見た事は無いのですが・・・)
平塚と共に出場したラトビア共和国のワンマッチ大会もかなり凄い大会で、大道塾のWARSに出場した事がない自分には非常に良い経験でしたが、それの2倍ぐらいの規模で平塚の緊張も相当なものがあったと思います。
中盤ぐらいで空道の紹介、「シャンハル・ケリモフ」のコールで場内凄まじい大歓声です。続いて「ヨウジロー・ヒラツカ」のコールでステージの右側から平塚登場、ケリモフほどではありませんが、ロシアの観客は他国の選手に対しても声援してくれます。(大道塾の選手が何度か出ている、ヤジと罵声が飛び交う某国の某競技会場とはえらい違いです)

全選手入場 全選手入場!
ステージ 高いステージの上でここからしか撮れませんでした。決して左のオネーチャンを撮ろうとした訳ではありません。(ホントですよ・・・多分)

その後、大会の最初は極真会の試し割りから始まりました。火をつけた氷柱、板、バット様々な物が一撃≠ナ破壊されます。今となっては強さとは何の関係もない技ですが、打撃の入口が極真だった自分には今でも「地上最強のカラテ」として心に残っているものがあり、血が騒ぐ感じがしました。
少年部の子供達の正拳突きなんか見ていると、20才ぐらいのただ強くなりたかった頃を思い出して懐かしかったです。今はどっか冷めているというか、熱くなれなくなってしまったというか、憎くもない人を本気で攻撃するのが嫌になってしまって・・・武道をやめる事は死ぬまで無いですけどね。

それから第1試合、国際松濤館の試合はロシアの選手が負けたものの、残りの試合はロシアが全勝します。散打のかなり微妙な判定や、相手が弱すぎる等もありましたが総じて圧倒的な力の差を感じる試合が多かったです。
カポエラ、散打、ムエタイ、K-1 etc.そして芦原会館の試合が終わり空道の出番になりました。海外での試合、加えてセコンドすらいない状況でしたが、勝てば平塚自身、そして大道塾にも得る物は多大です。

試合開始、緊張で見るからに動きは悪い平塚でしたが、ケリモフの打撃はロシアの本当にヤバイ選手達ほど危険な印象はないし、組技が強いという事だけどフェイリポフ、アルジャコフとも試合している平塚なら何とかなるだろうと思いました。
本戦は序盤ケリモフのパンチで平塚がバランスを崩す場面があったが、とても効果の基準ではないし効いた訳でもないのに三人が採った為(はっきり覚えてないのですが自分ともう一人いたと思います)これで効果。正直厳しくなったなと思いましたが、声をかける事も出来ませんので祈るしかなかったです。
延長に入っても、全体的に一進一退で平塚の良い膝蹴りが入ったりもしましたが、何度もテイクダウンを取られる場面があり、判定は文句なしでケリモフに挙がりました。打・投・極トータルに出来るし気持ちも強くやはり強かったです。

最近は打撃と寝技それぞれは稽古しているけど、その繋ぎの部分と立ち組みは疎かになっている選手が多いのですが、それがそのまま形になった試合でした。
柔術が大ブームですが、倒れずに戦うなら相撲やレスリングの方が空道ルールに還元出来る物が多いと思います。実際、以前は大道塾+SAWという形のみで活躍した先輩方が多数いらっしゃいました。自分達の領域に相手を引き込むという部分が無くなったら空道、とは言えないのではないでしょうか。その辺も塾生の意志統一を妨げていると感じます。
しかし、こういう結果になってしまいましたが、平塚はこの状況下で良くやったと思いますし。彼ですらこの展開でしたから、藤松以外の誰がやっても同じ結果だったでしょう。これが今の現実ですから、第三回大会は本当に厳しくなると思います。

その後にヒョードルの出るコンバットサンボ(ヘッドギア、レガース着用の総合ルール)の試合になりましたが、ホテルでは人気がないのかと思ったものの、入場の時は「ヒョードル・エメリヤーエンコ」とコールされるともの凄い大歓声で、やはりこちらでの人気は群を抜いている感がありました。
対戦相手は最初から逃げ腰で、ヒョードルも叩き潰すというような雰囲気でもなく、淡々と一分ほど経過してヒョードルのパンチが入り鼻血が出た途端、やる気が無くなったのか、もう出来ないというような素振りを見せるとレフェリーがストップして、あっさりヒョードルが勝利しました。ファンサービスの余興のような試合でした。
極真会、相撲、キックと続きましたが、相撲の時は日体大の選手でしたが会場は盛り上がって、やっぱり人気あるんだなと感じました。

PM5:00
大盛況のうちに試合は終了し、会場内で簡単な打ち上げがありました。
そこにいた通訳のエカテリーナ(初日の人とは同名の別人、略してカーチャン、先生と奥さんはメグ・ライアンとおっしゃっていたが、自分は坂井真紀をロシア人にした感じがした)は大学に通っていた4年間日本に住んでいたので日本語はペラペラで、ケリモフやベゼル先輩と色々話をする事が出来ました。
ケリモフに「平塚にいい経験をさせてもらった、ありがとう」と言うと「それはこちらもです」と言ってくれた。とても素朴ないい奴で、こちらではロシアは完全なプロ選手のような集団という認識があったけど必ずしも稽古だけというような訳では無く、スポンサー探し等自分で動かなければならない事も多いそうです。

世界大会で優勝したが「第三回も出られたら出場したい」との事、軽重量級の選手は今から気合を入れて頑張ってほしいと思います。体格的に優位だった平塚でも跳ね返される程の男ですから、やりがいはありますよ。しかし、彼のクラスでも選手層の厚いモスクワでは絶対次も出られる保証は無いのだから、生半可な気持ちでは通用しない事は明らかです。
ベゼル先輩には本人もやりたかっただろうなぁと思って「世界大会という目標のある今の選手を羨ましいと思いますか?」と聞きましたが、必ずしも自分もやりたかったという感じではないそうです。大きなバックアップがあるが故の、日本選手には無い責任や重圧、それらは本当に「ねばならぬ」という以上の覚悟がなければ成せるものではなく、この辺もロシアの絶対勝つという意識に強く影響しているのだなと思いました。

記念写真 左から平塚、ゾーリン支部長、先生、ケリモフ、アナスキン支部長、イワノフ支部長
記念写真2 闘い終わりノーサイド、左からベゼル先輩、平塚、ケリモフ、カーチャン、セルゲイ

その後、隣にあるスタジアム内の会場で表彰式があり、終わってから7年前にも連れてきていただいた、川に浮かんだ船の中がレストランになっている所へ行きました。
前回はハマの暴走特急♂p語ペラペラの亀山さんと一緒だったので、街灯もあまり無い街なのに深夜に繰り出し、現地の酔っ払いのオヤジ達と一緒に飲んだり、他の塾生とだったら有り得ない出来事があって楽しかったです。(お元気ですか? あの時の宿が大道塾遠征史上一番ボロかったらしいですよ)
7年前が非常に懐かしく思い出されました。ここでは、また寿司を食べました(ふと気付くと今回は中華や寿司が多く、ご当地料理をあまり食べていません)
試合直後の打ち上げで既にワイン10杯は飲み、その後も狂ったように飲みまくった為、この辺りは料理とか記憶があまり定かではありません。
ホテルに帰って「また先輩はすぐに寝ていた」という速さで就寝、ラトビアの時は常に寝ている平塚に「この風景を見る事は二度と無いんだぞ!」と言っていたのですが、完全に立場が逆転してしまいました。
寝相は普通なんですがこの日は「最初ベッドに居たと思ったら、次は入口の床に、更にベッドの隙間に入って自分の方を蹴ったりして、また戻って・・・」(平塚 談)だったらしいです。記憶にありません。

戻ってきました
懐かしい!亀山さん戻って来ました

10月1日
AM10:30
ベゼル先輩が迎えに来てくれて、「ナイトクラブは行かなかったのか?」とニヤリと笑いながら聞かれました。(ホテルの地下のSOLARIS≠ニいうお酒の店、まぁここでははっきり書けないのが残念ですが、笑)

この日は川を仕切って作られた釣り堀(という規模ではなく湖みたいでしたが・・・)に連れて行っていただきました。その道中ベゼル先輩が「俺の道場を見たいかい?」と言ってくれたので、平塚と二つ返事でお願いして見せていただきました。スーパーセーフが無数に壁にさげられ改めてこんな遠い異国でも大道塾、空道の同志が日々頑張っているんだなぁと思いました。
今日は道も広くベゼル先輩のBLITZ″もMAX185kmで本領発揮、時間の進み方がゆっくりになるんじゃないかというぐらいの勢いでした。

道場 虎の穴、ベゼルチャコフ道場を見学
この車間距離で この車間距離で100キロ以上出ています

最初は「ぶつかったら3人とも確実に死ぬな」と思って、結構そのギリギリ感は好きなんですが、ある意味、寮生の別府の運転より安全なのに気付きました。
車一つ分の隙間を移動する時(携帯で話しながら)、こっちは危ないと思っても、ベゼル先輩の意識の中では既に通り抜けたイメージが出来上がっている感じで、100km以上でもそれほど危険では無いんですね。別府の場合は40kmでも心臓に悪い時がありますから・・・。奥さんも自分も別府との無意味な(無意味という意味はある)やり取りから開放されてスッキリしています。しかしこのまま無為な時を送るなかれ、ベッピマン頑張れ!
40分程走ると、そのスピードによりずっと先に居たはずの先生と奥さんの乗っているアナスキン支部長の車を捉えました。そこからは流石に抜けないのでゆっくりと(それでも標準以上ですが)スリップ・ストリームで目的地へ向かいました。

PM12:40
でっかい釣り堀≠ノ到着、カーチャンは日本語が上手なので何でもすぐに聞けて大助かりですが、平塚と共に「ねぇカーチャン、カーチャン」と質問を連発し過ぎたせいか、「この日本人ウザイわね」と思われたのか、今日は少し冷たい様な気がしました。
ここに来るまでも常在爆走のベゼル先輩に「捕まらないんですか?」と聞くと「しょっちゅう捕まってその度に3000円払ってるよ」と言うので「免停にはならないんですか?」と聞くと「金を払って何とかする」との事、日本じゃありえないけど、だからあんな走行も可能なんだなと納得しました。

釣りしたいな〜
「ああ、釣りしたいな〜」

釣り好きの平塚は、絶好の釣り場を目の前に釣れぬもどかしさから「釣りして〜」を連発していました。
育成好きの清水は、釣り上げられる魚を見ると、自分がかつて育てていたニジマス君やコイ君が多かったので養殖人時代が思い出されました。

その釣り堀をぐるっと周ってきて昼食ですが、こっちへ来てからというもの、動かずに一杯食べる連続の為、24時間満腹という感じでそれほど食べれませんでした。でも自然の中で育ったものだけに、淡水魚評論家の自分でも美味しかったです。

PM6:43
夕食はカーチャン推奨の中華料理屋にやって来ました。が廊下とか厨房の前などちらかっていて、品川での料理人修行時代マスターに「雑な厨房からは雑な料理しか出来ない」との教えを受けた自分には信用出来ない店と感じました。しかし、どれもちゃんと中華で味も文句無く、平塚の気になるロブスターも注文しみんなでいただき、ゾーリン支部長の奥さんも来られて楽しい時間を過ごしました。
片付けとか中国はあまり意に介さないのでしょうか? それともこの店が偶々そうだっただけなのか・・・謎です 謎が多いです。

ロブスターと
ロブスターを食べる平塚

PM11:25
ホテルに戻り最後の夜という事で、最初に寿司を食べた「孔府酒家」へ平塚と行きました。ビールを飲んでからデザートを平塚任せで適当に(文字からは何だか良く分からないので)頼むと杏仁豆腐とかを想像していたのに、さきほどの店で食べたのと全く同じ、揚げたリンゴとパイナップルが大量に出てきて二人で呆然でした。
海外では日本での色々な煩わしさが完全に抜けるからか毎日良く眠れ、この日もゆっくりと休めました。

10月2日
とうとうロシア最後の日になってしまいました。

PM12:00頃に、また別な中華料理の店へ行き(ふと思うとロシア料理をあまり食べてなくて、ホテルで食べときゃ良かったと後悔しました)支部長達と最後の食事、毎日日本での日常とは違う色々な出来事があり、あっという間でした。
その後、空港に送っていただきPM5:55の飛行機で日本へ。
本当に楽しかったです。これといった仕事をした訳でもないのに連れて行っていただいて先生、奥さんありがとうございました。
モスクワ支部の皆様スパシーバ!
平塚は悔しさを力に変えてまた頑張れよ!
あと自分も急遽(←ゴツン!塾長)無差別に出る事になりました。今どこまで出来るのやら分かりませんが(←ゴツン!塾長)頑張ります!

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