パリ・モスクワ塾長随行記

平塚洋二郎(九州本部) 画像の解説:東塾長

押忍、九州本部の平塚です。6月23日(金)から29日(木)まで、セミナーと審査のためのパリ・モスクワ遠征に随行させていただいたので報告します。

23日(金)朝早くに福岡を発ち9時頃成田空港に到着しました。10時頃東塾長も成田に到着され合流し、搭乗手続きを済ませ、しばらく食べられなくなるであろう(と、この時点では思っていました・・・・・)うどんを食べ、12時発の便でまずモスクワに向かいました。最初の目的地はパリなのですが、今はワールドカップ期間中のため直行便が取れず、モスクワ経由になったという訳です。モスクワまでは約10時間半のフライトでしたが、那覇支部時代から飛行機に乗るのが慣れている自分は、条件反射ですぐ眠りにつくようになっているので、あまり苦ではありませんでした。
ただ国際線では少し寝ると機内食が出てきて、また少し寝るとまた機内食が出てくる(間にジュース等も出る)ので、食っちゃ寝食っちゃ寝で膨満感が増すし、選手としての体調管理上、多少罪悪感が湧きます。

現地時間の17時半頃モスクワに到着し、色々手続きをやっているとすぐに搭乗時刻になり、19時頃パリへ向けて出発しました。パリまでは約4時間のフライトで、空港に着くとフレデリックとファビアンが迎えに来てくれていました。このファビアンというのが面白くて、以前はフランス軍で憲兵をしていて空道を知り、辞めて総本部に数ヶ月住み込んで稽古していたツワモノです!

ファビアン&フレデリック
左がフランスのサムライ(かな)ファビアン、右がフレデリック

好きな日本語が「ケンペイ」と、「バカ」と「ヤクザ」で、それ以外の日本語はほとんど話せないのに、今年の体力別北海道予選に出場するために東京から北海道まで、電車で、一人で行ったというフランス版の、漢(オトコ)です。そして名古屋に全日本の観戦に来ていたところ、たまたま欠員が出たために、大会前日に出場が決まり出場したという強運の持ち主でもあります。

二人に連れられホテルに着くと22時ぐらいになっていましたが、空はまだ明るく昼間のようでした。聞くと23時ぐらいまでは明るいとの事。そんな事で「俺はパリにいる」と感動です。その後、塾長の希望でナンチャッテ日本料理店に行きナンチャッテ寿司などを食べ眠りにつきました。フランス料理は明日かな・・・。

次の日(24日)はフレデリックとファビアンと自分の3人で観光に行きました。塾長は何度もパリに来られているので、ホテルで仕事をされていました。(昨年の世界大会以降、以前にも増してほぼ毎日のように海外からのセミナー依頼のメールが来るので、それへの対応の為だけでも毎日数時間PCに向かうそうです。)
今は6ヶ国とセミナーの日程、内容、費用などに付いて交信中とか。時間的経費的節減のために1ヶ国だけでセミナーをすることはなく、必ず2ヶ国にするため、その調整もあり決定するまではメールの遣り取りを数10回するそうです!!今回参加したスイスからの希望者は我々が出発する前の夜のメールでフランスのセミナーへの参加を決めたそうだ、凄い!!

自分は申し訳ないと思いながらも、エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ルーブル美術館などを楽しく見学させて頂き、18時過ぎにホテルに戻り、土田支部長と合流するために、塾長と「やすべい」という本物の日本料理店に行きました。塾長は久し振りの土田支部長と、ビザの問題で難しそうに話しながらも、日本酒を旨そうに飲んでいました!その後は東京ラーメンです。フランス料理はいつでしょう。

観光1ここはパリです
カンパーイ よーし、カンパーイ

パリセミナー告知 by Fabian
パリセミナー告知 by Fabian

パリ3日目(25日)はセミナーを3時間と、審査を1時間行いました。参加者はフランス支部の塾生の他、ポルトガル、ベルギー、スイスの方達で、言葉は分かりませんが視線でその真剣さが伝わってきました。その場での支部長会議では「ヨーロッパ選手権」の具体的な話し合いも行われ、これから益々ヨーロッパでの「空道」が盛り上がりを見せそうです。選手の視点から言うと、ヨーロッパ要注意!という感じです。

最後にベルギーのアジルー支部長の8人組み手と、フランス支部の色帯の審査を行い終了しました。ファビアンも2級に合格し、次の1級取得後再び来日し、日本で10人組み手です。がんばれファビアン!

スイスからのゴンザロ氏は特殊警察らしく、日本の様々な武道を経験したあと、忍術に辿り着いて昨年日本に武者修行に来たそうですが、撒きビシや、手裏剣の投げ方、槍の使い方を教わりガッカリしていた時(「センセイ警官である私がそんな武器をどうやって使うのでしょうか?」と苦笑しながら話していた)、「空道入門」やDVDを見てこれだ!と思い、必死になってHPなどを探し情報を集めていて今回に繋がり、急遽休暇をとって参加したそうだ。「日本名は権蔵(ゴンゾウ)です」と嬉しそう。
でそしてパリでの最後の晩餐は・・・ジャーン、中華料理でした。グッバイフランス料理!

投げの指導 投げの指導
移動稽古 移動稽古
上級者
セミナー開始 セミナー開始
権蔵 スイスの権蔵

モスクワ行きの便は朝早いので、ホテルを5時ぐらいに出て空港へ向かいモスクワへと飛びました。飛行機を出てすぐの所にアナスキン支部長が迎えに来られていて、噂のVIPルームに通されました。そこにはゾーリン支部長、ベゼルチャコフ先輩、通訳のジーナさんがいて、面倒臭い手続きも何もなしで塾長と自分は入国できてしまいました。すげぇ・・・。

モスクワのマリオットホテルまでは車で移動したのですが、自分はベゼルチャコフ先輩のスカイラインに乗せていただきました。ところがこの方、一般道を190キロで暴走する御方でして、車間距離も全くとりません。こりゃ死ぬな、と思った瞬間「神様」警察官登場。

警官「お前はアホか!190キロなんてありえねぇだろ!」(推定)
ベゼルチャコフ「悪いヤツに追われていたんだ!しょうがないじゃないか!」(推定)
助かったと思ったのも束の間、警官から解放された先輩の運転は何も変わっていませんでした。
ベゼルチャコフ「安心しろ。オレはモスクワ市内で245キロ出したことがある。」
そうですか。じゃあ降ろしてください。

 

次の日(27日)はモスクワ支部の幹部クラスの審査でした。実は、塾長から今回の遠征に同行することを命ぜられたのは、この審査を見学する為でした。その理由は・・・・。

3年前にフランスの格闘技雑誌「カラテ武士道」が世界の代表的な武道や格闘技約20を選んで開催した「ベルシー2004(※)」という、2万人余の観衆の中で行われた大演武会があったことは、多くの方は総本部のHPでご存知と思います。その中で、東塾長がマスクを着けて高松師範代を相手に従来のフルコンの反撃法に続けて公開した空道的な反撃法は、30年前!の戦士「東孝」を知っている武道家が多いヨーロッパでは「あの年齢で指導だけではなく、まだ実際の攻防が実践できる『空道』とは?」と最も強烈に印象付けたようで、ヨーロッパからの問い合わせを増加させたそうです。

※2004年遠征レポート「武道の祭典 パリ・ベルシー2004」参照

なんと!その「武道の祭典」のロシア版が行われるのです!!世界的な武道や格闘技を20選出し、しかもロシアらしく、そのうち半数ではガチ(本当の試合)のワンマッチも行うこの「武道の祭典」、ロシア政府主催で、しかも彼らの話では、ご自身も柔道の選手である武道好きなプーチン大統領も観戦の予定とか!!空道の他は、柔道、ムエタイ、レスリング、サンボ、ボクシング、柔術、相撲など評価の定まった世界的な武道や格闘技などと共に、日本からは合気道や、フルコン空手のある団体などが呼ばれているらしく、その中でも「実際の試合を行うのは10種類でそれは大変名誉なことだ」と言うことでした。モスクワ支部はかなりいれこんでいます。

その大会に自分は重量級で出場するので、相手はてっきりレシェトニコフかゴルバチョクのどちらかだと思っていたのですが、審査前にモスクワ側はケリモフ(第二回世界大会軽重量級王者)を考えていると知り、塾長が「それではクラスが違うが良いのか?」と言うと、「元々は減量しているのだから平塚に合わせます」ということで決定しました。

そんな訳で審査中は彼を注意深く観察して、審査後はロシア側の要望で軽くマススパーをしましたが、打撃も回転が速く強烈でした。特に印象に残ったのが寝技です。ロシアは寝技で下になると弱い選手が多いと思うのですが、彼は下からでも決める技術を持っています。フィリポフやアージャコフからも関節を取りまくっていたのには驚きました。

それにしてもこの審査では日本では見られないカード、フィリポフvs.アージャコフ、フィリポフvs.ケリモフ、アージャコフvs.ケリモフ、シニューチンvs.ビコワ等々、が次々と実現し、純粋に面白かったです。

シッカリ足をあげろ! シッカリ足を上げろ!
アナシュキン支部長 アナシュキン支部長
ゾーリン氏 まとめ役ゾーリン氏(左)

審査の後、ジーナさんの妹のナターシャとその彼氏と自分の3人で観光に行き、赤の広場、ボリショイ劇場、戦車がたくさん置いてある所(名前忘れた)などを回りホテルに戻りました。モスクワではロシア料理をちゃんと、たらふく食べさせて頂きました。

帰りの28日にはモスクワ市内の高級レストランでウクライナ料理をご馳走になりました。四階建てのビル全部が一つのレストランで、三階には中央に50畳ほどの農家が作られており、勿論ガラスで仕切られていますが、中には古い民家があり、老夫婦が牛や、羊、鶏などを飼育しているのです!!初日のレストランもそうでしたが、自分などは到底日本では行けないような高級な店でした。

これがビル内のウクライナ農家!
これがビル内のウクライナ農家!

ロシア側は人気NO.1の「空道」の、一層の地位向上のためや後援企業のヨーロッパ市場を考えてのことでしょう、なんとしても「ヨーロッパ大会」を主催したいようで、滞在中何度も何度も塾長に掛け合っていたようです。しかし、最終的には「他のヨーロッパ各国とのレベルが違いすぎ、他の国の空道の芽を摘んでしまう。もう少し待て。先ず、旧ヨーロッパだけでの大会が必要だ」という塾長の考えに、不服そうでしたが、「塾長の判断にお任せいたします」となったり、審査の時も塾長が「返事や他人の組み手を見る態度が悪い!」と一喝すると即態度を改めるなど、ロシア側の塾長への対応には考えさせられることだらけでした。

日本に帰ってきたのは29日(木)の午前11頃で、同じ飛行機にはヒョードルも乗っていました。彼は誰とでも写真を撮ってくれるイイやつで、自分も一枚撮ったのですが、空道のチャンピオンとしての誇りを持てと言うことでしょうか、写っていませんでした(笑)

今回の遠征から帰ってきて今強く思っていることはもちろん、9月は絶対勝たなければ!ということです。まだケリモフに決定したわけではないと思いますが、相手が誰であろうと日本の代表は、良い試合をするだけではなく、勝たなくてはならないのです。そのために選手個人のレベルアップは言わずもがな、組織としての体制固めも今以上に必要だと思います。空道発祥の地日本がいつまでも空道の中心であるためにも、ロシアやヨーロッパ諸国に負けない強い組織を作り、安定した選手育成の態勢を取らなければならないと思います。

このような機会を与えてくださった東塾長、自分の留守中に道場をお任せしていた九州本部の皆さん、本当にありがとうございました。この経験を生かし強くなって、この遠征に同行させて頂いた体験、感謝を、大道塾に還元したいと思います。

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