遠征記

寺本正之(関西本部)

<2月21日 12時成田国際空港発LH711便に乗る。>
当初は東先生+北斗旗ベスト4の外人を除く3名、計4名で行く予定でしたが藤松選手はインフルエンザの為、清水選手は仕事の為参加する事ができず、初めての海外に喜びと不安を抱きながら東先生との2人旅が始まりました。

10時間後、乗り継ぎの為フランクフルト国際空港に着きました。空港での待ち時間、周りを見渡すと外国人ばかりで「先生ー外人ばっかりですねー」と言うと「あたりまえだろ外国なんだから」と笑われましたが、今まで味わった事の無い状況にワクワクしてきました。ふと「迷子になったらどないしよう」と不安になり、とりあえず電話を使えるようにしようと思いました。売店へ行き「エクスキューズミーテレホンカードプリーズ」と下手な英語でなんとかテレホンカードを買い日本への電話のかけ方を覚えひと安心、19時15分バルセロナ空港へ無事到着しました。空港へはバルセロナに滞在中で元新宿支部の横井さんと五十嵐さんが迎えに来てくれました。車で15分、バルセロナの町のどまん中にあり、目の前にはガウディーのサグラダファミリアが見える、ホテル・ベルエアーに荷物を置き、近所のレストランで夕食、スペイン名物の生ハムソーセージ、ビールでカンパイ。バルセロナの夜の町は美しくロマンチックな気分に浸りました。

<22日 セミナー、試合、打ち上げ>
9時ダビーというキックをやっているスペイン人が迎えに来てくれました。「夕方のデモ試合の相手はこいつらしい」
地下鉄で移動、日本と違い電車の中はラクガキだらけでいかにも治安が悪そうな感じでした。10時トレーニングジムの3Fのセミナー会場に着きました。参加者はフルコンの幹部黒帯らしき方2名と練習生3名、日本人2名の計7名とかなり少人数でしたが東先生が教える基本、移動、対人稽古に皆感動したようで、すぐに道場生が増えるのではと思わせる内容のセミナーになりました。

昼食後デモ試合が行われる会場へ移動、会場は古い建物だが満員で1000名位入れそうな広さでした。驚いたのは会場はどこも喫煙OKで白く煙っていて、平気でタバコをポイ捨てしていました。デモ試合、予定ではスペイン人のダビーと対戦する予定でしたが怪我をしたらしく?急遽、元新宿支部の横井さんと対戦することになりました。リングで戦うのは初めてで、ものすごく狭く感じましが、周りにロープがある為すぐに追い込むことができるので、やりやすいなあと感じました。試合は投げから腕ひしぎで一本勝ち、普段キックボクシングに慣れているお客さん達の反応は「頭突き」や「投げ」には驚いたらしく大反響で、「空道」、「大道塾」をアピールするには大成功だったと思います。

その後は、リラックスムードで酒を飲みに行きました。横井さんの案内で地元の人がよく行く、治安の悪そうな裏通りにある食堂で鳥の丸焼きを食べながらビールでカンパイ、仕事を終えた充実感と解放感に酔いました。

<23日 バルセロナ観光>
待ちに待ったバルセロナ観光。ガウディの超大作ネスカフェのCMでおなじみのサグラダファミリアへ行きました。東先生は一度見たから行かないという事なので横井さん五十嵐さんと3名で。10ユーロ(1200円)を支払い中へ。高さ約100mの塔が8本立っていて、近くで見ると外装は細かく彫刻でデザインされており延々と続いている、幅60cm位の狭い螺旋状の階段を30分かけて頂上まで登りました。話によるとこの塔は1882年から作りだし、現在塔が8本、完成までには18本建てられ、今から100年から200年後になるそうです。スペイン人の気の長さと芸術にかける意気込みに感動しました。

14時バルセロナの南、海岸沿いにあるコロンブス像前で東先生と合流、海辺のレストランで特大のイカスミ・パエリアを食べながらビールを飲みました。その後グエル公園を観光しホテルへ戻りました。夜は、喉が乾きましたが、スペインでは夜8時以降、飲屋以外の店はすべて閉まるそうで、もちろんコンビニは無く自動販売機も無く、水道水は飲めないので我慢して寝ました。この出来事に日本の住みやすさと日本の恵まれた環境を知り、今の日本での生活にもっと感謝しなければいけないなあーと感じました。

<25日 マドリッドへ移動>
バルセロナ空港にて持ち物検査時、係員に止められました。「やってもーたー」 五十嵐さんから「ソーセージを切る時に」と頂いたナイフをリュックに入れたのを忘れていました。しかも運悪く先生のバックを自分が、自分のナイフ入りリュックを東先生が持っていました。ここで東先生と係員の英語でのバトルが、「ナイフは捨てる」「だめだ、下の事務所に来てくれ」 結局、見送りに来ていた横井さんに「ナイフをあげるから」という事で係員はなぜかOKという事になりました。英語のバトルだったので自分には何かやばいぞとしか解らなかったのですが、かなりやばかったそうです。「先生、ごめんなさい」

13時マドリッド着。大道塾の支部を作りたいというフランス人のセバスチャンが迎えに来てくれました。車で20分、高級ホテルクラウンプラザ着、このホテルにはトレーニングジムが付いているので15時さっそくトレーニング開始(ランニング30分、ウエイト)

<26日 セゴビア、トレド観光>
観光が終わり19時、日本料理屋「どんぞこ」へ行きました。日本を離れて5日目、この頃になると洋食にも飽き、とてつもなく日本食が食べたくなりました。久々の日本食に感動、味噌汁がこんなに旨いとは知りませんでした。

<27日 フランクフルトへ移動、夜カラオケ>
朝7時、ホテルのジムにてトレーニング、その後マドリッド空港へ。15時フランクフルト空港着。車で20分、ホテル・モーツァルトへ。少し休憩後、市内観光。

20時、ドイツに来たという事で東先生「本場のビールだな」という事になり、観光客が入れないようなレトロなビアバーに入りました。そこでドイツ名物バイゼンビール(濃く濁っていて旨い)を飲み、ビアバーのレトロな雰囲気とバイゼンビールにいい気持ちになると東先生はいつものように「カラオケ行くぞー!」となりました。「ドイツでカラオケは無理ですよー」と言うと「バカコノー、カラオケは世界共通だ!」と店員に聞いてみると「イングリッシュカラオケバー」ならあるという事になりました。カラオケバーに入るとディスコのような部屋にカラオケ機1台で30人位のイギリス人達が自分の番が回ってくるのを待っていました。イギリス人はシャイなのかあまり盛り上がっていなかったのですが、東先生が「よーし盛り上げるぞー」と言って演歌ではなく、「マイ・ウェイ」を身振り手振りで歌い出すと、イギリス人達は大喜びで手拍子までしてくれ、自分も英語の歌詞を勘で歌い大フィーバー。その後も色々な外人と友達になり「カラオケって本当世界共通語だと」思いました。話によるとこの店に日本人が来たのは初めてだそうです。

<28日 ニュールンベルグへ移動>

<3月1日 セミナー2回、その後ベント宅へ>
ニュールンベルグでは、11時からと14時からの2回セミナーを行いました。参加人数は約60名。第一回世界大会、自分が一回戦で対戦した「ヤン・シュナイダー」も参加していました。ドイツ人は小さい人もいるが、大きい人はかなり大きく力もあるなと感じました。ここでのセミナーも感触が良く、セミナーが終わると東先生にサインを求めてきたり自分にも一緒に写真を撮ってくれと来たりで大成功。やはり海外では大道塾ルールは認められるなあと感じました。

セミナー終了後、セミナー主催者の人と幹部の方の自宅へサウナに入りに行こう、という事になりました。彼の家に着くと、とりあえずカンパイという事になり、ショットグラスにカンパリ(度数60度)で"ポルストー(ドイツ語")しました。ドイツの人が酒を飲む時にはつまみは出さず、しかも運動後、空腹の体にはカンパリ5杯、ビール3杯はかなりまわりました。その後にサウナ「負けてたまるかー」と頑張りましたが、目の前が回ってきて全裸でひと眠り、東先生にバスタオルを掛けて頂いたのを憶えています。「先生、ありがとうございました」 その後、場所を変えカントリー風レストランに行き、レオンさんの家族やベントさんのお母さん達と又々「ポルストー」

2次会も終わりに近づき、ふと東先生を見ると少しお疲れになられたのか、座ったまま眠っていました。しかしそこは東先生、眠りながらも酒を飲み、皿から落ちた肉をテーブルの上でカットして食べていました。「さすが、東先生の執念はすごい!!」

<3月2日 モーデンベルグ観光>

<3月3日 日本へ向けて帰る>
フランクフルト国際空港発、帰りの飛行機は行きと違い空いていて体を横にする事ができました。ヨーロッパでの12日間振り返ってみると、言葉の壁や食事、文化の違い等日本とはまったく異なり戸惑う事もありましたが「これも修行だな」と思える武道精神と、東先生や海外で出会った方々の真心に触れ、12日間のヨーロッパ遠征を思いきり楽しむ事ができました。これから先、遠征で学んだ事を生かし、2005年世界大会優勝に向け日々精進していく決意です。 以上

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