2003北京遠征 参加選手のレポート

 中国遠征日記 末廣智明(吉祥寺支部)
 中国散打大会に出場して 有川佳太(名張支部)
 「中国・北京遠征」を振り返って 遠藤明(石巻支部)
 二度目の中国遠征 松下靖文(大阪北同好会)
 散打体験記in北京 吉野高平(吉祥寺支部)
 中国“散打”遠征記 山崎裕子(八王子支部)

中国遠征日記 末廣智明(吉祥寺支部)

まず初めに、自分が中国遠征の話しを聞いたのは、北斗旗無差別の予選が終わった翌週でした。今年は約一ヶ月に一回のペースで試合に出場していたので、北斗旗予選二回戦で敗退してしまい、本戦には出場できないので、もう今年は試合もない物だと思い、気も暖んでいたところでした。

そんな折り、自分の支部の飯村支部長から急遽、中国に行って、散打と戦って来いと言われ、押忍と一言返事をし、今回、初海外試合が決定したのです。
今回は62kg級と、減量することになりました。最初、体重は落ちるだろうと思っていましたが、中国出発一週間前でも2,3kg オーバーしていたので少し焦りました。

11月21日 総本部に12時集合。この日、朝何とか62kgになったので、一安心したのですが・・・。
池袋からバスに乗り、成田に到着。そして飛行機に乗り込みました。減量のため、機内食も食べられず・・・。3時間ぐらいで中国に到着。空港に着くと中国側のしかめっ面な方々が(警察官や関係者)が迎えに来ていて驚きました。ホテルまでは何とパトカーの先導で行きました。この待遇は何んなんだ、と自分達は呆然としたしだいでした。ホテルに着き、遅い夕食。とは言っても、減量のため初日の中華料理はお預けとなりました。

11月22日 9時30分 記者会見と計量、早速計量と思いきや、記者会見が始まってしまいました。
正式で立派な記者会見でしたが、前日からの水分カットをしていたので、一刻も早く水が飲みたい、ご飯が食べたい、記者会見中はその事しか考えられなかった次第です。しかし、体はだるいにも関らず、普段より集中力が鋭くなっているのと、気持ちも乗っているなと感じました。そして待望の計量。もうすでに11時を回っていました。計量は一回でパスすることができました。

そして待望の昼食。ご飯はホテルの隣にある中華料理店で大量に食べましたが、あまり美味しいとは言えず、非常に辛く、しょっぱかったです。その後、体も疲れていたので一眠りしました。起きてから全員で軽く散打対策を行い、一時間ぐらい体を動かしました。少し体は重いものの、精神的には良い状態でした。
その日の夜食は、北京で一番北京ダックが美味しいという中華料理店に行くことになりました。正直、ホテルの隣の店とは違い非常に美味しく力が漲りました。

11月23日 9時30分
朝からリハーサルをするとのこと。会場に向かいました。会場は約1,800人入る非常に大きな会場でした。後、数時間後には自分たちがここで試合をするのだなと気持ちも高ぶりました。リハーサルは思ったより時間が掛かり、昼ぐらいまでやる羽目になりました。終わった時には自分も含めて、全員ぐったりとしていました。これは中国の心理作戦じゃないだろうかと思いました。ホテルに戻り昼食を軽く取り一眠りしました。

17時30分 ロビーに集合、18時に会場に到着しました。やはり、アウェー感ひしひしと伝わってきました。しかし、あまり緊張感もなく、コンディションも良く、いい感じで試合が出来ると思いました。しかし、試合直前、中国側がバンテージの事で意義を言い出し、急遽やり直さなくてはならなくなりました(ルールブックにはバンテージについては何も書いてないにも拘らず)。

19時 選手入場、ほとんど全員がアップ出来ず入場。そして、すぐさま一試合目が始まってしまった。自分は三試合目だったのですが、急遽、二試合目になってしまい一瞬驚きました。しかし、これも中国の心理作戦だと思うと逆に冷静になり試合に臨めました。
1ラウンド目、見過ぎないで、最初からガードを上げて前に出て行く作戦が功を奏し、組んでからの膝が相手の腹に当たり、これはいけると思いました。2,3ラウンド目も同じような展開が続き、相手もしぶとく耐え、判定で負けてしまいました。またしても決定力に欠けた試合になってしまいました。自分の課題が浮き彫りになった気がします。

11月24日
この日は念願の観光、買い物。眠たい目を擦りながら9時30分くらいにロビーに集合し、まずは天安門に行くことになりました。着いてから天安門の周辺を歩き続け、正直あまり感動はなく、むしろ疲労感しか感じなかったような気がします。昼食を済ませ午後は北京一大きな武術学校に行くことになりました。到着し、バスを降りると、門には大勢の子供たちと獅子舞にて歓迎されました。
なんだか照れくさかったのですが、非常に嬉しかったです。そして子供達による演舞。中国に来て初めて、来て良かったと思いました。最後に美味しい店で食べたかったのですが、またしてもホテルの隣の店が予約してあったらしく、中国の最後の日はこのような煮え切らない感じで終わってしまった次第であります。

11月25日5時30分
ロビーに集合。行きと同じくパトカーの先導にて空港に到着。8時30分の飛行機に乗り、12時30分無事、成田空港に到着。やはり日本が一番だなとつくづく実感しました。中国の5日間は非常にハードで色々な事がありましたが、次の試合に向け良い経験になったと思います。また、違った国にも行ってみたいと思えるようにもなったので、自分としては今回の海外遠征は負けましたが行けて良かったと思いました。

東孝先生 この度はこのような機会を自分に与えてくださりありがとうございました。これからも、より一層精進していきたいと思います。

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中国散打大会に出場して 有川 佳太(名張支部)

今回、中国散打大会に出場させて頂いた名張支部の有川です。
散打出場の話を頂いたのは、大会3週間前の仕事中でありました。名張支部の中西師範より、「散打の大会が東京であるけど出るか?」というTELがありました。何も考えず、「押忍、出ます。」と返事したのを覚えています。返事をした後に、何で自分なんかが?と思っているうちに再度TELが入り、「やっぱり違ったわ。中国らしいわ、行けるか?」と言われました。「中国って中国地方の事ですか?」と頭が混乱して意味不明な質問をした事を覚えています。

その後、本当に中国に散打71kg級で行かせて頂けるという事を理解しました。その時の体重が、80kg。軽量級のはずの自分が暴飲暴食、練習不足がたたり、いつの間にか軽重量級まで大きくなっていました。それからというもの、くじけそうになりながら減量と練習に励みました。散打のルールもほとんど知らず、グローブで投げ技があるという程度しか把握していませんでした。

<出発>11月21日
東塾長、加藤先輩、飯村先輩、木本先生、豪華な方々と共に中国に行く事に、自分の試合の事も忘れるくらい緊張しながら飛行機に乗りました。約4時間、あっという間に中国に到着。空港に着いてからは、噂通りのVIP待遇、TV局らしきカメラが何台か回っているのに少々戸惑いながら、休む暇もなく東塾長のインタビューが始まりました。その後、わけがわからないままホテルへ移動。先頭をパトカーが先導し、赤信号でもノンストップで突っ切って行きました。多分、一生体験する事のない体験をさせて頂きました。

<計量当日>
ホテル内に特設された会場での公開計量。司会者、テレビカメラ、本格的な雰囲気、鍛えられた体の選手達、その中自分だけが会場に相応しくない脂肪のついた体。この時ほど、いつもは信じない神様に「お願いします、脂肪をなくして下さい!!」と心からお願いをしていました。脂肪が消えてなくなる事はありませんでしたが、何とか計量だけはパスする事ができました。普段からの摂生を固く誓った後に、北京で一番うまいと有名な北京ダックをたくさん食べさせて頂きました。
東塾長より「今日は緊張であまり眠れないと思うけど、横になっていればいいんだぞ」とお声を掛けて頂きました。案の定、緊張で眠れなく横になっているだけで朝を迎えました。

<試合当日>
午前中、試合会場でのリハーサル、会場は伝統を感じるドーム状の建物で中心にリングがありました。リハーサルでは実際にスモークをたいての入場、ラウンドガールもいて驚きました。
午後7時からの試合だったため5時ぐらいに会場入りしました。入場の際にはボディチェックがあるなど、いやがうえにも緊張感が高まっていきました。加藤先輩、飯村先輩によるプロの巻き方で、バンテージを巻いてもらっている間中国側からクレームがあり巻き直すと言ったハプニングや試合の順番がいきなり変更になると言った海外特有の洗礼にペースを乱されながらも何とか平常心を保とうとしているうちに自分の番がまわってきました。

<試合>
いよいよ自分の名前が呼ばれて入場、アウェイのため地響きのようなブーイング、緊張感もありましたが、不思議と心地よく感じました。
加藤先輩、飯村先輩にセコンドについてもらい、いよいよ試合開始相手選手と15cm程度身長差がありとても大きく感じました。
試合内容としてはあまり覚えていませんがすべての技に対してカウンターで反撃され効かされるというよりはバランスを崩されることが多かったように思います。結果としては3Rにタオルを投入され負けてしまいました。最後までやりたっかので思わず泣いてしまい中国全土に泣き顔が流れてしまいました。
試合後に先輩方がかけて下さった「気持ちでは負けてなっかたぞ」という言葉は一生忘れません。

最後に今回散打の試合に参加させて下さった東塾長、コーチの加藤先輩、飯村先輩、散打の木本先生、通訳のジャッキーさん選手の皆さん、名張支部の中西師範、中谷師範、名張支部の皆さん本当に多くの方々に支えられ貴重な体験をさせて頂いたことに心から感謝いたします。ありがとうございました。北斗旗で皆さんと再会する事を目標に練習して励みたいと思います。押忍

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「中国・北京遠征」を振り返って 遠藤明(石巻支部)

唐突に『東先生から遠藤宛に「中国に行って散打の試合に出てみないか?」という誘いがあったぞ。どうする?』と、突然、三浦悦夫師範から電話があり、この機会はまたとないことなので即答で参加したい旨をお伝えしました。数日後、試合形式等を知らされ、私は56kg前後なので減量をする必要もなく、いつもどおりの食事と稽古ができました。

中国遠征一日目、成田空港にて東先生、セコンドの加藤先輩、飯村先輩、参加者の皆さんと合流し中国、北京へと出国、到着後大会関係者の方々と面会し、宿泊先のホテルまで案内されました。

二日目。09時00分より宿泊先のホテルで記者会見を行ないました。報道関係者がこれほど来る大会だとは思いませんでした。私達にはTVカメラが向けられ、一部始終行動を放映されているようで緊張しました。この記者会見席上で計量検査が行なわれ、54.5kgをクリアできました。対戦相手は60kg弱あったらしく、加藤先輩達は約束違反ということで抗議し、明日のリハーサルまでに再計量することで合意し、その記者会見席上は終了しました。その後昼食を摂り、宿泊先の部屋にて1時間半くらいストレッチとシャドーを実施、体調は万全で今すぐにでも試合したい気分でした。

三日目、大会当日です。会場にて09時00分からのリハーサル終了後、東先生達が相手選手のウエイトオーバーの件で関係者に確認したところ再計量する気はなく、公式ルール上失格なのに出場するとのことでした。抗議の結果、相手が10オンスグローブに対して私が8オンスで、各グランド毎に3ポイントの加算という事で合意したようです。ホテルに帰った後、飯村先輩にわざわざ両拳にバンテージとテーピングテープを巻いて貰いました。18時00分に会場入りし、日本テレビも来ているということで事の重大さに責任を感じてきました。選手控え室で各々シャドートレーニング中大会関係者が入ってきて、私達のバンテージ等が厚すぎるということで抗議してきました。加藤・飯村両先輩は、「ルールに記載されていなく相手選手のウエイトオーバーに比べて支障ないのでは。」と説明したようですが、受け入れてもらわれずバンテージを巻き直す事になりました。慌しくも準備が終わりセレモニーも滞りなく進行し、私の試合が近づいてきましたが、使用する8オンスグローブがなく、第1試合目の山崎さんのを使用することになり、急遽第3試合目と入れ替えをすることになりました。

いよいよです。名前を呼ばれリングへ上がり一周し、加藤先輩にマウスピースを銜えさせてもらいました。ゴングが鳴り試合開始です。いつもどおり右へステップしながら回りこみ相手選手の様子をうかがおうとしました。相手が蹴り技を出してこない様子だったのでステップインしてジャブからストレートを打つつもりでしたが、なぜか足が動かずステップインできず、パンチも出ませんでした。その中途半端なガードをしたところへ逆に相手選手のワンツーから左ハイキックを貰ってダウンしたようです。何がなんだか分かりませんでした。立ち上がろうとした瞬間、目の前に落ちているタオルが映ったので私の試合が終わったことを自覚しました。
控え室で、全然持ち味をを出せなかった自分に腹が立ち、壁に八つ当たりをしてしまいました。許されるなら今すぐにでも再試合をしたい気分でした・・・あんなにコンディションがよく、K.Oだけはされたくないという気持ちがあったので本当に悔しい限りです。他の選手の皆さんは全員負けましたがすべて善戦だったようです。

これで私の中国・北京遠征は終わりです。東先生、大会に出させて頂いたのにこのような結果になりまして大変申し訳ありませんでした。
加藤先輩、飯村先輩ウェイトの件やバンテージ等の件で一生懸命してもらいまして有難うございます。とても感謝しています。試合を観てもらいこれからの事でアドバイスして頂きたっかたのですが、無様な試合で大変申し訳ありませんでした。
散打の木本先生と通訳担当の植田さん、選手の皆さん大変お世話になりました。有難うございましす。そして三浦師範、出国するまで資料や手続き等でまたまたお世話になりました。これからもお世話になります。
最後になりますが、私は今回の悔しさをコヤシに、今まで以上に稽古をして春の北斗旗へ出場して先生、先輩方へ恩返ししたいと思います。押忍

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二度目の中国遠征 松下靖文(大阪北同好会)

10月末に散打選手として中国遠征の要請があるかもしれないという話があり、今年から職場が変わった為難しいとおもいましたが、上司に相談し許可を得た後、希望を出しました。その翌週には正式に遠征メンバー決定の連絡を受けることになりました。二週間しかなく、調整期間が短すぎた為、不安なまま中国に向かうことになりました。出発当日は私の不注意で一日遅れての合流となりました。
メンバーは東京・石巻・名張と私の大阪からの6名で、合流後の練習でみんな動きがいいので、自分もがんばらないといけないと再認識しました。私は以前、散打の公式戦を経験させていただいたので、その時の印象と技を紹介しました。結局は今までの練習してきたことしか出ないので、みんな自分の動きを再認識する練習で最終調整は終わりました。

今回はプロ散打というこで以前よりも厳しくなると意識してましたが、中国側のずさんさは前以上で、特に計量のいいかげんさ(中国側のメンバーのほとんどが体重オーバー)と試合直前にバンテージの規定の連絡をされる等トラブル続きでした。

試合は、散打独特の投げに負け、全員負けるという不甲斐ない結果となりました。
飯村先輩の弟子の末広さん、吉野さんはムエタイ式の試合で相手をグラつかせる程良い試合でした。
無差別を意識した練習を普段の自主練にも取り入れ、体が大きくても勝てるようになりたいと思いました。今回、海外で試合を経験し、加藤先輩、飯村先輩にセコンドについていただき、貴重な時間をいただきました。
これからは早く黒帯を取り、大道塾の黒帯として恥ずかしくない試合を目指したいと思います。押忍!

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散打体験記in北京 吉野高平(吉祥寺支部)

初めに。今回の散打との対抗試合のメンバーとして選んでいただいたことは、私にとって大きな財産となりました。試合に向けての厳しい稽古や、北京での体験は私自身を大きく成長させてくれたと思っています。東先生をはじめ、先輩方には大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。
 以下、その日の出来事、自分の感想を綴っていきたいと思います。

-初日-
出発当日、一度総本部に集まってから空港までリムジンバスで行くことになりました。出発まで総本部で待っている間、先生にカツ丼をご馳走になりました。本当に美味しく頂きました。ただ、計量は大丈夫かなと心配になったりもしましたが(笑)。成田空港では大道塾の選手の方達とも顔を合わせる事ができ心強く感じました。
北京の空港に着いたのは夜の九時頃。空港には何人かのカメラマンがすでに待機していて、私達を撮影し始めたのでびっくりしました。そして、ホテルへは護衛付き、パトカー付きという、かなりのVIP待遇だったのでさらに驚きです。
ホテルへ着くと夜の11時だというのに選手を含め、みんなで会食をすることになったのです。選手は次の日に計量を控えていたので、食事はそこそこにして自分たちの部屋に戻る事になりました。初めて口にした本場の中華料理の感想は、味が濃い!というものでした。
初日は驚きの連続でしたが、ホテルに戻った頃にはすでに12時を回っていたのですぐに就寝。

-2日目-
今日は計量だったので朝ご飯は抜きです。自分は66キロ契約で、今日までに3キロ減量してきたので、計量はしっかりクリアしたいと思っていました。今まで減量すらした事がなかったので、水分の量や食事の内容や量を気にして練習をこなすのはとても大変でした。ただ、飯村先輩や加藤先輩といった大先輩にアドバイスをして頂いていたので、なんとか契約どおりの体重にすることができたのです。
計量の前に記者会見があり、空腹のまま何分か耐える事に・・・。日本人側はみんなクリアしたのですが、中国側は2人が契約体重を大幅に越えていました。その場で多少もめましたが、後で再計量するということでなんとか収まりました。もともと1キロオーバーはOKという曖昧なものだったので予想できなくはない出来事でした。
いったん部屋に戻ってレストランで食事をしたのですが、そこでとんでもない光景を目の当たりにしました。再計量する事になっていた中国人選手の2人が、みんなと混ざって美味しそうにご飯を食べていたのです。さすがに、みなさん驚いていました。
なにはともあれ、食事をとった後、次はヘルスチェックをしに軍の病院に行くことになりました。かなりの時間、待たされはしたもののひと通り済んだのでやっとホテルに帰ることができました。

-3日目-
今日は夜の試合の前にリハーサルをするということなので朝九時半から会場入りです。特に何をするでもなく、会場にいる中国人のやり取りをボーっと見ている感じでした。朝九時半から始まった打ち合わせは昼過ぎまでかかり、食事を終えて部屋に戻ったのは二時頃でした。試合が始まるのは夜の七時からだというので、先輩方に言われたとおり各自部屋で休憩を取ることになりました。気づけば、この時が今回で初めてのゆっくりした時間でした。
会場入りしたのは六時頃だったと思います。みんなジャージに着がえ、高鳴る緊張の中でかるくシャドーを始めました。普段の稽古から今回の旅に至るまで、東先生や諸先輩方には技術的にだけではなく精神面でもいろいろお世話になっていたので、何とかして勝ちたいと思っていました。相手がどんなに強くても、展開が自分に不利でも絶対気持ちでは負けないという思いがありました。
バンテージの巻き方が反則だから巻きなおせとか、急きょ対戦カードの順番を換えろとか、また息をあげる時間がないなど様々なトラブルはありましたが、みんなそれぞれの覚悟を決めて試合に挑んでいきました。
終わってみれば全敗という非常に悔しい結果に終わりましたが、何千人もの観客の前で思う存分闘えたことはとても嬉しく思っています。

-4日目-
今日は一日観光です。天安門広場、少林寺の武術学校、お土産屋さん(?)を回りました。途中で小さい女の子に金をせがまれ、コアラのように僕の足にしがみついてきたのには正直びっくりしました。

-5日目-
今日は遂に帰国の日です。朝五時半に起き八時半の飛行機に乗り東京に向かいました。こうして初めての異種格闘技戦の旅は終わりました。

-感想-
今回の旅を通して、私はたくさんの貴重な経験をする事ができました。東先生や加藤先輩と普段できないような話をさせて頂いたり、今まで会う機会のなかった他の支部の方と交流することができたり、散打と試合をする事でリングの上で試合ができたり、異文化に触れる事ができたりと、本当に色々あります。この機会をつくって下さった先生には本当に感謝しています。これに応えるためにも、もっともっと強くなりたいと心から思います。本当にありがとうございました、押忍。

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●中国“散打”遠征記 山崎裕子(八王子支部)

この度11月21日〜25日の日程で、大道塾vs中国公安警察所属チームの"散打"の試合に参加するため中国,北京に遠征してきました。
始めに、東塾長、コーチ/セコンドとして同行してくださった加藤先輩、飯村先輩、ならびに大舞台を共にさせていただきました遠藤先輩・石巻支部、末廣先輩・吉祥寺支部、吉野先輩・吉祥寺支部、有川先輩・名張支部、松下先輩・大阪北支部(階級順で失礼します)、そして日中友好の掛け橋"ジャッキー"植田さんに感謝の気持ちを表したいと思います。私のようなキャリアも実績も無い者が図々しくも参加させていただき恐縮でしたが、本当に貴重な体験ができた有り難さと楽しかったー!という充実感で一杯です。

お話をいただくまで"散打"という競技を聞いたこともありませんでしたし、今回の試合に出ることが決まった時点ではルールも分からず、防具の有無も試合時間も未確定だったのですが、八王子支部・友次支部長の口の巧さに乗せられ承諾してしまった以上、引き返すことはできませんでした。(試合直前まで、断る理由はいくらでもあったのに・・・と何度繰り返したことか。)相手の方に中国人役をしてもらい練習するうちすぐに、"大道塾のルールに似てるから"という支部長の言葉がいかにてきとーなものだったか思い知らされることになりました。そんな訳で、中国に発つまでは脳裏を巡る最悪な映像に悩まされ、まだ見ぬ相手に恐れ震える日々でした。

試合2日前、21日の夜に北京に着くと、黒服のいかめしい中国人とビデオカメラに出迎えられました。ばたばた追い回されながら空港のVIPルームに通され、そこで何者か分からない人達との挨拶を終えるとパトカーの先導でホテルへ向かいました。先方が貴賓扱いしてくれるのに引きかえ、我々は目の前で起きていることが物珍しく観光客のように写真を撮ったりして、勝ちを取りにアウェイに乗り込んできた空手選手のようではありませんでした。なので、他の先輩選手達は全然緊張していないのだと思いました。
ホテルに着き、皆で夜遅い食事を取りましたが、そこの料理は油たっぷりな上に塩分もたっぷりで身体に悪そうなものでした。数年前の個人旅行では北京で美味しいものにありつけませんでしたが、ランクの高いレストランではそれなりに美味しいものが食べられると期待していただけに落胆しました。試合前後ともこの濃い味中華料理に悩まされることになりました。(中国四千年の味は、横浜中華街の方が美味しいです。)好きなものが食べられず、お腹を壊す危険性を伴いながらお腹を満たさなければならない、海外遠征は精神面だけでなく肉体面においても厳しい環境の中におかれていました。

次の日は朝からホテルの一室で記者会見が行われました。カメラ、報道陣のための椅子がずらりと並べられていました。会見では中国語はまったく日本語に訳されなかったので、どの人がどういう立場の人で何を言っているのかまったく分かりませんでした。(中国人は皆一方的に中国語でまくしたてます。試合本番、リング上のルール説明もなにもかも中国語でした。)その後、カメラの前での公開計量にうつりましたが、ここで一波乱となります。私は55kg契約で、平常体重で余裕でクリアできる程だったので相手選手の方が大きいのは分かっていましたが、なんと相手は身体を絞ってこず堂々と5kg以上オーバーしてきたのです。こちらの常識では考えられない、選手として信用を無くすような行為にも関わらず、相手選手は悪びれないばかりか満面の笑みでした。他の男子選手も数キロオーバーの選手がいてこちら側は騒然としましたが、その場ではうまく交渉できずなんとなく解散になってしまいました。

なんにしても相手は国家権力の庇護の下にある公安警察ですから、言いたい放題、やりたい放題なわけです。あやうく相手の筋の通らない言い分に言い包められそうになりましたが、東先生、先輩方、"通訳"植田さんの懸命の交渉の末、私の試合は8オンス対10オンスのグローブ・ハンデに加え、勝敗の無いエキシビジョンとすることになりました。

試合当日、いよいよ試合会場へ。北京の中心地から少し外れた所にある大きな体育館で、観客席は1万2千人収容できるそうです。頭上はるか上方まで観客席で、その会場の中心にリングが据えてありました。本番は人で席が埋まり、リングはスポットライトが当たっていることを想像するとわくわくしてきました。リング上で両チーム、少し動いて感触を確かめかしたが、中国人男子選手の本物のサイド・キックはやはり鮮やかで速いです。私の相手はあまり動いておらず、秘密主義な嫌〜な感じがしました。

それから午前中一杯、試合の開会式の入場の仕方やリング・イン/アウトの予行練習をしました。これがまた要領悪いし喧しいし、私はアジア途上国の人の要領悪さには慣れているつもりでしたが、試合の前の大事な時間に寒い所で待たされたり、気分が冷めていくのを感じました。
一旦ホテルに帰って休憩し、夕方、再度会場入り、試合開始は夜7時です。
開会式が仰々しく行なわれ、日本・中国の国旗が掲げられました。その後すぐ、第一試合の私の出番です。初グローブ、初キックパンツ姿で準備しました。相手選手はガウンなんて着ちゃって観客にアピールしながらリング入りです。私は焦らないようにゆっくり歩いてリングに向かいました。初めて相手選手の生の身体を目の当たりにすると、女子プロレスラーのような巨漢で驚きました。(そんなに贅肉付いてるならしぼってこいよ!)リングの上では不思議と恐怖心や緊張はありませんでした。緊張して動けなくなってしまうのでは、と心配していたのが嘘のようです。加藤先輩、飯村先輩のセコンドの声が心強く、猛獣のようなパワーファイターに立ち向かっていけたのだと思います。1万2千の敵方勢力に対し、セコンドは唯一の心の支えですから。

試合早々から、叫び声とともに思い切りのいいサイドキック。相手は全体重を乗せてきます。危うく避けしたが、1Rから右のぶんぶんパンチをまともにもらってしまいました。私の左腕はどこに行ってたんでしょー。大道塾ではあまり見かけない、全体重を乗せて前にのめってくるパンチです。あんな大ぶりパンチをもらってしまうなんて本当にダメです。私がやられる度に会場が沸くのが聞こえました。私も直前特訓の成果を出そうとしましたが中々うまくいかず、頭も働かず、ワンパターンになってしまったような気がします。2R終わったところでは相手の方が疲れていましたが、3Rはやはり最後の力を振り絞って攻めてきました。思ったより投げやタックルは来ませんでしたが、何度も首を抱えられたり蹴りでふっ飛ばされたり、内容的には完敗でした。なんとかKOされず最後まで闘えたことを良しとするだけです。

終わってみて、ああすることもできたのに...など反省点はいくつもありますが、東先生、友次支部長、先輩方に"がんばったなー"と評価していただけたのが何より嬉しいです。
その後の5試合も結果は残念ながら全敗でした。(技術的なことは他の先輩選手のレポートにお任せします。)中国側は万万歳、国の威信を保つことができました。閉会後、東先生が記者たちにどんな嫌な質問をされていたかと思うと申し訳ないです。

夜の打ち上げでも中国人選手団はおおいに飲み、敗れた我々はジュースでつつましく乾杯しました。宴会ムードが盛り上がってきた後は東先生と先輩方にお任せして引き上げ、部屋でちょっとした反省会?をしました。
本当に貴重な経験をさせていただき感謝いたします。
練習相手をしてくださった方々、応援してくださった方々ありがとうございました。
"ジャキー"植田さん、本当にお疲れさまでした。ツアーコンダクターは天職だと思って続けてください。
はるばる北京まで駆けつけてくださった友次支部長、文武くん、ありがとうございました。人生もがんばります。

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