収容所?日記 パート3

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1月24日(木曜日)18日目
1月24日の分、確かに打った筈なのに残っていない!クソー再度UPする為、昨日の起床時間は?と思ったら、即出てこない!前後関係を考えて、昨日も4時間後の05:30に起床しメールチェックした事を思い出す。ショック!08:00の今日の第一陣の出発を見送って、朝飯。

昨日、身重の若者“明日香”役をやった、鹿児島在住のタレント、木地山まみチャン、が今日帰り、あとは鹿児島で合流しての撮影らしくて挨拶された。そう言えば昨日は若いスタッフが盛り上って(燃え上って?)たなー。夜中にいきなり撮影会になって、“オジン”の俺と真名古さんも借り出された。「若いと言う事はそれだけで、大変な価値を持ってる」等と、俺もこんな年齢の時は良く言われ、「何言ってやがる、それ所じゃない。こっちは明日がどうなるか分らないのに、自分の分は済んだと思って、“悟った”ような事いうな!」等と“可愛くない”事を思ったものだが、彼等を見ると、本当にそう思う。いろいろ悩みや苦しみはあるのだろうが、逆にそれは、俺ぐらいの仕事が出来る残りの年月を考える年になると、本当に羨ましい事だ。

明るく振舞っている彼等も一人になれば、仕事、勉学、恋愛、人生、等など、現在や将来についての悩みや考える事が事が沢山あるはずだ。またそうでなくては、一見すると“楽しい事”が多すぎて、何をしたらいいか判らない程に多くの刺激がある現代では、目先の流行に、正に“流されて”しまう。(まだ日本が“貧乏”だった俺達の時代は、いろんな意味で、選択肢は限定されていて、その中で何とかもがくしかなかった。それはそれで悔しい思いもしたが、逆に言えば、選択の幅がないだけ何かに集中できたから、少ない能力も何とか“ものになった”のだろう。(まさか人一倍“外れてた”俺が“武道”を通じての社会教(体)育なんて言うとは誰も思わなかっただろう・・・)

今の連中はこの刺激の多い日を、俺達以上に、自分を失わないで先を見据えて生きなくてはならない。よく、路上やコンビニの前で何をするでもなく“へたって”なんか面白いことないかナ‐、といった風情の連中を見ると、子供の頃から、マスコミを通じて、価値あるもの数多く“見過ぎて”それで自分も既にそれを実際に経験してしまったような錯覚に陥ってしまったり、逆に下らない事を見過ぎて世の中こんなもんだぐらいに思ってしまい、物事に対する感性が鈍ってしまってるから、少々の事では熱くなれない。目標や目的を見つけられない。その為、ただ、ただ貴重な時間を無為に浪費している。本人達はなんかそれなりに、自己主張してるつもりなんだろうが、傍で見てて可愛そうになる(かといって変に先ばっかり計算して、小さくまとまって欲しくもないが・・・。)

精一杯悩んで、苦しんで、挫折して、立ち上がってを繰り返し人生を味わって欲しいものだ。等と、こっちに来て“わけーもん”と4、6時中、一緒に生活していると、本当にその眩しい若さに圧倒されそうになる。しかし、俺も端緒についたばかりの、この「空道」を世に定着させるまでは、まだまだヘタッチャ”いられん!良し練習するぞ!(単純だねー)と10:00に約一週間振りで良い天気になったグランドに飛び出した。チョットここの所自分の基本や動きをチェックしてないのでビデオを撮りながら。まあ、まだ何とか人前でやっても良いだろう。

13時昼飯。午後はカイロに行こうと思っていたがあいにく今日は休診日とのこと。また、時々転寝(うたたね)しながら本読み。贅沢な話だ。しかし、本当に、“文化は暇と贅沢(ここは、じゃないが)の中から生まれる”んだな、いろんな屁理屈を覚えるもんなー。俺もこのまま行ったら、“文化人”になれんじゃないか?元“不良”のA氏(公言してるから問題はなかろう)が“留学(獄)中”に猛勉強し今のような立派な作家になったという例もあるしなー。ま、“トーチョー”に帰ってまた“野蛮人ども”の相手をしてると、そんな悠長なことも言ってられんがね‐。夕方から地元の“ドント祭”という事で行ったが、17:00と7時を間違えたらしくて、丁度良いだろうと思って行った8時頃にはもう大方終わっていた。しょうがないから明日の台詞の為(?)にも喉を鍛えようと(鹿児島の時とは違って、もう余裕だね)今回の“出張”2度目のカラオケ。そしたら、先日行った時“俵星玄蕃”がないのは“修行が足らん”等と、酔った勢いで言ったのを覚えていて、そこのママさんがわざわざ鹿児島からレーザーを取り寄せていてくれた!「(西条)ヒデキ感激!」じゃないが「サトシ(悟史)感激!」(カーチャン安心しろ、ここのママは、俺より“先輩”だから)とばかりに激唱した。帰って00:30就寝。

1月25日(金曜日)19日目
04:00起床。04:30よりメールチェック、返信、作文、調べもの。今日も昼からで、あと出番は3シーンだ。07:00朝飯、と思ったが。洗面所で見たら、昨夜、“がなり”過ぎた為だろう、顔が張れている(何、いつもだと!コノー) これじゃイカン、“役者は顔が命”だからなー(カー、こんな事を一回言ってみたかったんだ!) とばかりに朝錬をすることにした(動機が不純だな、と俺も思う) 09:00までランニング拳立て、スクワット、基本の定番のあとは、この所研究している路上のコンビネーションや、いわゆる、対刃物を想定しての“護身”等で2時間。10:00迄、シャワー、朝飯、洗濯、部屋の掃除。11:00から12:00までパンクレーションに関する新しいメールへの返事。12:30出発。

今日は、暗黙の内に俺達山口家に花鷲見と、昴を託し集落を出る(旅立つ)“大野家”との会食風景。“患篤(かんとく‐重く患っている)”さんから焼酎は本物ですから、本当に呑んだほう良いと思う人は飲んでくださいとの有り難いお言葉。中々話がわかるじゃないか、そりゃ当然、飲まなきゃ感じが出ないでしょう、俺は役者じゃないんだからと“ぐいっと”飲ったら水(!)だった。クソー!今に殴ってやる。その後、先日の灯篭流しの所がお気に召さなかったようで再録。

戻って、今日は遅いので、風呂には行かず即、ビール。それから焼酎。ここ南種子の焼酎は“南泉”と、“三峰”、と紹介したが間違いで、屋久島の高い3つの山から命名した“三嶽(みたけ)”が代表的だ。高いのは先日の“魔王”、更に高い幻の焼酎と呼ばれてるのが“森伊蔵(もり、いぞう)”―良いネーミングだねーセンスを感じるよ。一頻り(ひとしきり−俺は“ジュクチョー”チクショウ、ではない、念の為、として、皆の教養を高めようとしていろいろ小難しい事を一杯書いてんだから、塾生は良く覚えろよ−)飲んだ頃、譲(ゆずる)さんが、「明日雨の場合は午前中撮休」と宣言!

やったー雨に決まってる、いや絶対降らせてやるとばかりに、しかし、明日早番になる可能性のある“大野家”は誘わず(スンマセン、この埋め合わせは必ずしますから)風邪で少し調子が、と言う“渚”を“Going―強引”に誘って“カラオケ”へ(カーチャン心配すんな、いや少しは心配させた方がもっと、待遇も良くなるか?マネージャーの黒さんも一緒だから)流石、本物の“俳優”さんだから上手い!(しかし俺も負けてはいなかったぞ!って誰に言ってんだ?)また結構、体育会系だから、あっさりして話も面白い。“目を見詰め合って”デュエットまでしちゃった!(ヒャッホー!スミマセン全国の塾生諸君!)聞けば、格闘技や武道の試合を見るのは好きなんで、ぜひ機会があったら、道場にも行ってみたいし、試合も見たいとのこと。たいへんだ、選手が張り切って殺し合いにまでなんなきゃ良いけど。歌も今日は“ゼッコウチョー”だー!定番、「大利根無情」、大友柳太郎の映画の画像付きだから、「妙心さま、なんで平手さんを止めてくれなかったんでござんす、お玉が池の千葉先生から、破門を許すと情けのお便り、一足違いでお見せできなかったは、繁蔵の不覚、一生治らぬ心の傷でござんすー」も気合が入ったね−。「酒と泪と男と女」だって、高い音程も昨日の特訓のお陰で良く伸びること、伸びること!なんで歌手になんなかったんだろうな−、テレビが悪い、テレビが、大川栄作の気持ちがよくわかるよ、俺は。今日は10曲位で満足、満足。22:30、帰宿。24:00就寝。

1月26日(土曜日)20日目!
06:00起床。一昨日、昨日と結構良い練習してるし、カラオケも良かったものだから、6時間も寝た!それにしても昨日「“奸篤(かんとく―はかりごとが多い)さん”皆でカラオケ大会ってのはないんですか?」と聞いたら、ニコニコして(コノー!)「明日、大野家を見送るシーンで“悟史”さんが見事に号泣してくれたなら考えましょう」と来た!冗談ポイ(捨てる感じ)だよ!そんなこたぁー役者さんだって難しいのに、出来るわけがない!、“剛球”なら(どっかに?誰かに?)投げてやるが・…。“感得(かんとくー感覚で動くのが得意な人)”さんの言ってる事は、うちの試合を応援に来た、全く武道経験のない人間に、ちょっと選手が足りなくなったから、試合をしてみろと言ってるようなもんだよ、と極めて常識的な事を言ってるのに、いや東さんは第2の何とかに、いや日本のロバート・デニーロ(!!!)になれる人だ、と臆面もなく言う!良く言うよ、絶対に狂ってる!“役者”はカラオケの時だけで充分だよ。と思っていたら、天は我を見捨てず!今日は見事な雨だ!雨ならそれらしく誤魔化せるだろう。しかしこの雨の中でずぶ濡れになるというのに喜ぶってのも可笑しい話だ。いや、特に若いスタッフとは一回カラオケやろうと言ってたので皆の為(?)にも、頑張るぞー!

所で、昨日宿舎に帰って来たなら、このHPを見て、ウェイトをしに西之表まで行くというのを気の毒がり、わざわざスクワットも出来るベンチとプレート、ダンベル等を、届けてくれた人がいた。本部のビジネスマンの知人で、先日ビールを差し入れして頂いたMさん、先日も会えなかったので、すぐに電話したが、運転中か繋がらない。有難うございました。この場をお借りしてお礼を述べさせて頂きます。今日は計画通り(?)雨で午前中、撮休ですから使わせて頂きます。09:00より10:30まで基本、シャドゥ、上半身(腰はチョット恐いので道場に戻ってだ)10:30出発。現場は凄い雨。20日の小屋のシーンは全くの本音だから、本当に感情が高ぶって実際、泪も出たし、それなりに訴える事が出来たと思うが、こんなフィクションの場面で、泣けと言われたって出来る訳はない。それでもジャンバーの上からずぶ濡れになりながらだから、なんとか誤魔化せた、だろう。16:00迄、2シーンを撮って風呂へ直行し宿舎へ。17:00、やっと昼飯(!)にありついた。

昨日約束したとおり、今夜はカラオケだなと思って、明日上手く最後のシーンが終われば、午後にはこっちを発つようになるだろうから、その時焦らないように、今のうちに、と荷物の整理をした。所が待てど暮らせど、全然お呼びが掛らない。痺れを切らして食堂に降りて行ったなら、また“打ち合わせ”だ!ま、明日は、まひるや果蓮、花鷲見、昴らが結構な長台詞があるらしいので、それもしょうがないかと「思い直ぉしいて−俵星(たわらぼしぃーいいい)独り(一人リぃー)しーみじみぃ、飲むなあらばあああ」風呂からスタッフが1人、2人、3人と帰り四方山話が始まった。皆、今回の映画の意味を“奸説く(かんとく‐“わるだくみ”で説く)”に熱く語られ押(お)っ取り刀で参加した面々だ。中には撮影2日前に「この映画は社会的に非常に意味のあるものだから」と、俺にと同じ論法で“折伏(しゃくぶく‐意味は自分で調べろ)された”人もいたらしい(まさに“折伏”だね)!

いや、その話の面白いったらない。それに輪をかけて、撮影中のあれこれ、殆ど“カントク”のエピソードだが、これ又、面白い。南青紀を背負って由紀夫(と永遠子)が海に向かうシーンで、ヨーイ!”と言って次の、“始め!”が土砂降りの雨の中で、いつまでたっても掛らなかったので真名古さんと山口さんが恐る恐る振りかえったら!“始め!”を忘れてたらしい!!! 深刻なシーンを撮ってる時、“ヨーイ”と言ったは良いが、カメラ台の上から、そのまま後ろにひっくり返えりスタッフは笑いをこらえるのに大変だった事。散々、「役者さんに集中させるから周りは話さないで、離れて」等と言いながら、暫くしてカメラや、音響さんが「準備良いですよ」と言った瞬間に、「ちょっとトイレに行って良いかな?」といって「カントク!ダメです!」と睨まれ、即座に断られた話。俺に台詞を言わせる時も、「このシーンはこれこれの心境だからこうやってね」と言った舌の根も乾かぬ内に「いやそうじゃないな、こうだね」と全く反対の事を言って、挙句の果てに「ウーンどっちだろう、どう思う?」俺は一体どうすれば良いんだよー!

この映画そのものも良いが“蒲田行進曲”(大田区蒲田にあった松竹の撮影所での活動屋―昔は映画関係者を、愛情と、いささかの、胡散臭さを込めてこう呼んだ―のドタバタを描いて大ヒットした映画 )に勝るとも劣らないストーリーが出来る筈だと、皆の意見が一致した。俺としては、明日が上手く行けば、もう全員が一緒になる事はないんだから、軽く一杯やらなけりゃ納得できない!とカントク(奸説く、患篤、感得、最後に間禿−少し薄く…)室に押し掛けて直談判。んーん!この“お方”俺が今まで対戦した“敵”の中にはいなかったタイプで、相変わらずのコンニャク戦法だが、かなりの“手練(てだれ)”と見た。しかし負けないぞ!と、何とか“言質”を取って就寝01:30。

1月27日(日曜日)21日目“出所”前日
05:30起床。今日の最後のシーンが終われば、俺達、山口家のシーンは終わり、しかも、言葉を取り戻した花鷲見と昴を(引取って)迎えるだけだから台詞もない。ただ最後を飾るにふさわしい晴天があれば文句なしのシーン。少し危なっかしい所があったが何とか雲間を狙って「OK!」と出た時はやった−!と皆で万歳、拍手の嵐!やっと21日間の収容所暮らしも、刑期満了、出所だ!

11:30。宿舎に戻ってHPに打ちこんでいたなら、食堂の方にとの事。又、何かやらせる気か?と警戒しながら、降りて行ったなら、みんな集まっていて、カントクさんが “渚”役の川上さんと“悟史” 役の俺に赤い薔薇を渡してくれた。ヒェー!マイッタね。“赤い薔薇”なんて貰った事がないから、どういう顔をして良いか分らないという顔をしてたら、若い連中が“あっ!悟史さんが照れてる”だと!有難うございました、しかし、これで騙されはしないぞ!と心に誓った事は知るまい。

15:30西之表のカイロ。お蔭様で最近膝があんまり痛くない。帰路、海岸線に沿って走ってると、太平洋の荒波が道に向かって波を巻き上げる、その荒涼とした様がなんとも言えない。イイナー!19:00まずビールで乾杯!から打ち上げスタート。皆でこの約一ヶ月の思い出話をしながらいろんな組み合わせで、記念写真を撮ったり、住所やサインの交換をしたり、とわいわい大騒ぎの“パーチィー”。宴もたけなわの頃、1月が“あんねえ”役の山口美弥子さん、2月が“渚”役の川上麻衣子さんの誕生月だったの、バースディケーキが用意されていた(“カントク”女には優しい)そのロウソクを消す時、俺がその二つを両手で下から支えて消しやすいように持ってやったなら、二人からホッペに“チュッ”されちゃった!(この話、初稿には書いてなかったんだが、たまたま何気なく話したら、カーチャンが「そんな話聞いてない」と口を尖らした。「別に隠す気はないが、そんなことまで一々報告するか」と無視したが少し冷や汗、(^^;.) そのうち、学習院大学政治学部卒で、ジャーナリスト志望のOさんが何でこの撮影隊の製作担当(事務局みたいなものー各種の電話連絡、地元との交渉や、お願い、お礼、スタッフへの連絡や、配車、給食の手配等々に始めは戸惑いながらも次第に手際良くなっていった)をしているのか、かねてから、怪しいと睨んでいたので糾弾!遂に真相解明、やっぱりな!ま、“何とか”と“何とか”は紙一重と言うから、色々苦労は絶えないと思うけど頑張ってね。でも前の“何とか”ならなら良いけど、ただ“ズレテル”だけだとなー。01:30就寝。

兎に角、武道の世界に入って30年こんなに道場を空けたのは始めた。不安もあったし、何とかなるさもあったけど、この3週間は本当に、夢中で、しかし何か新鮮な日々だった。うるさいT松を始め、各クラスを守ってくれている皆や、事務局のお陰だと感謝しています。本当に“オッス”です。また例に拠って蘊蓄を言うと、良く海外で“ワーキングホリディ”といって、職業に就いている人間に、海外で別な種類のアルバイトを認める制度があるらしいが、本当にそれは新たな感動を生み出すだけでなく、元の仕事に対する新鮮さを取り戻す意味でも効果があるのではないか。今、ニューヨーク支部から来てる話など、正にそれに類する話で、俺が苦学生だった頃や、もう少し若かったなら、一も二もなく飛び付いた話だが・・・。01:30就寝。

インターネット検索 《ワーキングホリデーとは・・・》 簡単に言えば、海外で『学ぶ・遊ぶ・働く』が体験できる制度です。休暇を楽しみながら現地でのアルバイトができることが政府間により認められた制度なのです。海外といっても、現在日本と協定を結んでいるのはカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国そしてフランスの5ヶ国です。一度は海外に長期滞在してみたいけど観光ビザの滞在期間は最長でも3ヶ月。正規の就労ビザの取得はかなり難しい。学生ビザ(=留学)にはかなりの資金がいる。半年〜1年という長期滞在ができるのに加え、旅行資金を補うために現地で働くことや短期間だけど語学学校へ行くことも認められています。ビザの発給にも英語力は問われないし、資金も申請時に必要な金額は約50万円。英語力は話せるにこしたことはない程度でOK!

1月28日(月曜日)22日目“刑期満了、出所当日!”
05:30起床。昨夜、荷作りして、ランニング用品を入れたのだが、酒がまだ残っているので走ることにした。南の島の06:00はまだ西の空に月が煌煌としている。ここのトラックは200メートルしかないのでその周囲を10周と、後ろ向きと横向きをすると、約3500歩になる。シャドゥ、補強は同じ。07:30シャワー07:50朝食。撮影隊はまだ風景を撮るのだが、出発が遅いのでまだ寝てても良いのに皆、起きて見送ってくれた。東京に戻ったら遊びに来いよ、と言ったのだが、何人かは入門しますと言っていた。08:20:、まだ撮影の残ってる人達を残し、川上さんと、マネージャーの黒さんと俺の3人(2人で良いのに!)は、陶芸家なのに、同じく騙されて今回“料理長”を務めて頂いた石原さん、後援者の落水さんに、種子島空港まで送られた。またいつか来る事になるのだろうか、既にもう、いい思い出になり初めつつある、種子島を09:30、離陸。

近年、人間や人生に向き合うような日本映画は中々人を呼べないのが実情だ。ハリウッド映画のカッコ良さ、派手さ、華やかさ、スケールの大きさ、に日本だけでなく世界のどこもが蹂躙され、フランスでは文化侵略だとして規制がある程だ。しかし、“普通程度に愛国者”で、結構映画好きの俺だって日本映画で健闘していると言われても、アニメは勘弁して欲しいし、“暴力もの”は充分足りてるので見る気にはならない。日本映画は、余程の話題作でもない限り殆ど見ない。最近見たのは超スーパースターの“健さん”ものの“鉄道員(ぽっぽや)”と“ホタル”位か。(どっちも無骨で不器用な男の、しかしまた、そこがまた日本的で“カッコいい”、生き方を見せてくれる)“金融腐食列島”はビデオで見たが・・・。

日本映画は資金的な意味で、ハリウッドとは比べ物にならないので、あまり派手なことは出来ない。勢い、地味な人間関係や人生を掘り下げる方向に向かわざるを得ない。ところが、戦後延々と続いているアメリカ信仰の所為もあるのだろう、日本はダメな国で欧米の方が優れているという戦後教育をもろに受けた今の“わけーもん”は日本的な価値観そのものに疑問を持ってるし第一、日本がバブルでこの世の春を謳歌していた時代に幼年時代を送った連中だから、そんな人間や、人生に向かい合う等という面倒なことや、重いことは苦手だ。夢の中にいれるアニメや刺激的な“和製ホラー”や“暴力もの”は見るのだろうが大概は、明るくて派手でカッコいいアメリカ映画を好む。

実際、“カッコイイ”という意味では、体を使う仕事をしているから余計意識するのだが、外見は連中の方がどうしようもなくカッコイイ。まだ“日本文化への誇り”の“残り香”位は身に染込んでいる俺たちの年代でさえ思うんだから無理もない。海外へ指導に行って、打ち上げパーティなんかになると、暫くして必ずダンスが始まる。俺も“跳んでる”方だから、ジルバ位と思うが、武道では威張れる人間でも、事、ダンスとなると、一転、カッコいいなー!と脱帽する。数年前モスクワでの大会の後、支部長夫婦が踊り出した時は、昔、映画「戦争と平和」の中で、ナターシャ役のオードリー・ヘップバーンとピエール(男優名は用がないから忘れた!)とが踊ったシーンそのままだった。奥さんが本当にナターシャというのは出来過ぎだった。しかも新体操のモスクワ代表だったそうで、そのカッコイイったらない!あの支部長は暫く“保留(昇段預かり”だ!(^0^)/)あんなのを見せられると、素直に“止めておこう”となる。何度日本人に生まれて損したなーと思ったことか!(これが原因で益々“日本人”でいようと思ったわけではない、念の為)

だから日本映画で“気合”を入れて作ったものは、まず海外の映画祭などに出して評価されてから、日本人の弱い“海外でも評価された”と言う、いまだに引き摺っている“舶来、ブランド信仰”を纏ってから逆輸入しないと、駄目なんだそうだ。この映画もそういう方法を考えているみたいだから公開は半年か1年くらい先になるそうだ。何にせよ、ど素人が他の役者さん達の足を引っ張りながら、この映画のテーマ“家族の再生、復活。人と、自然との触合い”を訴える映画に何とか役に立ちたいと思って、恥ずかしいのも忘れ、夢中でくさい芝居もした日々だった。何とか“もの”になってくれればと、心から思う。ありがとう、いろいろ協力して頂いた種子島の皆さん達。何とか良い映画として評価して頂き、結果的に恩返しできたらと思っていますと(完全に映画人になりきってる!)どんどん遠くなる眼下の種子島を見下ろしながら、長いようで短かった3週間を振りかえった。

10:40鹿児島発、12:15羽田着。理由もないのに(?)回りに人が増え、急に、今まで忘れていた人の視線をドッと感じる。「あー、夢の世界から出て、今日からまた現実の生活が始まるんだなー」と実感する。13:30総本部着。不肖、私、山口悟史こと、本名、東孝(認識番号736421‐自衛隊時代のID番号)は、本日平成14年1月28日、22日間の収容所生活を無事勤め上げ、種子島より、ただ今“娑婆(しゃば)”に帰還しました。本日からは、昨年成功した「空道」の世界的普及の為により一層、頑張りますので宜しくお願い申し上げます。

映画「カタルシス」制作参加について | 撮影所写真

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